ある古びた芝居小屋。控え室では座長がタバコを吸いながら脚を組み、壁に貼られたポスターをぼんやりと眺めていた。
「ギャルと魔物」
派手なメイクをした女性が挑発的なポーズを決め、隅っこにゴブリンが控えめに写り込んでいるストリップショーのポスターだ。
そこへ、エリシアが現れる。
「あら〜、どうもお疲れさんですわねぇ〜!」
豪快な挨拶に座長は驚いた顔を見せ、すぐに笑顔になる。
「あ! オーナー! どうもお世話になります!」
エリシアは控えめな動作で畳に座ると、懐からタバコを取り出した。座長はすぐさま火をつけてやる。
「いや、ちょっとこっちに来る用事がありましてねぇ。」
「そうだったんですか。」
座長は軽くタバコをふかしながら、エリシアに視線を向ける。
控え室には古いラジオが置かれ、ぼんやりとした音声が流れている。
——建設予定のカジノは外国人向けで、地元住民の立ち入りは規制されています。これに対して地元住民からは反発の声が上がっております——
エリシアは煙をくゆらせながら、座長と世間話を始める。
「そういえば、あのゴブリンはどうしてますの?」
その一言で、二人の視線は控え室の壁に貼られたポスターへ注がれた。
ポスターには派手なギャルと控えめなゴブリンが写っている。どこかコミカルなその構図に、エリシアが軽く笑みを浮かべる。
実はそのゴブリン、かつてエリシアが運営する魔術の通信講座を受講していたが、高額な受講料——200万円を支払えなくなり、挫折。
結果、エリシアが救済(という名目)でこの芝居小屋に紹介し、働かせているのだった。
座長は不満げに口を開いた。
「あのゴブリンですかぁ、なんか鈍臭いし、台詞回しも下手くそやねぇ。」
エリシアは軽く笑いながら応じた。
「オホホ、そうでしたの。」
その時、控え室のドアが開き、ゴブリンが入ってきた。
「あ、すいません……。」
ゴブリンはエリシアが来ると聞いていて、座長の指示で彼女のタバコを買いに行かされていたのだった。
「遅かったのう!」
座長が咎めるように言う。
ゴブリンは恐縮しながらエリシアにタバコを差し出した。
エリシアはそれを受け取り、銘柄を確認する。
「あら、私メンソールだった……。」
「あっ!すいません!すぐ買い直してきます!」
慌てて控え室を飛び出そうとするゴブリンを、エリシアが手で制した。
「あぁ、いいですわよ。これで十分ですわ。」
しかし座長はそうはいかない。
「いやいやいや、オーナー!こんなミスを許すわけにはいきません!買い直させてきます!おい!お前!ふざけやがって!」
ゴブリンはますます慌てた様子で謝るが、エリシアが宥めるように声をかける。
「まあまあまあ、座長。大丈夫ですわよ。これくらいのことでそんなに怒ることもありませんでしょう?」
座長は厳しい口調でゴブリンに向かって怒鳴った。
「お前、ちゃんとしろよ! これも修行やぞ!」
ゴブリンは不貞腐れた表情で、小さな声で返事をした。
「……う、うん。」
その瞬間、座長の顔がさらに険しくなる。
「うん!? 返事は『はい』やろ! どの面さげてそんな言葉遣いしてんねん!」
ゴブリンは思わず体を縮こませながら、消え入りそうな声で言った。
「は、はい……。」
そんなやり取りを見ていたエリシアはタバコをくゆらせながら、肩をすくめて笑う。
「あら、まあまあ。座長、そのくらいでいいではありませんの?」
「オーナー、甘やかすと調子に乗りますからな!」
ゴブリンはとりあえず控え室の隅に腰を下ろした。
座長はゴブリンに向かって重々しく言い聞かせるように話しかける。
「オーナーから借りた200万円、ちゃんと働いて返せよ! な? しっかり働けば数年で返せるんだから!」
ゴブリンは縮こまりながら、ぼそっと返事をした。
「はい……。」
控え室には気まずい空気が漂う。ゴブリンは気まずさに耐えられなくなり、耳をラジオの音声に向けた。
