警視庁本庁の地下に配置された「謁見の間」同様の白い空間。
公安怪異対策課の本拠地である。
ロスヴァイセに「謁見の間」を占拠されたヘルムヴィーゲが警視庁に陣取ったのはそういった背景があった。
吸血鬼の軍勢はロスヴァイセ・グリムゲルデ陣営の死神をある程度数減らすと退いていった。
吸血鬼側はヘルムヴィーゲ陣営が死神の層が厚く手強いことを把握していたため、一定以上の効果が見込めないと判断したのだ。
一人の吸血鬼がそこに寝かされていた。
彼の周囲には血が飛び散っており、白い床を汚している。イライジャと名乗る「血戦派」の吸血鬼である。
彼をヘルムヴィーゲ、ティルヴィング、そしてベルリヒンゲンの代わりの側近として召喚された精鋭の一人、レグネル・ロートブログが見下ろしている。
イライジャの横には赤口を手にした椿響子が屈みこんでいる。
今回の拷問官役である。彼女はヘルムヴィーゲに指示されるがままイライジャを切り刻む。
「何でも言う! 何でも言うから! それだけはやめてくれ! 頼む! お願いします! やめてください!」
対死神の権能である赤口は死神の力を取り込んだ吸血鬼にもよく効く。
特に死神狩りで多くの血を取り込んだイライジャにとってこれに勝る拷問は無かった。
「じゃあ知ってること言え。十秒以内な。できなかったらもう一回斬らせてみようか」
「あれは無数の吸血鬼たちの血液を地面に染み込ませた『ブラッディ・バス』という大魔術で、杭に貫かれた重傷の死神は地面に飲み込まれて吸血鬼に変異しますうがあああ!」
説明の途中で椿に刺され悶絶するイライジャ。
「はい続き。十秒縛りは意味ないわ。話が進まん。死神が吸血鬼に変異してどうなる」
「ハアハア……きゅ、吸血鬼と言っても最下級の意思を持たない生き血啜りで、上級の吸血鬼の兵士となります。それを最前線に立てようというのが元の作戦でした」
ヘルムヴィーゲは納得がいった様子で頷いた。
「杭で死んだ吸血鬼からは血を集めて自軍の強化に回す。そうだろ?」
「はい! はい! その通りです!」
「グリムゲルデの言っていた『死神殺戮領域』というのは?」
彼女は伏せっているグリムゲルデから「死神殺戮領域」という術式の存在を事前に聞いていた。ヘルムヴィーゲも自身の弱体化を感じていたが、ヴァルキリーを倒せるほどのものとは思えなかった。
「死神とヴァルキリーを弱体化させる結界ですう! 今回のように範囲が広くなると効果が軽減されますが、範囲を狭めればヴァルキリーもほぼ無力化できます」
「もういいや。後はこの強化吸血鬼に何が効くか色々と試さないとな」
ヘルムヴィーゲの一言に死を宣告されたような絶望の表情を浮かべるイライジャ。
するとそれまでおとなしかった椿が突然彼の胸倉を掴む。
「吸血鬼にされた死神になったやつを治す方法はあるのか?」
「それは、まず『ブラッディ・バス』を崩すしか……」
「どうやってだ。今の私はヘルムヴィーゲよりも気が短いぞ」
途端に口ごもるイライジャ。
椿は無慈悲に赤口を振り抜く。再び絶叫が響いた。
「おい。こいつまだ隠し事してるぞ」
「ああ? 知能のない吸血鬼にされたなら治すより殺す方が早いわな。お前に任せるが殺すなよ」
ヘルムヴィーゲは配下の術師を呼び寄せ始める。イライジャの耐久度実験の準備だ。
「だそうだ。お前の処遇は私に任された。精々機嫌を損ねないようにしろよ」
「ちがっ……違う! 生き血啜りは『ブラッディ・バス』という術式に従属する関係になる。だから術者を殺せばその支配から脱することはできる……! でも生き血啜りから死神に戻すというのは俺にも……」
「術者の名前は?」
「エリザベート・バートリ。あのピンク髪のふざけた女だ……!」
椿は拳による重い一撃をイライジャの顔面に叩き込むと立ち上がった。
椿はここ百年ほどの自分の中で最も気が立っていることを自覚している。
何度も何度も、目の前で一矢が沈んでいく様子が頭の中で再生される。その度に言いようのない怒りが椿の心を揺さぶる。
「悪いが私は少し別行動を取る。もう赤口の力も必要ないだろう」
「総攻撃の時間になったら転移させるからな、逃げんなよ」
椿は公安怪異対策課を後にする。頼る先は一つしかない。
カグツチの乱での褒章として「ヴァルキリー専属の術師」という身分に召し上げられることに興味を示さず、流行らない闇医者に戻った変わり者の女魔術師。
即ちアオイの元にである。
一方で東京拘置所にて、一矢とマクスウェルは吸血鬼に反乱を起こすと宣言した謎の吸血鬼少女ビアンカと対峙していた。
「で、そのシケた死神はだーれ? その子からは死神吸血鬼の匂いはしないけど」
「本当にこいつと手を組むのかよ。なあ、小僧……? まともじゃねえぞ」
「だからだーれって、言ってるんだけど」
吸血鬼を知っているマクスウェルから見た彼女はより強大に見えるのか、一矢の後ろに隠れながら震えている。
「この人はマクスウェル。吸血鬼狩りの死神だから無事だった……らしい」
「へーえ。興味ない」
吸血鬼狩りと聞いた途端に軽蔑の色を顔に出すビアンカ。
「本当にここは東京拘置所なのか?」
「そうだよ。東京拘置所なーの!」
一矢からの問いかけには笑顔で答えるビアンカ。
「時間がないから移動しながらでいーい?」
そう言いながら彼女はいそいそとヘルメットを被り直し、返事を待たずに部屋を出ようとする。
「んー。この近くにいる『血戦派』の吸血鬼が集まってくると思う」
「嘘だろ!? どうして!?」
思わずそれまで怯えていたビアンカの手を引っ張りマクスウェルが問う。
すかさずビアンカがその手を振り払う。
「そりゃーね。生き血啜り小屋から変な反応が出たから、さ。私の……なんだろ。魂みたいな? ものが似てる感覚もしたし、もしかしたら味方かもーって思って名乗り出て持ち場を離れてきたんだ」
「じゃあ戻ってくる時間が遅いと何があったか疑われるわけだ」
「そういうこっとー」
そうビアンカが軽く言うと同時に、何者かが駆け寄ってくる足音が聞こえてくる。足元は部屋の前で止まる。
「ビアンカ。何かあったのか? 妙な気配もある。一体どうした?」
男の声だった。一矢はその男から自身がビアンカから得たものと近しい力を感じた「血戦派」の幹部だろうか。
「おーシュワルツ。ちょっとわけありでさー。それにこのドア、建て付けが悪いんだ。壊すわけにも行かないし、ちょっと開けてもらっていーい?」
恐る恐るドアが開かれる。長身で黒い長髪の男が立っていた。
シュワルツと呼ばれたその男は一矢の姿を見て警戒する姿勢を取る。だが近くに仲間がいることでどこか油断し、距離を取らなかったことが仇となった。
赤黒い手斧がビアンカの手元へ瞬時に出現。彼女は有無を言わさずシュワルツの顔面に叩きつける。
「ほーら。もう後戻りできないよ」
ビアンカは振り返ると屈託のない笑顔で一矢に告げた。