第60話 門開之儀
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夜明け前、悠木と桐子は岩の前にいた。その後ろに桐子の側に仕える裕香ら五人の巫女と悠木の付添いの恵子とサキが並んで立っていた。儀式は奥之宮の関係者にも秘密裏に行われた。
悠木は白い袴に薄い上衣。義手と義足をつけず、桐子に体を支えられていた。片足で、気だるそうに立っている。
「姉さん、ここから入ればいいのかい?」と悠木。
「そうよ。向こうに迎えの者がいるから、指示に従いなさい」と桐子。
「向こうで何をするの?」と悠木。
「神饌を食べるのよ」と桐子。
「それだけ?」と悠木。
「そうよ。向こうの食べ物を食べれば、向こうの存在になるのよ」と桐子。「知ってるでしょ」
「わかったよ」と悠木。「じゃあ行ってくる」
会話は後ろの巫女たちにも聞こえていた。
「祝詞の奏上を」と裕香が声をあげた。
「いらないわ」と桐子が直接答えた。「早く始めたいから」
裕香が後ろに下がった。
悠木は片足のけんけんで前に出て岩に近づくと、体がふわりと浮いた。左手をあげて、大きく円弧を描くように左から右に回すと、指先のなぞった線に沿って空間が切れた。丸く明るい光が漏れている。その奥に別の世界が広がっているのが巫女たちにも見えた。
悠木は事もなく奥の空間に入っていくと、切れ目はなくなって元に戻った。
桐子は振り向いた。
「あの子はしばらく戻ってこない。今のうちに、祝いの準備をしなさい」
裕香たち巫女はまるで夢でも見ているような心地がした。悠木と呼ばれている子供はゲートをくぐった。そして神になって戻ってくるという。だが、すでにゲートをくぐる前から神のごとき存在ではなかったか。
本物かどうかを論じていた自分たちが、いかに取るに足らない存在かということを思い知らされた。
裕香は、心のどこかにあった疑念を悔いた。おそらく、涙の魔術師には彼女らの考えは手に取るようにわかっていただろう。彼にとって、門前払いを食わされた以前と何も違わなかった。だから口も利かずに、姉である大神の言われるがままにしていたのだろう。
「お前たちも祝いの宴に加われ」と桐子は続けた。
五人の巫女は黙って頭を下げた。
「よいか、黒魚之風大神を大いにもてなすのじゃ」と桐子。
巫女たちは戸惑った顔をした。
「何か不満か?」と桐子。「直答を許すぞ」
「おもてなしの役を仰せつかり、大変光栄でございます」と裕香。「ですが、黒魚之風大神様のことを私たちは何も存じませぬ。どのようなご趣向を好まれるのか、お教えいただけないでしょうか」
「お前たちには、涙の魔術師をここに連れて来ることを知らせておいたであろう。なぜ準備をしておらぬ」と桐子。「しかも、お前たちは第一次防衛戦争の折に、あいつのことをねほりなほり調べておったろうに」
「申し訳ありません。まさか涙の魔術師様を接待することになろうとは、思ってもおりませんでした」と裕香は正直に答えた。
「仕方ない。食事を振る舞って、何か舞を舞っておればよい」と桐子。
「承知いたしました」と裕香。
朝日が境内を照らす頃、悠木はひょいと岩の中から現れた。やれやれという顔をして、ふわりと地上に降りてきたところを桐子に抱きかかえられた。
「ちゃんと、お使いができたようね」と桐子。
「うん」と悠木。「向こうにも桐子姉さんがいて、びっくりしたよ」
「私を誰だと思ってるの?」と桐子。
「ずっと、姉さんに踊らされてたって気がついたよ」と悠木。
「人聞きが悪いわね。ちゃんとあなたのお世話をしていたのよ」と桐子。
桐子は紅白紋の幕の内側に、悠木の手をひいて入った。
「あなたの門開之儀のお祝いの宴を用意したわ」と桐子。
「そうなんだ」と悠木。
桐子は悠木を脇に抱きかかえ、五人の巫女と恵子とサキに向かいあった。
「黒魚之風大神は、これで名実ともに神となった。しかるに、ここに祝いの宴を開く。皆、黒魚之風大神を言祝ぐのじゃ。そして喜びを共にせよ」
