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第49話 重吾

ー/ー



 今から三百年ほど前、日本が江戸時代と呼ばれる時代区分であった頃。

 寒村の武家にお京と名付けられた娘がいた。

 領地を与えられるほどの家柄ではなかったが、内職をしなければ生活が成り立たないというほどでもない。

 おかげでお京はこれといった苦労をすることもなく育ったが、これといった望みもなく習い事をこなすだけの娘だった。

 お京が十七になると同格の武家の樫村家に嫁ぐこととなった。

 家のためという意識はない。ただそう言われたからである。

 しかしお京が嫁いで一年も経たないうちに樫村の当主となった夫が病により急逝してしまったのだ。

 まだ跡継ぎの生まれていなかった樫村家は、次の当主を親戚から急遽養子として迎え入れることで家の取り潰しだけは回避した。

 そしてお京は生家に返されることになった。

 本来このような場合は養子の後見人として樫村家にいることができる。だが内向的で陰気とも見えるお京は家人に嫌われていたのである。

 お京は嫁いだことも家に戻されることにも不満はなかった。

 が、彼女の家族はそうは思わなかった。苦労して組んだ縁談であった。再婚先を探す手間がかかるからだ。

 樫村家に嫁いで早々に夫が死んだことと、その陰気なまでに内向的な様から彼女を「死神」だとする噂すらあった。

 それ故に再婚先を見つけるのは難航した。

 結局彼女は生家にも嫁ぎ先にも厄介扱いされ、後家として屋敷で何をすることもなく植物のように過ごすことになった。

 お京が十九になった頃、村の水車小屋に流れ者が住み着き始めたという噂が流れ始めた。

 その男は日中は小屋の中で座禅を組むように眠り、夜になるとどこぞへと消える。そして朝になるとまた帰ってくるという。

 お京はその噂にも無関心であった。家中の者でも彼女の心を動かすものはないとすら思われていた。



 騒動があったのはその噂が流れ始めて数日経ってからである。

 お京の家の使用人がその男を逃げてきた罪人だと思い捕まえようとしたのだ。

 瞬く間にその使用人は腕をひねられ小屋から放り出された。

「俺がお前たちに何かしたか?」

「いでえ! おめどこぞの罪人だべ!」

「んだんだ! 小屋勝手さ使うな!」

 水車小屋からゆらりと出てきたのは、髪を剃らずに長髪を結っただけの浪人風の男。

 見た目は若々しいが抜き身の刀のような鋭さがあった。

 細身ではあるが、いとも簡単に使用人を放り出したところから力はあるようだ。

 また腰に履いた刀は一級品に見えたが、風体は対照的にみすぼらしかった。

「三浦さんどごろに来い!」

 三浦とはお京の生家のことである。この一帯は彼女の家が管理をしている地域だった。

 男は先ほどの抵抗とは裏腹に、素直に引き立てられる。

「お屋形様。怪しいやづ連れでぎだ」

「なんだなんだ。厄介事を起こしてきたわけじゃないだろうな」

 使用人が肩を押さえ込んで膝裏を蹴り、男の膝を地面につかせようとするが微動だにしない。

「座ればいいのか」

 そういうと自ら地面にあぐらをかく男。

「こいづ、小屋勝手さ使うやつだ」

「ああ、噂の水車小屋のな。でお前、名は」

椿重吾(つばきじゅうご)

