第百六話:戦火の残り火と癒やしの提案

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無価値の守護者(ワースレス・ガーディアン)』の消滅と『忘却の策士(オブリビオン・ストラテジスト)』の撤退により、魔王軍本隊は総崩れとなった。
 だが、指揮官を失った魔族兵たちは、恐慌状態に陥りながらも、依然として統一領内を彷徨い、散発的な戦闘を繰り返していた。

「報告! D3ポイントの魔族残党、爆炎龍将軍フレア隊が鎮圧! 現在、ゼファー隊が敗走兵を追撃中です!」

 司令部に飛び交う伝令の声。
 窓の外を見れば、遠くの荒野で時折、小さな爆発の光が見える。
 それは、大戦の余韻であると同時に、まだ戦争が終わっていないことを告げる残り火でもあった。

 ヒカルは、執務椅子に深く沈み込んでいた。
 形態発動の反動は、肉体的な痛みよりも、魂が鉛のように重くなる倦怠感として彼を蝕んでいた。

「……ふぅ。とりあえず、首の皮一枚繋がったか」
「ええ。ですが、薄氷の勝利ですわ」

 ヒカルの横で、最高戦略官のアクアが冷たい水を差し出した。彼女の顔にも疲労の色が見えるが、その瞳の理知的な光は失われていない。
 彼女の合図で、戦後分析のために招集されたメンバーが円卓を囲んだ。
 古王軍編入部隊総司令官ユグドラ、財務官僚長官ギルティア、そして人類側政務代表のレオーネ皇女だ。

「被害状況の報告を……」

 ヒカルの言葉に、ユグドラが沈痛な面持ちで口を開く。

「人的被害は、テラ様とシルヴィア殿の防御・回復支援により、奇跡的に最小限に抑えられました。死者はゼロではありませんが、十万の魔王軍を相手にした数字としては驚異的です」

 ユグドラは言葉を切り、悔しげに拳を握った。

「しかし、インフラの損耗が激しい。テラ様が築いた第一、第二防衛ラインは『無価値の守護者(ワースレス・ガーディアン)』の重力波で半壊。修復には、土竜部隊を総動員しても一ヶ月は要します」

 続いて、レオーネ皇女が報告する。

「人類連合軍の方も同様です。リヒター総帥の指揮で持ちこたえましたが、魔族の圧倒的な『質』の前に、武具の破損率は60%を超えています。精神的な疲弊も色濃く、これ以上の連戦は、兵士の心を折る可能性があります」

 そして、ギルティアが冷徹な数字を突きつけた。

「経済的観点からも、今回の戦闘は赤字ギリギリです。BPI強化による魔力消費、ユニゾンによる環境修復コスト、そして何より……」

 ギルティアは、ヒカルの右腕を一瞥した。

「王の形態発動を維持するための高純度エネルギー触媒の消費量が、想定の3倍でした。このままのペースで戦えば、魔王城にたどり着く前に、我が国の財政が破綻します」

 戦勝ムードに水を差すような厳しい現実。
 だが、ヒカルはそれを冷静に受け止めた。

「分かっている。俺たちは勝ったが、余裕で勝ったわけじゃない。……ギリギリの綱渡りだった」

 ヒカルは、自身の右腕をさすった。
 BPI強化と形態発動。この力は確かに強力だが、燃費が悪すぎる。そして何より、ヒカル自身の精神力が持たない。

「……だが、勝ったことには変わりない。まずは、功労者を称えよう」

 ヒカルは立ち上がり、控えていたリリアに目配せをした。
 リリアが扉を開くと、そこには激戦を終えた六龍姫たちと、元聖女候補シルヴィアの姿があった。

「今回のMVPは……文句なしで、シルヴィアだ」

 ヒカルの宣言に、シルヴィアが驚いて顔を上げた。

「えっ!? わ、私がですか? 私はただ、祈っていただけで……」
「その祈りが、全軍を救ったんだ。『聖女の福音』による全体バフがなければ、前線は崩壊していた。そして、テラの防御を支えきれたのも、お前の精神的な支柱があったからだ」

 ヒカルはシルヴィアの前に歩み寄り、その手を取った。

「ありがとう、シルヴィア。お前は、立派な聖女だ」
「ヒカル様……!」

 シルヴィアの瞳から涙が溢れる。かつて聖女アリアの影に隠れ、自信を持てなかった彼女が、王国の勝利の立役者として認められた瞬間だった。

「むぅ……。まあ、今回は認めてあげるわ」

 紅蓮の激情竜姫レヴィアが、腕を組みながらも納得したように頷く。

「あの祈りは、私の炎すら熱くさせたもの。……悔しいけど、いい声だったわよ」
「論理的に見ても、シルヴィア殿の貢献度は数値化できないほど高いです。異論はありません」

