重吾がお京を村から連れ出してから六年ほどの月日が経った。
二人は今、京の都にいる。
流浪の末にこの都市へ移住したのは、江戸のように生活ぶりが周囲に筒抜けにならない場所だと考えたからだ。
一定以上の数の人間が密集するとその欲や怨念から妖が自然発生する。
妖を狩る死神である重吾にとっては過ごしやすい場所であった。
そして住処となる屋敷も、二年ほど前に偶然妖からその身を助けた豪商・善右衛門によって二人で暮らすには十分な広さのものが貸し出されていた。
二人は表向き夫婦として振る舞っていたが、実のところ互いに手を握り合うだけで満たされる関係だった。
お京にとって、かつて武家へ嫁として嫁いだときとは全く違った感覚がした。
それは「契約」を結んだ際のどこかくすぐったいような感じがいつまでも続いているような。
お京は積極的に家事炊事に取り組んだが、それまで武家の娘として習い事ばかりしていたので要領が悪く、いつも重吾が途中から手を出すはめになった。
重吾に長い間付き添うことで、かつて生きる目的のない人形だったお京は、見違えるように色々なものに反応を見せるようになった。
お京が死に惹かれていた理由は本人にもよくわからないらしい。
二人の暮らしは死神として長い間荒んだ生活を送っていた重吾にとっても悪いものではなかった。
だが、その生活も長くは続かなかった。
ある夜、いつも通りに妖を狩りに行く重吾を見送ってお京は床についた。
毎日考えることは一つだ。「どうしてあの犬の死に惹かれたのか」ということ。あの犬は番犬として役目を全うしたはずだった。
なのに何故当時その死に見入ったのか。今でもそれはわからない。
その日、お京は中々寝付けなかった。
すると突然、襖を突き破る音と共に何かが屋敷に飛び込んできた。
重吾に持たされていた護身用の匕首を片手に持つと、恐る恐る音の発生源に近寄っていく。
倒れていたのは重吾だった。胸に深い傷があり出血が激しい。
お京は匕首を取り落としてしまう。
「しくじった。善右衛門は妖の一派だった。妖の家を借りていたとはな。ざまあない」
「どうしたというのです。どうしてこんな……!」
お京には止血の仕方がわからない。手で血を止めようとするが溢れる血がその手を汚すだけだ。
「いいか、お前は逃げろ。俺は奴から情報を得て人に成りすました妖を討っていた。が、それは奴に敵対している妖だったんだ。最初からやつの自作自演だった……お前は逃げろ」
「教えてください。どうすれば二人で助かることができますか……?」
お京は血に濡れた手で重吾の手を掴み問う。
「そんな方法はない。だが、逃げる前に一つだけ頼まれてくれないか」
「なんでもします! だから一緒に逃げましょう!」
「あんなクズに殺されるのは癪だ。だが、お前になら殺されてもいいと思ってる」
重吾の言葉にお京は唖然とした。
「嫌です。私に、私にあなたを殺せるとお思いですか?」
お京は血塗れの重吾にすがりつき、泣き叫んだ。
「でもそうしないと俺は犬死だ。赤口を持て」
その厳しい口調とは裏腹に重吾は微笑んで見せる。
そして護身用の匕首「赤口」を指差す重吾。その指は震えている。
「死神として数百年生きたが、この契約期間が生きてきて一番楽しかった。救われたと思った。散々殺して来たんだ。俺の番が来ただけだが、死に方は選ばせてくれないか」
この瞬間、何故お京が死に惹かれたのかがわかった。
あの番犬は番犬としての役目を終えたからだ。生涯かけた役目を終えて完成したのだ。
お京が最初、重吾の放つ死の気配に惹かれたのは、武家の女として役目を終えた自分を殺してもらうことで完成した存在になりたかったのだ。
そして今、重吾はお京に殺されることで完成しようとしているのだ。
少なくとも彼女はそう考えた。
お京は血塗れの手で赤口を鞘から抜き、震える手で赤口を重吾の胸にかざす。が狙いが定まらない。
その刃を重吾の手が優しく心臓の位置へと導く。
「人間の言葉を借りれば、『愛している』と言うべきなんだろうな。お京」
「私も……お慕い申しております。重吾さま」
彼女は全身全霊を込めて刃を重吾の心臓に突き立てた。
重吾の手がお京の涙を拭おうとするが、届く前に彼は灰になった。
そしてお京はその瞬間、死神狩りの死神として転生したのだ。
そして重吾を殺した赤口は彼女に取り込まれ、死神としての能力。いわゆる「権能」となった。
重吾の愛刀「空亡」を持って、彼女は屋敷を出た。
京都の豪商・善右衛門という人物がいた記録はその日で途絶えている。
重吾と相討ちになったのか、死神に転生したばかりのお京が復讐を遂げたのかは定かではない。
そして三百年ほど彼女は死神を狩った、狩った、狩り続けた。
そこに安寧はない。彼女の生における安寧の時間はあの契約で使い切ったのだと自身に言い聞かせながら。
そして大戦のごたごたに乗じて戸籍を作り変えた。「椿響子」と。
だが最近、彼女の人生に新たな人物が土足で上がり込んできた。
その男は危なっかしく、弱い。重吾とは正反対の男だ。
それに勝手に椿の赤口を使う。だが、何故かそれを許せてしまう不思議な男だった。
なのでロスヴァイセがその男「天ケ瀬一矢」を決闘に出してくると勘付いた時、ヘルムヴィーゲに軍の代表者として出場することを打診した。
『アマガセの癖は全部知っている』と。
天ケ瀬一矢はここで「完成」すべき男ではない。なので殺すつもりはなかったが、負けた上に深手まで負わせてしまった。
「いつも師匠面しておいて情けない限りだ」
昏倒していた椿は目を覚ますとぼそりとそれだけ言うのだった。