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2 走る鳥

ー/ー



 竜駝(ティンタム)を囲う柵は頑丈で高さも必要なため、羊の柵を作るよりも手間も費用もかかる。

 そこで、天幕(テント)の周囲にある砂漠の岩場を活用し、黄土色の岩と岩の間を塞ぐように柵を作り、小さな囲いとしていた。砂漠と言っても、この辺りは乾いた固い土漠だった。

 若いドニは狭い囲いの中をグルグルと歩き回り、嘴(くちばし)で土を掘っていた。年寄りのバニは岩の影に(うずくま)って羽毛に長い首を埋め、灰色の丸い塊となっていた。キリクの家族が所有する竜駝(ティンタム)は、この二頭だけだ。

 朝食が終わると、男たちは羊の群れを草場へ連れて行き、女たちと子供たちは家事に取り掛かる。手持ち無沙汰なシャールは、天幕(テント)の周りを散策するぐらいしかやることがない。もの珍しいのも最初だけで、次第に竜駝(ティンタム)を眺めて時間を潰すようになった。

 ドニとバニの見分け方は、ナディヤに教わっていた。嘴(くちばし)が緋色なのがドニで、朱色に近いのがバニ。竜駝(ティンタム)は年を取ると(くちばし)の色が薄くなるそうだ。

 東の空に太陽が昇りきって顔に暑さを感じる頃、そろそろ天幕(テント)に戻ろうかと考えていたシャールの方へ、ドニがゆっくりと近づいてくる。鳥の目は無表情で、何を考えているかわからない。

 ウグルゲッ!

 ドニが鳴いた。あの夜は一度も鳴かなかったが、口輪を()めていると鳴けないそうだ。

「何やってんだい!」

 後ろから腕を引っ張られ、シャールは二、三歩後じさった。

 まだまだ離れていると思ったのに、ドニの大きな顔が膨れ上がるように近づき、柵を超えてシャールの目の前に迫っていた。先の曲がった(くちばし)が、ガチガチと()み合って硬い音を立てている。

「馬鹿だね、顔を食われるところだったよ。口輪を外してあるのが見えるだろ」

 呆然としているシャールに、やや太った中年の女があきれ顔で言った。

 ギルヒバはキリクやナディヤの母親だが、全く似ていない。顎が張った顔に大きな口と鼻、目は小さい。小さいが眼差しは強い。目元にくっきり濃い青の(くま)取りをしていた。体型は、肩や胸より腹や腰が太い下膨れだった。幼い頃の教育係を思い出させ、最初に会った時から、シャールは彼女が苦手だった。

「暇なら、あの子たちに餌をやっといておくれ」

 ギルヒバは運んできた木桶を、シャールの足元に置いた。中には死んだネズミが、どっさり入っていた。

(餌を運んできたから、ドニが寄ってきたんじゃないの?)

 と思ったが、口答えは止めておいた。

 しばらくシャリマ(シャール)を住まわせたい、とキリクが言った時のギルヒバの騒ぎようときたら!

 「ウチにはそんな余裕はない」「素性の知れない女なんか怖くて預かれない」「まさかこの女と結婚する気じゃないだろうね」と散々(わめ)き散らした。

 キリクとアシュタルテが王宮に侵入したことは、ナディヤ以外には秘密らしい。シャリマ(シャール)とはサルームの繁華街で出会い、追手から助けたことになっている。

 嫌いな大臣の(めかけ)にさせられそうになったので逃げてきた、と嘘を告げ、シャールは滞在費として金鎖の首飾りを渡した。普段なら威厳を以て言い負かすところだが、その夜は疲れ切っており、一刻も早く休みたかった。

「何だい、金の問題じゃないよ!」

 と言ったが、ギルヒバはそれで大人しくなった。




 シャールがキリクの家族の天幕(テント)に滞在するようになって十日経つ。一応客人待遇なので家事をすることはなかったが、退屈そうにしているとギルヒバに雑用を頼まれた。不快な仕事もあったが、断るとギルヒバが口うるさい。身分を明かすわけにもいかず、好奇心もあり、なるべく引き受けるようにしている。

 ギルヒバの夫はヤザンという無口な男で、その下に、サリマ、キリク、ナディヤ、末の八歳の双子ハキムとマリヤムの兄弟姉妹がいる。事情はわからないが、本当の兄弟姉妹ではないようだ。サリマが二十歳、キリクが十九歳、ナディヤは十四歳だそうだ。サリマは仕事で遠出をしているとのことで、ここにはいない。予言者であっても、普段は普通の暮らしをしているらしい。