 アクアも同意し、他の姫たちも温かい拍手を送った。

「そ、それでは! MVPの褒美として、ヒカル様との……えっと、その……」

 シルヴィアが顔を真っ赤にして口ごもる。

「ああ、何でも言ってくれ」
「……あ、握手! 握手を、もう一度……!」
「……それだけでいいのか?」

 ヒカルが苦笑すると、シルヴィアはブンブンと首を縦に振った。その奥ゆかしさに、場が和やかな空気に包まれる。

 だが、その空気を切り裂くように、テラが真剣な表情で進言した。

「主よ。MVPの儀式も大切ですが、わらわには提案があります」

 テラは、ヒカルの顔色を心配そうに覗き込む。

「主も、そして我々も、今回の戦いで魔力を使いすぎました。特に主の『魂の摩耗』は、見ていられません。……ここは一度、前線を離れ、『湯治』に向かうべきかと」
「湯治?」
「はい。この近くに、古くから竜族が傷を癒やすために利用してきた秘湯の渓谷があります。そこならば、豊富な地脈の魔力が、主の疲弊した回路を修復してくれるはずです」

 その提案に、真っ先に反応したのはレヴィアだった。

「秘湯!? それってつまり、温泉よね!?」

 レヴィアの瞳が、戦闘時とは違う種類の炎で燃え上がる。

「温泉といえば、混浴! 混浴といえば、肌と肌の触れ合い! 夫よ! これは軍務よ! 即刻採用すべきだわ!」
「ボクも賛成ー! 戦いの後の温泉、最高じゃん!」

 セフィラが飛び跳ねる。

「……論理的に考えても、兵士の士気回復と王の治療には最適解です。反対する理由はありません。ふ、ふふふ……」

 アクアも眼鏡を光らせて同意する。

 ヒカルは、ギルティアとレオーネを見た。

「財政と行政の方はどうだ?」
「温泉地周辺の観光資源の視察も兼ねれば、経費として計上可能です」

 ギルティアが計算機を叩きながら答える。

「兵士たちへの慰労も兼ねて、交代制で休暇を与えるのが良いでしょう。士気の維持に繋がります」

 レオーネも頷いた。

「決まりだな」

 ヒカルは立ち上がった。

「残存魔族の掃討は、ローテーションを組んで継続する。主力部隊と俺たちは、一時撤退し、温泉地へ移動する。……これは『愛の湯治作戦』だ!」
「「「おおーっ!!」」」

 司令部に歓声が響く。
 魔王軍との死闘の合間に訪れた、束の間の休息。
 だが、六龍姫たちのギラついた視線を見る限り、温泉地では別の意味での「激戦」が待ち受けていそうだった。

