8 奮闘
ー/ー ゆっくりと何かに埋まっていく感覚が数秒続いたあと。
開けた場所に出たように、足の裏が硬い床か何かの上に着いた。
身体を戒めている鎖は解けていない。
肌にまとわりつく生温い空気に感覚が慣れた頃、善夜が目を開けると、
「うわぁ……」
そこは学校の教室ほど広さのある部屋だった。
コンクリート質のグレーの壁に白黒チェックのカーペット。
その上に置かれた真っ赤な革製の1人掛けソファー。
雰囲気のある薄暗い裸電球の照明など。
雑誌のページで見かけるロックテイストな部屋の雰囲気が漂っている。
(……なにこのオシャレ……――じゃなくて!)
脳裏に浮かんだ第一印象を掻き消している間に。
「ここは俺の圏域だ」
ヒドゥンが目の前に着地した。
彼の身体は、淡緑色の光に包まれている。
「圏域……?」
「魔人の本拠地のようなものです」
すぐ近くでオフィサーの声が答える。
鎖が善夜の呼吸に合わせるようにきしむ。
「あちこちアニマを回収するのは面倒だからなぁ……ここなら楽に――じっくりと搾り取れる」
彼の言葉の奥にゾワリとするものを感じ、善夜は小さく息を飲んだ。
「それでよく、過剰摂取にならなかったものですね」
オフィサーの声の指摘に、ヒドゥンの笑いが一瞬止まった。
「……はっ、俺のアニマ容量はお前とは違うんだよ!」
すぐに笑い飛ばしたが、少なからず動揺している。
それにしても、
(……オフィサーさんは、なんでそんなことを聞いたんだろう)
意味のない質問をする人ではない。
彼はヒドゥンから何かを引き出そうとしている。
一方で、悠長に構えている状況でもない。
「オフィサーさん……これから、どうすれば……」
善夜は声を振り絞って尋ねる。
平静を装っているが、胸を締めつけている鎖が取り込む酸素を妨げる。
「問題ありません。私が回復すれば……」
「――冗談のつもりか?」
ヒドゥンが嘲笑する。
「2人とも縛りつけてるんだ。揃って消える一択だろ」
ぎりっ、と鎖が鳴り、善夜の戒めが強まる。
「っ……」
肋骨に金属の冷たさが食い込むが、声を上げるわけにはいかない。
が、彼女の意志とは裏腹に、身体からは鈍色のモヤが滲み出ていく。
今は『怖いから』で誤魔化せるが、これ以上量が増えれば――
(……ん?)
その流れを何気なく目で追っていたら。
善夜はある違和感に気が付いた。
てっきりヒドゥンの元へ行くと思っていた。
しかし、アニマは少し違う方向へ流れていく。
彼を通り過ぎて――ソファーの向こう側、床の一点に吸い込まれている。
あそこに何か、あるのだろうか?
不意に、善夜の右手の無彩剣が揺らめく闇に包まれた。
「可能な範囲でアニマを込めました……これで強化できます」
「おい、聞いてんのか? 俺の忠告を……」
「――私からは以上です」
「おいい!?」
ヒドゥンが声を張り上げるのをよそに。
善夜は脳をフル回転させている。
(オフィサーさんは、やれることをやった……あとは、わたしが……)
限界が刻一刻と近づいてくる。
鎖が締まるたびに身体から流れていくアニマの量が増していく。
息が苦しい。
骨が痛い。
「いい加減、大人しく苦しんで死ね」
ヒドゥンが顔を覗き込んできた。
その目は明確に、善夜を捉えている。
生意気な顔しやがって、とでも言いたげな表情。
「どうせ誰からも必要とされてねーんだから、生きてても……」
「違う……」
即答したものの、声は今にも消え入りそうだった。
それでも、善夜は続ける。
これは誓いだ。
「わたしはもう……使われるために、生きない……!」
「っ……何言ってんだお前」
吹き出して笑うヒドゥン。
「いいか? そもそもお前は見向きもされてねーんだ。生きてたって何も……」
「――変わり……ます……」
胸を圧迫する緊張と恐怖を、右手の剣に押し込めて。
時を刻むように脈打つ鼓動を喉に感じながら。
善夜は、震える右手で狙いを定める。
「変えて、みせます……!」
ひときわ大きく脈打った心臓に背を押されるように。
手首の力だけで、出せる限りの力と意志を込めて。
彼女は燃え上がるような闇を纏った無彩剣を投げつけた。
黒い流星のように突き進む剣は、放物線を描き――
ヒドゥンを掠りもしないで通り過ぎ、赤いソファーの向こうに消えた。
