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我観測す、故に彼女あり

ー/ー



 それは突然だった。放課後、いつものようにあの公園に着くまで、僕は日常の中にいた。それが、一瞬で非日常に引き込まれた。
 公園の前には、いつもはいないはずの車が停まっていたのだ。白と黒の車。人も多い。野次馬の中に彼女を探したけれど、見つけられなかった。彼女ならこんな面白そうなことに首を突っ込まないはずがないのに。


「わざわざどうしてこんなところで……ねぇ」
「ホントよねぇ。子供が見なくてよかったわ」


 野次馬のおばちゃんの声が聞こえる。どうやら、誰かが公園で死んでいたらしい。迷惑な話だ。この公園は僕と彼女が毎日放課後に会う場所なのに。こうして封鎖されてしまえば、今度はどこで会えばいいか。僕は彼女の連絡先も知らないのに。


 僕は自販機でいつものあったか〜いのミルクティーを買って、野次馬に紛れながらそれに口をつけていた。味がしない。嫌な仮説が頭に過ぎってから、感覚がやけに鈍くなった。
 でも、勝手に耳に入ってくる野次馬の話が、仮説をただの仮説にはしておいてくれない。この仮説を否定するには、もはや何食わぬ顔で彼女がこの場に現れてくれるしかない。


 時間になった。いつもの帰る時間だ。気付けば野次馬は、僕一人だけになっていた。彼女は、現れなかった。


 今はまだ仮説に過ぎないが、得られた情報から推察するに、この仮説は限りなく正解に近いのだと思う。
 死んだのは高校生の女の子が一人。制服姿でベンチに横たわっていたのを、早朝に発見された。夜中に首だかを切って失血死していたらしい。彼女の傍らには、飲みかけのぶどうジュースの缶があったらしい。


 僕はいつも通り、帰らなくちゃならなかった。遅くなって親にどやされるのは面倒だったから。
 僕以外にはいなくなったと思っていた野次馬は、もう一人だけ残っていた。いかにも主婦という装いの中年の女性。フェンス越しに公園の中を見ながら涙していた。
 僕はポケットに入っていた100円玉を自販機に入れようとして、やめた。そのまま踵を返して帰ろうとすると、声を掛けられた。さっきのおばさんだった。


「君、あの子のことを知ってるの?」


 このおばさんはやはり、ここで死んだという女の子の親か何かなのだろう。そもそも僕は、まだここで死んだ子が誰なのか知らない。だから、その問いにはイエスともノーとも答えられなかった。


「ごめんなさい。なんとなく、そんな気がしてしまって。あの子がよく話す男の子に、雰囲気がそっくりだったから」
「そうなんですか。僕は昨日、ここで知り合いの女の子と話していたんですよ。世界五分前仮説がどうとか、コロンブスの卵がどうとか。あの子というのは、そんな話をする子ですか?」


 本当は知り合いなんかではない。僕も彼女も、互いの名前は知らなかった。僕と彼女の関係は、言うなれば知らない合いだ。
 しかし僕の言葉を聞いて、おばさんは目を見開いて一層悲しそうに膝を折って崩れた。僕はそれを見て、仮説を確信に変えた。もしこれが違って、後で彼女が現れたなら、盛大に笑い飛ばしてもらって構わないと思った。


 僕はおばさんを放って、家へ駆けていった。遅くなった。マズい。怒られる。僕を引き留める声が聞こえた気がしたけれど、僕は止まらなかった。止まってしまえば、僕はおばさんと同じようになってしまうと思ったから。
 家に着いた時間はいつもより少し遅かったけれど、特に怒られなかった。別に怒られないなら、普段ももう少し遅くてもよかったのかもな。……昨日も。




