灰崎廉治が英雄学園に入学して約一週間が経過した、九月十日。その日は実践演習の日であった。
数日前、鳴り物入りで中途入学した灰崎であったが、その実力は本物そのものであり、礼安や院、透に匹敵するほどの魔力量であったのだ。
「灰崎さん! 今日も私と特訓しましょうよ!」
「馬鹿言え! お前昨日も授業内でやっただろ! 俺と一緒に頼んます!!」
「小テストで僕は四位だったんです! ご褒美下さい!!」
どうも、彼への態度が目上の存在に向けてのものであったため、灰崎は良く思っていなかったのだ。入学時に「
同い年のように接してくれ」と本人が語ったのにも拘らず。
「――なあ、礼安、院、透。俺はどうすればいいんだ……?」
通常時も私服……とは名ばかりのスーツ姿で登校している彼だが、この状況に関しては皆と一緒のジャージを着用している。しかし、どうも他の面子よりも年が十歳上であるため、教師にしか見えない。しかもその新人教師が学生諸君に絡まれているようにしか見えないため、どうも止める気が起きないのだ。
ましてや、院と透は礼安専属の特別防衛隊、のようなものであるため、その守る範囲内に入っていない灰崎に関して、実に穏やかな表情のままその光景を眺めるのみであった。
何せ、ここの所騒ぎが起きていてこうして平和な学園生活が送れている事実が、何よりもの幸せである。誰も死人が出ず、互いに高め合える状況が、これほどにありがたい日常であることを噛み締めていたのだ。
故の、傍観。無論その場には、一通り清掃業務を終えて一息ついている千尋も、少し遠くの方で笑って見届けていたのだ。
「お、おい……笑っていないでどうにか出来ないか!? 俺の体は一つしかないんだが!?」
「まあまあ、灰崎さん。たまには健全な青少年同士……気持ちのいい汗を掻くことは重要だと思いますわ。何より、十五歳の人間に対して同い年と思え、と宣言した貴方もその言葉に対して責任を取るべきだと思いますの」
「おうおうそうだな、頑張って相手しろよ~、俺も以前大分食らいつかれたからよぉ」
「何だってどうも気が抜けてんな!? 俺が野郎だからどうなってもいいってか!?」
「「まさかぁ~~」」
「その気の抜けた返事=そう言うことだろ!!」
目線だけで礼安に助け舟を求めるも、礼安も礼安で「平和なら万事オーケー」と言えるようなあっけらかんな態度であったため、堪忍したかのようにマリアナ海溝の如く深いため息を吐いた後、その場の十歳違いの同級生たちを皆引き連れ、大股を開きある場所へ歩き出した。他でもなく、トレーニングエリアであった。
「あーもー!! じゃあ二時間だけだぞ!! 俺この後『約束』あるからな!!」
その『約束』という
言葉に敏感に反応したうら若き青少年たちは、先ほどまで灰崎を笑っていた面子の一人、千尋の方を『察した』口角と目元が三日月かのような歪み方をした笑顔で見つめる。高校生ほどの青少年だけに限らず、小学生から同年代の
情報網はそこら中に張り巡らされており、どんな些細な情報もその蜘蛛の糸に引っ掛かる。
その中でも、より敏感に察知、すぐに情報が広まるものの代表例として挙がるものこそ……『色恋沙汰』に関する話題。誰かが誰かを好いているだの、誰かと誰かが別れただの、そういった話はすぐに広まっていく。
そして、今千尋はそれを実感している。あまり味わっていない青春の波動、その余波を現在進行形で受けているのだ。
「確か……清掃員の千尋さんって……ふっふっふ……」
「えッ嘘何でアタシの色々知っている訳!? 情報網怖すぎない!?」
「灰崎さん、『約束』って千尋さんに関する何かなんですかァ??」
「?? ま、まあそうだが……何でそんな薄気味悪い笑みを絶やさないんだ、お前ら??」
「はァ~ん……」「ふゥ~ん……」「へェ~……」「ほォ~ん……」
『この』分野において、灰崎の察する力は著しく弱い。だからこそ、余計に千尋を応援したがりな周りの生徒たちはその短時間の修行に千尋を見物人として連れて行こうとしていたのだ。他でもなく、ただの見物人としてではなく、その『恋路』を応援したいからこそであった。
千尋の身柄を拘束、あるいは連行するべく、千尋の傍に近寄って声を限りなく絞って冠位作戦会議を行う青少年たち。
(では千尋さん、灰崎さんと共に我々について来てもらいましょうか……)
「ひェッ!? なっななななななな何でかなァ?? お姉さん君たちのようなすっごい存在じゃあないよ??」
(いやいや……見たくないんですかァ?? 灰崎さんのォ……『格好いい』所??)
その台詞に、生唾を飲み込んでその先の展開を何も言わずに聞きたがる。
自分を抜いたやり取りが少し離れた場所で行われているため、どうも蚊帳の外のような灰崎であったが、ただ首を傾げるのみでその成り行きを見守っている。
(千葉の一件では超特等席から見ていたから要らないかもしれませんが……どうです?? なんせ二人暮らししているらしいじゃアないですか、少しくらい見たことの無い灰崎さんの顔……見たくないですか??)
(なッ何でそんなとこまで知っているの!? すけべだぞそういうのも情報として仕入れているの!!)
しかし、千尋の顔はどうも批判をしたそうな顔ではなく、今にでも同行したそうなものにまで興奮しきった状態であった。あと一押ししてしまえば、すぐにでも靡いてしまう可能性が大きかった。
そしてその一押しは、実に呆気なく押されるものであった。
(――灰崎さんに薄着になるようそれとなく伝えるので、筋肉美も拝めますよ??)
(マジ?? 行くに決まってんでしょお姉さんにお給金以外のご褒美頂戴??)
しかし。同行したは良いものの、何度言葉巧みに誘導しようと、灰崎は上半身のジャージすら脱ぐことは無かったのだった。
トレーニングエリアに向かう一行を眺めながら、クールダウンを行う礼安たち三人。ここの所、人傷沙汰にまつわる騒ぎが多かったため、このような『日常』を静かに噛み締めていた。以前だったら、入学前の案件だったらクランと青木が襲撃したり、透がメインの案件だったらグラトニーが様子見がてらやってきたり。
だからこそ、このように何も起こらない日々が有難く思えたのだ。教会という不安の種は未だ存在するものの、襲撃も何もないこの日々が、心から嬉しかったのだ。
「――しかし、後一か月後に学園祭があるはずなのに……こうして平和な日常を送れていることに感謝しなければなりませんね」
「俺もそれは同感だな。流石にここの所ずーっと戦い詰めだったからよ。授業もちょいちょいその案件絡みで欠席しちまっている以上、遅れを取り戻してェし」
「大丈夫だよ、教科書丸覚えしちゃえばすぐだよ!」
「それ出来んのお前だけだよ」
透の冷静なツッコミが冴えわたり、三人が軽快に嗤って見せる。三人だけでなく義弟妹を巻き込んだ食事会の予定があったため、灰崎らには何も告げることなく校庭を離れるのだった。
しかし、事はそう簡単に終わるはずもない。
それまでの様子を陰から見ていたある存在が、恨めしそうに遠くへ行こうとする灰崎を睨みつける。
「――ドロップアウトした元ヤクザ風情が……英雄の卵だって?? 認められる訳ないだろ、そんな馬鹿みたいな話をよ……!!」