8 小休止
ー/ー
「……」
自分の身体を貫く音の代わりに聞こえたのは、何かが激しく噛み砕かれるような音だった。
ゴキリ、ゴキリ、と。
硬いものが軋む音。
「…………」
何事も起きなかった自分の身を不思議に思った善夜は恐る恐る――すぐに目を大きく見張る。
「……!?」
目の前に、巨大な蛇の牙を一身に受け止めた異形の後ろ姿があった。
肩に食らいついている淡緑色に光る蛇を左腕で抱え込み、右手の剣で首を斬り落とそうとするように。
首の半分辺りで止まっている闇色のそれは、オフィサーが持っている剣と全く同じものだが、振るっている者が見るからに違う。
人間のサイズを超える鉱物質で漆黒の体躯、1対の黒く捻れた角を有した頭が、昔話に時々登場する悪鬼を思わせる。
「攻撃に当たらなければ問題ないとか言ってなかったか?」
勝ち誇った笑みを浮かべ、地上に降り立ったヒドゥンが悠々と歩いてくる。
異形に警戒することもなく。その場に座り込んだまま固まっている善夜に至っては、眼中にないようだ。
「何で自分から当たりに来てんだよ」
やや間合いを開けたところで彼が立ち止まったのは、もう余力がないと思っていた異形が右腕の剣を深く押し込んだからだろう。
漆黒の刃がプツプツと鎖を断ち切っていき――がしゃん! という重々しい音を立てて、蛇の首は落ちた。淡緑色の魔力が霧散し始める。
「ちっ……」
ヒドゥンは舌打ちして、右腕を引いた。
じゃらららっ、と鎖が篭手に回収されていく。
「……魔人化してまで守る価値があったのか? その人間は」
異形に向かって、ヒドゥンがぶっきらぼうに尋ねる。
その顔はやや悔しそうだが、それでも余裕は残っている。
異形の肩には深い噛み跡が残っていた。
黒いアニマが傷口から立ち昇る中、異形の体を闇色の魔力が包み込み――次の瞬間、姿が霞む。
「――代行者の保護を優先したまでです」
魔力が晴れたとき、そこにはオフィサーが立っていた。
最低限の再生しかできなかったのか、小さな傷や制服の綻びが少なからず残っている。
「テメェの命よりルールを優先とか、政府も政府なら公僕も公僕だな」
シラけた顔で吐き捨てるヒドゥンにかまうことなく。
彼は背後で呆然と佇む善夜に向き直ると、手を差し伸べた。
「善夜さん、公務を続行します」
「……狂ってやがる」
ドン引き気味に呟いたあと、ヒドゥンは視線をオフィサーの背中から上空に向ける。
先ほど放出された漆黒のアニマと、未だ善夜から立ちのぼる鈍色のアニマが一筋の流れとなって一定の方向に昇っている。
それを見上げたまま、ヒドゥンはニヤリと笑った。
「……ま、俺は大歓迎だけどな」
一方。
「もう、ほっといてください」
座り込んだまま、善夜は顔を上げずに答えた。
オフィサーが身を挺してくれたお陰で救われた命だが、頼んだ覚えはない。
「残念ながら、責務を果たさず引き上げるわけにはいきません」
そんな彼女の苛立ちを知ってか知らずか、
手を差し伸べたまま、オフィサーは淡々と続ける。
「決してあなたを危険に晒すことはありませんのでご安心ください」
「……」
「それに、この件が解決すればあなたの生活も……」
「――もう疲れたの!!」
目をぎゅっと閉じ、善夜が喚くように言い放った。
彼女は両手で顔を覆い、深い溜息をつく。
「なんでっ……なんで、助けたんですか……! やっと終われると思ったのに……」
こみ上げる嗚咽を抑えながら、彼女は続ける。
「ヒドゥンをやっつけたって……今までどおり、誰も私を見てくれないに決まってるっ……」
善夜の体から放出される鈍色のアニマが上空へ流れていく様子を、ヒドゥンがニヤニヤしながら見守っている。
