第百四話:論理の崩壊と愛の統合
ー/ー 戦場は、二つの異なる絶望に支配されていた。
左翼戦線では、『忘却の策士』が展開した濃密な霧の中で、盟約軍の攻撃部隊が孤立無援の状態に陥っていた。
「くそっ! 敵の姿が見えない! どこだ! どこから攻撃してくる!」
レオナルド摂政率いる帝国騎士団が、見えない敵の幻影に剣を振るう。だが、その刃は空を切り、背後から音もなく現れた魔族兵の凶刃に次々と倒されていく。
指揮官の声も、仲間の悲鳴さえも霧に吸われ、兵士たちの孤独な恐怖の中で精神を削られていく。
「落ち着け! 陣形を崩すな! 背中を合わせろ!」
レオナルドが必死に叫ぶが、その声は霧によって歪められ、兵士たちの耳には届かない。
「情報が……遮断されている……! 私の『戦場の視覚化』ですら、霧の奥にある敵の核を見通せない!」
司令部にいるヒカルの焦燥が、通信を通じてアクアに伝わる。
蒼玉の理性竜姫アクアは、霧の中で必死に冷静さを保とうとしていた。彼女の周囲には、無数の情報の断片が浮かんでは消え、論理的な思考を妨害している。
「王よ、慌てないでください。敵の能力は高度な『認識阻害』。ならば、魔力探知の波長をランダムに変調させれば……」
だが、忘却の策士はアクアの思考を先読みしていた。霧の中から、冷笑を含んだ声が響く。
「無駄だ。貴様の『理性』こそが、最大の弱点だ」
忘却の策士の水銀のような腕が霧の中から伸び、アクアの眉間に触れる。
「思考停止」
「――ッ!?」
アクアの瞳から光が消える。
彼女の脳裏に、解決不能な論理矛盾と無限のパラドックスが流し込まれた。
1+1が2にならない世界。原因と結果が逆転する世界。アクアの誇る論理回路が、過負荷で焼き切れそうになる。
「あ、ああ……計算が、合わない……論理が、崩壊する……」
理性の要であるアクアが膝をついたことで、チーム攻(オフェンス)の指揮系統は完全に麻痺した。
「アクア!! しっかりして!」
レヴィアが炎を放つが、忘却の策士は霧散して攻撃をかわす。熱量すらも情報を奪われ、ただの温かい風となって消えていく。
「感情だけの攻撃など、当たるはずもない。……絶望しろ。貴様らの絆など、情報の断絶一つで切れる脆い糸だ」
◇◆◇◆◇
一方、中央戦線でも『無価値の守護者』による一方的な蹂躙が続いていた。
「重力波、最大出力……」
無価値の守護者が拳を振り下ろすたびに、空間そのものがひしゃげるような音が響き、テラの展開した多重防御障壁に亀裂が走る。
「くっ……! 重い……! わらわの大地が、悲鳴を上げている……!」
BPI 700まで強化され、さらにガイアやリヒターたちの支援を受けたテラですら、BPI 12,000という桁外れの質量差の前には防戦一方だった。
重力波は物理的な障壁だけでなく、兵士たちの肉体にも直接作用する。立っているだけで骨がきしむほどの重圧。
「テラ様! 我らが支えます!」
ガイアが横に並び、自らの体を盾にするが、衝撃波だけで巨体が木の葉のように吹き飛ばされる。
リヒター総帥率いる辺境連合軍も、地面に縫い付けられたまま、じりじりと迫る魔族の軍勢に恐怖している。
「無駄だ。貴様らの『献身』など、圧倒的な力の前では無価値だ」
無価値の守護者の無慈悲な一撃が、テラの障壁を粉砕し、王都への道を開こうとしたその時。
『――諦めないでください! 論理の穴は、必ず存在します!』
司令部にいるルーナの声が、通信魔術を通じて戦場全体に響き渡った。
ヒカルが驚いて振り返ると、通信機の水晶が鮮烈な翠(みどり)色の光を放っていた。
「ヒカル様! 東方の森、エルフの里からの緊急通信です! 『古代知識の解析が完了した』と!」
通信機越しに、鈴を転がすような、しかし極めて理知的な声が割り込む。
『初めまして、竜の王。私はイリス・アルゴリズム。エルフ族の学術院最高賢者です』
彼女は、遠隔地から戦場の魔力データを傍受・解析し、忘却の策士と無価値の守護者の能力の「構造的な欠陥」を見つけ出していたのだ。