 偶然だった。偶然という言葉はこの瞬間にあるのだろうかと言うほどに。

 騒ぎに釣られたのではない。その男の存在がそうさせたとしか言いようがなかった。

 お京が縁側に出てきたのである。

 そして彼女が重吾を見た瞬間、何故か彼から目を離すことができなかった。

 初めての感覚。

 そして重吾がその視線に気付き、お京に視線を向けると思わず目を背けてしまう。何故そうしているのか自分でもわからないまま。

「椿? どこの家のもんだ?」

「別にどこのもんでもない。そう長くはいない。迷惑をかける気もないが、駄目だろうか」

「浪人か。用が済んだらさっさと失せろよ」

 頷いて立ち上がると屋敷を去っていく重吾。お京はその背中から目を離すことができなかった。



 お京はその夜眠ることができなかった。

 昼間見かけた椿重吾という男。その男の姿が忘れられないのだ。

 彼女は昔、家で飼っていた犬のことを思い出していた。男がその犬と似ていたとか、そういう理由ではない。

 寿命で死んだその犬が死に際に纏っていた雰囲気。

 それを椿重吾という男から感じたのだ。犬の死はお京が生涯で興味を持った数少ないものの一つだった。

 犬が死ぬ直前の数日間はお京が付きっ切りで看病という名の観察をしていた。

 家人も何事にも関心のないお京にも情があると安堵したものだ。

 お京は犬が心配だったのではない。その犬に迫る死に惹かれていたのだ。

 思い立ったお京は寝床から起き上がると、寝間着のまま家を飛び出した。水車小屋へ、男のいる場所へ。

 走った。夢中で走った。自分が何に焦がれているのか知らないまま。

 水車小屋に男はいなかった。だがお京は待った。

 男が戻ってきたのは日が昇る頃だった。重吾の顔には返り血のようなものが付いている。

「お前は屋敷にいた娘か」

「あなたは人をお斬りになるのですか」

 答えずにお京は目を輝かせて質問を返す。

「場合によってはな。だが俺の専門は(あやかし)だ」

「妖を殺すのですか」

 重吾の言葉を疑うこともなく、お京が再び問うた。

「そうだ。……お前は死に興味があるのか?」

「わかりません。でもあなたを見ると、飼っていた犬が死んだときのような胸が潰されそうな気持ちになるのです。そして……不思議とそれが嫌ではないのです」

「俺は犬か。だがお前が俺に死の気配を感じる理由ならわかる。それは俺が死神だからだ」

 苦笑しながら男が答える。

 死神。お京はその真意を測りかねていた。

「開げろ! 開げろ!」

 村の者の声がする。家人が姿を消したお京に気付き、真っ先に重吾が疑われたのだ。

「お前をやつらに引き渡す。それでいいな?」

「あなたに付いていきたいと言ったらどうなりますか」

「それは契約か?」

 重吾はお京の顔を覗き込むようにいった。

 その視線を受けているとお京は耐えられないような、もっとそうしていて欲しいような初めての感覚に襲われる。

「契約したら、どうなるのです」

「連れて行ってやる。それだけだ」

「ではそうしてください」

 お京は人生で初めて「何かを決断する」ということをした。

 重吾が水車小屋の扉を蹴破ると、農具を持った男衆が小屋を囲んでいる。そしてその包囲網の奥に刀を抜いたお京の父がいた。

「斬るか?」

 お京が答えられないでいると、重吾はそれを否定だと解釈した。

 突き出される農具を返す刀で切り落とし、峰打ちで殴り倒していく。瞬く間に包囲網は崩れ、男たちは逃げていった。

「貴様、何のつもりだ! 娘をさらってどうする!?」

「頼まれたからな」

 鎧袖一触。とでも言うべきか、お京の父が斬りかかった瞬間には重吾は彼の背後に立ち鋭い手刀を首に浴びせ昏倒させる。

「終わったぞ」

 座り込むお京に手を差し伸べる重吾。

「本当に、いいのですか」

 お京は初めてした「決断」のもたらした結果に驚き、一瞬躊躇してしまう。

「俺は契約を守る死神だ。お前から契約の破棄がない限りは連れ回してやる」

 恐る恐るお京は差し出された手を取った。そして二人は当てのない旅を始めるのだった。


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 今から三百年ほど前、日本が江戸時代と呼ばれる時代区分であった頃。
 寒村の武家にお京と名付けられた娘がいた。
 領地を与えられるほどの家柄ではなかったが、内職をしなければ生活が成り立たないというほどでもない。
 おかげでお京はこれといった苦労をすることもなく育ったが、これといった望みもなく習い事をこなすだけの娘だった。
 お京が十七になると同格の武家の樫村家に嫁ぐこととなった。
 家のためという意識はない。ただそう言われたからである。
 しかしお京が嫁いで一年も経たないうちに樫村の当主となった夫が病により急逝してしまったのだ。
 まだ跡継ぎの生まれていなかった樫村家は、次の当主を親戚から急遽養子として迎え入れることで家の取り潰しだけは回避した。
 そしてお京は生家に返されることになった。
 本来このような場合は養子の後見人として樫村家にいることができる。だが内向的で陰気とも見えるお京は家人に嫌われていたのである。
 お京は嫁いだことも家に戻されることにも不満はなかった。
 が、彼女の家族はそうは思わなかった。苦労して組んだ縁談であった。再婚先を探す手間がかかるからだ。
 樫村家に嫁いで早々に夫が死んだことと、その陰気なまでに内向的な様から彼女を「死神」だとする噂すらあった。
 それ故に再婚先を見つけるのは難航した。
 結局彼女は生家にも嫁ぎ先にも厄介扱いされ、後家として屋敷で何をすることもなく植物のように過ごすことになった。