「それなのに、これからもずっと……頑張って……我慢して……」
言葉に出せば出すだけ自分が情けなくなり、強く閉じた目蓋の隙間から涙がこぼれ落ちる。
善夜は嗚咽を逃がすように再び溜息をついて、未だに手を差し伸べているであろうオフィサーに尋ねた。
「……願いが叶わないんだったらこのまま、消えたほうがよくないですか……?」
彼は黙って善夜を見下ろしていた。
そして――
「そうですか」
――差し伸べていた手をあっさりと手を引っこめた。
「従順に振る舞っても報いを得られないから消えたい。――それがあなたの意志ですか」
相変わらず、悪気なく人の神経を逆撫でしてくる。
「……はい」
「しかし」
まだ言うか。このノンデリ魔人は。
瀕死になってもまだ、ヒトの心の傷をガンガンえぐって……
「――報いを得ることが目的であれば、『従順に振る舞うこと』だけが唯一の解決策でしょうか?」
「…………」
その言葉でついに、善夜は両手を顔から離した。
彼は、彼女が17年間自分を殺して実践してきた努力に難癖をつけたのだ。
「……じゃあ、どうすればよかったんですか……!?」
困惑と恨みと怒りがぐちゃぐちゃに混ざり合ったような顔で、善夜はオフィサーを睨みつける。憤怒――そんな感情を込めた目でヒトを見るのは初めてだ。
しかし、
「さあ、どうでしょう」
それでも彼はその目を堂々と見つめ、臆面もなく答えた。
「疑問に思ったので質問をしただけです」
「……」
思わず言葉を失う善夜をよそに、オフィサーは続ける。
「人間界のことはまだよくわかりませんが……おそらく人間界にも、善意を利用するだけの者は少なくないでしょう」
「……!」
しかめっ面の彼女はまだ反論できない。
「そのような中で従順に振る舞う者が必ず報われるとは思いませんが、いかがでしょうか?」
「…………」
本当に、本当に悔しいけど――その言葉で、善夜の固まった表情は徐々に緩んでいった。
(……たしかに、この人の言うとおりだ。だったら――)
そして――頭の中に、ある考えが浮かんだ。
それを悟られまいとするように慌てて俯くも、
「その顔は、何か思いついたようですね」
オフィサーにはすでに見抜かれており、気まずさに慌てて両手で顔を隠す。
「……でも……」
「ではこうしましょう。せっかく消える覚悟をしたのです――公務後、今思いついたことを一度お試しになってください」
善夜が手の陰からチラリと彼を見上げる。目が合った。
「それで叶わなければ公務代行の報酬として、私があなたを消してさしあげます」
言って、オフィサーが改めてこちらに手を差し伸べる。
「いかがでしょうか?」
「……!」
「そんな交渉は無駄だ」
逡巡する善夜の耳に、ヒドゥンの声が飛び込む。
「どっちにしてもテメェらはここで揃って消えるんだからな」
見ると、篭手に淡緑色の魔力を纏ったヒドゥンがその腕を振り上げていた。
「いや~……しっかり稼がせてもらったぜ。だからそろそろ消えろっ!!」
言って振り下ろした右腕の篭手から、魔力を纏った鎖が善夜とオフィサー目がけて襲いかかった。
善夜は咄嗟に手を伸ばし――
「――!」
素早く斬り払ったのは、立ち上がった彼女の右手に握られた漆黒の剣だった。
「ふーん、そっちを選んだか」
少し驚いたものの、ヒドゥンは目を細めてニヤリと笑う。
「……いいぜ、さらに稼がせてもらうからな」
「…………」
ゆっくりと深呼吸をひとつして。
善夜はヒドゥンをじっと見つめたまま言った。
「オフィサーさん……――命令、してください」
