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第16回

ー/ー



●退  魔

 いつの間に気を失ったのか。そしてそれはどのくらいの時間だろうか。

 勝ち誇って笑う頭上の風乱を見る限りでは、たいして経ってなさそうだと見当をつけて、手を見る。 
 自分の中から流れ出た血に赤く染まった手は、夢と同じに櫻の柄を握っていた。
 その手の甲を白い稲妻が這い、弾け割れて血が噴き出す。

「……つぁっ……」

 激痛が全身を駆け巡った。体中いたる箇所から血が噴き出しているというのに痛みは薄れることを知らず、脳に鋭い牙を立ててくる。

 全身痛くない箇所などない。肉体の悲鳴が詰め込まれ、ぎゅうづめとなった頭の中ががんがんする。夢と同じ、いやそれ以上にからからの喉が風の音を吐き出し、すり切れて血の味を広げ、貪欲に酸素を求めてあえぎ続ける。

 闇の療気が濃かった。今までに感じたことのない密度で周囲を埋め、肺いっぱいに充満したそれを強く咳きこんで吐き出しながら顔を上げる。握ったこぶしに力をこめ、上半身を引きはがそうとした。

 くらみ、歪んだ視界が、限界が近いことを知らせてくる。危険信号の点滅。逃れるにはすべてを捨て、意識を手放すしかない。
 苦しみだらけの中、それが最も心地よいことであるとは知っていた。だがそれは生の放棄だ。生きることのあきらめ。

 死にたくなかった。
 契約もはたせずこのまま死ぬなんて、冗談じゃない。
 しかも、相手は魘魅……。

「ふ。存外しぶとい。さすがあの御方手ずから闇に染めただけのことはある」

 風乱は嫉妬が垣間見える声でつぶやくと、その視線をシャンリルへと向けた。

「持ってきたか?」

 風乱の言葉に、シャンリルは無言で懐から出した布袋を彼に手渡す。風乱は布袋を引き開き、中身を取り出すと、「おお」と感嘆の声を漏らした。

「これだ。間違いない」

 脆弱な月明かりの下、激痛に揺れるタガーの視界には、それが何か分からなかった。
 おそらく町の者たちが隠し持っていた、何かだとは思うが……。

 もとより、風乱が求めていたそれが何かは、興味がない。

 上半身を起こし、櫻を支えに膝を立て、身を起こそうとする、その動きを感じ取って風乱が振り返った。

「おのれ、まだ動けるか。しぶといやつめ」

 立ち上がったタガーの姿に歯軋りをする。
 普通の者であったなら、とうに死んでておかしくないのだ。シャンリルの能力に風乱の補助が加わってはるかに高まった力は、その圧力でぐずぐずに肉を崩し、とっくに骨まで砕いているはずだというのに。

「下等生物ならではのいじましさだな、その醜いあがきは。思考する力も衰え、もはや盲に直進するのみか。
 だがそんな愚かさにいちいちつきあえるほど私は暇ではない。
 その空間を真空へと変えてやろう。絶対零度で凍えて死んでゆけ」

 死の宣告とともに風乱は地に降り立つ。

 結界の中のタガーは、風乱のつけた銀の袖飾りの鳴る音を聞いたように思った次の瞬間、すうっと周囲の気温が下がってゆくのを感じとった。突然の気温差で白くなった空気が手首の辺りで渦を巻き、風となって消えていく。

 急速に薄まってゆく空気と反比例するように忍びこむ凍気。

 ぎゅっと霜のおりた土をつかんだこぶしに、先の風乱の攻撃で切れて脆くなっていた右目の布がはずれてかぶさる。

「てめぇ……図に乗るのもいいかげんにしろよな!」

 口腔内にたまっていた血ごと吐き捨て、にらみ上げてくるタガーを目にしたとき。

「……ばかな……」

 今こそ知った真実に、風乱はとりつくろう余裕もなくおののき、1歩2歩と背後へ退いていた。

 ばさばさに乱れおちた前髪の奥、今まで隠れていた右目があらわとなっている。
 おおい隠しているのだからてっきり今までの死闘で失われたのだと思っていたが、しかし現れたその目は傷ひとつ負っているわけでもなく、視力をなくしているわけでもない。

 黒く、闇に染まった左の瞳。
 だが隠されていた右は、翠。

 魔を払い、封じる力があるとされる竜石と同じ――いや、それ以上に強く深い輝きを放つ、碧翠眼(へきすいがん)の力がそこにある。

(まさか。そんなばかなことがあるはずがない。
 数は少ないが、翠の瞳を持つ人間はいる。やつのも、それというだけだ……)

