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第126話 悪臭の煙に巻かれる悪意なき教育

ー/ー



 余計な疲労感をかさ増しさせられたかのようなランチタイムも終え、コリウスとも別れ、午後の授業のために教室へと戻った。
 が、これはどうしたものだろう。教室の扉、一枚を隔てた向こうから異様な悪臭が漂っているような気がする。心なしか、廊下もうっすらと煙でモクモクだ。

「はへ……? この臭いは……」
「待てミモザ。……オキザリス、頼む」
「御意」

 警戒しつつ、オキザリスはその扉をゆっくりと開いた。すると、モワァっとした煙とともに、凄まじく鼻腔を責め立てる刺激臭が飛んできた。
 先頭にいたオキザリスもさすがに酷く顔をしかめる。

「どうしたのかね。さっさと教室に入らんか。チャイムが鳴ってしまうぞ」

 教室内から低い男の声が聞こえてくる。見てみると、カーネ教師が教卓に何やら機材らしきものを並べ、その両手に構えた薬物を眺めていた。
 午前中の授業の時にはあんなものなどなかったはずだ。ちょっと目を離した隙に、随分と教室内が様変わりしてしまった。

 カーネのギンギンに光る眼鏡の奥の眼圧に急かされるように、おずおずと我らは教室の中へと入る。すると、既に席に着いていた何人かの生徒は、実に吐き気を催した感じの表情をしている。昼飯食ってからずっとここにいたのか。

「席に着きたまえ。この私の授業が始まるまで今暫く待たれよ」

 こんなあからさまに空気の悪い場所で待機しろと?
 窓は……開いているが、換気能力のキャパシティを越えてしまっているのだろう。身体に染みついてしまうかもしれないほど悪臭が教室内を漂う。
 もし、今の我に魔法が使えていたのなら風魔法をぶっ放していたところだ。

 一体何をどうしたらこんなことができるのかも分からんし、何のつもりであんなことをしているのかも分からん。キツく鋭い目つきで何色とも判別できないような薬を睨み付けては別の容器に移し替えたり、混ぜたりして煙の色を濃くしている。

 あれがコリウス王子の教育係だった男、カーネ・ディアンカリーか。
 オキザリスは軍事国家レッドアイズを代表する術者だとかそんなことを言っていた気がするが、生徒の鼻を曲げることに精を出している男がそうだとは思いがたい。

「フィーしゃん、らいじょうぶでしゅか?」
「う、うむ。ミモザ、お前こそ、大丈夫なのか?」
「わたしは問題ないれす。この臭い、薬草の類なので慣れてまふ。毒素は抜かれてましゅから危なくないと思うのでふが……」

 確かに森の民であるエルフには薬草なんて馴染み深いものではあるだろうが、それでもこの強烈な臭いは大丈夫なものには到底思えないぞ。
 というか、既に失神しかけている生徒も何人かいるしな。

 そうこうしていると、時間とともに教室に入ってくる生徒は次第に増えていくが、もれなくその顔は歪んでいる。嗅覚が優れているであろう獣人の生徒に至っては死にそうな顔を浮かべて何度も入るのを躊躇っていた。

 中には何故か何のとっかかりもないようなところで躓いている生徒もいるほど。どんだけ不快をまき散らしているんだ、この煙。

 そろそろ席が埋まろうとしていた頃合い、最後に教室に入ってきた生徒は特に臭いを気にした様子はなく自分の席に着く。何故って、鼻に詰め物をしていたからだ。
 そう、最後の生徒はパエニアだった。

 タイミングを見計らったかのように予鈴のチャイムが鳴り響き、誰もが沈黙する中、黙々モクモクと煙を吐き出させる教師が間を置いてようやく口を開く。

「これで生徒は集まったようだな。遅刻者も欠席者もいないようで何より。それでは授業を始めるとしようか」

 まるでこの事態を何事でもないかのように振る舞い、明確な元凶である彼はようやくして教卓の上から生徒たちに目線を切り替える。

「入学式でも挨拶はくれてやったと思うが、敢えてもう一度自己紹介しよう。カーネ・ディアンカリーだ。ご覧の通り、魔法薬学を専門としている」

 カーネは低く重い声で言う。元々そういう声質なのだろうが、怒りの感情が篭もっているのかと勘ぐってしまうくらいには強い口調だ。

「さて……早速授業に取りかかりたいところだが、まずは交流がてらに、一つゲームをしようか」

 楽しめる意図のなさそうな声色でカーネは何故か左手を高く上げ、何本かの指をピンと立ててみせる。

「では、そこのお前。私の左手、この手の指は一体、何本立っている?」

 ゲームなのか、それは。そう思うが、突然カーネから直接指名された男子生徒はよく分からないまま、席から立ち上がり、背筋を伸ばして答える。

「は、はいっ! 三本です!」
「なるほど。座ってよろしい。では、次は……そこのお前だ。今度は何本だ?」

 そう言いながら指の本数を変えて、また別の女生徒に問いかける。

「はい、四本です……」

 なんでこんな簡単なことを訊ねられているのかも分からず、恐る恐る答えた。

「いいだろう。では、三人目は……最前列に座っているお前だ。私の指は何本立っている?」

 指名された女生徒はゆっくりと立ち上がるも、答えを渋る。
 カーネの左手の指はしっかりと天井を差している。実は右手も数えさせるフェイントなのかと思ったが、ご丁寧にも右手の指は立てていない。

