1. 破壊の次の日の絶望
「昨日、パトカーが二台、消防車が一台、アパートの周りに来たんですよ……」
佐倉亮太は、会社員としての業務そっちのけで、大家さんへの謝罪文を打ち込んでいた。窓ガラスを失った上階の山田さんは、既に大家さんへ「天井に穴を開けた爆弾テロリストがいる」と通報したらしい。
ヒロインたちに罪悪感はない。ルルとヒヨリは、作戦失敗の原因をエラシアの「風の魔力による妨害」だと断定し、リビングの角で睨み合っている。
「私の夫を守るのは、私の務め。あの稚児と氷女の野蛮な魔法こそ、夫の平穏を脅かす」
エラシアは、そんな二人を優雅に無視し、亮太の隣で黙々と剣の鞘を磨いていた。
「エラシア、君も原因の一つだからね? 屋上の熱風と冷気の圧縮で、山田さんの窓ガラスが吹き飛んだんだぞ!」
「夫よ、無駄口を叩くな」
エラシアは剣から顔を上げず、亮太の耳元に囁いた。
「風の精霊から、お前の会社の人間(楓)が、お前を連れ出す計画を企てていると聞いている。彼女が夫を私から引き離そうとするなら、私は彼女の秘密を社内で拡散する」
「な……!?」
亮太は青ざめた。エラシアは亮太のフィギュア趣味を知っており、それを社内でバラされることは、彼の会社員人生の終焉を意味する。
「私から逃げようとするな、夫。私は『古の誓約』を履行し、お前を里へ連れ帰る義務がある」
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2. ハイエルフの「夫」への一途な思い
その日、ルルとヒヨリがスーパーへ買い出しに出た隙を見計らい、エラシアは亮太を強引にリビングのソファに座らせた。
「あの二人が居ない今、話しておこう。お前の持つ『魂の共振』こそ、我らハイエルフが数世紀に渡って探していた、里の存続の鍵だ」
エラシアは剣を膝に置き、琥珀色の瞳を真剣に亮太に向けた。
「我らエルフの里は、風の魔力が枯渇しつつある。このままでは里は大地に飲み込まれ、我らの種は滅びる。だが、お前が持つ『結び目』の力が、枯渇した風の魔力を再生させる、唯一の源なのだ」
「僕の力が、風の魔力を……?」
「そうだ。故に、里に戻り、儀式を行わねばならぬ。その儀式で、お前は正式に私の『夫』となり、我らの里の『風の源』となるのだ」
エラシアは、遠い故郷の風景を語るように、静かに、しかし熱烈に続けた。彼女の高貴なプライドの裏には、種族を守ろうとする一途で孤独な使命感が隠されているのを感じた。
「夫よ。あのピンクの稚児のように煩わしい魔法も使わぬ。あの氷女のように冷気で迷惑もかけぬ。里では、私が常に守護し、二度とアパートの退去に怯えることもない。さあ、私と共に――」
エラシアは、亮太の手を取り、その手の甲に唇を寄せた。亮太は、彼女の真剣な眼差しと、使命を背負う者の重みに、心が揺さぶられた。
(連れ去られるのは嫌だ。でも、この人たちの故郷を救えるかもしれないのか……?)
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3. マドンナの強行保護作戦
亮太がエラシアの誘いに動揺している、その時。
ドォン! ドォン! ドォン!
隣室から、かつてないほど激しい壁ドンが鳴り響いた。
「佐倉さーん! 応答してください! 今、あなたの部屋から異常で危険な魔力の変動を感じました!」
「なんで魔力の変動がわかるんだ!?」
壁の向こうで叫ぶのは、神崎楓の声だ。
(まずい、楓さんが来る! エラシアの盗聴で、この真剣な空気を察知されたのか!?)
「夫よ、外の雑音がうるさい。私がお前を守る」
エラシアは剣を抜き、玄関のドアへ向かう。
「待て! エラシア、やめろ!」
その時、玄関のドアノブがガチャリと音を立て、楓が無理やり合鍵を使ってドアを開けた。
「佐倉さん! 大丈夫ですか――って、やっぱり! あのエルフがあなたに何か怪しいことを!」
楓は息を切らし、目を見開いた。彼女の手には、護身用なのか、細身の木刀が握られていた。
「人間。お前が何者かは知らぬが、私の夫を邪魔するな」
エラシアは剣を構える。楓は、目の前の絶世の美人が、本気で殺意を向けているのを肌で感じた。
「邪魔なのは、あなたたち異世界の人間です! 佐倉さんは、平凡な日常を愛する、善良な会社員なんです! そんな人の人生を勝手に奪わないで!」
楓は震える木刀を向け、エラシアと対峙する。
「佐倉さん! もう限界でしょう! 大家さんに全て知られて退去させられる前に、今夜、この木刀が折れてもあなたをここから連れ出します。私の部屋は安全です。さあ、私の部屋に来てください!」
楓は、恐怖を押し殺し、亮太に手を差し伸べた。
亮太は、真剣な使命を背負ったハイエルフと、ただの会社員だが強い意志を持つマドンナの間で板挟みになる。
「い、いや、ちょっと待って! 二人とも武器を下ろして! 僕のフィギュア棚が、これ以上風圧で崩壊したら……!」
亮太の叫びは、二人の美少女の熱い視線と、上階から聞こえる山田さんの「風を呼ぶ呪文」の騒音にかき消された。
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4. 聖域の叫び、そして休戦
エラシアと楓は、互いに一歩も引かず対峙した。ハイエルフの剣からは冷たい闘気が放たれ、楓の木刀からは恐怖を打ち消す熱量が溢れていた。
「人間よ、その木切れで私に勝てると思うか」
「勝てなくても、時間稼ぎはできます!佐倉さんを、あなたたちのエゴから守るために!」
エラシアが剣を振り上げ、楓が木刀を水平に構えた――その瞬間、二人の間に、地を這うような絶叫が突き刺さった。
「ストーーーーーーーーーーーーップ!!!!!」
亮太は文字通り、二人の間に飛び込んだ。
「二人の武器を下ろせ! 今すぐだ! これ以上風圧で揺らしたら、あの棚の上の『可憐な魔法使い』が倒れる!!」
亮太が指差したのは、ルルが昨日「魔力増幅カスタム」を施したビニールシートのかかったフィギュア棚だった。棚の奥に置かれた、最も高価でデリケートなフィギュアが、微細な風の振動でカタカタと揺れ始めている。
その悲鳴は、ヒロインたちの世界を救う使命よりも、亮太にとって遥かに重大な危機であることを、両者にはっきりと理解させた。
エラシアは剣を下ろした。
「……フン。つまらぬ。夫の精神衛生を優先せねばならぬか」
楓も木刀をゆっくりと下げた。彼女は初めて、亮太が命の危機よりもフィギュアを優先した事実と、彼の隠された趣味に気づき、顔を赤らめた。
「さ、佐倉さん……あ、あなたの趣味は……」
「わああああ! 言わないでください、楓さん! お願いだから、会社で言わないでくれ!」
亮太はフィギュア棚にしがみつき、屈辱と安堵で震えた。
その騒動の最中、玄関のドアが開き、スーパーの袋を抱えたルルとヒヨリが帰宅した。
「マスター! ただいま……って、なんじゃ! あの女、まだいたでありますか!」
「我が王に近づくなど……!」
再びリビングに混沌が満ちるのを感じた亮太は、フィギュアを抱きしめたまま、小さく呻いた。
「…僕のフィギュアと賃貸契約、どっちが先に逝くんだろう……」