彼女の部屋
ー/ー
思った通り、おばさんは彼女の母親だった。見てほしいものがあると言って、おばさんは家まで案内してくれた。家は公園から歩いてすぐのところにある古びたアパート。彼女がなぜあの公園に入り浸っていたのか、僕はすぐに納得がいった。
おばさんの家に上がると、リビングには額縁に飾られた二つの写真があった。一つは彼女の写真。見たことのある、屈託のない笑顔を浮かべている。こんな笑みを見せてくれたことは数えるほどしかなかったけれど、たくさん見せられていたら、僕はもっと簡単に彼女に恋していたのだろう。
そしてもう一つは、猫の写真だった。どこかで見た気がすると思ったら、最後に彼女と会った日の帰りに見た猫だ。毛色も、首輪も合致する。あの日死んでいたお前も、ここのうちの子だったのか。他人事だと思っていてごめんよ。
「愛する我が子が二人とも、まさか同じ日にいなくなるなんて」
おばさんはそう呟きながら、僕をある部屋に案内してくれた。部屋の隅には畳まれた布団が積まれ、壁にはタンスが並び、向かいの壁にはドレッサーが置かれて、狭い部屋がさらに狭く感じられる。
この部屋の押し入れを少しだけ開けて、僕に開けるよう、おばさんは促した。
「ここは?」
「あの子の部屋よ。この狭い家で用意してあげられるのは、これくらいしかなくてね」
自分だけの空間が、まさか押し入れの中だけだったなんて。彼女も苦労していたんだな。そんな呑気なことを思いつつ、押し入れの戸を引いた。そして飛び込んできた衝撃的な光景に、僕は目を疑った。
押し入れの上の段は、彼女の服が掛けられていて、本立てに並んだ教科書や無造作に置かれたままになったペンケースから、机代わりにしていたであろうことが見て取れた。通学カバンもここに置かれている。
問題は下の段だ。ここは何に使われていたのか、物はほとんどない。ただ、壁や天井の至るところに写真が貼ってあった。僕の写真だ。一緒に置かれていたコードレスの照明を付ければ、その様はまさに異様としか言いようがなかった。
僕は彼女に写真を撮られた覚えは一度しかない。ふざけて撮った写真だ。でも、その写真は貼られていなかった。すべて、いつ撮られたのかわからない、盗撮だ。彼女は僕の知らないところで、こんなにも僕を観測していたのか。知らない合いなんて思っていたが、知らなかったのは僕だけだったのだろう。
「ごめんなさいね。これを見た後だったから、昨日君を見た時にすぐにピンと来たの」
「どうして僕をここに連れてきたんですか? これを見せて、どうするつもりだったんです?」
「君はあの子の何だったのか、知りたくて。あの子のこと、好きだったんでしょう?」
「そうです。僕は、彼女の婚約者になり損ねた」
「そう……だったの」
おかしな会話だと思った。何がおかしいかは言語化できなかったけれど、この異質な光景、状況に、お互い平然としている僕たちが、あまりにもおかしいと思った。
彼女は僕が望むなら、僕を彼女の婚約者にしてくれると言った。それは、この世からあの世まで、どこまでいっても変わらないと。だから彼女があの世に行った後でも、彼女はそのつもりでいるということだ。僕が望むなら、僕は彼女の婚約者を名乗ってもいいのだ。
それをおばさんに言ったところで、特に意に介した様子はない。死んだ娘に婚約者がいたとしても、もはや彼女はいないのだから、些末な問題ではないのかもしれない。僕は婚約者がいた死んだ娘の親ではないから、おばさんの気持ちはわからない。
おばさんの許可を得て、押し入れの下の段に入ってみた。寝転がって、戸を閉めてもらった。戸の裏にも写真が貼ってある。彼女はどんな気持ちで、ここにいたのだろう。盗撮なので当たり前だが、どの写真の僕も、こちらを見てはくれない。そんな僕に囲まれて、彼女は何を考えていたのだろう。
僕には、彼女の考えはわからない。
ふと、足先に何かが触れた。押し入れの奥に、何かある。低い天井に頭をぶつけないように起き上がり、押し入れの奥のものを手に取ってみる。箱だ。ちょっと高そうなお菓子の化粧箱。勝手に開けてみると、中には小銭が大量に入っていた。
思えば、彼女はいつもポケットに千円札を忍ばせていて、いつもおつりをポケットに突っ込んでいた。その行動をどうかと思っていたが、その小銭をこうして貯めていたのか。何のために。パッと見ただけでもそれなりの額になりそうだ。
そしてもう一つ、箱の隣に置かれていたのは一台のスマートフォン。彼女のものだろうか。いや、前に見た彼女のものとはケースが違う。もっとゴツイものに、不気味なキャラもののシールが貼られていたはずだ。単にケースを変えたのかもしれないが、形も微妙に違うような気がしなくもない。
僕は押し入れを出て、おばさんに箱の小銭のこと、スマートフォンのことを聞いてみた。特に彼女の携帯は、どうしてこんなところにあるのか気になった。こういう重要な証拠は、警察に回収されたりしないのだろうか。