「最後のチャンスも逃したな」
ヒドゥンの笑みはもはや冷え切っていた。
善夜は鎖の中でグッタリとしている。
やれることはやった。
しかし、何も起こらない。
オフィサーからの反応もない。
(わたし……間違えちゃったのかな……)
「今度こそ、しっかりと苦しんで――」
ヒドゥンの声が、止まった。
「……ん?」
鈍色のアニマが圏域に満ちていく。
ヒドゥンの眉が寄り――出所を探るように視線が動く。
緑を湛えた目が大きく見開かれる。
「しまっ……」
身を翻し走り出し、ソファーを飛び越える彼。
その先の床に突き刺さっているのは、漆黒の剣。
根元から、風船から抜ける空気のように――アニマが勢いよく噴き出していた。
床が、今にも破裂しそうなほど歪に盛り上がっている。
「やめろおおおお!!!!!」
悲鳴に近い声を上げ、ヒドゥンが頭から飛び込む。
が、剣に手が届く前に——床は切り口から真っ二つに弾け破れた。
爆風のように広がるアニマが彼を飲み込んだ。
***
鎖に身を任せたまま、善夜は目の前の光景を呆然と眺めていた。
圏域を駆け回る鈍色の突風が、彼女の髪をなびかせている。
大量のアニマで鼻が強めにピリピリするが、心は暗くない。
「――お疲れ様でした」
傍らに立つオフィサーが、溢れ出たアニマを取り込んでいる。
大きく欠損していた左肩は、完全に再生されていた。
彼の剣が素早く振るわれる。
硬い金属音とともに、善夜を戒めていた鎖が緩んだ。
解放された彼女は、そのまま床に崩れる。
苦しみと緊張で不足していた酸素を、何度も肺に取り込む。
視界に映るのは、白黒チェックのカーペットについた自分の両手。
周りには、暗緑色のアニマに溶けていく鎖の破片が散らばっている。
(ヒドゥンさんは……?)
前を見れば、大きく裂けた床。
その先に、地上が見える。
「お怪我はありませんか?」
「たぶん、ないです……ありがとうございます……」
差し伸べられた手を握り、善夜は立ち上がった。
呼吸もだいぶ落ち着いてきた。
「こちらこそ。ご協力、感謝いたします」
「……えへへへ」
感情の込められていない声。
それでも彼からの謝意に、善夜は思わず顔をほころばせた。
「オフィサーさんのヒントのお陰ですよ……!」
謙遜しつつも、得意気に答えて――ふと、疑問が浮かんだ。
「けど……オフィサーさんって、わたしが捕まってる間どこにいたんですか?」
確かに彼の声は近くで聞こえていたが。
あの間、善夜は支配状態にはなっていない。
「非実体状態で、その場に待機しておりました」
答えは聞いたが、意図がわからない。
「なけなしの魔力で実体化保持・切れ味を高めた無彩剣をあなたに渡してからは、やれることがなかったので」
善夜は目を見開いた。
つまりあの時。
彼は善夜の命懸けのやり取りを、ただ眺めていたのだ。
「あなたがご活躍されたあとは――緊急処置として不正に貯め込まれていたアニマを少々拝借し、今に至ります」
(わたしの活躍……!)
滔々と語る彼に隠れ、善夜はそっとにんまりする。
――と、
『ふざけんな……!!』
外から聞こえたのは、ヒドゥンの怨嗟の声。
床の裂け目から外を覗く。
おびただしい数の鎖が、地上の1点に殺到している。
『何が「少々」だ!! しっかり食いやがって……!』
彼の声に込められた怒りのボルテージが上昇していくように、この圏域を形成している鎖もジャラジャラとほどけていく。
「――それでは改めて」
オフィサーが、善夜に手を差し伸べる。
善夜は迷わず、その手を握り返す。
黒く染まった彼の姿が、瞬く間に握った手に収束していく。
右手に漆黒の剣――無彩剣が出現した。
『公務執行に入ります』
オフィサーの声が、淡々と宣言した。
開けた場所に出たように、足の裏が硬い床か何かの上に着いた。
身体を戒めている鎖は解けていない。
肌にまとわりつく生温い空気に感覚が慣れた頃、善夜が目を開けると、
「うわぁ……」
そこは学校の教室ほど広さのある部屋だった。
コンクリート質のグレーの壁に白黒チェックのカーペット。
その上に置かれた真っ赤な革製の1人掛けソファー。
雰囲気のある薄暗い裸電球の照明など。
雑誌のページで見かけるロックテイストな部屋の雰囲気が漂っている。
(……なにこのオシャレ……――じゃなくて!)
