型が成ってない拳を生身の灰崎に向け振るうも、非常に緩慢な動作のように思えた、灰崎にとってそれほどに遅く見えたのだ。これまで相手してきた存在があまりにも強すぎたというのもあるのだが、眼前の存在が底辺を舐める存在のように思えて仕方がなかったのだ。
力を会得した化勁の技術で受け流しながら、八極拳の基礎の一つである地を震わすほどの踏み込み、『
震脚』を地面に叩き込んでいく。
全ての攻撃が簡単に殺されていく中で、次第に膨れ上がっていくは、眼前の存在への殺意。
ちゃんとこれまで勉強してきた。ちゃんとこれまで自己研鑽を重ねてきた。
新たなチャレンジにはしっかり取り組んでいく、積極的な姿勢を欠かすことは無く、自分に厳しくあり続けた。
それでも、礼安たちのような急に現れた狂気じみた天才のような存在が、男の少しばかり存在する自尊心を無意識に弄んでいく。当人にその意志が無かろうと、これまでの案件解決という明確な実績が彼を致死ダメージで殴りつけるのだ。
対して、彼が何を成せたか。答えは、ほんの少しの人助けだけ。しかし、世間はそれだけで高い評価を下すことは無く、礼安たちのような分かりやすく莫大な実績を残した存在を高く評価する。
自分は間違っていない。それなのに、物差しが歪んでしまった結果、彼の心はひび割れた。その傷心状態にやってくるは、二つの事件解決に助力し、因子まで奇跡的に覚醒させた元一般人であり、元
極道――灰崎廉治。
胸中に巣食うコンプレックスが、より肥大化。だからこそ――どうにかしてでも同じ位置ほどまでに引きずり落したかったのだ。どこまでも恵まれたように見えた灰崎に、同じ苦しみを味合わせたかったのだ。
だが、現実は非情である。どこまでも自分の努力を嘲笑うように、灰崎は変身も攻撃もせず、ただ戦いの中で得た技術によって受け流し、攻撃を殺していくのみ。到底元ヤクザに出来る芸当ではないことは、重々理解している。しかし、脳も心もそれを認めたくなかったのだ。自分の方が社会的地位は上。相手の方が社会的地位は下。そう思わないとやっていられなかったのだ、心がどうにかなってしまいそうだったのだ。
どこまで行っても、自分は報われずに落ちぶれてしまうかもしれない。そう思うと、同じように苦しんで、同じように這い上がれないよう画策するしかなかったのだ。正攻法でやりたい気持ちはあった。しかし相手の強さがそうさせてくれなかったのだ。
結局のところ、他責思考。自分は悪くないと思い込んだ結果、男は落ちぶれたのだ。
そして遂に――その時は訪れた。
「――ようやく来たッスか、『信一郎さん』」
「!? が、学園長……!?」
「やあ、あんだけ『揺らされたら』、そしてバカスカ『音鳴らされたら』来ざるを得ないよね♪」
すぐさま変身を解除し、信一郎に対して情に訴えようとする同級生の男。
「こ、これは灰崎とそこの清掃員風情が全て悪いんです!! 元ヤクザ風情の奴が、喧嘩を売ってきたんです!! だから、これは仕方なく校則を破って『しまった』というか……」
「ンな訳ないでしょ、アタシらが――――」
「五月蠅い黙れ!! 教会の元信者に発言権などありはしない!! 私のような高尚な精神を持ち合わせた存在こそ発言権のある存在なんだ!!」
長いこと下らない御託を聞いていた信一郎は、一度深いため息をついて、学園に備え付けられていた隅の監視カメラを指差して当人が堪忍するのを待っていた。
「――悪いけど。君の発言やら行動やら。全てあのカメラで見せてもらったのよ。灰崎君って、一応保護観察のような扱いだからさ、絶対にこうして監視する必要性があったのよ」