かつてヒカルがエルフ族に打診していた「知恵の提供」が、この絶体絶命の瞬間に間に合ったのだ。
『忘却の策士の霧は、対象の脳内にある「恐怖」や「不安」といった感情の揺らぎを増幅し、それを現実にフィードバックさせる術式です。つまり、彼が見せている絶望は、貴方たち自身の心が作り出した幻影なのです』
イリスの声は、混乱する戦場に冷水を浴びせるように響く。
『そして無価値の守護者の重力場。あれは一点に質量を集中させることで発生しています。その「支点」となる魔力核の位置座標を転送します。そこを崩せば、重力は霧散します』
「感情の、幻影……。そうか、なるほど……」
理性の檻の中で蹲っていたアクアが、ふらりと立ち上がった。
イリスの論理的な解析結果が、彼女の思考回路を再起動させたのだ。恐怖というノイズが「解析可能なデータ」に変わった瞬間、アクアの理性は復活した。
「王よ。……聞こえますか?」
『ああ、アクア! 無事か!』
「ええ。目が覚めました。忘却の策士は私の理性を壊そうとしましたが、逆効果でした。……恐怖が幻影ならば、その恐怖を『怒り』と『情熱』で塗りつぶせばいい!」
アクアは割れた眼鏡を投げ捨て、叫んだ。その瞳には、これまでの冷静さとは違う、熱い光が宿っていた。
「レヴィア! セフィラ! 私の指示に合わせて! 論理的な計算は私がする! だから貴女たちは、そのバカみたいな感情と直感をフル動員して、この霧をぶち破りなさい!」
「はあ!? あんた、キャラ変わってない!?」
レヴィアが驚愕するが、その口元はニヤリと笑っていた。
「いいわよ! そういう熱いアクア、嫌いじゃないわ!」
セフィラも風を巻き上げながら笑う。
「りょーかい! 理屈っぽいお姉ちゃんが言うなら、間違いなしだね!」
一方、中央戦線でも希望の光が灯る。
イリスから送られた「支点」の座標データを受け取ったルーナが、祈りを捧げる。
「シルヴィア! 今こそ、貴女の信仰の力を貸してください! 人々の祈りを束ね、テラ姉さまの盾を支える力に変えるのです!」
後方に控えていた元聖女候補シルヴィアが、純白のローブを翻して前へ進み出た。
かつて聖女アリアの次席として期待されながらも、ヒカルの理念に共鳴し、この国に骨を埋める覚悟を決めた女性。
「承知いたしました、ルーナ様! これでも元聖女の端くれ、伊達に厳しい修行は積んでおりませんわ!」
シルヴィアが杖を掲げ、戦場に響き渡る声で祝詞を紡ぐ。その姿は、かつての教団の聖女にも劣らぬ神々しさを放っていた。
「光よ! 迷える魂を導き、守護の礎となれ! 聖女の祈り《セイント・プレイヤー》!」
シルヴィアの祈りに呼応し、後方の信徒たち、そして避難民たちの「守りたい」という純粋な想いが光の奔流となって顕現し、テラへと注ぎ込まれる。
「おおお……! 力が、湧いてくる! これが、人の心の重さか!」
テラは、ひび割れた障壁を再構築するどころか、さらに巨大な黄金の大地壁を展開させた。
無価値の守護者の拳が激突するが、今度はビクともしない。
「な……!? 重力波が、相殺されているだと!?」
無価値の守護者が初めて焦りの声を上げた。
テラの献身(物理防御)と、シルヴィア・ルーナの祈り(精神防御)、そしてイリスの知恵(弱点解析)。
三つの要素が噛み合い、鉄壁の無価値の守護者を押し留めたのだ。
ヒカルは、戦況の劇的な変化を感じ取り、愛の指揮棒を振り上げた。
「全軍、反撃の狼煙を上げろ! 敵の『理屈』は崩れた! ここからは、俺たちの『愛』で押し切る番だ!」
「「「オオオオオオオッ!!」」」
分断され、各個撃破される寸前だった二つの戦場が、見えない絆で再び結ばれた。
霧の中で、重圧の中で、竜と人の連合軍が、一斉に牙を剥く。
逆転の準備は整った。 次なる一撃で、四天王の傲慢を粉砕するのだ!
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