一月二十九日。カレンダーのその数字を、律希は何度指先でなぞっただろうか。
机の引き出しの奥には、一通の封筒……ではなく、分厚い紙の束が眠っている。それは律希が高校生の頃から、彼女——麻衣の誕生日に合わせて書き溜めてきた手紙だった。
最初の数枚は、青いインクが瑞々しい、背伸びした告白の言葉。
中ほどには、大学で離ればなれになった寂しさを埋めるような近況報告。
そして最近のものは、ただ「おめでとう」という言葉だけが、ひどく丁寧に綴られていた。
結局、一度もポストに入れることはなかった。渡そうとするたびに、彼女との心地よい「親友」という距離感を壊すのが怖くなったのだ。
律希は今年、二十七歳になった。
そして今日、麻衣も同じく二十七歳になる。
スマートフォンの画面が明るくなり、グループチャットに通知が飛ぶ。共通の友人たちが次々と「おめでとう」のスタンプを投げ合っている。その中に、麻衣本人の返信があった。
『みんなありがとう! 実は報告があるんだけど……』
続く言葉を予感し、律希の心臓が小さく跳ねた。
『春に結婚することになりました。相手は仕事で知り合った人です。また改めて報告させてね』
画面が滲んだわけではない。
ただ、指先がひどく冷たくなった気がした。
律希はゆっくりと引き出しを開け、例の束を取り出した。十年分の想いが詰まった紙の束は、ずっしりと重い。
封筒の角は少し潰れ、紙は時間の経過とともに、うっすらと琥珀色を帯び始めている。
彼は一枚ずつ、手紙を読み返した。
「君の笑い方が好きだ」と書いた十七歳の自分。「隣にいたい」と願った二十一歳の自分。そして、「君が幸せならそれでいい」と強がった昨年の自分。
そこには、麻衣への想いだけでなく、彼女を好きでい続けた律希自身の人生が刻まれていた。
「……お疲れ様、俺」
独り言が、静かな部屋に溶ける。
律希はゴミ箱を引き寄せようとして、ふと手を止めた。これを捨てることは、自分の十年間を否定することのように思えたからだ。
彼はキッチンへ向かい、古いクッキーの空き缶を持ってきた。手紙をすべてその中に入れ、しっかりと蓋をする。そして押し入れの天袋、一番奥へと押し込んだ。
これは、誰にも届かなかった手紙ではない。自分を大人にしてくれた、大切な記録だ。
再びスマートフォンを手に取り、律希はグループチャットにメッセージを打ち込んだ。
『麻衣、本当におめでとう。世界一幸せな花嫁になってね』
送信ボタンを押した瞬間、窓の外で風が止まった。
二十七歳の一月二十九日。律希の長い片想いは、一通も出されることのないまま、静かに、そして美しく完結した。