 お京が十九になった頃、村の水車小屋に流れ者が住み着き始めたという噂が流れ始めた。
 その男は日中は小屋の中で座禅を組むように眠り、夜になるとどこぞへと消える。そして朝になるとまた帰ってくるという。
 お京はその噂にも無関心であった。家中の者でも彼女の心を動かすものはないとすら思われていた。
 騒動があったのはその噂が流れ始めて数日経ってからである。
 お京の家の使用人がその男を逃げてきた罪人だと思い捕まえようとしたのだ。
 瞬く間にその使用人は腕をひねられ小屋から放り出された。
「俺がお前たちに何かしたか?」
「いでえ! おめどこぞの罪人だべ!」
「んだんだ! 小屋勝手さ使うな!」
 水車小屋からゆらりと出てきたのは、髪を剃らずに長髪を結っただけの浪人風の男。
 見た目は若々しいが抜き身の刀のような鋭さがあった。
 細身ではあるが、いとも簡単に使用人を放り出したところから力はあるようだ。
 また腰に履いた刀は一級品に見えたが、風体は対照的にみすぼらしかった。
「三浦さんどごろに来い!」
 三浦とはお京の生家のことである。この一帯は彼女の家が管理をしている地域だった。
 男は先ほどの抵抗とは裏腹に、素直に引き立てられる。
「お屋形様。怪しいやづ連れでぎだ」
「なんだなんだ。厄介事を起こしてきたわけじゃないだろうな」
 使用人が肩を押さえ込んで膝裏を蹴り、男の膝を地面につかせようとするが微動だにしない。
「座ればいいのか」
 そういうと自ら地面にあぐらをかく男。
「こいづ、小屋勝手さ使うやつだ」
「ああ、噂の水車小屋のな。でお前、名は」
「|椿重吾《つばきじゅうご》」
 偶然だった。偶然という言葉はこの瞬間にあるのだろうかと言うほどに。
 騒ぎに釣られたのではない。その男の存在がそうさせたとしか言いようがなかった。
 お京が縁側に出てきたのである。
 そして彼女が重吾を見た瞬間、何故か彼から目を離すことができなかった。
 初めての感覚。
 そして重吾がその視線に気付き、お京に視線を向けると思わず目を背けてしまう。何故そうしているのか自分でもわからないまま。
「椿? どこの家のもんだ?」
「別にどこのもんでもない。そう長くはいない。迷惑をかける気もないが、駄目だろうか」
「浪人か。用が済んだらさっさと失せろよ」
 頷いて立ち上がると屋敷を去っていく重吾。お京はその背中から目を離すことができなかった。
 お京はその夜眠ることができなかった。
 昼間見かけた椿重吾という男。その男の姿が忘れられないのだ。
 彼女は昔、家で飼っていた犬のことを思い出していた。男がその犬と似ていたとか、そういう理由ではない。
 寿命で死んだその犬が死に際に纏っていた雰囲気。
 それを椿重吾という男から感じたのだ。犬の死はお京が生涯で興味を持った数少ないものの一つだった。
 犬が死ぬ直前の数日間はお京が付きっ切りで看病という名の観察をしていた。
 家人も何事にも関心のないお京にも情があると安堵したものだ。
 お京は犬が心配だったのではない。その犬に迫る死に惹かれていたのだ。
 思い立ったお京は寝床から起き上がると、寝間着のまま家を飛び出した。水車小屋へ、男のいる場所へ。
 走った。夢中で走った。自分が何に焦がれているのか知らないまま。
 水車小屋に男はいなかった。だがお京は待った。
 男が戻ってきたのは日が昇る頃だった。重吾の顔には返り血のようなものが付いている。
「お前は屋敷にいた娘か」
「あなたは人をお斬りになるのですか」
 答えずにお京は目を輝かせて質問を返す。
「場合によってはな。だが俺の専門は|妖《あやかし》だ」
「妖を殺すのですか」
 重吾の言葉を疑うこともなく、お京が再び問うた。
「そうだ。……お前は死に興味があるのか?」
「わかりません。でもあなたを見ると、飼っていた犬が死んだときのような胸が潰されそうな気持ちになるのです。そして……不思議とそれが嫌ではないのです」
「俺は犬か。だがお前が俺に死の気配を感じる理由ならわかる。それは俺が死神だからだ」
 苦笑しながら男が答える。
 死神。お京はその真意を測りかねていた。
「開げろ! 開げろ!」
 村の者の声がする。家人が姿を消したお京に気付き、真っ先に重吾が疑われたのだ。
「お前をやつらに引き渡す。それでいいな?」
「あなたに付いていきたいと言ったらどうなりますか」
「それは契約か?」
 重吾はお京の顔を覗き込むようにいった。
 その視線を受けているとお京は耐えられないような、もっとそうしていて欲しいような初めての感覚に襲われる。
「契約したら、どうなるのです」
「連れて行ってやる。それだけだ」
「ではそうしてください」
 お京は人生で初めて「何かを決断する」ということをした。
 重吾が水車小屋の扉を蹴破ると、農具を持った男衆が小屋を囲んでいる。そしてその包囲網の奥に刀を抜いたお京の父がいた。
「斬るか?」
 お京が答えられないでいると、重吾はそれを否定だと解釈した。
 突き出される農具を返す刀で切り落とし、峰打ちで殴り倒していく。瞬く間に包囲網は崩れ、男たちは逃げていった。
「貴様、何のつもりだ! 娘をさらってどうする!?」
「頼まれたからな」
 鎧袖一触。とでも言うべきか、お京の父が斬りかかった瞬間には重吾は彼の背後に立ち鋭い手刀を首に浴びせ昏倒させる。
「終わったぞ」
 座り込むお京に手を差し伸べる重吾。
「本当に、いいのですか」
 お京は初めてした「決断」のもたらした結果に驚き、一瞬躊躇してしまう。
「俺は契約を守る死神だ。お前から契約の破棄がない限りは連れ回してやる」
 恐る恐るお京は差し出された手を取った。そして二人は当てのない旅を始めるのだった。