「どうした、答えられないのか? 分からないのなら分からないと答えろ」
「は……はい、わ、分かりません……」

 かなりの間を置いたのに、まさかの回答に教室内がどよめく。最前列でカーネとも大して距離もない位置にいるはずなのに、分からないとは。
 ざわめいた声の中には女生徒を小馬鹿にする言葉も混じって聞こえる。

「よろしい。お前は先ほどの生徒よりも優秀であることが証明された」

 続くカーネの言葉には困惑の声が一斉にあがる。
 何を言っているのかが理解できず、分からないと答えた女生徒すらも何故自分が優秀と言われたのかも理解できていなかったようでキョトンとしている。

「……フィーしゃん、?」
「残念なことに見える……」

 ひそひそ声で隣に座るミモザが訊ねてくる。その問いかけを聞いて、我はこのゲームとやらの主旨をようやくして理解することができた。

「さて、他愛もない児戯であったな。もしここがレッドアイズ国立学院であれば、直ちに落第の印を押し、大多数の生徒には出ていってもらうところだが仕方ない」

 惜しいとでも言いたげ気に、カーネという男は不気味に笑う。ひょっとして今の言葉はジョークか何かだったのだろうか。

「魔法と呼ばれるものは、魔力の感知、ないしは視認できるほどの知覚がなければ始めの一歩すら踏み出せぬ。物わかりの悪い諸君らに種明かしをすると、今、この教室内には私の魔法薬により、極めて濃度の高い魔力を充満させている。感知能力の高いものであればあるほど濃い霧が立ちこめているように見えるだろう」

 我の視界だと、臭い煙が薄くモクモクしている程度だ。この程度であれば目くらましができるほど悪い視界ではなかった。悔しいことに。

「私の授業では、徹底して魔力のなんたるかを頭に叩き込んでやる。感謝するといい。まどろっこしい知恵比べなどしない。諸君らの能力次第では極めて簡単な授業になるであろうな」

 カーネという男が、腹の底から感情を吐き出すかのようなドス黒い声で語る。

 その瞬間、我は直感で理解してしまった。そして、おそらく教室内の生徒の何人かも察してしまったに違いない。
 リンドーとは比べものにならない、むしろあんなのは生易しすぎるくらいの苛烈な授業が待っているということを、確信してしまった。


