第8話 マッチ売りのマッチポンプ

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 王都の冬は、時に残酷なまでの乾燥をもたらす。
 この日、広場では王都騎士団による大規模な「防火・消火訓練」が行われていた。

「よし、市民の諸君! 火災は未然に防ぐのが一番だが、起きてしまったら迅速な消火が肝要だ!」

 ジルの上司、バルト隊長が声を張り上げる。
 ジルは今日、最新式の「高圧水流放射装置」を備えた、背負い式の水タンクを装備させられていた。金属製のタンクは重く、背中に冷たく響く。

「……今日は訓練だから、本物の事故は起きない。それだけが救いだ」

 そう自分に言い聞かせたジルの耳に、悪魔の囁き……もとい、モニカの快活な声が響いた。

「リネさん。訓練なんて地味なもの、もっと『実戦的』な緊張感があったほうが、街の皆様のためになりますわ。そう思いませんこと?」
「えっ……? でも、私が魔法を使うと、また怒られちゃうんじゃ……」

「いいえ。これは『教育的な演出』ですわ。もしリネさんが『絶対に消えない幻の炎』を広場に出して、わたくしが『それを一瞬で消す魔法のマッチ』を売れば……街の防災意識は高まり、わたくしの財布も温かくなる。これぞ、誰も傷つかないマッチポンプ……いいえ、マッチングビジネスですわ!」
「街の安全のためなら……! よーし、私、頑張ります!」

 リネは純粋な使命感(とモニカの口車)に突き動かされ、マッチを擦った。
 彼女がイメージしたのは、訓練用の「手加減された炎の幻」。
 だが、そこにクララが通りがかり、意地悪く囁いた。

「あら。そんな弱々しい火じゃ、ジルの訓練にならないわよ。……もっと、彼を本気で熱くさせるような、情熱的な火を見せなさいな」
「じょ、情熱的な火……! わかりました!」

 シュッ!!

 その瞬間、リネの「騎士様を熱くさせたい」という想いと、モニカの「金を稼ぎたい」という執念、そしてクララの「混乱が見たい」という期待が混ざり合い、魔力は最悪の方向へ結実した。

 実体化したのは、炎ではなかった。

 リネがイメージした「熱苦しい炎」は、皮肉にも消火訓練と混ざり合い、「意志を持つ火炎放射・巨大噴水ゴーレム」へと姿を変えたのだ。

「ギョオォォォ!」

 ゴーレムは噴水の水を吸い込み、それを超高温の蒸気として四方八方に撒き散らし始めた。

「な、なんだあのバケモノは!? ジル、消火だ! 早くしろ!」
「隊長、これ、訓練用の火じゃありません! 物理的に熱いんです!」

 ジルは背中の水タンクを起動させた。だが、ゴーレムの熱気は凄まじく、放射した水は空中で蒸発して、広場を視界ゼロの濃霧で包み込んでしまう。

「あわわわ! ごめんなさい、消えない火のつもりが、消えないお湯の怪獣になっちゃいました!」
「……さて、今こそ出番ですわね」

 モニカは霧の中から颯爽と現れ、避難しようとする市民たちに向けて叫んだ。

「皆様、ご安心ください! 今、我が商会の『消火・吸水マッチ』をお買い上げの方に限り、あの怪獣を大人しくさせる『魔力抑制バケツ』を貸し出しますわよ! 命を守るための投資です、お安いですわよ!」
「モニカ! そのマッチを僕に寄越せ! 僕がなんとかする!」

 ジルが叫ぶと、モニカは商売人の顔で微笑んだ。

「あら、ジル様。これは公式な備品ではなく、あくまで『私物』ですの。マッチ一箱につき、パトロールの非番の日を一日、わたくしに捧げると契約書にサインしてくださる?」
「契約書なんて書いてる暇があるかーっ!」

 ジルは契約書を奪い取り、殴り書きでサインすると、モニカから「吸水マッチ」を受け取った。
 彼がそれをゴーレム目掛けて投げ込むと、マッチはリネの魔力を急速に吸収。ゴーレムは断末魔と共に、一滴の水も残さず「乾燥した薪」へと姿を変え、広場に転がった。

