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#36

ー/ー



◇ ◇ ◇

 連日、母によるネリットの女性らしい暮らしだか振る舞いだかを教育されるなか、適当な理屈をこねて何とか勝ち取った外出したリオンが図書館に行くと、いつもの様に垂れ目の老人が出迎えてくれた。

 長らく村から離れて暮らしていた少女にとって、歳近い友達のいない村は酷く退屈で毎日干からびそうになりながら過ごしていた。
 しかしこの老人だけは昔から変わらず、鬱蒼とした髭を撫でながら笑いかけてくれるのだから、他の来館者など見たことのないオンボロ図書館は、家を除けば唯一の心の拠り所となるのは必然であった。
 少女はつい先日訪れた風変わりな異国の旅人の所へも赴きたかったが、母親に保護観察状態されている昼は長い時間が取れないので、夜まで我慢せざるを得ないのだ。

「母さんったら私に外で遊んではいけないって言うのヨ。代わりに針仕事や皮なめしをしなさいって」

「ここではそれが普通じゃからのう。仕方あるまい」

「そうかシラ。私はそうは思わないワ。だってここじゃ電波が無くて映らないけれど、町のテレビや映画では個性的なドラマがたくさん観られて、そして何より評価されているんだモノ。きっとああいう生き方が正しく素晴らしいって皆思ってるからヨ」

 老人は少女の愚痴を髯を撫でながらあえて熟考するフリをして見せ、最初から決めていた同意する気のない内容を、可能な限り角の取れた口調で伝えた。

「いいかいライアン、いや今はリオンじゃったか。いいかいリオン、個性だとか多様性だというのは固定された観念、基礎となる文化があるからこそ光り輝き誰かの理想となり得るのじゃ。皆が皆これが自分の考えで自分勝手に振舞っておっては社会というのはたちまち立ち行かなってしまう。そうじゃろう?」

「でもロックンロールの人達なんかは普通を押し付けるなって歌ってるじゃない」

「あれも様々なしがらみがあってこそのものじゃ。秩序という物は足の速い者や遅い者が無理をしてでも平均に合わせることで進んで行く。いわば二人三脚ならぬ万人万脚の上で何とか成り立っておる。中には遅すぎて担がれる者や、早すぎて足を括る紐を引きちぎって先を行く者もおるが、周りに誰もおらぬなか一人孤独に走り続ける勇気がリオンにはあるかのう?」

「何となく言っている事は分かるし反論も出来ないけれど、なんだか凄く納得したくないワ。だって丸め込まれている気がするんだモノ」

「大人になるというのはそういうものじゃよ。納得できない事にそれぞれ思い思いの理屈という重りをつけて溜飲を下げる。それが出来るようになれば、漸く身体だけでなく心まで大人になったということじゃ」

 静かになった少女をみて継承の怪異は満足気に髯を撫でる。
 老人にとって文化の継承ほど大切なものはなく、村出身の少女が巷で流行っている新しい考えに染まるなど可能な限りあって欲しくない事だった。
 発した言葉達が詭弁なのか正論なのか彼自身にも分かっていないが、徐々に変化する村の風習を次代へと繋ぐために矯正するという目的のためであれば、そんなことは些細な問題だった。

「そんなに村の常識に合わせて生きることが大切なら、遠くの町にやって勉強なんてさせなければ良かったのヨ。そうしたら個性が大事なんて知らなかったし、村の皆みたいにネリットらしい生き方をしていただろうに」

「お前さんは頭が良すぎたから皆期待したのじゃよ。ネリットの文化に合った新しい考えや道具を持ち込んでくれるとな」

「買い被り過ぎヨ。結局これまで何も出来やしなかったじゃない。あーあ、あたしもジローみたいに自分の国以外へ出てみたい」

 少女は村を出る際に村人総出で送り出された時点で、双肩に重すぎる期待が載せられているのは十分に理解していた。
 反面、漠然としたそれにどう答えればいいのかはてんで分からなかった。
 年に一度長い冬休みに帰省しては、小遣いで買える程度の安い品と土産話をするだけで笑顔になる村長や家族の顔を見て、喜ばれてはいるが本当にこれでよいのかと胸に霞がかかり仕方なかった。

「十分役に立ったとも。新しい針と糸は縫物や傷の縫合を楽にしたし、逆にネリットの文化を遠くの町で語ってくれたおかげで、興味を持った科学者がやって来て文字にして残してくれた。ありがとうリオン。お前さんのお陰でネリットの名は不滅となったのじゃ」

「大袈裟すぎよ」

 大仰に腕を広げて一族の名を永遠のものとしたと褒められた少女は、照れた顔を隠し、逃げるように司書室を出た。

 外観は酷くボロいのに不思議と隙間風一つなく温度の保持された館内には、村最新の建物であるのスーパーよりも快適であるのにいつ来ても人っ子一人見当たらない。

 リオンには物心がついた頃から村を出るまで、自分以外の来館者を見かけた記憶がなく、広場に面した大きな建物だというのに誰一人立ち入らず話題にも上らないのは不思議であった。
 もしかするとこの図書館はシャーマンにしか見えず、館長の声も聞こえない精霊の類で、特定の選ばれた人間にしか見えていないのではないかと疑いまでした。