 寝る前にベッドに横になって、思考を巡らせた。眠れる気はしなかった。考えることをやめられなくて、それが済むまでは意地でも眠らないと脳が言っている気がした。


 彼女は衝動的に死ぬような人ではない、と思う。昨日、何かおかしくなかっただろうか。
 急に告白してきたこととか。まさか、僕が彼女の告白を受けなかったから、彼女は死んだのか? でも僕は、明日まで待ってほしいというようなことを言ったはずだ。完全に断ったわけじゃない。僕の顔を見て大体わかった、なんてことも言っていたな。あれで、察してしまったのか? いや、そもそも振られたくらいで死んでしまうような人か? もっと、告白を決心するような、彼女を追い立てる何かがあったんじゃないか?
 その前に話したのは、コロンブスの卵と、世界五分前仮説。まったく意味がわからない。この二つも、普段から話してるくだらない話と大して変わらないように思うし。


 先回りして考える癖をやめた方がいい、か。考えすぎなのか? 何か見落としているのか?
 色々考えたけど、答えは見つからない。それがわかった段階で、ようやく脳も負けを認めたらしく、眠気が襲い来た。これ以上は考えたとしても何も進展しないらしい。大人しく寝るのが吉か。




 朝起きると、つーっと頬を伝う雫。最悪だ。泣きたくなかったのに。彼女が死んだことで涙が出なかったのは、僕がそれを認めていないからだ。だから、泣きたくなかった。
 一度泣いてしまったら、止められなくなった。年甲斐もなくわんわんと泣く僕を、両親は不審に思いつつも心配してくれたらしい。今日は学校を休むことになった。


 それでも僕は、放課後のいつもの時間にわざわざいつもの公園に向かった。万が一、彼女がそこに現れた時に僕がいないわけにはいかなかったから。
 だけど、やはり彼女は現れなかった。


 僕は今日はぶどうジュースを買ってみた。彼女がいつも飲んでいたものだ。僕も一度だけ買ってもらったことがあるが、あまり好きになれず、それ以来飲んだことがなかった。逆に彼女はいつも決まってこれを飲んでいた。毎日毎日飽きないのかと思っていたが、途中から僕も毎日ミルクティーだったので、人のことは言えない。
 これを飲めば彼女の気持ちがわかったりしないかと思ったのだが、そんなことはあるはずもなく。そして久しぶりに飲んだけれど、やっぱりあんまり好きではないなと改めて感じた。特にこのつぶつぶが。彼女に言ったら、このつぶつぶがいいのに、と言われそうだ。


 ふと思う。世界五分前仮説がもし真実だとしたら、彼女の存在はどうなるのだろう。今から五分前に世界が創られたとしたら、彼女という存在は僕の記憶の中にあるだけで、実際には存在しなかったのかもしれない。今この場にあるものだけが、その存在を証明できる。この場にないものは、その存在が確かにあったことを証明できないのだ。
 僕は一昨日、彼女にこの公園で会った。その記憶があるだけだ。実際に彼女の存在を証明できるものは、僕には何もない。恐ろしい仮説だ。人間一人の存在など簡単に葬ってしまえるなんて。
 “我思う、故に我あり”と考え方は似ているかもしれない。世界が五分前に始まったのだとしても、ここにあるものは少なくとも五分前からは存在することになる。
 彼女が本当に死んだのかどうかはこの際どうでもいいことだ。この場に現れない以上、彼女の名前も連絡先も知らない僕には、その存在を確かめられないのだから。


 そう思うと、少し気が楽になった気がした。彼女がいない間は、彼女は死んでいる。でも、もし彼女が再び現れたなら、彼女は生き返ったということだ。少なくとも、僕が観測する世界では、それが事実だ。


 そんなバカなことを話したら、彼女は何と言ってくれただろう。


「君、また来てくれたのね」


 気付けば、昨日のおばさんにまた話しかけられていた。


「あの子のこと、知っているのよね」


 そう言って、おばさんはスマホの画面を向けてきた。見たくなかった。せっかく長々と現実逃避をしていたのに、どうして現実に向き合わせようとするんだ。最悪だ。悪魔かこの女は。


