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第三百六十五話

ー/ー



 帰り道。先週とは異なり、自らの内に巣食い続けている『蟠(わだかま)り』を心底恨みながら、高梨は目的地を告げた後に、タクシー内で俯いていた。

「――お客さん、大丈夫ですか?」

「……正直、そこまで大丈夫ではないです。自分のせいではあるんですけれど……誤解をさせるような言動や行動を取ってしまって……」

 やけに軽快な口調のタクシー運転手は、微笑し高梨を宥めたのだった。

「――何、貴女のような綺麗な方でありながら、性格の悪い輩はごまんと存在する。少なくとも、自分の言動や行動を反省できる時点で、貴女はそれら以上に優れた存在。芸能界でもある程度高い地位に存在する女優(スター)であるのにも拘らず……殊勝な方ですよ」

「……え、私が『そう』だって言いましたっけ、運転手さん」

「漏れ出るオーラが、常人のそれではありません。長年の運転手としての経験から、ただ理解しただけですよ。大丈夫です、このことは他言無用にしておきますので」

 多少なり、皴の目立つ壮年の運転手。いくらサングラスやマスクでひた隠しにしようと、これほどのベテランには敵わないのだ。高梨は観念してか、サングラスとマスクを外して俯いた。

「――私は、こう思いますね。貴女ほどの存在です、抱える悩みもそれ相応に重いものでしょう。私のような若輩者(じゃくはいもの)では狼狽えてしまうようなものでしょうね。少なくとも、何かしらの仕事中にスキャンダラスなことが発覚して違約金数億やら数十億やら……私には到底払いきれないようなものが発生する場合もあるでしょう」

 ルームミラーを一瞥することなく、傍に設置しておいたティッシュボックスを高梨の傍に、さりげなく近づける。「涙を拭け」、だなんて直接的に伝えることはしないものの、運転手ほどの距離間であるからこそ気付けたのだろう、『女の涙の落ちる音』が。

「ですが、基本的にはこれは若い頃から抱える悩みも同一の物なのです。大人になって抱えるものは重さが少し異なるだけ、その種類も解決法も案外同じようなものなのです。例えば、取引先に対して粗相をしてしまった際。その時には、きっとお詫びの品を渡しながら陳謝することでしょう。その基本原理は、往々にして幼い頃に経験した粗相の後の謝罪、それと性質は同じなんですよ」

 その後の取り返しがつくかどうか、それは抱えているものの重さによって変わるものの、性質は一切変わらない。だからこそ、案外抱え込む悩みの解決法もおおよそ同じ。悩んでいることにちっぽけもくそもないが、悩み過ぎることは苦しみを増幅させるだけ。根の良い人間ならば、その間に生まれる痛みは分かるはず。

「――だから、こんな私でも言えることがあるんです。私を含めた日本人は……往々にして『痛みを抱え過ぎて』いる。その解決法は子供の頃に粗方経験したはずなのにも拘らず、当人の自尊心やら抱えるものがそうさせない。一度、自分を見つめ直すことは……あらゆる悩みの解決の糸口になるやもしれません」

 そこに罪悪感があるのなら、それが一番の正解。罪悪感すらないような存在(きちく)には、そんな解決法は似合わないのだが。

「――申し訳ありません、私のような存在が出しゃばってしまい」

「……いえ、逆に決心がつきました。私がせっかく出会えた……友人を無碍にはしたくないので……どうにかします。有難うございます……守屋春道(モリヤ ハルミチ)さん」

「! ……貴女のような著名な方に名前を覚えられるだなんて、恐悦至極です」

 帽子を少し下げ、心からの礼を述べると、再び緩やかに目的地へのスピードを上げていく。それ以上何かしらの重要な文言を述べるわけではない。ただ彼女の心を安らがせるための、数少ない憩いのひと時を邪魔しないために、運転に集中したのだった。
 対して、高梨は――スマホの画面を見つめながら、これまで以上に強い瞳で未来(さき)を見据える。夜の街を走りながら、タクシーから降りた後に掛ける電話の内容を、ただひたすらに思考、反復するばかり。しかし、今はもうそこに存在したはずの恐怖心やら、弱々しい心はどこへやら。運転手・守屋の言葉によって、高梨は再度認識したのだ。
 高梨には――『守るべきもの』が存在する。自分は、その『守るべきもの』のために、日々を生きている。そして今、彼女の元を『離れてしまっている』ことは事実。連絡をしようと諸事情により大した返答が来るわけでもないが、そして現状嫌な可能性にぶち当たる可能性も肥大化しつつあるのだが……それでも取り戻すためには戦うしかなかったのだ。

「――到着しましたよ、お客さん。貴女の道行きに、そして貴女の選択に……幸有らんことを願っております。出過ぎたことを語っていることは自覚しておりますが……それでも……祈るしかないんです、私のような一般人には」

「――いえ、私の方こそ今日はありがとうございました。迷惑代も込みで支払わせてもらいます、おつりは要りませんので」

 そう語ると、高梨は財布の中から走行距離による表示金額の、二倍の値段を払ったのだ。目を丸くする運転手をよそに、高梨は一礼してそのタクシーから去った。扉を閉めた後、守屋は高梨に対して再び意識が変わったのだった。

(――多く有名人を乗せてきましたが、貴女ほどの出来た存在はいません。酷く横柄な、印象の大きく変わるような輩が多く存在する芸能人の中で、そこまで善人であり続けるのも……大変なことでしょうに。少しでも……その道に『幸』があらんことを)

 微笑しながら、タクシーを再び発進させていく。次の予約乗車は特にないために、東京駅付近で乗客を待つくらいであったのだが、これほどの存在を乗せていたことを誇りに思っていたために、気持ちは穏やかであり、晴れやかであった。