 鼻削ぎか耳削ぎの刑に処したはずのサリマのことが気になったが、処刑の前にアシュタルテが助け出したそうだ。罪人を奪われるなど本来あってはならないことだが、シャールの耳には届いていなかった。結果的にはそれで良かったのだが、国の在り方としては情けなく思える。

 ギルヒバが立ち去ると、シャールは木桶の中を(のぞ)き込んだ。二十匹はいる。これらは、末の双子が早朝に近くの市場で捕まえてきたものだ。素早いネズミを子供たちがどうやって捕まえたのか、シャールは気になった。

 木桶の中のネズミを(つか)、蹲(うずくま)ったバニの方へ投げた。しかし、横から割り込んだドニが先に(くわ)えてしまう。

(む、これではバニが食べられないではないか)

 シャールは木桶を持って、できるだけバニに近い位置まで柵を回り込んだ。
 しかしシャールの動きに合わせ、ドニも柵に沿って付いて来る。

 ウゲルグッ!

 シャールとバニの間に立ちはだかり、ドニが威嚇するように鳴いた。ムッとしたシャールは、ドニの顔めがけて思い切りネズミを投げつけた。

 かなり近くから投げたのだが、ドニは難なくネズミを捉える。

 しばし考えた後、遠くの方へ山なりにネズミを投げた。

 ドニがそれを追いかけていく間に、急いでバニにネズミを投げる。今度はバニも食べられた。

 ドニが、役に立たない小さな翼をバタバタさせながら、駆け戻ってくる。遠くに投げたネズミは反対側の柵の外まで飛んだので、食べられなかったのだ。

 同じことを三度繰り返すと、ドニは毎回引っ掛かった。そのたびに怒りながら駆け戻ってくる。無表情だが、怒っていることは何となく伝わってきた。

 シャールがニヤニヤしていると、

「シャリマさん、ドニに嫌われたわ」

 隣から声がして、すっと笑いを引っ込めた。

 ナディヤが、柵から身を乗り出す。

「危ない!」

 シャールは叫んだが、ナディヤはドニの首を撫でながら、嘴(くちばし)に直接ネズミを押し込んだ。

 ドニの顔に視線を据えたまま、ナディヤは横顔に笑みを浮かべた。

「大丈夫ですよ。ドニもバニも、わたしが育てたようなものだから。油断はダメですけど」

 明るい場所で見ると、歳よりも大人びて見える。ナディヤの青灰色の目は大きくはないが、化粧をすれば引き立ちそうだ。よく()かれた麦藁色の長い髪を後ろでまとめている。着ているのは地味な薄茶色のチャフィーブだが、髪留めだけは柘榴石(ガーネット)に真鍮の縁飾りを施した質の良さそうなものだった。

 シャールが今着ている同色のチャフィーブは、ナディヤから借りたものだ。王宮を出た時に身に着けていた薄紅色の絹のチャフィーブは、あまりに高級で目立つと言われ、ギルヒバに預けてある。

