――警察庁。東京都を管轄とする警視庁と異なり、日本全国を対象とし、各都道府県警察を束ねる警察組織である。その警察庁の刑事局に、難事件や未解決事件の早期解決を目的に、新しく試験的に設立された部署があった。特殊犯罪対策部 特別捜査室。通称SIR(Special Investigation Room)。構成員は警察庁や公安でも一部の者しか知らず、警察内部でも都市伝説的な扱いを受けていた。
――三月十五日、午後二時頃。
東京都千代田区霞が関、桜田門前、中央合同庁舎第二号館。特別なルートで地下一階へ降りると、その前に立つことができる、打ちっぱなしのコンクリート壁に埋め込まれた一枚の扉。そこへ入室権限のある者が自身の警察手帳をかざすと、電子錠が外れ、溢れ返る機密の中へと入りこめる。
「お疲れ様でーす」
外同様に無機質なコンクリートの部屋。窓一つない閉鎖的な空間が、彼らをここに閉じ込めておくための檻のようにすら、彼女には感じられてならないのだった。そんな思いを押し留めて、まだ真新しい黒のスーツに身を包んだ香村綾希子が慣れたように入室すると、彼女の存在に気付かないほど中は騒然としていた。それもそのはず、今日付けで、彼らにとある事件の捜査権が移譲されたのだ。
「ねぇ、室長。これ見た?」
綾希子とは対極的に、緩いシャツにショートパンツという家でくつろぐかのような恰好の少女、新崎科乃が、対面に座るスーツの青年、水瀬硝磨に向けて書類を差し出した。その若さに不釣り合いなはずのスーツは、室長という肩書きに遜色なく彼の存在に整合して見える。書類を受け取った硝磨は、彼女が青のボールペンで線を引いた箇所にざっと目を通し、彼女に質問を投げ返す。
「“犯人”は何故、彼らが犯人だと知っていたのかってことか?」
「そ。一件は犯人を特定し、指名手配中。もう一件はまだ捜査中で、犯人の目星はついていたけど、公表はしていなかった。そして最後の一件は、警察だって掴めていなかった連続猟奇殺人事件の犯人なんだよ? そうね……つまり、どういうことだと思う?」
黒いソファに横になりながら膨大な書類に次々と目を通していく彼女の口は、試すようにまたしても彼に質問をぶつける。はっきり言ってくれればいいのに、と呆れたようにため息を吐きつつも、彼は少し考え、やがて答えを出した。
「“犯人”はこの三件の事件に関係がある。もっと言えば、この犯人たち、それにその犯行自体にも大きく関与している可能性がある。むしろ、この三件の事件を仕組んだ可能性さえある、ということか?」
「それか、警察以上の捜査力を持った凄腕の名探偵、かもね」
誰もが冗談だと思うような彼女の一言は、この一室にいる者に限っては、冗談として笑い飛ばせるものではなかった。
「しぃちゃん、それって……私達みたいな人のことです?」
部屋の壁際にパソコンやらプリンタやら、その他様々な機材を並べて自分だけの空間を作っている白衣の青年、蜂ヶ谷司が眼鏡の下の鋭い眼差しを科乃に向ける。
「あくまで可能性の話ってだけだよ〜。ただ、ハッチーも調べてて薄々気付いてるでしょ? この事件、証拠が少なすぎる。犯人に辿り着ける手掛かりがなさすぎるんだよ。この連続猟奇殺人事件にしてもそう。相手は普通じゃないよ」
「そうは言っても、この事件の犯人を捕まえるのがアタシたちの仕事じゃん?」
そう言いながら、スーツは着ていても派手な化粧で着飾ったスタイルのいい女性、水沢玲桜が、部屋の奥にある調理場から揚げたてのドーナツを盛って、科乃の前に差し出した。彼女はそれを見るなり飛び起きて、早速その一つを摘まみ取り、口の中へ運び込む。
「美味しい~! ありがとー、レオ」
「どういたしまして~。それにしても、物騒な事件よねぇ。連続猟奇殺人犯連続殺人事件だなんて」
今回このSIRに任された事件は、東京都、埼玉県、神奈川県で起きた、異なる三件の連続猟奇殺人事件の犯人が次々と殺害されたという事件。この三件の連続猟奇殺人事件すら捜査が難航していたというのに、その犯人が殺害されるという事態が立て続けに起き、各都道府県警では扱いきれないと判断した警察庁が、SIRに事件の解決を任せたのである。
「証拠は少ないにしても、情報は膨大だ。やることも多い。とりあえず、関東圏でここ数年以内に起きた未解決の連続猟奇殺人事件が他にないか調べさせてはいるが、他に調べさせておくことはあるか?」
硝磨が三人に視線を向けると真っ先に目の前の科乃が挙手するので、手近なところから紙とペンを引っ張り出した。