「……はぁ、はぁ。終わった……のか?」

 霧が晴れた広場。

 そこには、びしょ濡れになったジルと、彼を心配そうに見つめるリネ、そして契約書を大事そうに懐にしまうモニカ、さらには「いいパズルだったわ」と満足げなクララがいた。

「ジル! 見事な消火だったぞ! ……しかし、その、サインしたのは何の書類だ?」

 バルト隊長の問いに、ジルは答えられなかった。
 自分の休日が、金髪の豪商娘に売られてしまったことを認めたくなかったからだ。


 冬の王都。午後二時。

 消防訓練は「大成功」として記録された。
 ジルの不幸な十日間は、残りあと二日。その平穏が、明日こそ訪れることを彼は切に願っていた。





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 王都の冬は、時に残酷なまでの乾燥をもたらす。
 この日、広場では王都騎士団による大規模な「防火・消火訓練」が行われていた。
「よし、市民の諸君! 火災は未然に防ぐのが一番だが、起きてしまったら迅速な消火が肝要だ!」
 ジルの上司、バルト隊長が声を張り上げる。
 ジルは今日、最新式の「高圧水流放射装置」を備えた、背負い式の水タンクを装備させられていた。金属製のタンクは重く、背中に冷たく響く。
「……今日は訓練だから、本物の事故は起きない。それだけが救いだ」
 そう自分に言い聞かせたジルの耳に、悪魔の囁き……もとい、モニカの快活な声が響いた。
「リネさん。訓練なんて地味なもの、もっと『実戦的』な緊張感があったほうが、街の皆様のためになりますわ。そう思いませんこと?」
「えっ……? でも、私が魔法を使うと、また怒られちゃうんじゃ……」
「いいえ。これは『教育的な演出』ですわ。もしリネさんが『絶対に消えない幻の炎』を広場に出して、わたくしが『それを一瞬で消す魔法のマッチ』を売れば……街の防災意識は高まり、わたくしの財布も温かくなる。これぞ、誰も傷つかないマッチポンプ……いいえ、マッチングビジネスですわ!」
「街の安全のためなら……! よーし、私、頑張ります!」
 リネは純粋な使命感(とモニカの口車)に突き動かされ、マッチを擦った。
 彼女がイメージしたのは、訓練用の「手加減された炎の幻」。
 だが、そこにクララが通りがかり、意地悪く囁いた。
「あら。そんな弱々しい火じゃ、ジルの訓練にならないわよ。……もっと、彼を本気で熱くさせるような、情熱的な火を見せなさいな」
「じょ、情熱的な火……! わかりました!」
 シュッ!!
 その瞬間、リネの「騎士様を熱くさせたい」という想いと、モニカの「金を稼ぎたい」という執念、そしてクララの「混乱が見たい」という期待が混ざり合い、魔力は最悪の方向へ結実した。
 実体化したのは、炎ではなかった。
 リネがイメージした「熱苦しい炎」は、皮肉にも消火訓練と混ざり合い、「意志を持つ火炎放射・巨大噴水ゴーレム」へと姿を変えたのだ。
「ギョオォォォ!」
 ゴーレムは噴水の水を吸い込み、それを超高温の蒸気として四方八方に撒き散らし始めた。
「な、なんだあのバケモノは!? ジル、消火だ! 早くしろ!」
「隊長、これ、訓練用の火じゃありません! 物理的に熱いんです!」
 ジルは背中の水タンクを起動させた。だが、ゴーレムの熱気は凄まじく、放射した水は空中で蒸発して、広場を視界ゼロの濃霧で包み込んでしまう。
「あわわわ! ごめんなさい、消えない火のつもりが、消えないお湯の怪獣になっちゃいました!」
「……さて、今こそ出番ですわね」
 モニカは霧の中から颯爽と現れ、避難しようとする市民たちに向けて叫んだ。
「皆様、ご安心ください! 今、我が商会の『消火・吸水マッチ』をお買い上げの方に限り、あの怪獣を大人しくさせる『魔力抑制バケツ』を貸し出しますわよ! 命を守るための投資です、お安いですわよ!」
「モニカ! そのマッチを僕に寄越せ! 僕がなんとかする!」
 ジルが叫ぶと、モニカは商売人の顔で微笑んだ。
「あら、ジル様。これは公式な備品ではなく、あくまで『私物』ですの。マッチ一箱につき、パトロールの非番の日を一日、わたくしに捧げると契約書にサインしてくださる?」
「契約書なんて書いてる暇があるかーっ!」
 ジルは契約書を奪い取り、殴り書きでサインすると、モニカから「吸水マッチ」を受け取った。
 彼がそれをゴーレム目掛けて投げ込むと、マッチはリネの魔力を急速に吸収。ゴーレムは断末魔と共に、一滴の水も残さず「乾燥した薪」へと姿を変え、広場に転がった。
「……はぁ、はぁ。終わった……のか?」
 霧が晴れた広場。
 そこには、びしょ濡れになったジルと、彼を心配そうに見つめるリネ、そして契約書を大事そうに懐にしまうモニカ、さらには「いいパズルだったわ」と満足げなクララがいた。
「ジル! 見事な消火だったぞ! ……しかし、その、サインしたのは何の書類だ?」
 バルト隊長の問いに、ジルは答えられなかった。
 自分の休日が、金髪の豪商娘に売られてしまったことを認めたくなかったからだ。
 冬の王都。午後二時。
 消防訓練は「大成功」として記録された。
 ジルの不幸な十日間は、残りあと二日。その平穏が、明日こそ訪れることを彼は切に願っていた。