学園祭本祭及び大規模音楽フェスが開幕するまで、残り三週間を切ったある日。
あまりにも音楽フェスに注力する生徒が多くなってきたため、学園祭の準備に取り掛かる生徒不足に陥ることになった。
元々、その兆候はその学年の下の組に位置する生徒が陥りがちな現象であったのだが、今回は懸かっているものがだいぶ大きかったため、一組や二組の生徒も同じように心ここにあらず、と言った印象であった。
院や透は、マルチタスクが得意なお母さんのような存在であるため、実際英雄科一年一組で出す催し事として提示した、『メイド喫茶』に向けて準備しているのだが……どうも他の生徒が「有名人に会える」と言う特別感を目指しているため、放課後の教室は伽藍堂そのものであった。
「――ッたく、有名人に会えるからって何なんだよ。俺らの本懐を忘れてどーすんだっての」
「まあ、基本的に今はやれることが少ない、と言うのもありますわ。そう言えば、そちらの音楽フェスに向けての準備はどうですの、透?」
「結構良くなってきた。俺は一応ストリートブレイクダンスを貫こうと思っていてよ、そこからボーカルも担当することになったんだ。渡部先輩は「既存曲じゃアなくて新しい曲をせっかくだから作って、皆を虜にさせちゃおう」って意気込んでる。実はチビたちも参加したがってるから、パフォーマーとして今寮内で頑張って練習してるよ」
ちょっとしたアーティストのようなものになっている透に、思わず呆けてしまう院。そんな彼女の熱視線を浴び、何とも気恥ずかしくなって口を尖らせてしまう。
「……ンだよ、大真面目にやっちゃあ駄目かよ」
「――ふふッ。いえ……少なくとも入学直後の透とは随分変わりましたのね、と思ってしまっただけです」
「それ貶してるよな!? あるいはイジってるよな!?」
二人きりの教室、そこで繰り広げるは漫才劇。非常に面白おかしいものであったが、二人の気配察知能力にその空間は破られることとなる。そこに悪意はないものの、どうも居心地が悪そうであったために、強制的に引きずり込んだのだ。
「……よォ、灰崎さん! 何か買ってきてくれたのか?」
「――二人だけの空間にしてやろうっていう二十五歳の気遣いを無碍にするなよ」
「まあ。そんな
紳士的なんですの、灰崎さんは。その代わり大分思春期入りたてのような色恋をしていることですのね」
「? 何が言いたいんだ?」
((……嘘だろ/ですわよね……??))
山梨からの付き合いである灰崎。しかし、どうも彼はそういった感情に『鈍い』ようで、先週あったトレーニングルームでの一件でも、特に進展がなかったようで、千尋が嘆いていた。その嘆きを直接伝えるような野暮なことはしないものの、酒を飲みながら泣きついてきた数日前のことを考えると、どうもいたたまれない気持ちになってしまう。
「――なあ、灰崎さんって今気になる人とかいんのか? いくら俺らと学年が
同じとはいえ、年は既に俺らより十歳くらい年上だし、そういった浮いた話の一つくらいあるんじゃあねえの?」
(……透、大分ストレートに聞きましたわね。まあ……変化球の苦手な透ですから、仕方ないと言えば仕方ないですが)
変に追及すると、勘付かれてしまうと悟った院は、ただ目線で「誰の名を言うのか気になっている」意識を見せるのみ。肝心の灰崎は、辺りに二人のためのスポーツドリンク入りのレジ袋を乱雑に置きながら、辺りの椅子に深く腰掛け思考する。顎を指でなぞったり、あるいは頭を押さえるようなしぐさを見せたり。非常に深く考えている様子であった。
時間にしてみれば数十秒かもしれないが、非常に長い沈黙のように思えた――その時。これまで唸る以外に用途を持たなかった灰崎の口が、遂に開かれる。
「……多分だけど、俺……千尋のことが多少なり気になっているのかもしれないな」
その言質は、千尋のうなだれた姿を知っている二人にとって、何よりもの吉報。すぐさま千尋を呼び出そうとするも、灰崎はその後を語る。
「……でも、俺なんかには見合わないさ。魅力的ではある、だが俺はその職に誇りを持っていたとはいえ……元々世間からは忌み嫌われた
極道だ。それと一般人が釣り合うとは……今は思えねェんだ」
思わず反論しようとした院と透であったが、彼の憂いた表情を見た瞬間に、その口を突いて出ようとしていた言葉を押しとどめる。
世間のイメージというものは、非常に気難しいものである。これまで善行を積み重ねてきた存在が、ふとしたきっかけで起こしたスキャンダルでその座を追われる、だなんてことが芸能界では日常茶飯事。そこで騒がれるスキャンダル以上の、概念そのものである存在に、世間はそう簡単に許してくれるとは思えない。
何より、これは自分だけの問題ではなく、仮に結ばれたとして千尋にもその風評被害は及ぶ。足を洗った存在とはいえ、元極道と結ばれた存在という物は、すぐさま色物として見られるだろう。仮にこの場から去ったとしても、居場所などありはしない。畏怖の対象になるか、格好の
標的になるか。
確かに、灰崎の心の中には、笑顔でこちらに駆け寄る千尋が居るだろう。そしてそれを良しとする心もあるのだろう。だが、安易にその道を進んだのなら……その先に待ち受けるものは両者の不幸せ。
だからこそ、自らの心をごまかしている。それが現在の灰崎であるのだ。元極道であることを一切忘れることなく、石を投げられようとそれを甘んじて受け入れる。何故なら、一般人にとって、自分は嫌悪の対象であることを忘れていないため。どれほど堅気のために尽くそうと、共通認識がまかり通っていることは事実であるため。
「――お前らも、もし学園内で千尋に会ったら……伝えてくれねェか? 俺は――」
その言葉を二人に伝えようとしたその時。遠くから何者かが走ってくるような音が聞こえてきた。とても人間が走る勢いとは思えないほどの速度で、清掃員の作業服そのままで英雄科一年一組に
華麗な飛び蹴りしてくるは――他でもない人物であった。
「――ゥウウラアアァッ!!」
「うぅわっ危ねェッ!? 何するんだよ千尋!?」
寸前で避けられ、そのまま地面に叩きつけられる千尋。慣れないことをしたためか、そして運動不足が祟ってか、こんな短時間の激しい運動で筋肉痛予備軍のような状態に。
「……ゼェ……ゼェ……何かと……ゼェ……思って来てみれば……ハェ……」
「息切らし過ぎだよ、煙草止めればいいだろうに」
普段の煙草事情すら知っている存在が、何をどう頑張ったら「諦める」だなんて滑稽な決断をしようとしているのだろうか。今の傍観者同然の二人は、奇遇ながら同じ思考を脳内に抱く。
そして、これは二人の問題であると考えた院と透は、静かに教室を後にする。最後に答え合わせと言わんばかりに、透のデバイスの画面をまざまざと見せつける。そこには、『マブダチ・千尋さん』と書かれた通話画面が映されていたのだった。
((そ れ じ ゃ あ 、 ご ゆ っ く り))
灰崎が読唇術に長けている訳ではないため、分かりやすく口パクをした上で、愉悦に満ちた笑みで去っていく二人を、呆けながら黙って見送る灰崎。それよりも、完全に煙草の吸い過ぎで肺がおかしくなっている千尋を、その場で介抱する方が優先であった。