第百三十五話:影の保母さん、シェイド
ー/ー「王立・竜の子学園」の放課後。
校庭では、ライオスやセフィラの子供たちが元気に走り回り、魔法の火花を散らしていた。
夕焼けに染まる校舎の裏側、人気のない中庭のベンチに、一人の少年の姿があった。
クロノス・ブラッドリーフ。六歳。
深淵の孤高竜姫ヴァルキリアの息子であり、闇の魔力を受け継ぐ彼は、同年代の子供たちの輪に入るのが少し苦手だった。
「……うるさいな、あいつらは」
クロノスは膝を抱え、遠くから聞こえる歓声に背を向けて呟いた。
「僕は孤高の王族だ。群れるのは趣味じゃない」
口ではそう強がってみせるが、その赤い瞳には、隠しきれない寂しさが滲んでいる。
母であるヴァルキリアは、常に「闇の王族たるもの、孤独を愛せ」と教える。
父であるヒカルは優しいが、多忙でなかなか構ってもらえない。
妹のミスティはまだ幼く、他の兄弟たちは属性が違いすぎて話が合わない(特に暑苦しいライオスや、落ち着きのない風の子供たちとは)。
「……はぁ」
クロノスが溜息をつき、自分の足元に伸びる影を見つめた時だった。
「溜息をつくと、幸せだけでなく、気配まで漏れ出しますよ。若君」
「うわっ!?」
クロノスが飛びのくと、彼の足元の影が「ニュッ」と盛り上がり、人の形を成した。
漆黒のスーツに身を包んだ女性、闇の六天将シェイドだ。
「シェイド……? どうしてここに?」
クロノスが目を白黒させる。シェイドは無表情のまま、埃を払う仕草をした。
「ヴァルキリア様より、若君の『影の護衛』を仰せつかっております。……もっとも、今はただの休憩時間ですが」
「護衛なんていらないよ。僕は一人で大丈夫だ」
クロノスが顔を背ける。シェイドは、そんな少年の強がりを、冷徹な観察眼ではなく、どこか温かい瞳で見つめた。
「……『一人でいること』と『孤独であること』は違います」
シェイドは音もなくクロノスの隣に座った。
「闇の力は、誰にも気づかれずに世界を包み込む力。それは孤独ではなく、全てを見守る『優しさ』なのです」
「優しさ……? 闇が?」
クロノスが怪訝な顔をする。
「ええ。光が眩しすぎるとき、人は影に安らぎを求めます。王(ヒカル様)がヴァルキリア様を必要としたように」
シェイドは、手の中で小さな闇の玉を作り出した。それは威圧的なものではなく、柔らかい毛布のような質感を持っていた。
「若君。少し、遊びませんか?」
「遊び?」
「はい。『王城脱出ごっこ』……いえ、正式名称は『隠密潜入術・初級』です」
シェイドが指を鳴らすと、周囲の影が濃くなった。
「気配を消し、影と同化する。誰にも見つからずに、目的地までたどり着く。……できれば、私が今日のおやつに用意した『特製・闇色ドーナツ』を差し上げます」
「ど、ドーナツ……」
クロノスの目が輝いた。ごくり、と喉を鳴らす。
そう、甘いものには目がないのだ(これはヒカル譲りかもしれない)。
「……やる。孤高の王族として、その挑戦を受けて立つ」
◇◆◇◆◇
それから数十分間、王城の裏庭では、奇妙な特訓が行われた。
「足音を立てない。影の継ぎ目を歩くのです」
「こう?」
「違います。もっと重心を低く。……そうです、その調子」
普段は冷徹な工作員として恐れられるシェイドが、この時ばかりは甲斐甲斐しい「保母さん」になっていた。
クロノスの動きを細かく修正し、時には手を引いて影渡りのコツを教える。
「若君、筋が良いですね。ヴァルキリア様の血と、王(ヒカル様)の勘の良さを受け継いでいます」
「へへ……そうかな?」
褒められて、クロノスは照れくさそうに笑った。
誰にも見つからずに移動するスリル。そして、自分だけを見てくれるシェイドの存在。
クロノスの心から、寂しさが消えていく。
「よし、ゴールです」
厨房の裏口にたどり着いたクロノスに、シェイドは包みを渡した。中には、漆黒の(チョココーティングされた)ドーナツが入っていた。
「やった!」
クロノスがドーナツを頬張ると、口の端にチョコがついた。シェイドは懐からハンカチを取り出し、無言でそれを拭ってやる。
その手つきは、驚くほど優しかった。
「……シェイド姉は、優しいね」
クロノスがぽつりと言う。
「母上はいつも厳しいけど、シェイド姉は……なんか、本当のお姉ちゃんみたいだ」
「……姉、ですか。ふふふ」
シェイドは一瞬だけ目を見開き、そして微かに口角を上げた。
「……悪くない響きです。ですが、ヴァルキリア様には内緒ですよ? 『軟弱な!』と雷が落ちますから」
「うん、分かってる。二人だけの秘密だ」
クロノスは、シェイドと小指を絡ませて約束した。
「クロノス! どこにいる!」
その時、廊下の向こうからヴァルキリアの威厳ある声が響いた。
「げっ、母上だ!」
クロノスが焦る。
「ふふ、慌てないで。……影に潜りなさい」
シェイドがクロノスの肩を抱き寄せ、自身のマントで覆う。闇の魔力が二人を包み込み、周囲の風景に溶け込ませた。
ヴァルキリアが二人のすぐ横を通り過ぎていく。
「む……? 今、クロノスの気配がしたような……。気のせいか」
母が去っていくのを見届け、クロノスは安堵の息を吐いた。
「すごい……! 母上にバレなかった!」
「ええ。これが『守るための闇』です。……いつでも、私が貴方をお隠ししますよ」
シェイドは、クロノスの頭を優しく撫でた。
夕暮れの王城。
影の中で微笑み合う二人。
孤独だった少年の心に、「黒いお姉ちゃん」という、頼もしい味方ができた瞬間だった。
そしてシェイドもまた、冷たい任務の日々の中で、小さな温もりを見つけたのだった。
(……ヒカル王。貴方の優しさは、確かに次世代へも伝わっていますよ)
シェイドは心の中で呟き、再びクロノスの手を引いて、影の中へと帰っていった。
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