ルビが市場の騒音を食べ尽くし、奇妙な静寂が訪れたその場所で、エディターは慎重にジャムの瓶を手にとった。
「ラベルも、色もない。……これは、何も書かれていない『真っ白なページ』そのものだね」
エディターが万年筆の先を瓶の蓋に添え、テコの原理でゆっくりと押し上げると、シュッという、溜め込まれていた溜息のような音が漏れた。
中に入っていたのは、宝石のように澄み切った「透明なジャム」
エディターはそれをひと匙掬い、そっと口に含んだ。
「…………!」
一瞬、心臓の鼓動が耳元で大きく鳴った。
それは、言葉になる前の純粋な「想い」の味だった。
初恋の戸惑い、夜明けの美しさへの感嘆、大切な人を失った時の形容しがたい痛み——
飾られた形容詞をすべて削ぎ落とした、剥き出しの感情が、エディターの五感へダイレクトに流れ込む。
「エディター、私にも一口ちょうだい!」
ルビが長いしっぽをエディターの腕に絡め、ジャムをひとなめした。
その瞬間、透明だったジャムが、彼女の瞳の中で七色の光となって弾ける。
「……美味しい。これが、本当の『言葉の種』なのね」
ルビがそう呟いた瞬間、魔法が解けるように市場全体へ変化が起きた。
ルビが言葉を食べてしまったことで沈黙していた商売人たちが、一人、また一人と口を開く。
しかし、そこから溢れ出したのは、先ほどまでの空虚な自慢や嘘ではなかった。
「……ごめんよ、さっきはあんな言い方をして」
「ずっと、君の作るパンが好きだったんだ」
空中に舞い上がった言葉は、もはや武器のような形をしていない。
それらは光を孕んだ透明な粒となり、市場の隅々まで降り注ぐ。
人々は、飾られた言葉の鎧を脱ぎ捨て、心から「伝えたいこと」だけを語り始めていた。
「……どうやら、校閲は成功したようだね」
エディターは満足げに瓶の蓋を閉めた。
市場は再び活気を取り戻していたが、それはもう「騒音」ではなく、美しい旋律を持った「合唱(コーラス)」のように響いていた。
「ルビ、次の目的地へ行こう。……今度は、もう少し静かな場所だといいんだけど」
「あら、次はどんな味がする言葉に出会えるか、楽しみじゃない!」
ルビは長いしっぽでエディターの背中をポンと叩くと、軽やかな足取りで、新しい物語のページへと踏み出していった。