 妄想が捗った少女は当時まだ会話していた同級生に話題に振ってみたりもした。
 しかしその返答は一様に無関心というか、空のガラス瓶を指で弾いたような無機質な物でどこか不気味に感じ、それ以来両親の前で図書館に行くと告げる場合を除いて口に出すことは辞めた。

 村の図書館は彼女が直近の四年間を過ごした大きな町の図書館に比べれば小さいが、スピリッツ北部の辺境に位置する小さな村の建築物にしては分不相応に立派である。
 洋風建築物には一部例外を除きおおよそ一つのテーマに集中した本が詰め込まれており、それは世界中の文化や風習についてだった。

 それだけ聞けば堅苦しい書物が連想されるかもしれないが、他に行くところのない少女にとって、一様に分厚い表紙を開くことは異世界への扉を開くことに等しかった。

 ブリテンにはネリット族よりずっと小さな部族がいるらしく何より飯がまずい。
 長靴のような形をした地域の男は女に甘ったるい言葉を吐きたがり、目の前でパスタを折ると激怒する。
 エジプトとギリシャは神々が多く住んでいるが、エジプトは王としてギリシャでは一市民として暮らしており扱いがまるで違う。
 ところ変わって南の海にはモアイという石の巨人が支配する国があり定期的に美人コンテストが行われているが、外国の流行りを取り入れた八頭身モアイが優勝した事で物議を醸しだしモアイ投げ戦争へと発展した。
 ネリットの村に引きこもっていては触れられない文化や風習を記したそれらは、幼い頃から今に至るまでリオンの世界を広げ続けている。

 少女が最近特に最近熱を入れて読んでいるのは漫画という物だった。
 司書に無理を言って置いてもらったそれらは、図書館のメインテーマに属さないものであったが、活字だけでなく絵で表現するという文化は読者の想像力を半減させる反面、物語をより現実に投影しやすく説得力のあるものへと昇華させる。
 つまり手軽に異世界を垣間見たいリオンにとって最高の娯楽だったのだ。

 リオンが気を持ち直して今日は何を読もうかと物色していると、たった今登ったばかりの階段の最下段から物音が聞こえて彼女の足を止める。
 司書のものかと思ったがあの老人が昼間部屋から出ることは稀であるし、そもそも司書室から出た気配がない。

 もしかすると珍しく自分以外の来館者がいたのかと、欄干から顔を出して階下を覗く。
 するとそこには、先日彼女がカマクラで見つけ、村はずれに家を借りている旅人が居た。


