記憶は脳にはない。肉体の中に閉じ込められてはいない。記憶も、思考も、あらゆるアイデアも、感情も、すべては空気中に漂っている。それはもしかしたらひとつの次元なのかもしれない。空気中に漂っている記憶や思考や感情は、肉体とのあいだに繋がりはない。ただ、肉体はからだから発する電気で――脳波で――記憶や思考や感情を肉体に作用させることができる。よく使っている記憶や思考や感情は比較的、肉体の周りをうろうろ飛んでいる傾向にある。だから記憶は脳にはない。意識も、思考も、感情も、すべては情報のつぶつぶになっていて、肉体の外側の、地球を含んだ全宇宙の中にひしめいている。
灯都が運転するワンボックスのフロントガラスの端に、古びて傾いている看板が一瞬だけ映り込んだ。『ようこそ! UFOのまち』。こんなに古い看板にもきっと記憶はあるけど、誰かの肉体に密接していた記憶でなければ誰の心にだって残っていない。肉体と記憶が繋がっていないから。誰もがこう言うだろう。「看板なんてあったっけ?」。
この近くにもうさみちゃんの石像が建っていたけど、すべては壊されてしまって、いまはもうない。その代わりに自立歩行型うさぎ型ロボットのうさみちゃんが増えたのだ。さっきも、警察官の格好をしたうさみちゃんとすれ違ったばかりだ。
ミントブルー色の内装に埋め込まれたパネルには走行状況に関するあらゆる情報が浮かんでいる。その端に、あらたに情報が加わった。〈到着予定時刻を十五分過ぎています〉。〈納品予約時刻:14:30〉。〈この予約を変更しますか?〉。〈出発時の到着予想時刻:14:15〉。〈現在経路の到着予想時刻:14:55〉。
時間に関するあらゆるアラートに灯都は気分がキーッとなる。時間。時間。時間。いつからこの街に時間が復活したのだろうと思う。全人類共通の〝時間〟なんて、そもそも自然になかったものを誰が発明したのだろうか。気分がキーッとなって、灯都は赤信号手前での減速が遅れて急ブレーキを踏んでしまう。そして思う。やっぱり〝時間〟なんて人間にとって害悪でしかない。
助手席でコ・ドライバーをつとめているうさみちゃんロボットがもうひとつのルートを示す。「トンネルをつかう?」。うさみちゃんロボットを乗せた車だけが通れる地下トンネルを使えば渋滞も信号も回避して、最短時間で到着することができる。けれど灯都はそれを拒んだ。「ふつうの道路で行く」。
ようやくブレインレイン本社が見えてきた。ホールケーキ型の建物の上に載った、つやつやしたいちごのてっぺんが見えてきた。
いちごがのったホールケーキのかたちをしたブレインレイン本社の裏の、陽の当たらない場所にシンプルな箱型の建物がある。これはなんの形でもない。ただの四角の建物。その搬入口へと車を乗り入れ、灯都はいつものように、回収してきたばかりの棺を乗せたリアゲートを開き、ウィルを呼んだ。「ウィル。これ降ろしてくれる?」。
助手席でコ・ドライバーを務めていたうさぎ型ロボットうさみちゃん――灯都は彼にvirと名前をつけた――がててててて、と歩いてきて、人間が持つには重すぎるプラスティックのコンテナを――これはZクラスの供養オーダーぶんなので、棺は使い回しの折り畳みコンテナボックスである――軽々と持ち上げて、リアゲートの先の搬入口へ運んだ。灯都と同じミントブルー色の、トガみたいな制服を着ているウィルの制服の裾がぴらぴら揺れる。ぴらぴら揺らしながら、ててててて、と歩いて箱を置く。『Z専用搬入口』の看板の前に。
コンテナに貼られたバーコードシールを読み取り、『Z専用搬入口』の看板の前に置かれたコンテナは自動的に建物の中へと運ばれて行く。一番安いZクラスだから、撮影も、恭しいイベントも発生しない。ただ、この先にある瓦礫のなかにぺっと捨てられるだけだ。ブレインレイン社から渡された資料によれば。灯都は建物の中の様子を見たことはない。