「シャリマさんは近付き過ぎちゃだめですよ、顔を食われます。特にドニには」

 ナディヤが手招きをすると、驚いたことにバニが岩陰から抜け出して、こちらに歩いてくる。ドニと同じように、ナディヤの手ずからネズミをもらう。

「ナディヤ、餌やりを手伝いに来てくれたのか?」

「それもあります。竜駝(ティンタム)は危険ですから、母がシャリマさんに餌やりを頼んだと聞いて驚きました」

 言葉使いや仕草、気遣いなど、ナディヤはまるで大人のようだ。母親よりも余程品が良い。

「走る鳥とは、不思議な生き物じゃな。翼があるのに飛べないとは」

 ナディヤの餌やりを眺めながら、シャールは言った。

「でも役には立ってますよ」

 手を止めずにナディヤが答える。

「何の役に?」

 餌やりを終えたナディヤは、魔法のように両手を素早く動かし、あっという間に竜駝(ティンタム)たちに口輪を()めた。

「ここを掻くと気持ちいいみたい」

 ドニの首を抱き寄せ、小さな翼の裏に手を差し込んだ。ドニが目を閉じて、ゲルゲルと喉を鳴らす。

「シャリマさん、竜駝(ティンタム)に乗ってみませんか?」

「ここに来る時に乗ったよ」

「そうじゃなくて、一人で」

「竜駝(ティンタム)遊牧の民(ワラフ)しか操れないと聞いたぞ?」

 シャールは驚きを隠し、落ち着いた声で話した。動揺を見せるのは国王らしくない、とジャーフィルに散々言われて身に付けた振る舞いだった。

「そんなことはないと思います。たぶん駱駝(らくだ)の方が安くて安全で便利だから、街の人は乗ろうと思わないだけでしょう」

 遊牧の民(ワラフ)は傭兵の仕事のために竜駝(ティンタム)を飼う。戦争がない時でも、砂漠を渡る隊商(キャラバン)を狙う盗賊は多く、護衛の仕事は危険だが報酬は良い。盗賊も竜駝(ティンタム)に乗っており、その多くが元は遊牧の民(ワラフ)だという。盗賊を引退して遊牧の民(ワラフ)に戻る者もいるそうだ。

 サルームの街の民と遊牧の民(ワラフ)の間には、見えない壁がある。街の民は遊牧の民(ワラフ)を少し恐れ、少し羨ましく思っている。なぜなら街の民の先祖も遊牧の民(ワラフ)であり、自由な砂漠の暮らしに憧れがあるのだ。反対に遊牧の民(ワラフ)は街の民を少し軽蔑し、豊かな暮らしを少し羨ましく思っている。

「父に頼まれたんです。シャリマさんが退屈しているから、時間がある時に相手をしてやってくれって」

 そう言って、ふふっと笑った。大人のような受け答えをするナディヤが、この瞬間は年相応の少女に見えた。

「失礼ですよね、わたしみたいな子供が相手をするだなんて」

 シャールは意外に思った。あの無口な父親がそんなことを言うなんて。

「確かに退屈しているし、竜駝(ティンタム)に乗れれば、この先役立つこともあるかもしれない。わたしには有難い話だが、ナディヤは大丈夫なのか? 家の仕事があるだろう?」