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 帰り道。先週とは異なり、自らの内に巣食い続けている『蟠《わだかま》り』を心底恨みながら、高梨は目的地を告げた後に、タクシー内で俯いていた。
「――お客さん、大丈夫ですか?」
「……正直、そこまで大丈夫ではないです。自分のせいではあるんですけれど……誤解をさせるような言動や行動を取ってしまって……」
 やけに軽快な口調のタクシー運転手は、微笑し高梨を宥めたのだった。
「――何、貴女のような綺麗な方でありながら、性格の悪い輩はごまんと存在する。少なくとも、自分の言動や行動を反省できる時点で、貴女はそれら以上に優れた存在。芸能界でもある程度高い地位に存在する|女優《スター》であるのにも拘らず……殊勝な方ですよ」
「……え、私が『そう』だって言いましたっけ、運転手さん」
「漏れ出るオーラが、常人のそれではありません。長年の運転手としての経験から、ただ理解しただけですよ。大丈夫です、このことは他言無用にしておきますので」
 多少なり、皴の目立つ壮年の運転手。いくらサングラスやマスクでひた隠しにしようと、これほどのベテランには敵わないのだ。高梨は観念してか、サングラスとマスクを外して俯いた。
「――私は、こう思いますね。貴女ほどの存在です、抱える悩みもそれ相応に重いものでしょう。私のような|若輩者《じゃくはいもの》では狼狽えてしまうようなものでしょうね。少なくとも、何かしらの仕事中にスキャンダラスなことが発覚して違約金数億やら数十億やら……私には到底払いきれないようなものが発生する場合もあるでしょう」
 ルームミラーを一瞥することなく、傍に設置しておいたティッシュボックスを高梨の傍に、さりげなく近づける。「涙を拭け」、だなんて直接的に伝えることはしないものの、運転手ほどの距離間であるからこそ気付けたのだろう、『女の涙の落ちる音』が。
「ですが、基本的にはこれは若い頃から抱える悩みも同一の物なのです。大人になって抱えるものは重さが少し異なるだけ、その種類も解決法も案外同じようなものなのです。例えば、取引先に対して粗相をしてしまった際。その時には、きっとお詫びの品を渡しながら陳謝することでしょう。その基本原理は、往々にして幼い頃に経験した粗相の後の謝罪、それと性質は同じなんですよ」
 その後の取り返しがつくかどうか、それは抱えているものの重さによって変わるものの、性質は一切変わらない。だからこそ、案外抱え込む悩みの解決法もおおよそ同じ。悩んでいることにちっぽけもくそもないが、悩み過ぎることは苦しみを増幅させるだけ。根の良い人間ならば、その間に生まれる痛みは分かるはず。
「――だから、こんな私でも言えることがあるんです。私を含めた日本人は……往々にして『痛みを抱え過ぎて』いる。その解決法は子供の頃に粗方経験したはずなのにも拘らず、当人の自尊心やら抱えるものがそうさせない。一度、自分を見つめ直すことは……あらゆる悩みの解決の糸口になるやもしれません」
 そこに罪悪感があるのなら、それが一番の正解。罪悪感すらないような|存在《きちく》には、そんな解決法は似合わないのだが。
「――申し訳ありません、私のような存在が出しゃばってしまい」
「……いえ、逆に決心がつきました。私がせっかく出会えた……友人を無碍にはしたくないので……どうにかします。有難うございます……|守屋春道《モリヤ ハルミチ》さん」
「! ……貴女のような著名な方に名前を覚えられるだなんて、恐悦至極です」
 帽子を少し下げ、心からの礼を述べると、再び緩やかに目的地へのスピードを上げていく。それ以上何かしらの重要な文言を述べるわけではない。ただ彼女の心を安らがせるための、数少ない憩いのひと時を邪魔しないために、運転に集中したのだった。
 対して、高梨は――スマホの画面を見つめながら、これまで以上に強い瞳で|未来《さき》を見据える。夜の街を走りながら、タクシーから降りた後に掛ける電話の内容を、ただひたすらに思考、反復するばかり。しかし、今はもうそこに存在したはずの恐怖心やら、弱々しい心はどこへやら。運転手・守屋の言葉によって、高梨は再度認識したのだ。
 高梨には――『守るべきもの』が存在する。自分は、その『守るべきもの』のために、日々を生きている。そして今、彼女の元を『離れてしまっている』ことは事実。連絡をしようと諸事情により大した返答が来るわけでもないが、そして現状嫌な可能性にぶち当たる可能性も肥大化しつつあるのだが……それでも取り戻すためには戦うしかなかったのだ。
「――到着しましたよ、お客さん。貴女の道行きに、そして貴女の選択に……幸有らんことを願っております。出過ぎたことを語っていることは自覚しておりますが……それでも……祈るしかないんです、私のような一般人には」
「――いえ、私の方こそ今日はありがとうございました。迷惑代も込みで支払わせてもらいます、おつりは要りませんので」
 そう語ると、高梨は財布の中から走行距離による表示金額の、二倍の値段を払ったのだ。目を丸くする運転手をよそに、高梨は一礼してそのタクシーから去った。扉を閉めた後、守屋は高梨に対して再び意識が変わったのだった。
(――多く有名人を乗せてきましたが、貴女ほどの出来た存在はいません。酷く横柄な、印象の大きく変わるような輩が多く存在する芸能人の中で、そこまで善人であり続けるのも……大変なことでしょうに。少しでも……その道に『幸』があらんことを)
 微笑しながら、タクシーを再び発進させていく。次の予約乗車は特にないために、東京駅付近で乗客を待つくらいであったのだが、これほどの存在を乗せていたことを誇りに思っていたために、気持ちは穏やかであり、晴れやかであった。