——最近では神官のギャンブル依存症が問題となっており、カジノの建設には懐疑的な声も上がっています——
ゴブリンはその内容に軽く眉をひそめる。ラジオの音が妙に騒がしい控え室の空気にマッチしているようで、彼はただため息をつくばかりだった。
——ガチャ。
控え室のドアが開き、シスター風の女性が入ってきた。
その場にいた全員が一瞬彼女に視線を向けたが、特にゴブリンは驚いた様子で固まる。
「……あっ。」
目が合った瞬間、ゴブリンの表情がさらに引きつる。
そこに立っていたのは、離婚した元妻だった。
エリシアはタバコをくゆらせながら、面白そうにゴブリンと女性を交互に見た。
「あら、これはまた……。」
その女性——シスター風の服装をした彼女は特に気まずそうな表情も見せず、軽く頭を下げる。
実は、ゴブリンが抱える借金の一部は、彼女のものを肩代わりしたものだった。
かつて二人は夫婦だったが、諸事情で別れることになり、その後もなぜか腐れ縁が続いていた。
そもそもゴブリンがエリシアの魔術通信講座に手を出したのも、彼女との離婚後に一発逆転を狙ったためだった。
魔法さえ使えれば何とかなると賭けに出て、高額な講座を契約したものの——案の定うまくいかず、結局エリシアから借金を抱える羽目になった。
その間にも元妻とはなんだかんだで縁が切れず、彼女もまだたまに顔を出してくる。
シスター風の女性は淡々と口を開く。
「久しぶりね、元気にしてる?」
ゴブリンは視線を逸らしながら、小声で返事をした。
「……まあ、なんとか。」
エリシアは二人の間に漂う妙な空気を察し、すっと立ち上がった。
「ちょっとお茶でも行きましょうか。」
そう言って、隣に座る座長を軽く誘う。
座長は一瞬戸惑ったが、エリシアが笑顔で促すと、渋々立ち上がった。
その間、エリシアはゴブリンに声をかける。
「ちょっと喫茶店の……カポーネ行ってきますわ。何かあったら言ってくださいましね。」
ゴブリンは首をかしげて聞き返した。
「カポーン?」
エリシアはすかさず訂正する。
「カポーネ!」
そのやり取りを横で聞いていた座長が嫌らしい笑みを浮かべながら念を押した。
「逃げんなよ! わかってるな!?」
ゴブリンは反射的にぶっきらぼうな返事をしてしまう。
「あ?」
座長は険しい表情で繰り返す。
「逃げんなよつってんの!」
「あぁ……。」
ゴブリンは消え入りそうな声で答えたが、その態度に座長は舌打ちしながらエリシアについていった。
「ちっ……。」
控え室にはゴブリンと元妻のシスターが残され、微妙な沈黙が流れ始めた。エリシアはそんな状況を背に、喫茶店へと向かうのだった。
控え室には気まずさが漂う中、シスターが軽い調子で話しかけた。
「久しぶり、元気ぃ〜?」
ゴブリンは肩をすくめて返事をする。
「まあ、なんとかな。」
シスターは笑みを浮かべながら続けた。
「さっき舞台こっそり見てたよ。まるでスターじゃん。」
ゴブリンは手を振りながら首を振る。
「いやいやいや……ただのモブキャラだよ。」
そのやり取りの中、シスターは手元にあったシュークリームの箱を差し出した。
「お土産〜!」
「おお!」
ゴブリンは目を輝かせて箱を受け取る。
だが、シスターは次の瞬間、軽く頭を抱える仕草をした。
「あちゃー、失敗したかも。」
「ん?」
「飲み物も買ってくればよかった……。」
「……。」
控え室には微妙によそよそしさの残る変な空気が漂い続けていた。ラジオから聞こえる音声も、いつの間にか競馬の中継に変わっていたが、二人ともそんなことは気にも留めていない。
久しぶりの再会にも関わらず、場の雰囲気はどうにもぎこちなかった。
そんな中、ゴブリンが立ち上がる。
「あぁ〜じゃあ俺ジュース買ってくるわ!……あれ、カフェオレが良かった?」
シスターは少し考えてから答えた。
「うーん……じゃあ……マウントレーニア! あ、無かったらなんでもいい。」
ゴブリンは笑顔でうなずく。