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夜明け前、悠木と桐子は岩の前にいた。その後ろに桐子の側に仕える裕香ら五人の巫女と悠木の付添いの恵子とサキが並んで立っていた。儀式は奥之宮の関係者にも秘密裏に行われた。
悠木は白い袴に薄い上衣。義手と義足をつけず、桐子に体を支えられていた。片足で、気だるそうに立っている。
「姉さん、ここから入ればいいのかい?」と悠木。
「そうよ。向こうに迎えの者がいるから、指示に従いなさい」と桐子。
「向こうで何をするの?」と悠木。
「神饌を食べるのよ」と桐子。
「それだけ?」と悠木。
「そうよ。向こうの食べ物を食べれば、向こうの存在になるのよ」と桐子。「知ってるでしょ」
「わかったよ」と悠木。「じゃあ行ってくる」
会話は後ろの巫女たちにも聞こえていた。
「祝詞の奏上を」と裕香が声をあげた。
「いらないわ」と桐子が直接答えた。「早く始めたいから」
裕香が後ろに下がった。
悠木は片足のけんけんで前に出て岩に近づくと、体がふわりと浮いた。左手をあげて、大きく円弧を描くように左から右に回すと、指先のなぞった線に沿って空間が切れた。丸く明るい光が漏れている。その奥に別の世界が広がっているのが巫女たちにも見えた。
悠木は事もなく奥の空間に入っていくと、切れ目はなくなって元に戻った。
桐子は振り向いた。
「あの子はしばらく戻ってこない。今のうちに、祝いの準備をしなさい」
裕香たち巫女はまるで夢でも見ているような心地がした。悠木と呼ばれている子供はゲートをくぐった。そして神になって戻ってくるという。だが、すでにゲートをくぐる前から神のごとき存在ではなかったか。
本物かどうかを論じていた自分たちが、いかに取るに足らない存在かということを思い知らされた。
裕香は、心のどこかにあった疑念を悔いた。おそらく、涙の魔術師には彼女らの考えは手に取るようにわかっていただろう。彼にとって、門前払いを食わされた以前と何も違わなかった。だから口も利かずに、姉である大神の言われるがままにしていたのだろう。
「お前たちも祝いの|宴《うたげ》に加われ」と桐子は続けた。
五人の巫女は黙って頭を下げた。
「よいか、黒魚之風大神を大いにもてなすのじゃ」と桐子。
巫女たちは戸惑った顔をした。
「何か不満か?」と桐子。「|直答《じきとう》を許すぞ」
「おもてなしの役を仰せつかり、大変光栄でございます」と裕香。「ですが、黒魚之風大神様のことを私たちは何も存じませぬ。どのようなご趣向を好まれるのか、お教えいただけないでしょうか」
「お前たちには、涙の魔術師をここに連れて来ることを知らせておいたであろう。なぜ準備をしておらぬ」と桐子。「しかも、お前たちは第一次防衛戦争の折に、あいつのことをねほりなほり調べておったろうに」
「申し訳ありません。まさか涙の魔術師様を接待することになろうとは、思ってもおりませんでした」と裕香は正直に答えた。
「仕方ない。食事を振る舞って、何か舞を舞っておればよい」と桐子。
「承知いたしました」と裕香。
朝日が境内を照らす頃、悠木はひょいと岩の中から現れた。やれやれという顔をして、ふわりと地上に降りてきたところを桐子に抱きかかえられた。
「ちゃんと、お使いができたようね」と桐子。
「うん」と悠木。「向こうにも桐子姉さんがいて、びっくりしたよ」
「私を誰だと思ってるの?」と桐子。
「ずっと、姉さんに踊らされてたって気がついたよ」と悠木。
「人聞きが悪いわね。ちゃんとあなたのお世話をしていたのよ」と桐子。
桐子は紅白紋の幕の内側に、悠木の手をひいて入った。
「あなたの|門開之儀《もんびらきのぎ》のお祝いの宴を用意したわ」と桐子。
「そうなんだ」と悠木。
桐子は悠木を脇に抱きかかえ、五人の巫女と恵子とサキに向かいあった。
「黒魚之風大神は、これで名実ともに神となった。しかるに、ここに祝いの宴を開く。皆、黒魚之風大神を|言祝《ことほ》ぐのじゃ。そして喜びを共にせよ」