第百三話:愛の分断と戦略的受難
ー/ー 尖兵部隊五千の壊滅から、わずか半日。
勝利の余韻に浸る間もなく、統一王国『調和の座』の北東前線基地に、絶望的な警報が鳴り響いた。
「て、敵本隊、視認! ち、地平線が……黒く染まっています!」
監視塔からの悲鳴に近い報告を受け、ヒカルは前線指揮所のバルコニーへ出た。
望遠鏡を覗き込むまでもない。
荒野の彼方から、どす黒い津波のような軍勢が押し寄せてきている。その数、およそ十万。
先ほどの尖兵とは桁が違う。巨大な攻城魔獣、空を覆う飛行魔族、そして整然と行進する重装歩兵の群れ。それは、この世界を物理的に押し潰そうとする「死」の行進だった。
「報告! 敵本軍、中央突破の陣形です! 左右への展開なし! 一点突破で王都まで直進するつもりです!」
空虚の斥候王ゼファーが、冷や汗を拭いながら報告する。いつもの飄々とした態度は消え、その声には焦燥が滲んでいた。
「罠も伏兵もありません。ただ単純に、数と力で踏み潰す気です」
作戦会議室の空気が凍りつく。
小細工なし。策謀なし。ただ圧倒的な「暴力」の塊として、真正面からこちらの喉元を食いちぎりに来ている。
「舐められたものね。尖兵が全滅したことなど、痛くも痒くもないって顔だわ」
紅蓮の激情竜姫レヴィアが、悔しげに唇を噛み、炎を纏う拳を握りしめる。
「ええ。彼らにとって尖兵は、こちらの戦力を測るための捨て石ですらありません。ただの『先導役』が躓いただけ。本隊が踏み潰せば問題ない、という論理的思考の放棄……いえ、圧倒的戦力への自信の表れです」
蒼玉の理性竜姫アクアもまた、冷静さを保ちつつも、その指先は微かに震えていた。
敵陣の中央、ひときわ巨大な魔力が二つ、禍々しいオーラを放っていた。
一つは、流体のように形を変える水銀色の魔力。
もう一つは、大地そのものが腐り落ちるような重苦しい土色の魔力。
魔王軍四天王だ。
『忘却の策士』と、『無価値の守護者』。
「ヒカル様。こちらの布陣は完了しています」
リリアが静かに告げる。
ヒカルの後方には、竜族の精鋭五千体と、帝国軍・辺境連合軍・通商連合傭兵団からなる人類連合軍二十五万、合わせて総兵力の約40%にあたる二十五万五千の大軍勢が展開していた。さらに後方には、二段階の予備兵力と、テラが築いた多重防御ラインが控えている。
種族の壁を超えた、正真正銘の総力戦だ。
「よし。全軍、迎撃開始! 敵の『傲慢』を、我々の『結束』で打ち砕く!」
ヒカルの号令と共に、戦いの火蓋が切って落とされた。
◇◆◇◆◇
「進め。虫けらどもを踏み潰せ」
『無価値の守護者』と呼ばれる巨岩の魔人が、低い唸り声を上げた。
彼の周りでは、重力が歪んでいる。
人類軍が放った数万の矢や魔法は、彼に届く前に、見えない巨大な手で叩き落とされたかのように地面へと激突し、無力化される。
「くっ……! 物理攻撃も魔法も、重力圏で減衰させられる! 有効打が入らぬ!」
前線で指揮を執る不動の防衛将ガイアが叫ぶ。
無価値の守護者が一歩踏み出すたびに、ズンッ、ズンッと地面が陥没し、盟約軍が築いた防衛ラインが物理的に崩壊していく。
BPI 12,000。その数値は、単体で古王軍の最高戦力をも凌駕していた。
一方、戦場の左翼では、『忘却の策士』が静かに水銀の腕を振るっていた。
「情報は不要だ。認識も不要だ。……消えろ」
彼が指差した空間から、音が、色が、そして兵士たちの「戦意」が消失していく。
水属性特有の干渉力を用いた、広範囲の精神汚染と認識阻害。霧が漂うように戦場を覆っていく。
連携を取ろうとした人類軍の精鋭師団が、突如として指揮系統を失い、棒立ちになったところを魔族兵に蹂躙される。
BPI 8,000。こちらは搦め手に見えて、その実、軍隊という組織を「個」に分解して殺す、極めて凶悪な武力行使だった。
「だめだ……! 二体が連携すらしていないのに、戦線が崩壊していく!」
後方司令部でモニターしていた古王軍編入部隊総司令官ユグドラが悲鳴に近い声を上げる。
「無価値の守護者が中央を物理的に粉砕し、忘却の策士が側面から指揮系統を麻痺させている! 二十五万の軍勢が、ただの肉壁にされているぞ!」
ヒカルは、戦場の視覚化(タクティカル・ビジョン)を限界まで稼働させていた。
敵は二体。だが、その性質は対極であり、同時に相手取るには相性が悪すぎる。無価値の守護者の重力圏に捕らわれれば、動けないまま忘却の策士の精神攻撃の餌食になる。忘却の策士の霧に惑わされれば、防御できないまま無価値の守護者の一撃で粉砕される。
(混ぜてはいけない。この二つを同時に相手にすれば、こちらのユニゾンが機能する前に全滅する……!)