「オッケーオッケー。」
そう言い残して、控え室を出ていった。
誰もいなくなった控え室で、シスターはしばらくシュークリームの箱を眺めていたが、ふと立ち上がると控え室を物色し始めた。
——キエースクリームが追いかける! キエースクリームが追いかける! だが!? 早い! 早いぞディープアタック! さあどうなる! キエースクリームが——
ラジオの競馬中継が妙に熱を帯びた声で盛り上がっている。
シスターは途中で物色の手を止め、立ったまま競馬の音声に気を取られる。
「ふぅん……。」
興味を惹かれたように聞き入っていたが、レースの結果が決まると急に興味を失い、再び控え室のテーブルに視線を戻す。
ふと目に留まったのは、机の上に置かれたヴィトンの財布。
「これ……あの人のじゃない?」
シスターは一瞬だけ考え込んだが、次の瞬間には何の躊躇もなく財布を手に取り、開いて中を確認する。
そこには現金12万円がきっちりと入っていた。
彼女はその札束を迷いなく抜き取り、自分の財布に突っ込む。
シスターがエリシアの財布から抜き取った12万円を自分の財布に入れ直し、それをカバンにしまったところで、タイミング悪くゴブリンが戻ってきた。
「ただいま!」
ドアを開けて入ってきたゴブリンと、目が合うシスター。ほんの一瞬、空気が固まる。
だが、その沈黙をゴブリンがあっけらかんと破った。
「ノンシュガー買ってきたよ。」
シスターは自然な笑顔を浮かべ、カバンのファスナーを閉めながら返事をする。
「ありがと〜。カスタードとチョコあるから、好きなやつ選んでよ。」
ゴブリンは差し出されたシュークリームの箱を見て喜び、椅子に座り直しながら答える。
「サンキュー。」
二人がシュークリームを手に取ったちょうどそのタイミングで、エリシアと座長が控え室に戻ってきた。
エリシアは笑顔で控え室を見回しながら呟いた。
「いや〜私が財布を忘れるなんて〜!」
座長が即座に応じる。
「言ってくれれば、僕が出しましたのに。」
エリシアは軽く手を振って答えた。
「いえいえ! オーナーの私が奢るのが筋ですわよ〜。」
エリシアはテーブルに置いてあったヴィトンの財布を手に取った瞬間、異様な軽さに眉をひそめた。
「……おっかしいですわねぇ。」
そんなエリシアの背後では、支配人がゴブリンにちょっかいをかけている。
「えぇ!? こんなもん食ってるなんてよ、いい身分だなぁおい!」
「いや……まあ……。」
ゴブリンが曖昧に返事をする中、シスターが声をかける。
「あ、支配人さんもいる〜?」
支配人は驚きながらも、嬉しそうに答える。
「え、いいの!? もーありがとうね〜!」
嬉々としてシュークリームを手に取る支配人だが、その隙にエリシアの様子が気になり、彼女に密かに声をかけた。
「オーナー?」
エリシアは財布を軽く振りながら、無表情で呟いた。
「……おっかしいですわねぇ。」
支配人はすぐに察し、さらに声を低くして尋ねる。
「オーナー? どうしました?」
エリシアは支配人に近づき、そっと耳打ちをする。
支配人は無言でゴブリンを鋭く睨みつける。
その視線に気づかないゴブリンがシュークリームを頬張る中、エリシアは静かに呟いた。
「ちょっと……いいですの?」
エリシアと支配人はゆっくりと腰を下ろし、ゴブリンに向き合う。
エリシアが微笑みながら問いかけた。
「さっき……私の財布に触りました?」
ゴブリンは口をモグモグさせながら首をかしげる。
「いや、何のことかまるでわかんないんですけど。」
エリシアの目が鋭く光り、口調は柔らかいままだ。
「正直に言ってくださいまし。」
その瞬間、支配人が怒声を上げた。
「おいコラァ! お前が盗んだんちゃうんか!? おおぉ!?」
ゴブリンはますます困惑し、言葉を失うが、エリシアが落ち着いた声で宥めた。
「まあまあまあ、支配人さん。」
ゴブリンは完全に訳が分からない状態だった。
