匕首の形をした椿の権能、赤口を手にした椿は瞬く間に一矢の間合いに踏み込んでくる。
鋭く切り込んだ匕首の一撃を、刀のリーチを活かすこともできず鍔で受け止める一矢。
(一撃が重い! 霊力による身体強化も重ねてるのか!?)
しかし赤口を顕現させながらの身体強化となれば霊力の消費も大きいはずと一矢は考えた。
ならばその霊力の揺らいだ瞬間を狙う思考に切り替えていく。
椿の猛攻は続く。一矢も身体強化で赤口を押し返そうとするが間に合わない。
身体に霊力が巡った頃には体勢が崩れ、膝が曲がる。
「霊力の巡りが遅すぎる。身体強化は瞬発力が重要だと教えたはずだが」
一矢が力強く押し返し、赤口を弾こうとする。
だが弾かれる直前に既に椿は左手をその短刀から離していた。
同時に一矢の右脇にねじ込まれる強烈なボディブロー。
一矢は完全にバランスを崩し、横合いに吹き飛ぶ。アスファルト上を転がる一矢。
彼女が攻撃をボディブローに移行する瞬間、赤口が空亡を押さえつける力が確かに弱くなった。
それをチャンスだと考えた一矢の判断ミスである。
「霊力の集中部位が変わったのに気付かなかったか? なら一から叩き直すつもりでやるぞ」
椿は赤口がわざと弾かれるように右手の霊力を弱め、その力を左拳に流したのだ。
一矢のミスは始めから誘われていた。
(クソ……痛い。アバラが逝ったってやつだよな、これ!)
一矢は痛みから肋骨が折れたことを認識する。
あえて一矢は傷を庇わない。椿に弱みを見せたくなかった。それだけの考えだった。
立ち上がろうとする一矢の顔すれすれを椿の蹴りがかすめる。
だが間一髪で攻撃を回避したはずなのに顔を抉られたような痛みが一矢を襲う。
慌てて後ずさりながら顔に手を当て確認する一矢。
軽く出血してはいるが、何故あれだけの痛みがあったのか理解が追いつかない。
一歩ずつ近づいてくる椿のハイヒールの爪先から薄い刃が伸びていた。赤口と同じ色のものだ。
その瞬間一矢は赤口の性質を思い出した。
「相手のことを知れば知るほど、理解するほどその威力が増す。忘れていたわけではないよな?」
共に行動してきたことで椿は一矢のことを深く理解していた。言動、思考、癖……その多くを。
「知ってますよ。でも赤口を手以外から出すなんて聞いてないですしね」
「言ってないからな」
椿が爪先の赤口を引っ込める。
一矢は当初の考えを捨てる。椿は霊力任せの短期決戦を仕掛けてきているのではない。
瞬間的な強化部位の変更。そして匕首型ではない低出力の赤口を交えての攻撃。
彼女は徹底的に霊力を消費せずに戦おうとしているのだ。考えられるのは二つ。
長期戦を覚悟しているのか。
単に舐められているのか。
一矢が顔の血を拭い立ち上がる。借り受けられる権能は椿の赤口のみ。
それ以外の死神は結界の外にいる。
(銃は使えない。狙ってる暇がない。つまり……)
赤口を上手く利用しない限り一矢に勝機はない。
「赤口改・八嶽卒神」
一矢は椿の権能を借り受け、空亡そのものを赤口に塗り替える。
赤口そのものを顕現させるのではなく、一矢は霊力を持った武器にさらに赤口の力を上乗せすることを「赤口改」と定義していた。
先ほど不意打ちは食らったが、基本的に椿は匕首以外の武器で赤口を顕現させることはない。
同じ性能を持つ武器同士で打ち合うのであれば、当然リーチのある一矢の空亡の方が有利である。
霊力の消費は大きいが身体強化も施して短期決戦を狙う一矢。
短期戦に付き合わせて椿の霊力を引きずり出そうという魂胆である。
かつて椿による修行に励んでいた頃に、妖魔であるつぐみに「潜在的な霊力だけなら一矢の方が上」と一度だけ言われたことがあった。
今はその言葉を信じて突き進むしかない。
一矢は先手必勝とばかりに赤口改を振りかぶって椿に斬りかかる。
素人同然の隙だらけの構え。椿は勢いをつけた右回し蹴りで一矢の手を打つ。太刀筋がずれ、椿の左に振り下ろされた。
赤口改を外し、下を向いた一矢の視界に容赦ない膝蹴りが飛び込んでくる。
避けようとするが右手で頭を抱え込まれ膝が直撃する。
だが赤口改を捨てた手がその脚を掴んだ。
椿の太ももにおもちゃのようなバタフライナイフが突き刺さる。
ただのナイフではない。赤黒く変色した第二の赤口である。
隙だらけの最初の一振り。それは一矢の罠だった。
霊力が尽きるまで不出来な弟子を装って何度でも挑戦するつもりだったが、運良く最初のチャンスをものにすることができた。
椿が膝から崩れ落ちる。彼女は赤口の威力を自ら思い知ることになった。
手にした赤口は点滅するように消える。
彼女は太ももに突き刺さったナイフを抜くことすら叶わず痛みに打ち震えている。
「椿さん。負けを認めてください。俺はこれ以上は望みません」
椿の両肩を掴んで揺さぶりながら一矢が声をかける。
「あなたの負けです」
次の瞬間。
一矢の胸を椿の赤口が貫いていた。
心臓こそ狙っていないが、赤口による激痛で動くことは叶わないだろう。
「お前は私の三百年の何も理解できていない。そんな赤口が効くか。お前の負けだ」
椿は一矢の行動に憤りを感じていた。それ故、反射的に赤口を突き刺してしまったのだ。
椿が死神になるきっかけでもある赤口。
何よりも思い入れのあるそれを使っておきながら、あまりに粗末な策を講じてきたことが許せなかった。
「……い、いえ。あな、たのまけ……です」
椿の両肩を掴む一矢の手の力が強まる。
一矢は全ての霊力を両手に回している。椿は一矢の執念に驚きながらも彼が自身に勝つ手段がないことを再認識し、勝利を確信した。
「何故だ? ここからどうやって私が負ける?」
「こう……やって」
激痛に悶える一矢の全力の頭突きが椿に叩き込まれた。想定外の攻撃に対処できず直撃を受けた椿はその場で倒れる。
彼は椿への赤口が想定以上に効いている不自然さに気付いていた。一矢は彼女の言う通り三百年間のことなど何一つ知らないのだ。
彼女が一矢に下している評価を自分自身が一番理解していたから気付けた。
一矢が「人間の情を捨て切れていない甘ったれの死神」だということを。
そしてその一矢に対して情に訴える手を使い、戦意喪失した振りをして隙を作らせたことに。
権能以外の特殊能力を持たないという点では同類の二人だったが、実力差では椿が圧倒的に優位だった。
だが胸を貫かれても戦い続ける闘志を見せた一矢と、勝ちを確信した瞬間に隙を見せた椿。
覚悟の違いが勝敗を分けた。
勝者である一矢は息も絶え絶えに立ち上がり、胸から血を流しながら宣言した。
「この勝負、ロスヴァイセ・グリムゲルデ軍。天ケ瀬一矢が勝利した!」