「ええ、だからシャリマさんはわたしの仕事を手伝って、わたしの時間を作ってください」

「できるかな、わたしに……?」

 シャールはこれまでギルヒバに頼まれて失敗した雑用の数々を思い出した。役立たずな自分が情けないとは思うが、高貴な生まれのせいだと諦めていた。

「大丈夫ですよ! 力仕事も沢山ありますから!」

 明るく励ますように、ナディヤが言った。



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 竜駝《ティンタム》を囲う柵は頑丈で高さも必要なため、羊の柵を作るよりも手間も費用もかかる。
 そこで、天幕《テント》の周囲にある砂漠の岩場を活用し、黄土色の岩と岩の間を塞ぐように柵を作り、小さな囲いとしていた。砂漠と言っても、この辺りは乾いた固い土漠だった。
 若いドニは狭い囲いの中をグルグルと歩き回り、嘴《くちばし》で土を掘っていた。年寄りのバニは岩の影に蹲《うずくま》って羽毛に長い首を埋め、灰色の丸い塊となっていた。キリクの家族が所有する竜駝《ティンタム》は、この二頭だけだ。
 朝食が終わると、男たちは羊の群れを草場へ連れて行き、女たちと子供たちは家事に取り掛かる。手持ち無沙汰なシャールは、天幕《テント》の周りを散策するぐらいしかやることがない。もの珍しいのも最初だけで、次第に竜駝《ティンタム》を眺めて時間を潰すようになった。
 ドニとバニの見分け方は、ナディヤに教わっていた。嘴《くちばし》が緋色なのがドニで、朱色に近いのがバニ。竜駝《ティンタム》は年を取ると嘴《くちばし》の色が薄くなるそうだ。
 東の空に太陽が昇りきって顔に暑さを感じる頃、そろそろ天幕《テント》に戻ろうかと考えていたシャールの方へ、ドニがゆっくりと近づいてくる。鳥の目は無表情で、何を考えているかわからない。
 ウグルゲッ!
 ドニが鳴いた。あの夜は一度も鳴かなかったが、口輪を嵌《は》めていると鳴けないそうだ。
「何やってんだい!」
 後ろから腕を引っ張られ、シャールは二、三歩後じさった。
 まだまだ離れていると思ったのに、ドニの大きな顔が膨れ上がるように近づき、柵を超えてシャールの目の前に迫っていた。先の曲がった嘴《くちばし》が、ガチガチと噛《か》み合って硬い音を立てている。
「馬鹿だね、顔を食われるところだったよ。口輪を外してあるのが見えるだろ」
 呆然としているシャールに、やや太った中年の女があきれ顔で言った。
 ギルヒバはキリクやナディヤの母親だが、全く似ていない。顎が張った顔に大きな口と鼻、目は小さい。小さいが眼差しは強い。目元にくっきり濃い青の隈《くま》取りをしていた。体型は、肩や胸より腹や腰が太い下膨れだった。幼い頃の教育係を思い出させ、最初に会った時から、シャールは彼女が苦手だった。
「暇なら、あの子たちに餌をやっといておくれ」
 ギルヒバは運んできた木桶を、シャールの足元に置いた。中には死んだネズミが、どっさり入っていた。
(餌を運んできたから、ドニが寄ってきたんじゃないの?)
 と思ったが、口答えは止めておいた。
 しばらくシャリマ(シャール)を住まわせたい、とキリクが言った時のギルヒバの騒ぎようときたら!
 「ウチにはそんな余裕はない」「素性の知れない女なんか怖くて預かれない」「まさかこの女と結婚する気じゃないだろうね」と散々|喚《わめ》き散らした。
 キリクとアシュタルテが王宮に侵入したことは、ナディヤ以外には秘密らしい。シャリマ(シャール)とはサルームの繁華街で出会い、追手から助けたことになっている。
 嫌いな大臣の妾《めかけ》にさせられそうになったので逃げてきた、と嘘を告げ、シャールは滞在費として金鎖の首飾りを渡した。普段なら威厳を以て言い負かすところだが、その夜は疲れ切っており、一刻も早く休みたかった。
「何だい、金の問題じゃないよ!」
 と言ったが、ギルヒバはそれで大人しくなった。
 シャールがキリクの家族の天幕《テント》に滞在するようになって十日経つ。一応客人待遇なので家事をすることはなかったが、退屈そうにしているとギルヒバに雑用を頼まれた。不快な仕事もあったが、断るとギルヒバが口うるさい。身分を明かすわけにもいかず、好奇心もあり、なるべく引き受けるようにしている。
 ギルヒバの夫はヤザンという無口な男で、その下に、サリマ、キリク、ナディヤ、末の八歳の双子ハキムとマリヤムの兄弟姉妹がいる。事情はわからないが、本当の兄弟姉妹ではないようだ。サリマが二十歳、キリクが十九歳、ナディヤは十四歳だそうだ。サリマは仕事で遠出をしているとのことで、ここにはいない。予言者であっても、普段は普通の暮らしをしているらしい。
 鼻削ぎか耳削ぎの刑に処したはずのサリマのことが気になったが、処刑の前にアシュタルテが助け出したそうだ。罪人を奪われるなど本来あってはならないことだが、シャールの耳には届いていなかった。結果的にはそれで良かったのだが、国の在り方としては情けなく思える。
 ギルヒバが立ち去ると、シャールは木桶の中を覗《のぞ》き込んだ。二十匹はいる。これらは、末の双子が早朝に近くの市場で捕まえてきたものだ。素早いネズミを子供たちがどうやって捕まえたのか、シャールは気になった。
 木桶の中のネズミを掴《つか》み、蹲《うずくま》ったバニの方へ投げた。しかし、横から割り込んだドニが先に咥《くわ》えてしまう。