運ばれて行ったコンテナが建物の中に吸い込まれていったあとすぐに、ものすごい音がした。重い物が、固いなにかが堆積した中に落とされたような音。田舎の国道沿いにあるスクラップ屋から聞こえるような音。
ホールケーキ型の建物のまわりにはいちご型の建物がいくつも建っていて、そこからは何の音も聞こえないけど今日もうさみちゃんというロボットが作られているのだろう。ロボットの誕生と死が同じ敷地内に存在している。まるで人間の一生みたいに。
コンテナが運ばれて行った『Z専用搬入口』の看板の向こうから、固いものがより固いものによって圧力を掛けられるときの、めきめきした音が響いている。ばきばき。めきめき。ぼきぼき。灯都はぐちゃぐちゃになっているのであろうロボットを想像しながら思う。回収してきたばかりの、折りコン棺に入っていたロボットの意識や魂がもしあるのだとしたら、どこへ行くのだろう? ということを。そしてウィルを見る。仕事を終えたウィルはててててて、と灯都のそばに寄ってきて止まり、灯都を見上げる。撫でられるのを待っているポーズ。
ウィルの額のあたりに手のひらをのせて撫でる。ウィルは、うさぎ型ロボットうさみちゃんは、撫でられるのが好きだ。ウィルは目をうっとり閉じて、もっと撫でて、といわんばかりに額を押しつけてくる。その仕草が愛らしいので灯都はウィルの額をわしゃわしゃ撫でる。うさみちゃんのほとんどは、顔やからだ、全身の表面に短い毛が生えていて、シルバニアファミリーを撫でる感触に似ている。灯都は、短い毛を撫でつけるようにウィルの額や頬を手のひらで撫でて、「ウィルありがと」と何度も呟いた。ウィルは褒められるのが好きだ。そして灯都は、褒められて嬉しそうにしているウィルを撫でるのが好きだ。
ウィルがミントブルー色の制服を着ているのは、灯都が所有しているうさみちゃんロボットだからだ。うさみちゃん市に住む市民は全員、制服を身に着ける決まりがある。制服は各人の職業や所属を示す。灯都が着ているのは〈もともとここに住んでいた人たち〉を表す制服で、色やテキスタイルに明確な制限はない。
ミントブルーはウィルが灯都のために選んでくれた色だった。「あなたに一番似合う色はミントブルーです。あなたはミントブルーを身に着けることによって運があがり、人生がよりよいものになるでしょう」。ウィルがまだ灯都のもとに来たばかりのころ、灯都というオーナーを完全に理解するための質問が続いた。初対面の相手を探るのは人間もロボットもAIも同じだ。その会話の流れで、ウィルは灯都を占った。占いによる断言が人間を勇気づけるように。人間が占いによる断言をまるで啓示のように感じてしまうように。灯都は、ウィルが話すなにかしらの占いの結果が、いっこずつ灯都と繋がっている感じがしたし、いっこずつ灯都の思考に繋がっていった。
それ以来、灯都は身のまわりのものをすべてミントブルーで統一している。ウィルがそう言ったから。ウィルという、うさぎ型ロボットうさみちゃんという賢いAIが導き出した答えだったから。灯都に計算できない向こう側の答えのような気がしたから。
撫でているウィルの額、または両耳のあいだから、しあわせの香りが漂ってくる。しあわせの香りは灯都を、そしてうさみちゃんに触れるすべての人間を幸せな気分にする。灯都はしあわせの香りを嗅ぎながら、胸がいっぱいになって満たされていくのを感じる。「ウィルありがと」。ウィルは灯都の言葉を理解できるし、感謝されたり愛されたりする言葉をきちんと理解しているから、さらに灯都の手のひらにぎゅうぎゅうとおでこのあたり