 あくまで認めることを拒絶する風乱の前、一筋の朱線がタガーの右目に浮かび上がる。もはや間違えようのない碧翠眼だ。竜石を嵌め込んだような瞳。

 動揺が同調していたシャンリルに伝わって、タガーの周りを包む呪縛は揺らいだ。
 見逃せない隙ができる。

「だああああーーーーーっ!」

 潭身の力で立ち上がり、咆哮し。大剣・櫻をかまえ直したタガーは、右目に映った空間と空間を遮る歪みへ向けて斬りこんだ。


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●退  魔
 いつの間に気を失ったのか。そしてそれはどのくらいの時間だろうか。
 勝ち誇って笑う頭上の風乱を見る限りでは、たいして経ってなさそうだと見当をつけて、手を見る。 
 自分の中から流れ出た血に赤く染まった手は、夢と同じに櫻の柄を握っていた。
 その手の甲を白い稲妻が這い、弾け割れて血が噴き出す。
「……つぁっ……」
 激痛が全身を駆け巡った。体中いたる箇所から血が噴き出しているというのに痛みは薄れることを知らず、脳に鋭い牙を立ててくる。
 全身痛くない箇所などない。肉体の悲鳴が詰め込まれ、ぎゅうづめとなった頭の中ががんがんする。夢と同じ、いやそれ以上にからからの喉が風の音を吐き出し、すり切れて血の味を広げ、貪欲に酸素を求めてあえぎ続ける。
 闇の療気が濃かった。今までに感じたことのない密度で周囲を埋め、肺いっぱいに充満したそれを強く咳きこんで吐き出しながら顔を上げる。握ったこぶしに力をこめ、上半身を引きはがそうとした。
 くらみ、歪んだ視界が、限界が近いことを知らせてくる。危険信号の点滅。逃れるにはすべてを捨て、意識を手放すしかない。
 苦しみだらけの中、それが最も心地よいことであるとは知っていた。だがそれは生の放棄だ。生きることのあきらめ。
 死にたくなかった。
 契約もはたせずこのまま死ぬなんて、冗談じゃない。
 しかも、相手は魘魅……。
「ふ。存外しぶとい。さすがあの御方手ずから闇に染めただけのことはある」
 風乱は嫉妬が垣間見える声でつぶやくと、その視線をシャンリルへと向けた。
「持ってきたか?」
 風乱の言葉に、シャンリルは無言で懐から出した布袋を彼に手渡す。風乱は布袋を引き開き、中身を取り出すと、「おお」と感嘆の声を漏らした。
「これだ。間違いない」
 脆弱な月明かりの下、激痛に揺れるタガーの視界には、それが何か分からなかった。
 おそらく町の者たちが隠し持っていた、何かだとは思うが……。
 もとより、風乱が求めていたそれが何かは、興味がない。
 上半身を起こし、櫻を支えに膝を立て、身を起こそうとする、その動きを感じ取って風乱が振り返った。
「おのれ、まだ動けるか。しぶといやつめ」
 立ち上がったタガーの姿に歯軋りをする。
 普通の者であったなら、とうに死んでておかしくないのだ。シャンリルの能力に風乱の補助が加わってはるかに高まった力は、その圧力でぐずぐずに肉を崩し、とっくに骨まで砕いているはずだというのに。
「下等生物ならではのいじましさだな、その醜いあがきは。思考する力も衰え、もはや盲に直進するのみか。
 だがそんな愚かさにいちいちつきあえるほど私は暇ではない。
 その空間を真空へと変えてやろう。絶対零度で凍えて死んでゆけ」
 死の宣告とともに風乱は地に降り立つ。
 結界の中のタガーは、風乱のつけた銀の袖飾りの鳴る音を聞いたように思った次の瞬間、すうっと周囲の気温が下がってゆくのを感じとった。突然の気温差で白くなった空気が手首の辺りで渦を巻き、風となって消えていく。
 急速に薄まってゆく空気と反比例するように忍びこむ凍気。
 ぎゅっと霜のおりた土をつかんだこぶしに、先の風乱の攻撃で切れて脆くなっていた右目の布がはずれてかぶさる。
「てめぇ……図に乗るのもいいかげんにしろよな!」
 口腔内にたまっていた血ごと吐き捨て、にらみ上げてくるタガーを目にしたとき。
「……ばかな……」
 今こそ知った真実に、風乱はとりつくろう余裕もなくおののき、1歩2歩と背後へ退いていた。
 ばさばさに乱れおちた前髪の奥、今まで隠れていた右目があらわとなっている。
 おおい隠しているのだからてっきり今までの死闘で失われたのだと思っていたが、しかし現れたその目は傷ひとつ負っているわけでもなく、視力をなくしているわけでもない。
 黒く、闇に染まった左の瞳。
 だが隠されていた右は、翠。
 魔を払い、封じる力があるとされる竜石と同じ――いや、それ以上に強く深い輝きを放つ、|碧翠眼《へきすいがん》の力がそこにある。
(まさか。そんなばかなことがあるはずがない。
 数は少ないが、翠の瞳を持つ人間はいる。やつのも、それというだけだ……)
 あくまで認めることを拒絶する風乱の前、一筋の朱線がタガーの右目に浮かび上がる。もはや間違えようのない碧翠眼だ。竜石を嵌め込んだような瞳。
 動揺が同調していたシャンリルに伝わって、タガーの周りを包む呪縛は揺らいだ。
 見逃せない隙ができる。
「だああああーーーーーっ!」
 潭身の力で立ち上がり、咆哮し。大剣・櫻をかまえ直したタガーは、右目に映った空間と空間を遮る歪みへ向けて斬りこんだ。