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19,レオンにしか話せないこと

ー/ー



 突如、律人の脳裏に鮮明な映像がよみがえる。
 
 言い争う父と母、暗い道を走る車、ズキズキと痛む頭。
 
 急ブレーキ、キィーッというタイヤが軋む音、クラクション、目を射るヘッドライトの強い光、迫り来るトラック、激しい衝突音――。
 
「あ、あ……」

 あれは……! 祖母の呼ぶ声が、やけに遠く聞こえる。
 
 あれは、あの光景は……! 息が出来なくなり、目の前が真っ暗になったかと思うと、やがて何もわからなくなった。
 
 
 
 目を開けると、ベッドを囲むカーテンのレールが見えた。
 
「りっくん、気がついたのね。大丈夫?」

 祖母が心配そうに見下ろしている。律人は、自分が病院のベッドに横たわっているのだと気づいた。
 
「おばあちゃん、僕……」

「りっくん、タクシーの中で気を失っちゃったのよ。仕方がないわ、とても怖かったものね。

 おばあちゃんもびっくりして、心臓がドキドキしたわ」
 
 ぼんやりと見ていると、さらに祖母が言った。
 
「気分はどう? どこか痛いところは?」

「ないよ、大丈夫」

「よかった……」


 その後、医師の診察を受け、特に心配ないということで、定期検診も受けて、家に帰った。律人は、タクシーの中で見た脳内の映像に衝撃を受け、ずっと呆然としたままだった。
 
 
 
「レオン」

 律人の呼ぶ声に、レオンは立ち上がり、すぐに出来た通り道から彼のそばに行く。声にも、彼を見上げた表情にも元気がない気がする。
 
「座って」

「ああ」

 レオンは、律人の横に腰かけながら聞く。
 
「どうかしたのか?」

「え?」

 こちらを向いた律人の目を見ながら言う。
 
「律人、いつもと違う」

「どうして? そんなこと、わかるの?」

「わかるさ。いつも律人を見ているから」

「そうか……」

 目を伏せた律人が話し始めるのを、レオンはじっと待つ。やがて、律人が口を開いた。
 
「これは、誰にも言っていない。レオンにしか話せない」

「ああ」

「僕……記憶が戻ったんだ」

「え!?」



 10歳の律人は、ベッドで頭から布団を被って両耳をふさぐ。今夜もまた、階下から両親の言い争う声が聞こえる。
 
 祖父母や叔父たちの前では仲睦まじそうにふるまっているが、実際の夫婦仲は最悪だった。周りから、父は祖父が経営する会社の後継ぎにふさわしい、優秀で冷静沈着な人物だと見られていたが、それは事実ではなかった。
 
 父は、期待される重圧や仕事のストレスから、酒に溺れ、心のバランスを崩し、薬に頼っていた。それだけでなく、浮気を繰り返していたことが最近になって母の知るところとなったようで、毎晩のように揉めているのだった。
 
 だが、それらのことを家族や会社の人たちに知られるわけにはいかない。そして両親は、なぜだか律人が何も気づいていないと思っているらしいのだ。
 
 あれほど派手にやっていて、わからないずがないのに、どれだけ律人を侮っているのかと思う。だが、だからといってどうすればいいのかわからず、結局、知らないふりをして無邪気にふるまうしかないのだった。
 
 
 律人は、父の二番目の弟である、叔父の恭平が大好きだった。一人だけ年の離れた末っ子の恭平は、まだ大学生で、家族で別荘に集まるときなどは、いつも律人の相手をしてくれる。
 
 一人っ子の律人は、優しい恭平を兄のように慕っていた。だが、両親のことは、彼にさえ話すことは出来ない。
 
 もしも話してしまえば、いずれ祖父母に耳にも入り、父の会社での立場も悪くなることだろう。後継者の座も、次男の健吾叔父に取って代わられるかもしれない。
 
 いっそ両親がいなくなってしまえば、二人の度重なる言い争いに胸を傷めることもなく、優しい祖父母や恭平と一緒に暮らせるのに。そんなことを考えたりもするけれど、もちろん、実現するはずがないこともわかっている。
 
