第3話 愛とマッチは現金払い

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 正午を告げる大聖堂の鐘が、王都の冷えた空気を震わせる。
 騎士ジルは、噴水広場の隅で深く、重い、魂が抜けるような溜息を吐いていた。

「……今日は、まだ何も起きていない。それだけで奇跡だな」

 彼の首には、ついにマフラーすらなくなっていた。昨日の「コタツ事件」の際、あまりの熱気に耐えかねて脱ぎ捨てたところ、通りがかりの野良犬に持ち去られたのだ。今は制服の襟を立て、寒さに耐えながら周囲を警戒している。

 広場の左には、リネが赤いフードを揺らして「マッチいりませんかー!」と健気に声を上げている。
 広場の右には、クララが凍った石畳の上で「もう、指が動きませんわ……」と、通りかかるジルの視線を狙って震えている。

 その均衡を破ったのは、蹄の音と、場違いなほど軽快な鐘の音だった。

「どいてくださいませ! 本物の『価値』を知るマッチのお通りですわよ!」

 現れたのは、黄金の装飾が施されたド派手な移動販売車。それを牽くのは、縦ロールの金髪を誇らしげに揺らす少女、モニカだった。彼女は車から降り立つと、リネとクララを扇子で指し示した。

「リネさんは品質が不安定! クララさんはマーケティングが暗すぎますわ! ビジネスにおいて最も大切なのは、『付加価値』と『独占禁止法ギリギリの戦略』ですの!」

「えっ、も、モニカさん!? なんでここに……」
「あら、ジル様。わたくしの家では『マッチ一千箱を完売させるまで帰宅禁止』という試練がありましてよ。ついでに、将来有望な騎士様を我が商会のイメージキャラクター兼、婿養子として青田買いしに来たのですわ」

 モニカは、呆然とするジルに歩み寄り、金色の縁取りがされた高級マッチ箱を突きつけた。

「ジル様! 今このマッチを五箱お買い上げいただければ、特典として『ジル様と広場を一周パトロールできる権利』をプレゼントいたしますわ。あ、もちろんジル様の手配料はわたくしが騎士団に寄付(買収)済みです」

「勝手に僕を売るな! それにマッチ五箱でパトロールなんて、公務の私物化だぞ!」

 ジルの悲鳴のようなツッコミを、モニカは高笑いで受け流す。
 それを見ていたリネの対抗心が、またしても不吉な熱を帯び始めた。

「ずるいですモニカさん! お金なんてなくても、私のマッチなら騎士様に最高の贅沢を味合わせてあげられるんだから!」

「やめろリネ君、その構えは不吉だ! マッチをしまえ!」

 だが、リネの指先はすでに動いていた。彼女が今回イメージしたのは、モニカの金貨に対抗する「豪華な晩餐と、温かな金色の輝き」だった。

 シュッ!

 灯った炎が、リネの「勝ちたい」という執念を吸い込み、爆発的な魔力へと変換される。

「きゃあ! また魔力が暴走して――えっ、今度は何!? 空から茶色の雨が!?」

 ドロドロドロ……!

 リネがイメージした「温かな金色の輝き」は、魔力の混線によって「大量の熱々ホットチョコレート」へと変質した。それが広場の中心、噴水の天辺から、黄金の噴水ならぬ「チョコの噴水」となって溢れ出したのだ。

「あちちちっ! なんだこれ、甘い! べたつく! 服が茶色に染まる!」

 ジルはまたしても直撃を受けた。紺色の制服は一瞬でチョコレートまみれになり、広場には甘ったるい香りが充満する。そして、ジルは逃げ遅れ、頭からチョコを被って「茶色い騎士像」へと成り果てた。