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 余計な疲労感をかさ増しさせられたかのようなランチタイムも終え、コリウスとも別れ、午後の授業のために教室へと戻った。
 が、これはどうしたものだろう。教室の扉、一枚を隔てた向こうから異様な悪臭が漂っているような気がする。心なしか、廊下もうっすらと煙でモクモクだ。
「はへ……? この臭いは……」
「待てミモザ。……オキザリス、頼む」
「御意」
 警戒しつつ、オキザリスはその扉をゆっくりと開いた。すると、モワァっとした煙とともに、凄まじく鼻腔を責め立てる刺激臭が飛んできた。
 先頭にいたオキザリスもさすがに酷く顔をしかめる。
「どうしたのかね。さっさと教室に入らんか。チャイムが鳴ってしまうぞ」
 教室内から低い男の声が聞こえてくる。見てみると、カーネ教師が教卓に何やら機材らしきものを並べ、その両手に構えた薬物を眺めていた。
 午前中の授業の時にはあんなものなどなかったはずだ。ちょっと目を離した隙に、随分と教室内が様変わりしてしまった。
 カーネのギンギンに光る眼鏡の奥の眼圧に急かされるように、おずおずと我らは教室の中へと入る。すると、既に席に着いていた何人かの生徒は、実に吐き気を催した感じの表情をしている。昼飯食ってからずっとここにいたのか。
「席に着きたまえ。この私の授業が始まるまで今暫く待たれよ」
 こんなあからさまに空気の悪い場所で待機しろと?
 窓は……開いているが、換気能力のキャパシティを越えてしまっているのだろう。身体に染みついてしまうかもしれないほど悪臭が教室内を漂う。
 もし、今の我に魔法が使えていたのなら風魔法をぶっ放していたところだ。
 一体何をどうしたらこんなことができるのかも分からんし、何のつもりであんなことをしているのかも分からん。キツく鋭い目つきで何色とも判別できないような薬を睨み付けては別の容器に移し替えたり、混ぜたりして煙の色を濃くしている。
 あれがコリウス王子の教育係だった男、カーネ・ディアンカリーか。
 オキザリスは軍事国家レッドアイズを代表する術者だとかそんなことを言っていた気がするが、生徒の鼻を曲げることに精を出している男がそうだとは思いがたい。
「フィーしゃん、らいじょうぶでしゅか?」
「う、うむ。ミモザ、お前こそ、大丈夫なのか?」
「わたしは問題ないれす。この臭い、薬草の類なので慣れてまふ。毒素は抜かれてましゅから危なくないと思うのでふが……」
 確かに森の民であるエルフには薬草なんて馴染み深いものではあるだろうが、それでもこの強烈な臭いは大丈夫なものには到底思えないぞ。
 というか、既に失神しかけている生徒も何人かいるしな。
 そうこうしていると、時間とともに教室に入ってくる生徒は次第に増えていくが、もれなくその顔は歪んでいる。嗅覚が優れているであろう獣人の生徒に至っては死にそうな顔を浮かべて何度も入るのを躊躇っていた。
 中には何故か何のとっかかりもないようなところで躓いている生徒もいるほど。どんだけ不快をまき散らしているんだ、この煙。
 そろそろ席が埋まろうとしていた頃合い、最後に教室に入ってきた生徒は特に臭いを気にした様子はなく自分の席に着く。何故って、鼻に詰め物をしていたからだ。
 そう、最後の生徒はパエニアだった。
 タイミングを見計らったかのように予鈴のチャイムが鳴り響き、誰もが沈黙する中、黙々モクモクと煙を吐き出させる教師が間を置いてようやく口を開く。
「これで生徒は集まったようだな。遅刻者も欠席者もいないようで何より。それでは授業を始めるとしようか」
 まるでこの事態を何事でもないかのように振る舞い、明確な元凶である彼はようやくして教卓の上から生徒たちに目線を切り替える。
「入学式でも挨拶はくれてやったと思うが、敢えてもう一度自己紹介しよう。カーネ・ディアンカリーだ。ご覧の通り、魔法薬学を専門としている」
 カーネは低く重い声で言う。元々そういう声質なのだろうが、怒りの感情が篭もっているのかと勘ぐってしまうくらいには強い口調だ。
「さて……早速授業に取りかかりたいところだが、まずは交流がてらに、一つゲームをしようか」
 楽しめる意図のなさそうな声色でカーネは何故か左手を高く上げ、何本かの指をピンと立ててみせる。
「では、そこのお前。私の左手、この手の指は一体、何本立っている?」
 ゲームなのか、それは。そう思うが、突然カーネから直接指名された男子生徒はよく分からないまま、席から立ち上がり、背筋を伸ばして答える。
「は、はいっ! 三本です!」
「なるほど。座ってよろしい。では、次は……そこのお前だ。今度は何本だ?」
 そう言いながら指の本数を変えて、また別の女生徒に問いかける。
「はい、四本です……」
 なんでこんな簡単なことを訊ねられているのかも分からず、恐る恐る答えた。
「いいだろう。では、三人目は……最前列に座っているお前だ。私の指は何本立っている?」
 指名された女生徒はゆっくりと立ち上がるも、答えを渋る。
 カーネの左手の指はしっかりと天井を差している。実は右手も数えさせるフェイントなのかと思ったが、ご丁寧にも右手の指は立てていない。
「どうした、答えられないのか? 分からないのなら分からないと答えろ」
「は……はい、わ、分かりません……」
 かなりの間を置いたのに、まさかの回答に教室内がどよめく。最前列でカーネとも大して距離もない位置にいるはずなのに、分からないとは。
 ざわめいた声の中には女生徒を小馬鹿にする言葉も混じって聞こえる。
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「残念なことに見える……」
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「さて、他愛もない児戯であったな。もしここがレッドアイズ国立学院であれば、直ちに落第の印を押し、大多数の生徒には出ていってもらうところだが仕方ない」
 惜しいとでも言いたげ気に、カーネという男は不気味に笑う。ひょっとして今の言葉はジョークか何かだったのだろうか。
「魔法と呼ばれるものは、魔力の感知、ないしは視認できるほどの知覚がなければ始めの一歩すら踏み出せぬ。物わかりの悪い諸君らに種明かしをすると、今、この教室内には私の魔法薬により、極めて濃度の高い魔力を充満させている。感知能力の高いものであればあるほど濃い霧が立ちこめているように見えるだろう」
 我の視界だと、臭い煙が薄くモクモクしている程度だ。この程度であれば目くらましができるほど悪い視界ではなかった。悔しいことに。
「私の授業では、徹底して魔力のなんたるかを頭に叩き込んでやる。感謝するといい。まどろっこしい知恵比べなどしない。諸君らの能力次第では極めて簡単な授業になるであろうな」
 カーネという男が、腹の底から感情を吐き出すかのようなドス黒い声で語る。
 その瞬間、我は直感で理解してしまった。そして、おそらく教室内の生徒の何人かも察してしまったに違いない。
 リンドーとは比べものにならない、むしろあんなのは生易しすぎるくらいの苛烈な授業が待っているということを、確信してしまった。