 おばさんが見せた画面に映っていたのは、紛れもなく彼女だった。


「僕は、彼女が好きでした」


 この口は、思考を介さず勝手にそんなことを吐いていた。


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 それは突然だった。放課後、いつものようにあの公園に着くまで、僕は日常の中にいた。それが、一瞬で非日常に引き込まれた。
 公園の前には、いつもはいないはずの車が停まっていたのだ。白と黒の車。人も多い。野次馬の中に彼女を探したけれど、見つけられなかった。彼女ならこんな面白そうなことに首を突っ込まないはずがないのに。
「わざわざどうしてこんなところで……ねぇ」
「ホントよねぇ。子供が見なくてよかったわ」
 野次馬のおばちゃんの声が聞こえる。どうやら、誰かが公園で死んでいたらしい。迷惑な話だ。この公園は僕と彼女が毎日放課後に会う場所なのに。こうして封鎖されてしまえば、今度はどこで会えばいいか。僕は彼女の連絡先も知らないのに。
 僕は自販機でいつものあったか〜いのミルクティーを買って、野次馬に紛れながらそれに口をつけていた。味がしない。嫌な仮説が頭に過ぎってから、感覚がやけに鈍くなった。
 でも、勝手に耳に入ってくる野次馬の話が、仮説をただの仮説にはしておいてくれない。この仮説を否定するには、もはや何食わぬ顔で彼女がこの場に現れてくれるしかない。
 時間になった。いつもの帰る時間だ。気付けば野次馬は、僕一人だけになっていた。彼女は、現れなかった。
 今はまだ仮説に過ぎないが、得られた情報から推察するに、この仮説は限りなく正解に近いのだと思う。
 死んだのは高校生の女の子が一人。制服姿でベンチに横たわっていたのを、早朝に発見された。夜中に首だかを切って失血死していたらしい。彼女の傍らには、飲みかけのぶどうジュースの缶があったらしい。
 僕はいつも通り、帰らなくちゃならなかった。遅くなって親にどやされるのは面倒だったから。
 僕以外にはいなくなったと思っていた野次馬は、もう一人だけ残っていた。いかにも主婦という装いの中年の女性。フェンス越しに公園の中を見ながら涙していた。
 僕はポケットに入っていた100円玉を自販機に入れようとして、やめた。そのまま踵を返して帰ろうとすると、声を掛けられた。さっきのおばさんだった。
「君、あの子のことを知ってるの?」
 このおばさんはやはり、ここで死んだという女の子の親か何かなのだろう。そもそも僕は、まだここで死んだ子が誰なのか知らない。だから、その問いにはイエスともノーとも答えられなかった。
「ごめんなさい。なんとなく、そんな気がしてしまって。あの子がよく話す男の子に、雰囲気がそっくりだったから」
「そうなんですか。僕は昨日、ここで知り合いの女の子と話していたんですよ。世界五分前仮説がどうとか、コロンブスの卵がどうとか。あの子というのは、そんな話をする子ですか?」
 本当は知り合いなんかではない。僕も彼女も、互いの名前は知らなかった。僕と彼女の関係は、言うなれば知らない合いだ。
 しかし僕の言葉を聞いて、おばさんは目を見開いて一層悲しそうに膝を折って崩れた。僕はそれを見て、仮説を確信に変えた。もしこれが違って、後で彼女が現れたなら、盛大に笑い飛ばしてもらって構わないと思った。
 僕はおばさんを放って、家へ駆けていった。遅くなった。マズい。怒られる。僕を引き留める声が聞こえた気がしたけれど、僕は止まらなかった。止まってしまえば、僕はおばさんと同じようになってしまうと思ったから。
 家に着いた時間はいつもより少し遅かったけれど、特に怒られなかった。別に怒られないなら、普段ももう少し遅くてもよかったのかもな。……昨日も。
 寝る前にベッドに横になって、思考を巡らせた。眠れる気はしなかった。考えることをやめられなくて、それが済むまでは意地でも眠らないと脳が言っている気がした。
 彼女は衝動的に死ぬような人ではない、と思う。昨日、何かおかしくなかっただろうか。