「何のことか……さっぱりなんですけど。」
エリシアは淡々と、しかしどこか圧を感じさせる声で続ける。
「私がさっきカポーネに行ってる間に……私の財布に何かしましたの?……え?」
ゴブリンは焦りながら返した。
「すいません……よく聞こえなかった。」
その瞬間、支配人は乱暴にラジオを止め、音声が途切れる。
「金が無くなっとるんじゃ! 全部無くなっとる! オーナーの金が!」
支配人の怒声が響き渡り、ゴブリンはようやく事態の重大さに気づき始めたのだった。シスターは目をそらしつつ、静かにシュークリームを口に運んでいる。
エリシアは静かに語り始めた。
「朝、2万円しかなかったですから、ローソンで10万円降ろしてきましたの。それで、財布を忘れて取りに戻る間に……なくなってましたの。いや、なんでかなって……。」
その冷静な説明に、ゴブリンはシュークリームを握ったまま呆然とした表情を浮かべる。
一方、支配人は激しい口調で吠えた。
「お前、話わかってんのか!? なあ! おい!」
ゴブリンが口を開こうとするが、その前にエリシアが支配人を手で制した。
「まあまあ! まだゴブリンさんだと決まった訳じゃありませんので。」
「いや、絶対こいつですよ!油断も隙もあったもんじゃねえ!」
支配人はイライラを隠せず、ゴブリンの肩を強めに殴った。
「おい! わかってんのか!? こら!」
「まあまあまあ! 支配人さん!」
エリシアが穏やかに支配人を宥めるが、ゴブリンの顔に何かが閃く。彼は急にエリシアに向かって声を上げた。
「オーナーさん、オーナーさん!」
だが、その瞬間、シスターが手を挙げて制止した。
「ちょっと待ってください。」
「……?」
「……?」
その場の全員がシスターに視線を向ける。ゴブリンは何かを話そうとしたが、シスターは手で制止し、前に出ると無理やり話を続けた。
シスターは一人で静かに語り始めた。
「お金っていうのは……人の本性を暴くものです。」
部屋の中が妙に静まり返る中、シスターの声だけが響く。
「そして人の心も……変えてしまいます。」
「どんな人だってたくさんのお金を見れば……魔が刺すというか……。」
ゴブリンは気まずそうに顔を逸らしながら、シスターの話を黙って聞いている。
「欲望があるのが人の常なのでしょう。」
その言葉を締めるように、シスターはゆっくりとエリシアの方を向いた。
「オーナーさん。」
エリシアはタバコをくゆらせながら、不思議そうな表情でシスターを見返す。
「……?」
シスターは一瞬だけ深呼吸をしてから、口を開いた。
「ゴブリンさんを——」
部屋に緊張が走る。
「許してやってもらえませんか?」
「ええぇえええぇ!?」
突然の展開に、ゴブリンは驚きのあまり床を転がった。
「もしゴブリンさんが過ちを犯していたとしても、それを責め続けるのではなく……許しを与えることが、私たちの務めなのではないでしょうか。」
エリシアは深いため息をつき、呆れた声を漏らした。
「はあああぁ……。」
彼女の目には、所詮ゴブリンはゴブリン、といった諦めが浮かんでいる。
一方で支配人は怒りが爆発し、ゴブリンを怒鳴りながら蹴り飛ばしている。
「お前、ふざけんなコラァ! オーナーさんの世話になっといて、何やこれ!? おおおぉん!?」
ゴブリンは床を転げ回りながら、必死に周囲を見渡した。
すると、さっきまでそこにいたシスターの姿が消えていることに気づく。
「……!」
彼女がそそくさと逃げ出したことを悟ったゴブリンは、慌てて叫んだ。
「すいません! すいません! お金は返しますんで!」
その言葉に、支配人がさらにヒートアップしようとしたが、エリシアが静かに手を上げて制止した。そして、ボソッと呟く。
「お金は返せても……信頼の方は……ね。」
その一言に支配人もゴブリンも沈黙する。
控え室には重い空気が漂い、エリシアはそんな状況に興味を失ったように立ち上がると、そっと部屋を後にしたのだった。