「あれはあの子の貯金箱なんだそうよ。私も詳しくは聞いてなくて、そのままにしてあるの。そのスマホは、あの子のもう一つのスマホなの」
「もう一つの?」
「普段使っている方は、警察の方が預かっていったわ。こっちは私が隠して、警察には内緒にしてあるの」
「どうしてそんなことを?」
そんなことをして大丈夫なのか。わざわざ僕に見つけさせるために、この押し入れに戻したのだろうか。何のために。この親子は、意味がわからないことが多すぎる。
「開けられないのよ。パスワードがわからなくて。こっちのスマホは中身がわからないから、安易に警察にも預けられなくて。君なら、パスワードがわかったりしないかしら、と思って」
ますます意味がわからない。中身が確認できないと、警察にも見せられないのか。親として、警察に対しても彼女のプライバシーを守りたい、というわけでもないだろう。普通に考えるなら、警察に見られたくない何かが、この中にある可能性があって、おばさんもそのことに気付いている。
彼女は一体、何をしていたんだ。知れば知るほど、彼女のことがどんどんわからなくなってくる。断片的に彼女を形成する情報を集めても、その集合体は決して彼女ではない。やはり彼女自身を観測することでしか、もはや彼女を理解することはできないんじゃないか。そしてそれは、もう永遠に叶わないのだ。
「そろそろ帰ります。今日はありがとうございました」
僕は考えることを放棄したように、そそくさと帰ろうとする。と、後ろからスマホを差し出された。彼女のもう一台の、というやつだ。
「これを君に預けます。もし開けられたら、連絡いただけますか?」
少し迷ったが、受け取ることにした。おばさんの連絡先もあわせて。
おばさんは本当に、僕がこれを開けた時に連絡すると思っているのだろうか。これの中身を僕が見てしまって、先に警察に届けたりしたらマズいんじゃないか。そんなことはしないと、確信しているのだろう。きっとこれの中身を警察に届けることが、彼女のためにはならないと、僕がそう思うと考えているのだろう。
悔しいな。彼女も、彼女の母親も、僕を見透かしたように手のひらで転がしやがる。
なら、僕がやることは一つだ。パスワードを突破して中を確認した後で、初期化してやる。その上でパスワードを設定し、おばさんに返してやろう。
そんな風に思っていられるのも、今だけだった。
このスマホの中身を見たとき、僕はこれを開けてしまったことを激しく後悔することになる。
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おばさんの家に上がると、リビングには額縁に飾られた二つの写真があった。一つは彼女の写真。見たことのある、屈託のない笑顔を浮かべている。こんな笑みを見せてくれたことは数えるほどしかなかったけれど、たくさん見せられていたら、僕はもっと簡単に彼女に恋していたのだろう。
そしてもう一つは、猫の写真だった。どこかで見た気がすると思ったら、最後に彼女と会った日の帰りに見た猫だ。毛色も、首輪も合致する。あの日死んでいたお前も、ここのうちの子だったのか。他人事だと思っていてごめんよ。
「愛する我が子が二人とも、まさか同じ日にいなくなるなんて」
おばさんはそう呟きながら、僕をある部屋に案内してくれた。部屋の隅には畳まれた布団が積まれ、壁にはタンスが並び、向かいの壁にはドレッサーが置かれて、狭い部屋がさらに狭く感じられる。
この部屋の押し入れを少しだけ開けて、僕に開けるよう、おばさんは促した。
「ここは?」
「あの子の部屋よ。この狭い家で用意してあげられるのは、これくらいしかなくてね」
自分だけの空間が、まさか押し入れの中だけだったなんて。彼女も苦労していたんだな。そんな呑気なことを思いつつ、押し入れの戸を引いた。そして飛び込んできた衝撃的な光景に、僕は目を疑った。
押し入れの上の段は、彼女の服が掛けられていて、本立てに並んだ教科書や無造作に置かれたままになったペンケースから、机代わりにしていたであろうことが見て取れた。通学カバンもここに置かれている。
問題は下の段だ。ここは何に使われていたのか、物はほとんどない。ただ、壁や天井の至るところに写真が貼ってあった。僕の写真だ。一緒に置かれていたコードレスの照明を付ければ、その様はまさに異様としか言いようがなかった。
僕は彼女に写真を撮られた覚えは一度しかない。ふざけて撮った写真だ。でも、その写真は貼られていなかった。すべて、いつ撮られたのかわからない、盗撮だ。彼女は僕の知らないところで、こんなにも僕を観測していたのか。知らない合いなんて思っていたが、知らなかったのは僕だけだったのだろう。
「ごめんなさいね。これを見た後だったから、昨日君を見た時にすぐにピンと来たの」
「どうして僕をここに連れてきたんですか? これを見せて、どうするつもりだったんです?」