 普通ならここでパニックに陥るところだが、モニカの目は違った。

「もっとトッピングを! 映え(バリュー)が必要ですわ!」
「は、はいはーい!!」

 モニカの煽りに、リネがさらにマッチを擦る。すると、降り積もった雪がチョコを吸収し、巨大な「マシュマロ・チョコ・ゴーレム」となって立ち上がった。

「ギョオォォォ(甘い香り)!」
「な、なんだあの粘着質な怪物は!? 身体がくっついて動けない!」

 チョコまみれで動けないジルを見て、モニカが拡声魔法を使った。

「皆様! 今ならこのマッチ一箱で、チョコまみれのレア騎士・ジル様と記念撮影ができる権利を差し上げますわよ! さあ、並んで並んで!」
「勝手に僕を売るなーっ! クララ、助けてくれ!」
「……ジル。今、助けるついでにそのチョコ、全部舐めとってあげるわ……っ」
「クララさん、目がマジです! 騎士様、逃げてーっ!」

 チョコの海で滑り、ゴーレムに揉まれ、変態化した魔女狩り屋に追いかけられ、豪商の娘に換金される。ジルの制服は、もう一生チョコの匂いが取れないことが確定した。 彼の不運は、ついに「商業的価値」を持ち始めてしまったのだ。

「これは……チャンスですわ! 皆様、よくお聞きなさい! 今、このマッチをお買い上げの方に限り、さらにリネさんが生成した特級ホットチョコを掬い取るための『特製クッキー・スプーン』を無料進呈いたしますわよ!」
「えええーーー。人の魔法を勝手に商売道具にしないでくださいーっ!」