 ヒカルは、リリアにそっと耳打ちした。

「リリア……。湯治中も、護衛を頼むな。主に、妻たちの暴走から」
「ふふ、承知いたしました。王の貞操と安寧は、このメイド長が死守いたします」

 こうして、一行は戦火の残り火を背に、癒やしの地へと向かうのだった。



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 だが、指揮官を失った魔族兵たちは、恐慌状態に陥りながらも、依然として統一領内を彷徨い、散発的な戦闘を繰り返していた。
「報告! D3ポイントの魔族残党、爆炎龍将軍フレア隊が鎮圧! 現在、ゼファー隊が敗走兵を追撃中です!」
 司令部に飛び交う伝令の声。
 窓の外を見れば、遠くの荒野で時折、小さな爆発の光が見える。
 それは、大戦の余韻であると同時に、まだ戦争が終わっていないことを告げる残り火でもあった。
 ヒカルは、執務椅子に深く沈み込んでいた。
 形態発動の反動は、肉体的な痛みよりも、魂が鉛のように重くなる倦怠感として彼を蝕んでいた。
「……ふぅ。とりあえず、首の皮一枚繋がったか」
「ええ。ですが、薄氷の勝利ですわ」
 ヒカルの横で、最高戦略官のアクアが冷たい水を差し出した。彼女の顔にも疲労の色が見えるが、その瞳の理知的な光は失われていない。
 彼女の合図で、戦後分析のために招集されたメンバーが円卓を囲んだ。
 古王軍編入部隊総司令官ユグドラ、財務官僚長官ギルティア、そして人類側政務代表のレオーネ皇女だ。
「被害状況の報告を……」
 ヒカルの言葉に、ユグドラが沈痛な面持ちで口を開く。
「人的被害は、テラ様とシルヴィア殿の防御・回復支援により、奇跡的に最小限に抑えられました。死者はゼロではありませんが、十万の魔王軍を相手にした数字としては驚異的です」
 ユグドラは言葉を切り、悔しげに拳を握った。
「しかし、インフラの損耗が激しい。テラ様が築いた第一、第二防衛ラインは『|無価値の守護者《ワースレス・ガーディアン》』の重力波で半壊。修復には、土竜部隊を総動員しても一ヶ月は要します」
 続いて、レオーネ皇女が報告する。
「人類連合軍の方も同様です。リヒター総帥の指揮で持ちこたえましたが、魔族の圧倒的な『質』の前に、武具の破損率は60%を超えています。精神的な疲弊も色濃く、これ以上の連戦は、兵士の心を折る可能性があります」
 そして、ギルティアが冷徹な数字を突きつけた。
「経済的観点からも、今回の戦闘は赤字ギリギリです。BPI強化による魔力消費、ユニゾンによる環境修復コスト、そして何より……」
 ギルティアは、ヒカルの右腕を一瞥した。
「王の形態発動を維持するための高純度エネルギー触媒の消費量が、想定の3倍でした。このままのペースで戦えば、魔王城にたどり着く前に、我が国の財政が破綻します」
 戦勝ムードに水を差すような厳しい現実。
 だが、ヒカルはそれを冷静に受け止めた。
「分かっている。俺たちは勝ったが、余裕で勝ったわけじゃない。……ギリギリの綱渡りだった」
 ヒカルは、自身の右腕をさすった。
 BPI強化と形態発動。この力は確かに強力だが、燃費が悪すぎる。そして何より、ヒカル自身の精神力が持たない。
「……だが、勝ったことには変わりない。まずは、功労者を称えよう」
 ヒカルは立ち上がり、控えていたリリアに目配せをした。
 リリアが扉を開くと、そこには激戦を終えた六龍姫たちと、元聖女候補シルヴィアの姿があった。
「今回のMVPは……文句なしで、シルヴィアだ」
 ヒカルの宣言に、シルヴィアが驚いて顔を上げた。
「えっ!? わ、私がですか? 私はただ、祈っていただけで……」
「その祈りが、全軍を救ったんだ。『聖女の福音』による全体バフがなければ、前線は崩壊していた。そして、テラの防御を支えきれたのも、お前の精神的な支柱があったからだ」
 ヒカルはシルヴィアの前に歩み寄り、その手を取った。
「ありがとう、シルヴィア。お前は、立派な聖女だ」
「ヒカル様……!」
 シルヴィアの瞳から涙が溢れる。かつて聖女アリアの影に隠れ、自信を持てなかった彼女が、王国の勝利の立役者として認められた瞬間だった。
「むぅ……。まあ、今回は認めてあげるわ」
 紅蓮の激情竜姫レヴィアが、腕を組みながらも納得したように頷く。
「あの祈りは、私の炎すら熱くさせたもの。……悔しいけど、いい声だったわよ」
「論理的に見ても、シルヴィア殿の貢献度は数値化できないほど高いです。異論はありません」
 アクアも同意し、他の姫たちも温かい拍手を送った。
「そ、それでは! MVPの褒美として、ヒカル様との……えっと、その……」
 シルヴィアが顔を真っ赤にして口ごもる。
「ああ、何でも言ってくれ」
「……あ、握手! 握手を、もう一度……!」
「……それだけでいいのか?」
 ヒカルが苦笑すると、シルヴィアはブンブンと首を縦に振った。その奥ゆかしさに、場が和やかな空気に包まれる。
 だが、その空気を切り裂くように、テラが真剣な表情で進言した。
「主よ。MVPの儀式も大切ですが、わらわには提案があります」
 テラは、ヒカルの顔色を心配そうに覗き込む。
「主も、そして我々も、今回の戦いで魔力を使いすぎました。特に主の『魂の摩耗』は、見ていられません。……ここは一度、前線を離れ、『湯治』に向かうべきかと」
「湯治?」
「はい。この近くに、古くから竜族が傷を癒やすために利用してきた秘湯の渓谷があります。そこならば、豊富な地脈の魔力が、主の疲弊した回路を修復してくれるはずです」
 その提案に、真っ先に反応したのはレヴィアだった。
「秘湯!? それってつまり、温泉よね!?」
 レヴィアの瞳が、戦闘時とは違う種類の炎で燃え上がる。
「温泉といえば、混浴! 混浴といえば、肌と肌の触れ合い! 夫よ! これは軍務よ! 即刻採用すべきだわ!」
「ボクも賛成ー! 戦いの後の温泉、最高じゃん!」
 セフィラが飛び跳ねる。
「……論理的に考えても、兵士の士気回復と王の治療には最適解です。反対する理由はありません。ふ、ふふふ……」
 アクアも眼鏡を光らせて同意する。
 ヒカルは、ギルティアとレオーネを見た。
「財政と行政の方はどうだ?」
「温泉地周辺の観光資源の視察も兼ねれば、経費として計上可能です」
 ギルティアが計算機を叩きながら答える。
「兵士たちへの慰労も兼ねて、交代制で休暇を与えるのが良いでしょう。士気の維持に繋がります」
 レオーネも頷いた。
「決まりだな」
 ヒカルは立ち上がった。
「残存魔族の掃討は、ローテーションを組んで継続する。主力部隊と俺たちは、一時撤退し、温泉地へ移動する。……これは『愛の湯治作戦』だ!」
「「「おおーっ!!」」」
 司令部に歓声が響く。
 魔王軍との死闘の合間に訪れた、束の間の休息。
 だが、六龍姫たちのギラついた視線を見る限り、温泉地では別の意味での「激戦」が待ち受けていそうだった。
 ヒカルは、リリアにそっと耳打ちした。
「リリア……。湯治中も、護衛を頼むな。主に、妻たちの暴走から」
「ふふ、承知いたしました。王の貞操と安寧は、このメイド長が死守いたします」
 こうして、一行は戦火の残り火を背に、癒やしの地へと向かうのだった。