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「……」
自分の身体を貫く音の代わりに聞こえたのは、何かが激しく噛み砕かれるような音だった。
ゴキリ、ゴキリ、と。
硬いものが軋む音。
「…………」
何事も起きなかった自分の身を不思議に思った善夜は恐る恐る――すぐに目を大きく見張る。
「……!?」
目の前に、巨大な蛇の牙を一身に受け止めた異形の後ろ姿があった。
肩に食らいついている淡緑色に光る蛇を左腕で抱え込み、右手の剣で首を斬り落とそうとするように。
首の半分辺りで止まっている闇色のそれは、オフィサーが持っている剣と全く同じものだが、振るっている者が見るからに違う。
人間のサイズを超える鉱物質で漆黒の体躯、1対の黒く捻れた角を有した頭が、昔話に時々登場する悪鬼を思わせる。
「攻撃に当たらなければ問題ないとか言ってなかったか?」
勝ち誇った笑みを浮かべ、地上に降り立ったヒドゥンが悠々と歩いてくる。
異形に警戒することもなく。その場に座り込んだまま固まっている善夜に至っては、眼中にないようだ。
「何で自分から当たりに来てんだよ」
やや間合いを開けたところで彼が立ち止まったのは、もう余力がないと思っていた異形が右腕の剣を深く押し込んだからだろう。
漆黒の刃がプツプツと鎖を断ち切っていき――がしゃん! という重々しい音を立てて、蛇の首は落ちた。淡緑色の魔力が霧散し始める。
「ちっ……」
ヒドゥンは舌打ちして、右腕を引いた。
じゃらららっ、と鎖が篭手に回収されていく。
「……魔人化してまで守る価値があったのか? その人間は」
異形に向かって、ヒドゥンがぶっきらぼうに尋ねる。
その顔はやや悔しそうだが、それでも余裕は残っている。
異形の肩には深い噛み跡が残っていた。
黒いアニマが傷口から立ち昇る中、異形の体を闇色の魔力が包み込み――次の瞬間、姿が霞む。
「――代行者の保護を優先したまでです」
魔力が晴れたとき、そこにはオフィサーが立っていた。
最低限の再生しかできなかったのか、小さな傷や制服の綻びが少なからず残っている。
「テメェの命よりルールを優先とか、政府も政府なら公僕も公僕だな」
シラけた顔で吐き捨てるヒドゥンにかまうことなく。
彼は背後で呆然と佇む善夜に向き直ると、手を差し伸べた。
「善夜さん、公務を続行します」
「……狂ってやがる」
ドン引き気味に呟いたあと、ヒドゥンは視線をオフィサーの背中から上空に向ける。
先ほど放出された漆黒のアニマと、未だ善夜から立ちのぼる鈍色のアニマが一筋の流れとなって一定の方向に昇っている。
それを見上げたまま、ヒドゥンはニヤリと笑った。
「……ま、俺は大歓迎だけどな」
一方。
「もう、ほっといてください」
座り込んだまま、善夜は顔を上げずに答えた。
オフィサーが身を挺してくれたお陰で救われた命だが、頼んだ覚えはない。
「残念ながら、責務を果たさず引き上げるわけにはいきません」
そんな彼女の苛立ちを知ってか知らずか、
手を差し伸べたまま、オフィサーは淡々と続ける。
「決してあなたを危険に晒すことはありませんのでご安心ください」
「……」
「それに、この件が解決すればあなたの生活も……」
「――もう疲れたの!!」
目をぎゅっと閉じ、善夜が喚くように言い放った。
彼女は両手で顔を覆い、深い溜息をつく。
「なんでっ……なんで、助けたんですか……! やっと終われると思ったのに……」
こみ上げる嗚咽を抑えながら、彼女は続ける。
「|ヒドゥン《この人》をやっつけたって……今までどおり、誰も私を見てくれないに決まってるっ……」