 
 ある日の夜更け、いつものように階下で言い争いが始まった。律人はベッドの中で体を丸め、両耳をふさいでいたのだが。
 
 突然、何かがぶつかるような倒れるような、大きな音がした。ぎくりとして、律人は起き上った。
 
 もう限界だ。布団をはねのけ、スリッパをはいて部屋を出る。
 
 
 階段を駆け下りて行くと、両親が驚いたようにこちらを見た。椅子が倒れ、床に割れたグラスのかけらが散乱している。
 
「どうしたの!?」

 だが、律人の問いかけに、父も母も答えてくれない。
 
「ねえ、何があったの? ちゃんと説明してよ。

 毎晩毎晩ケンカして、僕が何も知らないとでも思ってるの?」
 
 酒に酔っているのか、目の座った父が怒鳴った。
 
「うるさい! お前には関係ない!」


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 突如、律人の脳裏に鮮明な映像がよみがえる。
 言い争う父と母、暗い道を走る車、ズキズキと痛む頭。
 急ブレーキ、キィーッというタイヤが軋む音、クラクション、目を射るヘッドライトの強い光、迫り来るトラック、激しい衝突音――。
「あ、あ……」
 あれは……! 祖母の呼ぶ声が、やけに遠く聞こえる。
 あれは、あの光景は……! 息が出来なくなり、目の前が真っ暗になったかと思うと、やがて何もわからなくなった。
 目を開けると、ベッドを囲むカーテンのレールが見えた。
「りっくん、気がついたのね。大丈夫?」
 祖母が心配そうに見下ろしている。律人は、自分が病院のベッドに横たわっているのだと気づいた。
「おばあちゃん、僕……」
「りっくん、タクシーの中で気を失っちゃったのよ。仕方がないわ、とても怖かったものね。
 おばあちゃんもびっくりして、心臓がドキドキしたわ」
 ぼんやりと見ていると、さらに祖母が言った。
「気分はどう? どこか痛いところは?」
「ないよ、大丈夫」
「よかった……」
 その後、医師の診察を受け、特に心配ないということで、定期検診も受けて、家に帰った。律人は、タクシーの中で見た脳内の映像に衝撃を受け、ずっと呆然としたままだった。
「レオン」
 律人の呼ぶ声に、レオンは立ち上がり、すぐに出来た通り道から彼のそばに行く。声にも、彼を見上げた表情にも元気がない気がする。
「座って」
「ああ」
 レオンは、律人の横に腰かけながら聞く。
「どうかしたのか?」
「え?」
 こちらを向いた律人の目を見ながら言う。
「律人、いつもと違う」
「どうして? そんなこと、わかるの?」
「わかるさ。いつも律人を見ているから」
「そうか……」
 目を伏せた律人が話し始めるのを、レオンはじっと待つ。やがて、律人が口を開いた。
「これは、誰にも言っていない。レオンにしか話せない」
「ああ」
「僕……記憶が戻ったんだ」
「え!?」
 10歳の律人は、ベッドで頭から布団を被って両耳をふさぐ。今夜もまた、階下から両親の言い争う声が聞こえる。
 祖父母や叔父たちの前では仲睦まじそうにふるまっているが、実際の夫婦仲は最悪だった。周りから、父は祖父が経営する会社の後継ぎにふさわしい、優秀で冷静沈着な人物だと見られていたが、それは事実ではなかった。
 父は、期待される重圧や仕事のストレスから、酒に溺れ、心のバランスを崩し、薬に頼っていた。それだけでなく、浮気を繰り返していたことが最近になって母の知るところとなったようで、毎晩のように揉めているのだった。
 だが、それらのことを家族や会社の人たちに知られるわけにはいかない。そして両親は、なぜだか律人が何も気づいていないと思っているらしいのだ。
 あれほど派手にやっていて、わからないずがないのに、どれだけ律人を侮っているのかと思う。だが、だからといってどうすればいいのかわからず、結局、知らないふりをして無邪気にふるまうしかないのだった。
 律人は、父の二番目の弟である、叔父の恭平が大好きだった。一人だけ年の離れた末っ子の恭平は、まだ大学生で、家族で別荘に集まるときなどは、いつも律人の相手をしてくれる。
 一人っ子の律人は、優しい恭平を兄のように慕っていた。だが、両親のことは、彼にさえ話すことは出来ない。
 もしも話してしまえば、いずれ祖父母に耳にも入り、父の会社での立場も悪くなることだろう。後継者の座も、次男の健吾叔父に取って代わられるかもしれない。
 いっそ両親がいなくなってしまえば、二人の度重なる言い争いに胸を傷めることもなく、優しい祖父母や恭平と一緒に暮らせるのに。そんなことを考えたりもするけれど、もちろん、実現するはずがないこともわかっている。
 ある日の夜更け、いつものように階下で言い争いが始まった。律人はベッドの中で体を丸め、両耳をふさいでいたのだが。
 突然、何かがぶつかるような倒れるような、大きな音がした。ぎくりとして、律人は起き上った。
 もう限界だ。布団をはねのけ、スリッパをはいて部屋を出る。
 階段を駆け下りて行くと、両親が驚いたようにこちらを見た。椅子が倒れ、床に割れたグラスのかけらが散乱している。
「どうしたの!?」
 だが、律人の問いかけに、父も母も答えてくれない。
「ねえ、何があったの? ちゃんと説明してよ。
 毎晩毎晩ケンカして、僕が何も知らないとでも思ってるの?」
 酒に酔っているのか、目の座った父が怒鳴った。
「うるさい! お前には関係ない!」