 急に告白してきたこととか。まさか、僕が彼女の告白を受けなかったから、彼女は死んだのか? でも僕は、明日まで待ってほしいというようなことを言ったはずだ。完全に断ったわけじゃない。僕の顔を見て大体わかった、なんてことも言っていたな。あれで、察してしまったのか? いや、そもそも振られたくらいで死んでしまうような人か? もっと、告白を決心するような、彼女を追い立てる何かがあったんじゃないか?
 その前に話したのは、コロンブスの卵と、世界五分前仮説。まったく意味がわからない。この二つも、普段から話してるくだらない話と大して変わらないように思うし。
 先回りして考える癖をやめた方がいい、か。考えすぎなのか? 何か見落としているのか?
 色々考えたけど、答えは見つからない。それがわかった段階で、ようやく脳も負けを認めたらしく、眠気が襲い来た。これ以上は考えたとしても何も進展しないらしい。大人しく寝るのが吉か。
 朝起きると、つーっと頬を伝う雫。最悪だ。泣きたくなかったのに。彼女が死んだことで涙が出なかったのは、僕がそれを認めていないからだ。だから、泣きたくなかった。
 一度泣いてしまったら、止められなくなった。年甲斐もなくわんわんと泣く僕を、両親は不審に思いつつも心配してくれたらしい。今日は学校を休むことになった。
 それでも僕は、放課後のいつもの時間にわざわざいつもの公園に向かった。万が一、彼女がそこに現れた時に僕がいないわけにはいかなかったから。
 だけど、やはり彼女は現れなかった。
 僕は今日はぶどうジュースを買ってみた。彼女がいつも飲んでいたものだ。僕も一度だけ買ってもらったことがあるが、あまり好きになれず、それ以来飲んだことがなかった。逆に彼女はいつも決まってこれを飲んでいた。毎日毎日飽きないのかと思っていたが、途中から僕も毎日ミルクティーだったので、人のことは言えない。
 これを飲めば彼女の気持ちがわかったりしないかと思ったのだが、そんなことはあるはずもなく。そして久しぶりに飲んだけれど、やっぱりあんまり好きではないなと改めて感じた。特にこのつぶつぶが。彼女に言ったら、このつぶつぶがいいのに、と言われそうだ。
 ふと思う。世界五分前仮説がもし真実だとしたら、彼女の存在はどうなるのだろう。今から五分前に世界が創られたとしたら、彼女という存在は僕の記憶の中にあるだけで、実際には存在しなかったのかもしれない。今この場にあるものだけが、その存在を証明できる。この場にないものは、その存在が確かにあったことを証明できないのだ。
 僕は一昨日、彼女にこの公園で会った。その記憶があるだけだ。実際に彼女の存在を証明できるものは、僕には何もない。恐ろしい仮説だ。人間一人の存在など簡単に葬ってしまえるなんて。
 “我思う、故に我あり”と考え方は似ているかもしれない。世界が五分前に始まったのだとしても、ここにあるものは少なくとも五分前からは存在することになる。
 彼女が本当に死んだのかどうかはこの際どうでもいいことだ。この場に現れない以上、彼女の名前も連絡先も知らない僕には、その存在を確かめられないのだから。
 そう思うと、少し気が楽になった気がした。彼女がいない間は、彼女は死んでいる。でも、もし彼女が再び現れたなら、彼女は生き返ったということだ。少なくとも、僕が観測する世界では、それが事実だ。
 そんなバカなことを話したら、彼女は何と言ってくれただろう。
「君、また来てくれたのね」
 気付けば、昨日のおばさんにまた話しかけられていた。
「あの子のこと、知っているのよね」
 そう言って、おばさんはスマホの画面を向けてきた。見たくなかった。せっかく長々と現実逃避をしていたのに、どうして現実に向き合わせようとするんだ。最悪だ。悪魔かこの女は。
 おばさんが見せた画面に映っていたのは、紛れもなく彼女だった。
「僕は、彼女が好きでした」
 この口は、思考を介さず勝手にそんなことを吐いていた。