商店街の外れ、シャッターの降りた古い文房具店の壁に、そのポスターは貼られている。
色あせて、何が描いてあるのかも分からない。晴れた日は、ただの紙切れだ。
けれど雨の日だけ、文字が浮かび上がる。
最初にそれに気づいたのは、傘を忘れた帰り道だった。
霧雨に濡れながら早足で通り過ぎようとして、ふと視界の端で、壁が「にじんだ」気がした。
――準備は、できていますか。
黒いインクが滲むように、ポスターの表面に言葉が現れていた。
私は立ち止まり、読み返そうとして、読めないことに気づく。
文字の形は見えるのに、意味が頭に入ってこない。目が滑る、という感覚に近い。
翌日、同僚にその話をしたが、「雨で印刷が浮いただけじゃない?」と笑われた。
実際、昼休みに見に行くと、そこには何も書いていなかった。
それから何度か、雨の日に通った。
文字が出る日と、出ない日がある。出ても、読めるときと、読めないときがある。法則は分からない。
ある夜、強い雨の帰り道だった。
仕事で大きなミスをして、謝って、謝りきれないまま帰された日だ。
ポスターは、はっきりと文字を浮かべていた。
――逃げる準備は、終わりましたか。
その文を、今度は読めた。
胸の奥が、少しだけ軽くなる。逃げたいと思っていることを、誰かに言われたのは初めてだった。
次の行が、ゆっくりと現れる。
――残る準備は、これからです。
雨音に紛れて、何かが剥がれるような気がした。言い訳とか、諦めとか、そういう薄い膜だ。
翌週、私は異動願いを出した。
結果がどうなるかは分からない。それでも、雨の日にあのポスターを見上げることはなくなった。
きっと今も、読む準備ができた誰かを待って、あの壁に貼られているのだろう。
文字は、雨の日にだけ現れる。
けれど、本当に必要なのは、濡れる覚悟のほうなのだ。