「君はあの子の何だったのか、知りたくて。あの子のこと、好きだったんでしょう?」
「そうです。僕は、彼女の婚約者になり損ねた」
「そう……だったの」
おかしな会話だと思った。何がおかしいかは言語化できなかったけれど、この異質な光景、状況に、お互い平然としている僕たちが、あまりにもおかしいと思った。
彼女は僕が望むなら、僕を彼女の婚約者にしてくれると言った。それは、この世からあの世まで、どこまでいっても変わらないと。だから彼女があの世に行った後でも、彼女はそのつもりでいるということだ。僕が望むなら、僕は彼女の婚約者を名乗ってもいいのだ。
それをおばさんに言ったところで、特に意に介した様子はない。死んだ娘に婚約者がいたとしても、もはや彼女はいないのだから、些末な問題ではないのかもしれない。僕は婚約者がいた死んだ娘の親ではないから、おばさんの気持ちはわからない。
おばさんの許可を得て、押し入れの下の段に入ってみた。寝転がって、戸を閉めてもらった。戸の裏にも写真が貼ってある。彼女はどんな気持ちで、ここにいたのだろう。盗撮なので当たり前だが、どの写真の僕も、こちらを見てはくれない。そんな僕に囲まれて、彼女は何を考えていたのだろう。
僕には、彼女の考えはわからない。
ふと、足先に何かが触れた。押し入れの奥に、何かある。低い天井に頭をぶつけないように起き上がり、押し入れの奥のものを手に取ってみる。箱だ。ちょっと高そうなお菓子の化粧箱。勝手に開けてみると、中には小銭が大量に入っていた。
思えば、彼女はいつもポケットに千円札を忍ばせていて、いつもおつりをポケットに突っ込んでいた。その行動をどうかと思っていたが、その小銭をこうして貯めていたのか。何のために。パッと見ただけでもそれなりの額になりそうだ。
そしてもう一つ、箱の隣に置かれていたのは一台のスマートフォン。彼女のものだろうか。いや、前に見た彼女のものとはケースが違う。もっとゴツイものに、不気味なキャラもののシールが貼られていたはずだ。単にケースを変えたのかもしれないが、形も微妙に違うような気がしなくもない。
僕は押し入れを出て、おばさんに箱の小銭のこと、スマートフォンのことを聞いてみた。特に彼女の携帯は、どうしてこんなところにあるのか気になった。こういう重要な証拠は、警察に回収されたりしないのだろうか。
「あれはあの子の貯金箱なんだそうよ。私も詳しくは聞いてなくて、そのままにしてあるの。そのスマホは、あの子のもう一つのスマホなの」
「もう一つの?」
「普段使っている方は、警察の方が預かっていったわ。こっちは私が隠して、警察には内緒にしてあるの」
「どうしてそんなことを?」
そんなことをして大丈夫なのか。わざわざ僕に見つけさせるために、この押し入れに戻したのだろうか。何のために。この親子は、意味がわからないことが多すぎる。
「開けられないのよ。パスワードがわからなくて。こっちのスマホは中身がわからないから、安易に警察にも預けられなくて。君なら、パスワードがわかったりしないかしら、と思って」
ますます意味がわからない。中身が確認できないと、警察にも見せられないのか。親として、警察に対しても彼女のプライバシーを守りたい、というわけでもないだろう。普通に考えるなら、警察に見られたくない何かが、この中にある可能性があって、おばさんもそのことに気付いている。
彼女は一体、何をしていたんだ。知れば知るほど、彼女のことがどんどんわからなくなってくる。断片的に彼女を形成する情報を集めても、その集合体は決して彼女ではない。やはり彼女自身を観測することでしか、もはや彼女を理解することはできないんじゃないか。そしてそれは、もう永遠に叶わないのだ。
「そろそろ帰ります。今日はありがとうございました」
僕は考えることを放棄したように、そそくさと帰ろうとする。と、後ろからスマホを差し出された。彼女のもう一台の、というやつだ。
「これを君に預けます。もし開けられたら、連絡いただけますか?」
少し迷ったが、受け取ることにした。おばさんの連絡先もあわせて。
おばさんは本当に、僕がこれを開けた時に連絡すると思っているのだろうか。これの中身を僕が見てしまって、先に警察に届けたりしたらマズいんじゃないか。そんなことはしないと、確信しているのだろう。きっとこれの中身を警察に届けることが、彼女のためにはならないと、僕がそう思うと考えているのだろう。
悔しいな。彼女も、彼女の母親も、僕を見透かしたように手のひらで転がしやがる。
なら、僕がやることは一つだ。パスワードを突破して中を確認した後で、初期化してやる。その上でパスワードを設定し、おばさんに返してやろう。
そんな風に思っていられるのも、今だけだった。
このスマホの中身を見たとき、僕はこれを開けてしまったことを激しく後悔することになる。