その言葉の通り、九月以降学園内の監視カメラは個数を増した。それは他でもなく灰崎を監視する目的がある。正直、あれほどの功績を残しておきながら、今更謀反を企てるだなんてことはないだろうが、世間の目がそこら中に存在する中で、形式上そうすることで少しでも世間からの疑惑の目を掻い潜ろうとする、信一郎の策の一つである。
実際、効果は
覿面であり、非行を働く生徒はそれなりに減った上で、警察関係者からの信頼は増した。灰崎たち元暴の更生が成されたのなら、真なる意味で英雄学園全体の治安や信頼性の向上に繋がるため、そういった俗にいう『棚ぼた』を期待していたのだ。
あることないことを全て取り繕ったことはバレ、自分自身で怒りのままに校則を破ったこともバレ、情けない姿を見せたことも全てバレ。彼の中には、張るに値しないほどの下らなく矮小な
自尊心のみが、彼の心の自壊を何とか防いでいた。
「……君のような、選民思想全開の存在はね、往々にしてクラスが下に下がっていくのよ。君前学期の時点で、一組最下位から二組に下がっているじゃあないの」
「そ、それはたまたまそうなってしまっただけで! 三年次に上がるときになったらまた一組に戻るというか……!」
「――悪いけれど。同級生からの評判……かなり悪いんだ、君。高尚な英雄になりたいならさ、誰彼構わず救ってみせるほどの
自己中精神見せてなんぼじゃアないの、それなのに実に自分勝手極まる考えがずっと一歩前に出続けた結果……こうなっているんだよ。それすら理解できない君風情じゃア……とてもじゃあないが君の語る『高尚な英雄』にだなんて――何百年かかろうと成れっこないよ」
淡々と冷えた笑顔で言い放つ信一郎。とても教職員、特に学園の責任者が放つ言葉では無いのだが、彼の歪んだ心と固定観念を跡形もなく完全に壊すには、これ以外に方法は無かった。大したことの無い存在ながら、少しでも成長に助力するためにはこれが最適であったのだ。
「それにね、君のような大した実績の挙げていない人に、私は『大馬鹿者』だなんて言われたくはないなあ。少なくとも、君の数百万倍以上デカい案件を片付けてきた存在だ、君にそこまで言われるほど落ちぶれちゃアいないんだ、私。君、挙げた功績って言っても細々としたもの一つか二つ程度じゃアないか、
努力を怠っている証だ。せめて礼安たちが熟してきたかのようなデカい案件一個程度片付けてから……灰崎君を馬鹿にしてくれたまえよ」
「――学園長さん」
曲がりなりにも正論をぶつけられていた千尋は、喰い掛かる灰崎とは打って変わって自分の境遇を呪っていた。そうしなければ千葉の案件で出会っていた皆に出会えなかったことは分かっているものの、ここまで言われる理由も分かってしまうからだった。たとえ一週間程度入信していたとはいえ、入った事実はいつまでも消えないのだから。
そんな中でも、灰崎も千尋も、二人とも皆の記憶の中から正しい記憶が消えたとしても、人の安寧のために尽力したことは事実。それを心から評価した信一郎を『頼れる大人』として尊敬しようと、心の底から思えたのだ。
「他責思考を続けた結果、どこまで落ちぶれるか見ものだね。それに今回のバリバリ校則違反に関しても大嘘並べて逃れようとしたし。君……明日から六組行きだから、そこん所よろしくね?」
「ま、待って下さい!! もう一度チャンスを!!」
「虚偽に塗れた言い訳はさっきさんざしたろう? そこと装甲の出力具合から判断して――実に合理的な判断を下したまでだよ。もしそれが嫌なら、懸命に更生しようとしている灰崎君に頭の一つでも下げないと。その思考すらかけらたりとも出てこない時点で……君の人間としての『底』は知れているんだよ」
完全に見捨てられたと、その場にへたり込んで情けなく泣き出す同級生の男。灰崎と千尋はどうもいたたまれなくなったため、その場から何も気にすることなく去る信一郎を追いかけることにしたのだった。