(む、これではバニが食べられないではないか)
 シャールは木桶を持って、できるだけバニに近い位置まで柵を回り込んだ。
 しかしシャールの動きに合わせ、ドニも柵に沿って付いて来る。
 ウゲルグッ!
 シャールとバニの間に立ちはだかり、ドニが威嚇するように鳴いた。ムッとしたシャールは、ドニの顔めがけて思い切りネズミを投げつけた。
 かなり近くから投げたのだが、ドニは難なくネズミを捉える。
 しばし考えた後、遠くの方へ山なりにネズミを投げた。
 ドニがそれを追いかけていく間に、急いでバニにネズミを投げる。今度はバニも食べられた。
 ドニが、役に立たない小さな翼をバタバタさせながら、駆け戻ってくる。遠くに投げたネズミは反対側の柵の外まで飛んだので、食べられなかったのだ。
 同じことを三度繰り返すと、ドニは毎回引っ掛かった。そのたびに怒りながら駆け戻ってくる。無表情だが、怒っていることは何となく伝わってきた。
 シャールがニヤニヤしていると、
「シャリマさん、ドニに嫌われたわ」
 隣から声がして、すっと笑いを引っ込めた。
 ナディヤが、柵から身を乗り出す。
「危ない!」
 シャールは叫んだが、ナディヤはドニの首を撫でながら、嘴《くちばし》に直接ネズミを押し込んだ。
 ドニの顔に視線を据えたまま、ナディヤは横顔に笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。ドニもバニも、わたしが育てたようなものだから。油断はダメですけど」
 明るい場所で見ると、歳よりも大人びて見える。ナディヤの青灰色の目は大きくはないが、化粧をすれば引き立ちそうだ。よく梳《す》かれた麦藁色の長い髪を後ろでまとめている。着ているのは地味な薄茶色のチャフィーブだが、髪留めだけは柘榴石《ガーネット》に真鍮の縁飾りを施した質の良さそうなものだった。
 シャールが今着ている同色のチャフィーブは、ナディヤから借りたものだ。王宮を出た時に身に着けていた薄紅色の絹のチャフィーブは、あまりに高級で目立つと言われ、ギルヒバに預けてある。
「シャリマさんは近付き過ぎちゃだめですよ、顔を食われます。特にドニには」
 ナディヤが手招きをすると、驚いたことにバニが岩陰から抜け出して、こちらに歩いてくる。ドニと同じように、ナディヤの手ずからネズミをもらう。
「ナディヤ、餌やりを手伝いに来てくれたのか?」
「それもあります。竜駝《ティンタム》は危険ですから、母がシャリマさんに餌やりを頼んだと聞いて驚きました」
 言葉使いや仕草、気遣いなど、ナディヤはまるで大人のようだ。母親よりも余程品が良い。
「走る鳥とは、不思議な生き物じゃな。翼があるのに飛べないとは」
 ナディヤの餌やりを眺めながら、シャールは言った。
「でも役には立ってますよ」
 手を止めずにナディヤが答える。
「何の役に?」
 餌やりを終えたナディヤは、魔法のように両手を素早く動かし、あっという間に竜駝《ティンタム》たちに口輪を嵌《は》めた。
「ここを掻くと気持ちいいみたい」
 ドニの首を抱き寄せ、小さな翼の裏に手を差し込んだ。ドニが目を閉じて、ゲルゲルと喉を鳴らす。
「シャリマさん、竜駝《ティンタム》に乗ってみませんか?」
「ここに来る時に乗ったよ」
「そうじゃなくて、一人で」
「竜駝《ティンタム》は|遊牧の民《ワラフ》しか操れないと聞いたぞ?」
 シャールは驚きを隠し、落ち着いた声で話した。動揺を見せるのは国王らしくない、とジャーフィルに散々言われて身に付けた振る舞いだった。
「そんなことはないと思います。たぶん駱駝《らくだ》の方が安くて安全で便利だから、街の人は乗ろうと思わないだけでしょう」
 |遊牧の民《ワラフ》は傭兵の仕事のために竜駝《ティンタム》を飼う。戦争がない時でも、砂漠を渡る隊商《キャラバン》を狙う盗賊は多く、護衛の仕事は危険だが報酬は良い。盗賊も竜駝《ティンタム》に乗っており、その多くが元は|遊牧の民《ワラフ》だという。盗賊を引退して|遊牧の民《ワラフ》に戻る者もいるそうだ。
 サルームの街の民と|遊牧の民《ワラフ》の間には、見えない壁がある。街の民は|遊牧の民《ワラフ》を少し恐れ、少し羨ましく思っている。なぜなら街の民の先祖も|遊牧の民《ワラフ》であり、自由な砂漠の暮らしに憧れがあるのだ。反対に|遊牧の民《ワラフ》は街の民を少し軽蔑し、豊かな暮らしを少し羨ましく思っている。
「父に頼まれたんです。シャリマさんが退屈しているから、時間がある時に相手をしてやってくれって」
 そう言って、ふふっと笑った。大人のような受け答えをするナディヤが、この瞬間は年相応の少女に見えた。
「失礼ですよね、わたしみたいな子供が相手をするだなんて」
 シャールは意外に思った。あの無口な父親がそんなことを言うなんて。
「確かに退屈しているし、竜駝《ティンタム》に乗れれば、この先役立つこともあるかもしれない。わたしには有難い話だが、ナディヤは大丈夫なのか? 家の仕事があるだろう?」
「ええ、だからシャリマさんはわたしの仕事を手伝って、わたしの時間を作ってください」
「できるかな、わたしに……?」
 シャールはこれまでギルヒバに頼まれて失敗した雑用の数々を思い出した。役立たずな自分が情けないとは思うが、高貴な生まれのせいだと諦めていた。
「大丈夫ですよ! 力仕事も沢山ありますから!」
 明るく励ますように、ナディヤが言った。