その時――
「――ぐぁっ……!?」
叫び声を上げたのは、ヒドゥンだった。
緑暗色のアニマを流し、園庭に伏したのも――彼だった。
攻撃が善夜に到達する直前――善夜の右手から、闇色のモヤが流れ出た。人の形を作ったそれがオフィサーになるやいなや、彼はヒドゥンに向かって漆黒の剣を一閃。
篭手に覆われた彼の右腕が宙を舞った。
「……!!」
少しずつ暗緑色のアニマと化しながら地面に転がるヒドゥンの右腕を、善夜は呆けたように眺めている。
(この人が――)
善夜の脳裏に、数日前に受け取った「あれ」が浮かんだ。
色鮮やかに装飾された、あの箱に入っていた一式の書類。
今の境遇を変えたい一心で、呼び寄せた相手。
(この人、だったの……?)
――この人が自分を、殺そうとしている……?
善夜の体が、小刻みに震え始める。
「いってぇ……!」
ヒドゥンはゆっくりと身を起こすと抗議するように、善夜の傍らに立つオフィサーを見上げた。
「卑怯だぞ! いきなり実体化するなんてっ……代行者を使わないのは違法じゃねーのか!?」
「いいえ」
彼がすぐに顔色を変え、後退るように尻もちをついたのは、その首筋にオフィサーが突きつけた剣の黒い刃が当たったからだ。
「実体での公務は非効率ゆえ、代行者の制度を取り入れています」
不意にヒドゥンの右腕がアニマ化する速度が上昇した。右腕だったアニマは全てオフィサーに吸収されていく。
「ああっ! 俺の腕!!」
「回復されては困りますので、消耗したアニマを補充させていただきます」
もともとそこまでダメージは受けてなさそうだが――補充することで体力が全回復した、ということか。
ヒドゥンの右腕だったアニマが完全にオフィサーに吸収されたところで、
「さて……」
彼は改めてヒドゥンを見下ろすと、
「痛えっ……!」
突きつけていた刃をその首筋に食い込ませた。
相変わらず彼に表情はなく、プログラムされた仕事を効率的にこなす機械のようだった。
「ま、待てっ……!」
愛想笑いを引きつらせ、必死に訴えるヒドゥン。
「俺と組まねーか!? あんたと俺で荒稼ぎするんだ! 地道に働くよりずっといいぞ、な?」
彼は得意気に善夜に目を遣り、
「まずはこいつを消して証拠を――」
漆黒の刃がさらにヒドゥンの首に食い込む。
「だああああああ頼む! 待ってくれ!」
「――大人しく帰還しますか。それとも、実体で留まれないほどに
身体を削ぎますか?」
行動とは裏腹に。
オフィサーの口調も表情も、ただどちらを選ぶかを尋ねているように何の感情も込められていない。
しかし、善夜にとってはその緊迫した状況に固まってる場合ではなかった。
「わかった!! 貯めたやつは全部やる! ……上納金だけは残させてもらうけどな」
愛想笑いを維持しつつ冷や汗を浮かべつつ。まくし立てるヒドゥンを、オフィサーは黙って見下ろしている。
「そんで今からは真っ当にやってくから、今回だけは……」
「――どうして……?」
座り込んだまま、善夜はヒドゥンを見上げて言った。悲しみを湛えた顔で。
「約束が……違うじゃないですか……!!」
オフィサーは静観している。ヒドゥンの首に剣を差し込んだ状態で。
「わたしはただ……自分を見てくれる人が欲しかっただけなのに……」
善夜の声が震える。
「怒らせないように、何を言われても黙ってた。好きになってもらえるように、頼まれたことは何でもやった……」
言葉に出した途端、感情がこみ上げてくる。
何とか抑えて、善夜は問い詰める。
「それでも全部ダメだったから……だから、お願いしたのに……!」
そんな彼女の言葉をヒドゥンは一笑に付すと、わざとらしく困ったような笑みを浮かべて言った。
「はっ、人聞きの悪いこと言ってんじゃねーよ。約束どおり――」
その時――彼の表情が変わった。
彼の眼が、蛇のように細く鋭くなる。瞳が、淡い緑色に光る。
「――ちゃんと繋いで『人気者』にしてやったじゃねーか」
ヒドゥンが、邪悪な笑みを浮かべながら言った。その瞬間――
善夜の視界に、緑色に光る鎖が浮かび上がった。
自分の体から、高橋や児童たちへと伸びる、無数の鎖。
それは――善夜と彼らを繋いでいた。
「……!」
頭が、真っ白になる。
(これ、が……?)
この鎖が、みんなを操っていた。
彼女と心を通わせるのではなく、虐げるように。
(全部、この人のせいで……!?)
善夜の手が、震える。
「騙されたのですよ」
彼女が呆然と鎖を見つめていると、オフィサーの声が聞こえた。
感情のない、淡々とした声。