「あっ、はい! わたしからは、今回の被害者三人の、これまでの人生について調べてほしいな。どんな些細なことでもいいから、わかったことを全部報告して」
パソコンに向かっていた司も椅子を回して振り返り、続いて要望を出す。
「私からも。可能であればですが、この三人の被害者の殺害に使われた凶器が同一のものか。それと、この三件の連続猟奇殺人事件で使われた凶器ですが、それぞれの犯人が用いたものが同一の型、もしくは同種のものかどうか。そして、連続猟奇殺人事件で使われた凶器と今回の事件で使われた凶器が同一の型、もしくは同種のものかどうか。その三点について、調べるようお願いできますか?」
「ハッちゃん、凶器が同じ可能性があるってこと?」
司の出した要望に、玲桜が口を挟んだ。
「資料を見る限りでは、切断面の切り口が同じように見えるんですよ。また、今回の事件では、三人の致命傷は全て頸動脈の切断によるもの。その傷口の深さ、長さ、幅、形状がほぼ一致しているんです。だから、もしかしたらと思いまして」
司の返事を聞いた玲桜は、何かに気付いたように先ほどまで自分が目を通していた資料を漁りだす。
「そこまで正確って……結構手慣れてるよね、今回の犯人。……ん? ちょっと待って、たしか……。あ、アタシからは特にいいや。しなのん、後でちょっといい?」
「りょーかい。いつでも呼んでくださいなー」
科乃に一言ことわって、玲桜はぶつぶつと何かを呟きながら、自分の机に資料を並べ始めた。
「じゃあ、この三件で各都道府県警に捜査指示を出しておく。また何かあったら言ってくれ。香村さん、お願いします」
「あ、はいっ」
彼らのやり取りを呆然と見ているしかできなかった綾希子は、硝磨からメモを渡されると、自分の机に戻り、各都道府県警へ向けてメールを打ち始める。彼女のここでの立場はあくまで事務官。彼ら四人の補助として、事務的な作業を肩代わりし、彼らの仕事が円滑に進むようサポートするのが彼女の仕事だ。
事件が解決するまでは、各都道府県警に捜査本部を置いてもらい、SIRの指揮下で捜査を進めることになっている。基本的に、彼らがこの部屋から出て、直接現場に赴くことはない。各都道府県警との連絡も綾希子を通して行っている。この部屋が機密で守られ、そして、この部屋を彼らを閉じ込める檻だと綾希子が感じてしまうのは、そういった事情からでもあった。
「しなのーん、いい?」
「はーい」
玲桜の呼びかけに、科乃は大儀そうに起き上がって一度伸びをし、彼女の机の隣に椅子を並べて座る。すると、机に無造作に並べられた書類の内の一つを科乃の前に差し出して、玲桜は長く明るい髪の先をくるくると弄りながら、自分の考えを話し始めた。
「さっきハッちゃんが言ってたけど、今回の事件の傷口が不自然なくらいに同じだったじゃん? それで現場の状況を思い出したんだけど、三件とも同じで、被害者は椅子に座った状態で、死因は頸動脈を切られたことによる失血死。現場に争ったような形跡はなし。傷の大きさはほぼ同じ。……これって結構不自然なことじゃない?」
「被害者は全て男性。それも、連続猟奇殺人事件を起こすような。にも関わらず、寝込みを襲われたわけでもなく、無抵抗で殺害されている。ってところ?」
「そうそう。一応、薬物の類は検出されてないみたいだし。これってさ、死を受け入れてるってことじゃないかな」
「死を受け入れてる、か……。罰、解放、諦め……あとなんだろ」
玲桜の導き出した仮説に、科乃は合致しそうなキーワードを考えていく。これが玲桜と科乃で行う推理の仕方だった。というよりも、玲桜の考えを整理するために、科乃の頭脳を利用していると言った方が正しいのだが。
「んー、なんかどれも違う気がするなぁ。三件すべてに当てはまるとは思えない。ここまでの状況の一致があるなら、恐らく心理的な状況も同じだと思うんだけど……」
「共通点はそれだけじゃないですよ」
彼女らのやり取りを聞いていた司が、プリントアウトした資料を持って玲桜の机へやってきた。二人はその資料にざっと目を通し、二人して顔を見合わせる。目にかかった長い前髪をかき分けることもなく、ニヤリと不敵に微笑む科乃に、玲桜は少しの不気味さを感じていた。
「連続猟奇殺人事件の方は、被害者はすべて二十代前半の女性。胴体から四肢と頭部のいずれか、または両方が切断され、腹部は開かれて卵巣が摘出されていました。この摘出された卵巣は未だ見つかっていません。それぞれの犯人が起こした事件もちょうど同じ三件ずつ。これも偶然とは思えません」