善夜の体から放出される鈍色のアニマが上空へ流れていく様子を、ヒドゥンがニヤニヤしながら見守っている。
「それなのに、これからもずっと……頑張って……我慢して……」
言葉に出せば出すだけ自分が情けなくなり、強く閉じた目蓋の隙間から涙がこぼれ落ちる。
善夜は嗚咽を逃がすように再び溜息をついて、未だに手を差し伸べているであろうオフィサーに尋ねた。
「……願いが叶わないんだったらこのまま、消えたほうがよくないですか……?」
彼は黙って善夜を見下ろしていた。
そして――
「そうですか」
――差し伸べていた手をあっさりと手を引っこめた。
「従順に振る舞っても報いを得られないから消えたい。――それがあなたの意志ですか」
相変わらず、悪気なく人の神経を逆撫でしてくる。
「……はい」
「しかし」
まだ言うか。このノンデリ魔人は。
瀕死になってもまだ、ヒトの心の傷をガンガンえぐって……
「――報いを得ることが目的であれば、『従順に振る舞うこと』だけが唯一の解決策でしょうか?」
「…………」
その言葉でついに、善夜は両手を顔から離した。
彼は、彼女が17年間自分を殺して実践してきた努力に難癖をつけたのだ。
「……じゃあ、どうすればよかったんですか……!?」
困惑と恨みと怒りがぐちゃぐちゃに混ざり合ったような顔で、善夜はオフィサーを睨みつける。憤怒――そんな感情を込めた目でヒトを見るのは初めてだ。
しかし、
「さあ、どうでしょう」
それでも彼はその目を堂々と見つめ、臆面もなく答えた。
「疑問に思ったので質問をしただけです」
「……」
思わず言葉を失う善夜をよそに、オフィサーは続ける。
「人間界のことはまだよくわかりませんが……おそらく|人間界《ここ》にも、善意を利用するだけの者は少なくないでしょう」
「……!」
しかめっ面の彼女はまだ反論できない。
「そのような中で従順に振る舞う者が必ず報われるとは思いませんが、いかがでしょうか?」
「…………」
本当に、本当に悔しいけど――その言葉で、善夜の固まった表情は徐々に緩んでいった。
(……たしかに、この人の言うとおりだ。だったら――)
そして――頭の中に、ある考えが浮かんだ。
それを悟られまいとするように慌てて俯くも、
「その顔は、何か思いついたようですね」
オフィサーにはすでに見抜かれており、気まずさに慌てて両手で顔を隠す。
「……でも……」
「ではこうしましょう。せっかく消える覚悟をしたのです――公務後、今思いついたことを一度お試しになってください」
善夜が手の陰からチラリと彼を見上げる。目が合った。
「それで叶わなければ公務代行の報酬として、私があなたを消してさしあげます」
言って、オフィサーが改めてこちらに手を差し伸べる。
「いかがでしょうか?」
「……!」
「そんな交渉は無駄だ」
逡巡する善夜の耳に、ヒドゥンの声が飛び込む。
「どっちにしてもテメェらはここで揃って消えるんだからな」
見ると、篭手に淡緑色の魔力を纏ったヒドゥンがその腕を振り上げていた。
「いや~……しっかり稼がせてもらったぜ。だからそろそろ消えろっ!!」
言って振り下ろした右腕の篭手から、魔力を纏った鎖が善夜とオフィサー目がけて襲いかかった。
善夜は咄嗟に手を伸ばし――
「――!」
素早く斬り払ったのは、立ち上がった彼女の右手に握られた漆黒の剣だった。
「ふーん、そっちを選んだか」
少し驚いたものの、ヒドゥンは目を細めてニヤリと笑う。
「……いいぜ、さらに稼がせてもらうからな」
「…………」
ゆっくりと深呼吸をひとつして。
善夜はヒドゥンをじっと見つめたまま言った。
「オフィサーさん……――命令、してください」