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 連日、母によるネリットの女性らしい暮らしだか振る舞いだかを教育されるなか、適当な理屈をこねて何とか勝ち取った外出したリオンが図書館に行くと、いつもの様に垂れ目の老人が出迎えてくれた。
 長らく村から離れて暮らしていた少女にとって、歳近い友達のいない村は酷く退屈で毎日干からびそうになりながら過ごしていた。
 しかしこの老人だけは昔から変わらず、鬱蒼とした髭を撫でながら笑いかけてくれるのだから、他の来館者など見たことのないオンボロ図書館は、家を除けば唯一の心の拠り所となるのは必然であった。
 少女はつい先日訪れた風変わりな異国の旅人の所へも赴きたかったが、母親に保護観察状態されている昼は長い時間が取れないので、夜まで我慢せざるを得ないのだ。
「母さんったら私に外で遊んではいけないって言うのヨ。代わりに針仕事や皮なめしをしなさいって」
「ここではそれが普通じゃからのう。仕方あるまい」
「そうかシラ。私はそうは思わないワ。だってここじゃ電波が無くて映らないけれど、町のテレビや映画では個性的なドラマがたくさん観られて、そして何より評価されているんだモノ。きっとああいう生き方が正しく素晴らしいって皆思ってるからヨ」
 老人は少女の愚痴を髯を撫でながらあえて熟考するフリをして見せ、最初から決めていた同意する気のない内容を、可能な限り角の取れた口調で伝えた。
「いいかいライアン、いや今はリオンじゃったか。いいかいリオン、個性だとか多様性だというのは固定された観念、基礎となる文化があるからこそ光り輝き誰かの理想となり得るのじゃ。皆が皆これが自分の考えで自分勝手に振舞っておっては社会というのはたちまち立ち行かなってしまう。そうじゃろう?」
「でもロックンロールの人達なんかは普通を押し付けるなって歌ってるじゃない」
「あれも様々なしがらみがあってこそのものじゃ。秩序という物は足の速い者や遅い者が無理をしてでも平均に合わせることで進んで行く。いわば二人三脚ならぬ万人万脚の上で何とか成り立っておる。中には遅すぎて担がれる者や、早すぎて足を括る紐を引きちぎって先を行く者もおるが、周りに誰もおらぬなか一人孤独に走り続ける勇気がリオンにはあるかのう?」
「何となく言っている事は分かるし反論も出来ないけれど、なんだか凄く納得したくないワ。だって丸め込まれている気がするんだモノ」
「大人になるというのはそういうものじゃよ。納得できない事にそれぞれ思い思いの理屈という重りをつけて溜飲を下げる。それが出来るようになれば、漸く身体だけでなく心まで大人になったということじゃ」
 静かになった少女をみて継承の怪異は満足気に髯を撫でる。
 老人にとって文化の継承ほど大切なものはなく、村出身の少女が巷で流行っている新しい考えに染まるなど可能な限りあって欲しくない事だった。
 発した言葉達が詭弁なのか正論なのか彼自身にも分かっていないが、徐々に変化する村の風習を次代へと繋ぐために矯正するという目的のためであれば、そんなことは些細な問題だった。
「そんなに村の常識に合わせて生きることが大切なら、遠くの町にやって勉強なんてさせなければ良かったのヨ。そうしたら個性が大事なんて知らなかったし、村の皆みたいにネリットらしい生き方をしていただろうに」
「お前さんは頭が良すぎたから皆期待したのじゃよ。ネリットの文化に合った新しい考えや道具を持ち込んでくれるとな」
「買い被り過ぎヨ。結局これまで何も出来やしなかったじゃない。あーあ、あたしもジローみたいに自分の国以外へ出てみたい」
 少女は村を出る際に村人総出で送り出された時点で、双肩に重すぎる期待が載せられているのは十分に理解していた。
 反面、漠然としたそれにどう答えればいいのかはてんで分からなかった。
 年に一度長い冬休みに帰省しては、小遣いで買える程度の安い品と土産話をするだけで笑顔になる村長や家族の顔を見て、喜ばれてはいるが本当にこれでよいのかと胸に霞がかかり仕方なかった。
「十分役に立ったとも。新しい針と糸は縫物や傷の縫合を楽にしたし、逆にネリットの文化を遠くの町で語ってくれたおかげで、興味を持った科学者がやって来て文字にして残してくれた。ありがとうリオン。お前さんのお陰でネリットの名は不滅となったのじゃ」
「大袈裟すぎよ」
 大仰に腕を広げて一族の名を永遠のものとしたと褒められた少女は、照れた顔を隠し、逃げるように司書室を出た。
 外観は酷くボロいのに不思議と隙間風一つなく温度の保持された館内には、村最新の建物であるのスーパーよりも快適であるのにいつ来ても人っ子一人見当たらない。
 リオンには物心がついた頃から村を出るまで、自分以外の来館者を見かけた記憶がなく、広場に面した大きな建物だというのに誰一人立ち入らず話題にも上らないのは不思議であった。
 もしかするとこの図書館はシャーマンにしか見えず、館長の声も聞こえない精霊の類で、特定の選ばれた人間にしか見えていないのではないかと疑いまでした。
 妄想が捗った少女は当時まだ会話していた同級生に話題に振ってみたりもした。
 しかしその返答は一様に無関心というか、空のガラス瓶を指で弾いたような無機質な物でどこか不気味に感じ、それ以来両親の前で図書館に行くと告げる場合を除いて口に出すことは辞めた。
 村の図書館は彼女が直近の四年間を過ごした大きな町の図書館に比べれば小さいが、スピリッツ北部の辺境に位置する小さな村の建築物にしては分不相応に立派である。
 洋風建築物には一部例外を除きおおよそ一つのテーマに集中した本が詰め込まれており、それは世界中の文化や風習についてだった。
 それだけ聞けば堅苦しい書物が連想されるかもしれないが、他に行くところのない少女にとって、一様に分厚い表紙を開くことは異世界への扉を開くことに等しかった。
 ブリテンにはネリット族よりずっと小さな部族がいるらしく何より飯がまずい。
 長靴のような形をした地域の男は女に甘ったるい言葉を吐きたがり、目の前でパスタを折ると激怒する。
 エジプトとギリシャは神々が多く住んでいるが、エジプトは王としてギリシャでは一市民として暮らしており扱いがまるで違う。
 ところ変わって南の海にはモアイという石の巨人が支配する国があり定期的に美人コンテストが行われているが、外国の流行りを取り入れた八頭身モアイが優勝した事で物議を醸しだしモアイ投げ戦争へと発展した。
 ネリットの村に引きこもっていては触れられない文化や風習を記したそれらは、幼い頃から今に至るまでリオンの世界を広げ続けている。
 少女が最近特に最近熱を入れて読んでいるのは漫画という物だった。
 司書に無理を言って置いてもらったそれらは、図書館のメインテーマに属さないものであったが、活字だけでなく絵で表現するという文化は読者の想像力を半減させる反面、物語をより現実に投影しやすく説得力のあるものへと昇華させる。
 つまり手軽に異世界を垣間見たいリオンにとって最高の娯楽だったのだ。
 リオンが気を持ち直して今日は何を読もうかと物色していると、たった今登ったばかりの階段の最下段から物音が聞こえて彼女の足を止める。
 司書のものかと思ったがあの老人が昼間部屋から出ることは稀であるし、そもそも司書室から出た気配がない。
 もしかすると珍しく自分以外の来館者がいたのかと、欄干から顔を出して階下を覗く。
 するとそこには、先日彼女がカマクラで見つけ、村はずれに家を借りている旅人が居た。