 リネの叫びも虚しく、甘い香りに誘われた王都の子供たちや暇な市民たちが、モニカのマッチ目掛けて殺到する。

 クララもまた、「汚れた騎士様を拭いてあげる」という名目で、ちゃっかりチョコまみれのジルに接近し、どさくさに紛れて彼のポケットに魔女探知札を忍ばせようとしている。

「助けてくれ……誰か、僕をバスタブまで運んでくれ……」

 チョコの川となった広場の中心で、甘い匂いに包まれながら、ジルは三度目の遠い目をした。

 冬の王都。午後三時。

 彼の制服はもう、洗っても落ちそうにない。




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 正午を告げる大聖堂の鐘が、王都の冷えた空気を震わせる。
 騎士ジルは、噴水広場の隅で深く、重い、魂が抜けるような溜息を吐いていた。
「……今日は、まだ何も起きていない。それだけで奇跡だな」
 彼の首には、ついにマフラーすらなくなっていた。昨日の「コタツ事件」の際、あまりの熱気に耐えかねて脱ぎ捨てたところ、通りがかりの野良犬に持ち去られたのだ。今は制服の襟を立て、寒さに耐えながら周囲を警戒している。
 広場の左には、リネが赤いフードを揺らして「マッチいりませんかー!」と健気に声を上げている。
 広場の右には、クララが凍った石畳の上で「もう、指が動きませんわ……」と、通りかかるジルの視線を狙って震えている。
 その均衡を破ったのは、蹄の音と、場違いなほど軽快な鐘の音だった。
「どいてくださいませ! 本物の『価値』を知るマッチのお通りですわよ!」
 現れたのは、黄金の装飾が施されたド派手な移動販売車。それを牽くのは、縦ロールの金髪を誇らしげに揺らす少女、モニカだった。彼女は車から降り立つと、リネとクララを扇子で指し示した。
「リネさんは品質が不安定! クララさんはマーケティングが暗すぎますわ! ビジネスにおいて最も大切なのは、『付加価値』と『独占禁止法ギリギリの戦略』ですの!」
「えっ、も、モニカさん!? なんでここに……」
「あら、ジル様。わたくしの家では『マッチ一千箱を完売させるまで帰宅禁止』という試練がありましてよ。ついでに、将来有望な騎士様を我が商会のイメージキャラクター兼、婿養子として青田買いしに来たのですわ」
 モニカは、呆然とするジルに歩み寄り、金色の縁取りがされた高級マッチ箱を突きつけた。
「ジル様! 今このマッチを五箱お買い上げいただければ、特典として『ジル様と広場を一周パトロールできる権利』をプレゼントいたしますわ。あ、もちろんジル様の手配料はわたくしが騎士団に寄付(買収)済みです」
「勝手に僕を売るな! それにマッチ五箱でパトロールなんて、公務の私物化だぞ!」
 ジルの悲鳴のようなツッコミを、モニカは高笑いで受け流す。
 それを見ていたリネの対抗心が、またしても不吉な熱を帯び始めた。
「ずるいですモニカさん! お金なんてなくても、私のマッチなら騎士様に最高の贅沢を味合わせてあげられるんだから!」
「やめろリネ君、その構えは不吉だ! マッチをしまえ!」
 だが、リネの指先はすでに動いていた。彼女が今回イメージしたのは、モニカの金貨に対抗する「豪華な晩餐と、温かな金色の輝き」だった。
 シュッ!
 灯った炎が、リネの「勝ちたい」という執念を吸い込み、爆発的な魔力へと変換される。
「きゃあ! また魔力が暴走して――えっ、今度は何!? 空から茶色の雨が!?」
 ドロドロドロ……!
 リネがイメージした「温かな金色の輝き」は、魔力の混線によって「大量の熱々ホットチョコレート」へと変質した。それが広場の中心、噴水の天辺から、黄金の噴水ならぬ「チョコの噴水」となって溢れ出したのだ。
「あちちちっ! なんだこれ、甘い! べたつく! 服が茶色に染まる!」
 ジルはまたしても直撃を受けた。紺色の制服は一瞬でチョコレートまみれになり、広場には甘ったるい香りが充満する。そして、ジルは逃げ遅れ、頭からチョコを被って「茶色い騎士像」へと成り果てた。
 普通ならここでパニックに陥るところだが、モニカの目は違った。
「もっとトッピングを! 映え(バリュー)が必要ですわ!」
「は、はいはーい!!」
 モニカの煽りに、リネがさらにマッチを擦る。すると、降り積もった雪がチョコを吸収し、巨大な「マシュマロ・チョコ・ゴーレム」となって立ち上がった。
「ギョオォォォ(甘い香り)!」
「な、なんだあの粘着質な怪物は!? 身体がくっついて動けない!」
 チョコまみれで動けないジルを見て、モニカが拡声魔法を使った。
「皆様! 今ならこのマッチ一箱で、チョコまみれのレア騎士・ジル様と記念撮影ができる権利を差し上げますわよ! さあ、並んで並んで!」
「勝手に僕を売るなーっ! クララ、助けてくれ!」
「……ジル。今、助けるついでにそのチョコ、全部舐めとってあげるわ……っ」
「クララさん、目がマジです! 騎士様、逃げてーっ!」
 チョコの海で滑り、ゴーレムに揉まれ、変態化した魔女狩り屋に追いかけられ、豪商の娘に換金される。ジルの制服は、もう一生チョコの匂いが取れないことが確定した。 彼の不運は、ついに「商業的価値」を持ち始めてしまったのだ。
「これは……チャンスですわ! 皆様、よくお聞きなさい! 今、このマッチをお買い上げの方に限り、さらにリネさんが生成した特級ホットチョコを掬い取るための『特製クッキー・スプーン』を無料進呈いたしますわよ!」
「えええーーー。人の魔法を勝手に商売道具にしないでくださいーっ!」
 リネの叫びも虚しく、甘い香りに誘われた王都の子供たちや暇な市民たちが、モニカのマッチ目掛けて殺到する。
 クララもまた、「汚れた騎士様を拭いてあげる」という名目で、ちゃっかりチョコまみれのジルに接近し、どさくさに紛れて彼のポケットに魔女探知札を忍ばせようとしている。
「助けてくれ……誰か、僕をバスタブまで運んでくれ……」
 チョコの川となった広場の中心で、甘い匂いに包まれながら、ジルは三度目の遠い目をした。
 冬の王都。午後三時。
 彼の制服はもう、洗っても落ちそうにない。