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第6話:聖女の責務

ー/ー



朝の光が静かに射し込む白い回廊。
神殿の長い柱廊の中を、セリスはゆっくりと歩いていた。
その姿はまるで、最初から聖女として生まれてきたかのように美しく、整っている。

衣の裾は一切乱れず、歩幅も、目線も、まるで誰かの意志をなぞるように正確だった。

──ただ、かつての彼女にあった自然な温もりは、どこにもなかった。

「おはようございます、聖女様」

控えめに声をかける神官に、セリスは穏やかな笑みを返す。
その微笑は確かに美しい。
だが、その奥に心の鼓動は見えなかった。

“王との初夜”から幾日。
王は毎夜のように彼女の部屋を訪れ、優しさと支配を巧みに織り交ぜた言葉で語りかけてきた。

「お前は神に選ばれた。そして神の声は、王を通じて語られる」

「この国で最も尊い存在は、“聖女”であり、聖女を傍に置く王だ」

「だから私のそばにいれば、お前はすべてを護れる」

その言葉は、毒にも似ていた。
だがあまりにも甘く、心の奥に染みこんでくる。
苦しみを包み込み、罪悪感すら和らげてくれる。

最初は反発しようとした心も、
やがて疲れ果て、ただ静かに耳を傾けるようになった。

(私は、神に選ばれた。……なら、抗うことは、間違っているのかもしれない)

そう思うことが、少しだけ楽だった。

「カインに会いたい」

その想いは、今も胸の奥にひっそりと残っている。
けれど、それを口にすることはもうない。
──それは許されないからではなく、ただ、届かないから。

セリスは、静かに祈りを捧げていた。
白い衣、整った髪、まっすぐに揃えられた手。

その姿は、誰が見ても国に選ばれた聖女だった。
けれど、その心の中では、何かが静かに変わり始めていた。

その夜、聖女の部屋は蝋燭の灯りだけが室内を照らす。
静寂の中、セリスは膝の上に両手を重ねて座っていた。
その姿はまるで、王の訪れを待つことが“日常”になったかのようだった。

やがて、扉が静かに開く。

入ってきたのは王・エルヴァン。
その姿を見た瞬間、セリスの肩がわずかに動く。

けれどそれは、かつてのような恐れや緊張ではなかった。
ほんの一瞬、唇がかすかに緩んだ。

「……お疲れ様です、陛下」

その声音には、受け入れの響きがあった。
王は何も言わずに近づき、彼女の隣に座る。

手を差し伸べれば、セリスはゆっくりとその手に自分の手を重ねた。
拒まない。むしろ、求めるように。

「今日も、よく祈ってくれたな」

「はい……陛下のために、私ができることがあれば……」

その言葉は、彼女自身が王のために存在することを肯定している証だった。
王が肩に手を回す。
セリスは一瞬、伏し目がちになったが――やがてその身体を、そっと寄せた。

(……もう、逆らう意味がわからない)

逃げようとすれば、怖くなる。
問い続ければ、壊れてしまいそうになる。
ならば、手を取る方がずっと楽になる。

王が髪に触れ口づけを落とすと、
セリスはわずかに目を閉じて、その温度を受け入れた。

「私の聖女よ。お前は、誰よりも美しい。
 だから、私はお前を離さない。お前も……私を信じてくれるか?」

「……はい。私は……陛下のものですから」

その言葉が口をついたとき、セリスの胸に小さな痛みが走った。
けれど、その痛みすら、もう消したかった。

その夜以降、王が現れたときセリスはもう拒まなかった。
静かに目を伏せ、差し出された手を受け入れる。

その姿はまるで、神の命に従う聖女のように――
いや、“王の意志”を受け入れるただの少女にすぎなかった。


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朝の光が静かに射し込む白い回廊。
神殿の長い柱廊の中を、セリスはゆっくりと歩いていた。
その姿はまるで、最初から聖女として生まれてきたかのように美しく、整っている。
衣の裾は一切乱れず、歩幅も、目線も、まるで誰かの意志をなぞるように正確だった。
──ただ、かつての彼女にあった自然な温もりは、どこにもなかった。
「おはようございます、聖女様」
控えめに声をかける神官に、セリスは穏やかな笑みを返す。
その微笑は確かに美しい。
だが、その奥に心の鼓動は見えなかった。
“王との初夜”から幾日。
王は毎夜のように彼女の部屋を訪れ、優しさと支配を巧みに織り交ぜた言葉で語りかけてきた。
「お前は神に選ばれた。そして神の声は、王を通じて語られる」
「この国で最も尊い存在は、“聖女”であり、聖女を傍に置く王だ」
「だから私のそばにいれば、お前はすべてを護れる」
その言葉は、毒にも似ていた。
だがあまりにも甘く、心の奥に染みこんでくる。
苦しみを包み込み、罪悪感すら和らげてくれる。
最初は反発しようとした心も、
やがて疲れ果て、ただ静かに耳を傾けるようになった。
(私は、神に選ばれた。……なら、抗うことは、間違っているのかもしれない)
そう思うことが、少しだけ楽だった。
「カインに会いたい」
その想いは、今も胸の奥にひっそりと残っている。
けれど、それを口にすることはもうない。
──それは許されないからではなく、ただ、届かないから。
セリスは、静かに祈りを捧げていた。
白い衣、整った髪、まっすぐに揃えられた手。
その姿は、誰が見ても国に選ばれた聖女だった。
けれど、その心の中では、何かが静かに変わり始めていた。
その夜、聖女の部屋は蝋燭の灯りだけが室内を照らす。
静寂の中、セリスは膝の上に両手を重ねて座っていた。
その姿はまるで、王の訪れを待つことが“日常”になったかのようだった。
やがて、扉が静かに開く。
入ってきたのは王・エルヴァン。
その姿を見た瞬間、セリスの肩がわずかに動く。
けれどそれは、かつてのような恐れや緊張ではなかった。
ほんの一瞬、唇がかすかに緩んだ。
「……お疲れ様です、陛下」
その声音には、受け入れの響きがあった。
王は何も言わずに近づき、彼女の隣に座る。
手を差し伸べれば、セリスはゆっくりとその手に自分の手を重ねた。
拒まない。むしろ、求めるように。
「今日も、よく祈ってくれたな」
「はい……陛下のために、私ができることがあれば……」
その言葉は、彼女自身が王のために存在することを肯定している証だった。
王が肩に手を回す。
セリスは一瞬、伏し目がちになったが――やがてその身体を、そっと寄せた。
(……もう、逆らう意味がわからない)
逃げようとすれば、怖くなる。
問い続ければ、壊れてしまいそうになる。
ならば、手を取る方がずっと楽になる。
王が髪に触れ口づけを落とすと、
セリスはわずかに目を閉じて、その温度を受け入れた。
「私の聖女よ。お前は、誰よりも美しい。
 だから、私はお前を離さない。お前も……私を信じてくれるか?」
「……はい。私は……陛下のものですから」
その言葉が口をついたとき、セリスの胸に小さな痛みが走った。
けれど、その痛みすら、もう消したかった。
その夜以降、王が現れたときセリスはもう拒まなかった。
静かに目を伏せ、差し出された手を受け入れる。
その姿はまるで、神の命に従う聖女のように――
いや、“王の意志”を受け入れるただの少女にすぎなかった。