脳裏に浮かんだ第一印象を掻き消している間に。
「ここは俺の圏域だ」
ヒドゥンが目の前に着地した。
彼の身体は、淡緑色の光に包まれている。
「圏域……?」
「魔人の本拠地のようなものです」
すぐ近くでオフィサーの声が答える。
鎖が善夜の呼吸に合わせるようにきしむ。
「あちこちアニマを回収するのは面倒だからなぁ……ここなら楽に――じっくりと搾り取れる」
彼の言葉の奥にゾワリとするものを感じ、善夜は小さく息を飲んだ。
「それでよく、過剰摂取にならなかったものですね」
オフィサーの声の指摘に、ヒドゥンの笑いが一瞬止まった。
「……はっ、俺のアニマ容量はお前とは違うんだよ!」
すぐに笑い飛ばしたが、少なからず動揺している。
それにしても、
(……オフィサーさんは、なんでそんなことを聞いたんだろう)
意味のない質問をする人ではない。
彼はヒドゥンから何かを引き出そうとしている。
一方で、悠長に構えている状況でもない。
「オフィサーさん……これから、どうすれば……」
善夜は声を振り絞って尋ねる。
平静を装っているが、胸を締めつけている鎖が取り込む酸素を妨げる。
「問題ありません。私が回復すれば……」
「――冗談のつもりか?」
ヒドゥンが嘲笑する。
「2人とも縛りつけてるんだ。揃って消える一択だろ」
ぎりっ、と鎖が鳴り、善夜の戒めが強まる。
「っ……」
肋骨に金属の冷たさが食い込むが、声を上げるわけにはいかない。
が、彼女の意志とは裏腹に、身体からは鈍色のモヤが滲み出ていく。
今は『怖いから』で誤魔化せるが、これ以上量が増えれば――
(……ん?)
その流れを何気なく目で追っていたら。
善夜はある違和感に気が付いた。
てっきりヒドゥンの元へ行くと思っていた。
しかし、アニマは少し違う方向へ流れていく。
彼を通り過ぎて――ソファーの向こう側、床の一点に吸い込まれている。
あそこに何か、あるのだろうか?
不意に、善夜の右手の無彩剣が揺らめく闇に包まれた。
「可能な範囲でアニマを込めました……これで強化できます」
「おい、聞いてんのか? 俺の忠告を……」
「――私からは以上です」
「おいい!?」
ヒドゥンが声を張り上げるのをよそに。
善夜は脳をフル回転させている。
(オフィサーさんは、やれることをやった……あとは、わたしが……)
限界が刻一刻と近づいてくる。
鎖が締まるたびに身体から流れていくアニマの量が増していく。
息が苦しい。
骨が痛い。
「いい加減、大人しく苦しんで死ね」
ヒドゥンが顔を覗き込んできた。
その目は明確に、善夜を捉えている。
生意気な顔しやがって、とでも言いたげな表情。
「どうせ誰からも必要とされてねーんだから、生きてても……」
「違う……」
即答したものの、声は今にも消え入りそうだった。
それでも、善夜は続ける。
これは誓いだ。
「わたしはもう……使われるために、生きない……!」
「っ……何言ってんだお前」
吹き出して笑うヒドゥン。
「いいか? そもそもお前は見向きもされてねーんだ。生きてたって何も……」
「――変わり……ます……」
胸を圧迫する緊張と恐怖を、右手の剣に押し込めて。
時を刻むように脈打つ鼓動を喉に感じながら。
善夜は、震える右手で狙いを定める。
「変えて、みせます……!」
ひときわ大きく脈打った心臓に背を押されるように。
手首の力だけで、出せる限りの力と意志を込めて。
彼女は燃え上がるような闇を纏った無彩剣を投げつけた。
黒い流星のように突き進む剣は、放物線を描き――
ヒドゥンを掠りもしないで通り過ぎ、赤いソファーの向こうに消えた。
「最後のチャンスも逃したな」
ヒドゥンの笑みはもはや冷え切っていた。
善夜は鎖の中でグッタリとしている。