ヒカルは迷わず決断した。
六龍姫の最強の武器である「六龍ユニゾン」を封印し、戦力をあえて分断するリスクを取ることを。
「全軍に告ぐ!! これより、部隊を二つに分ける!!」
ヒカルの声が、戦場の混乱を切り裂く。
「敵の連携を断つ! 『忘却の策士』の精神干渉には、激情と理性、そして自由な機動力で対抗する! 【チーム攻(オフェンス)】:レヴィア! アクア! セフィラ! お前たちは左翼へ展開し、忘却の策士を叩け! 同行する六天将はフレア、ゼファー! 人類軍からはレオナルド摂政率いる帝国騎士団が随行せよ!」
指名されたレヴィアが、炎を吹き上げながら叫ぶ。
「御意! 私の激情で、あのスカした仮面を焼き払ってやるわ!」
フレアも剣を抜き、吠えた。
「レヴィア様の矛として、忘却の策士の懐に風穴を開けます!」
ゼファーが短く応じる。
「了解。情報の攪乱なら負けないよ」
そして、人類側の代表として前線に出たレオナルド摂政も、帝国騎士団の先頭で剣を掲げた。
「帝国騎士団、推して参る! 竜姫の露払いは我らの誉れ! 人間の意地を見せろ!」
ヒカルは続けて叫ぶ。
「『無価値の守護者』の重力制圧には、絶対的な防御と調和、そして闇の干渉で対抗する! チーム防衛(ディフェンス)】:テラ! ルーナ! ヴァルキリア! お前たちは中央で無価値の守護者を食い止めろ! 同行はガイア、アウラ、シェイド! リヒター総帥率いる辺境連合軍は防御陣形を固めろ!」
「承知しました、主よ。この大地は、一歩たりとも通しません」
テラが巨大な盾を展開し、無価値の守護者の前へと立ちはだかる。
「光の加護を……」
アウラが静かに祈り、防衛部隊にバフをかける。
シェイドは影に溶け込みながら呟く。
「闇より支援します。重力の隙間を縫って」
辺境連合のリヒター総帥が、野太い声で檄を飛ばす。
「盾を構えろ! 我らが崩れれば王都は終わる! テラ様の防御を我らの命で支えるのだ!」
それは、ヒカルが築き上げてきた「六人の調和」を自ら解く命令だった。
姫たちの間に動揺が走る。
「ちょっと待って、夫よ! 私と離れるというの!? 防御チームの女たちに貴方を預けるなんて……!」
レヴィアが悲痛な声を上げる。戦場でヒカルの傍を離れることは、彼女にとって身を引き裂かれるような不安だった。
「ヒカル様……。お傍を離れるのは不安ですが……貴方の命令ならば」
ルーナもまた、光を揺らして躊躇いを見せる。
だが、敵は待ってくれない。
無価値の守護者の拳が、テラの築いた第一防壁を粉砕しようとしていた。
「行けッ!! 俺はここ(中央司令部)で、両方の指揮を執る! レオーネとシエルが繋いでくれる! 離れていても、俺たちの『絆』は繋がっている!」
「承知いたしました、王」
司令部で通信と情報統合を統括するレオーネ皇女が、冷静に、しかし力強く応える。
「両戦線の情報は、私と、後方支援のシエル殿がリアルタイムで統合・解析し、王へ伝達します。一秒の遅滞もなく、王の『目』となりましょう」
ヒカルの叫びとレオーネの確信に満ちた声に、六龍姫たちは覚悟を決めた。
「分かったわ! アクア、セフィラ! あの不気味な仮面野郎をさっさと片付けて、すぐに夫の元へ戻るわよ!」
レヴィアが炎を纏って左翼へ飛ぶ。
「承知しました、主よ。この大地は、一歩たりとも通しません」
テラが巨大な盾を展開し、無価値の守護者の前へと立ちはだかる。
戦場は二つに分断された。
それぞれの戦場で、竜姫たちと人類の将たちが、互いの背中を預け合う死闘が始まろうとしていた。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
おすすめ作品を読み込み中です…
作者の他の作品
この作者の他作品はありません。
この作品と似た作品
似た傾向の作品は見つかりませんでした。
この作品を読んだ人が読んでいる作品
読者の傾向からおすすめできる作品がありませんでした。
おすすめ作品は現在準備中です。
おすすめ作品の取得に失敗しました。時間をおいて再度お試しください。