「卵巣を摘出って……何がしたかったの?」
「実際の目的はこの卵巣にあって、四肢や頭部を切断したのは、猟奇性を意識させてカムフラージュするためかもしれないね」
科乃の仮説に、玲桜はますます訳がわからないといったように頭を抱えてしまう。そこに、硝磨も別の資料を持ってやってきた。玲桜はこれ以上ややこしい話は聞きたくないと机に突っ伏して、不貞腐れたような視線を彼に向けるも、彼の持っていた書類で軽く叩かれ、渋々起き上がる。
「これも共通点だが、今回の事件の被害者三人、つまり殺害された連続猟奇殺人犯たちの衣服に長い毛髪が付着していた。DNA検査の結果、やはり同一人物のもので、二十代から三十代の女性のものであることがわかった。ちなみに、連続猟奇殺人事件の被害女性のものとは一致しなかった」
「じゃあ、その女性が三人を結ぶ何かってことかぁ」
「共犯、支援者、犯人、愛人、あとは……キャバ嬢とか?」
淡々と関連しそうな単語を紡ぐ科乃の言葉を聞いて、硝磨は彼女の要望を思い出していた。
「……科乃、お前、ここまでわかってて被害者の過去を調べさせたのか?」
「まぁねー。これで何らかの共通点が出てくればいいなぁと思ったけど、どうかなー。今回の犯人、結構手強そうだからね」
「……やはりオレたちと同じ、“スクール”出身者の可能性か。もしそうなら、一筋縄ではいかないかもしれないな」
お互いの詳しい過去は詮索しないのが、このSIRでの暗黙の了解。故に、お互いが“スクール”の出身者であるということは知っていても、それ以上のことは知らなかったりする。ただ例外的に、彼女のことに関しては“スクール”出身者の誰しもが知る存在でもあった。
「そんな相手に、“最高傑作の天才”はどう立ち向かう?」
皆の視線が一斉に科乃の方へ向くと、彼女はそれを振り払うように、さっきまで自分が座っていたソファに再び寝転がった。
「もー、やめてよね。わたし、その呼ばれ方嫌いなんだから。それに、皆だって共犯者みたいなものでしょ? わたしの頭が完璧じゃないから、皆がいるんだし」
彼女が定位置に戻るのを皮切りに、玲桜の机に集まっていた司と硝磨も自分の机に戻っていく。そんな司は回転椅子に深く腰掛けると、瞼を重そうにしている科乃を微笑ましそうに眺めて、ぼそっと溢した。
「せめて仲間って言ってほしいですねぇ……」
「はいはい悪かったね、ハッチー。じゃあわたし、ちょっと寝るから」
「ええ、おやすみ、しぃちゃん」
寝ると宣言した科乃は、その言葉通り、ソファに寝転がったまま、やがて穏やかな寝息と共に意識を落とした。
“最高傑作の天才”たる彼女は、その脳力の高さは人間離れしたものがあるが、同時に膨大なエネルギーを必要とする。そのため、よく食べてカロリーを摂取するのだが、補いきれない部分は睡眠によって回復させるしかないのである。そんな彼女の事情を理解しているからこそ、SIRでの彼女の睡眠は容認されている。元々SIRという組織自体が彼女あってのものであることも、皆が皆 理解し、承知していた。
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夢を見ていた。昔のことを夢に見るなんて初めての経験だったが、案外悪い気はしない。今思い返せば辛い記憶のはずなのに、悪い気はしない。注射、検査、テスト、トレーニング。色んな人に、色んな機械。それが当たり前の日常で、それがすべてだった。外の世界を知る術は、人から伝え聞いたり、本やテレビだけ。窓もない、殺風景な檻の中。今となってはそう表現できる。
愛がわからない。愛を求めている人がいる。そんな人に、愛を与えてあげたい。でも、愛がわからない。わからないから、知りたい。知るために、何度でも試す。そして見つけていく。本物に近づいていく。これが自分なりに見つけた、愛の形。
「もしもし? えぇ、見ているわ。すごいじゃない。これで三人ね。ちゃんとやり遂げて、えらいわね。うん、あなたが誇らしいわ。じゃあ、ご褒美をあげないといけないわね。ええ、もちろん。ママはあなたのこと、とっても愛してるわ。じゃあ、ね」
通話を切った携帯を片手に、私はテレビのリモコンでチャンネルを無造作に変えてみる。どこの局でも取り上げられている、彼の偉業。これで四人目。さすがに警察も私を放ってはおけないだろう。きっと彼女らにも知られている。それでも、“最高傑作”だろうと何だろうと、私の愛は誰にも邪魔させない。
愛を求めている人がいる。だから私は、愛を与える――。