やれることはやった。
しかし、何も起こらない。
オフィサーからの反応もない。
(わたし……間違えちゃったのかな……)
「今度こそ、しっかりと苦しんで――」
ヒドゥンの声が、止まった。
「……ん?」
鈍色のアニマが圏域に満ちていく。
ヒドゥンの眉が寄り――出所を探るように視線が動く。
緑を湛えた目が大きく見開かれる。
「しまっ……」
身を翻し走り出し、ソファーを飛び越える彼。
その先の床に突き刺さっているのは、漆黒の剣。
根元から、風船から抜ける空気のように――アニマが勢いよく噴き出していた。
床が、今にも破裂しそうなほど歪に盛り上がっている。
「やめろおおおお!!!!!」
悲鳴に近い声を上げ、ヒドゥンが頭から飛び込む。
が、剣に手が届く前に——床は切り口から真っ二つに弾け破れた。
爆風のように広がるアニマが彼を飲み込んだ。
***
鎖に身を任せたまま、善夜は目の前の光景を呆然と眺めていた。
圏域を駆け回る鈍色の突風が、彼女の髪をなびかせている。
大量のアニマで鼻が強めにピリピリするが、心は暗くない。
「――お疲れ様でした」
傍らに立つオフィサーが、溢れ出たアニマを取り込んでいる。
大きく欠損していた左肩は、完全に再生されていた。
彼の剣が素早く振るわれる。
硬い金属音とともに、善夜を戒めていた鎖が緩んだ。
解放された彼女は、そのまま床に崩れる。
苦しみと緊張で不足していた酸素を、何度も肺に取り込む。
視界に映るのは、白黒チェックのカーペットについた自分の両手。
周りには、暗緑色のアニマに溶けていく鎖の破片が散らばっている。
(ヒドゥンさんは……?)
前を見れば、大きく裂けた床。
その先に、地上が見える。
「お怪我はありませんか?」
「たぶん、ないです……ありがとうございます……」
差し伸べられた手を握り、善夜は立ち上がった。
呼吸もだいぶ落ち着いてきた。
「こちらこそ。ご協力、感謝いたします」
「……えへへへ」
感情の込められていない声。
それでも彼からの謝意に、善夜は思わず顔をほころばせた。
「オフィサーさんのヒントのお陰ですよ……!」
謙遜しつつも、得意気に答えて――ふと、疑問が浮かんだ。
「けど……オフィサーさんって、わたしが捕まってる間どこにいたんですか?」
確かに彼の声は近くで聞こえていたが。
あの間、善夜は支配状態にはなっていない。
「非実体状態で、その場に待機しておりました」
答えは聞いたが、意図がわからない。
「なけなしの魔力で実体化保持・切れ味を高めた無彩剣をあなたに渡してからは、やれることがなかったので」
善夜は目を見開いた。
つまりあの時。
彼は善夜の命懸けのやり取りを、ただ眺めていたのだ。
「あなたがご活躍されたあとは――緊急処置として不正に貯め込まれていたアニマを少々拝借し、今に至ります」
(わたしの活躍……!)
滔々と語る彼に隠れ、善夜はそっとにんまりする。
――と、
『ふざけんな……!!』
外から聞こえたのは、ヒドゥンの怨嗟の声。
床の裂け目から外を覗く。
おびただしい数の鎖が、地上の1点に殺到している。
『何が「少々」だ!! しっかり食いやがって……!』
彼の声に込められた怒りのボルテージが上昇していくように、この圏域を形成している鎖もジャラジャラとほどけていく。
「――それでは改めて」
オフィサーが、善夜に手を差し伸べる。
善夜は迷わず、その手を握り返す。
黒く染まった彼の姿が、瞬く間に握った手に収束していく。
右手に漆黒の剣――無彩剣が出現した。
『公務執行に入ります』
オフィサーの声が、淡々と宣言した。
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