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第三百三十三話

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 東京湾での戦いからほんの少しだけ時間を置き、カルマと愛田は死にかけの善吉を抱えながらある場所に辿り着いた。それは、善吉にとってもカルマにとっても縁のある場所である、元大人たちの屠殺場(とさつじょう)であった。
 一旦完全に水没したがために、血肉が洗い流されたとはいえ、血によって生じた錆やこびり付いた死臭はしっかりと残っていた。
 そしてカルマは、まるで大したことを指令するわけではないように、隣にいた愛田に対して命令するのだった。

「さて、と。愛田ちゃんさ……そこの妙な男、殺しちゃってよ」

 その言葉に対し、何とか生き繋いだ善吉は声を張り上げる。
「――何を……言っている!? 私は……来栖ぜん――――!?」
「ン、何を言っているのかな。私全く分からなーい」
 いつの間にか、カルマの着用しているロングコート、それは何と顔を窺い知ることが出来ないよう不自然な靄が掛かったまま、男物のスーツ姿となっていたのだ。その胸元には、善吉がスーツにつけていたはずの名札が提げられ、ネクタイピンにて留められていたのだ。

「私が、『来栖善吉(クルス ゼンキチ)』なんだけど? 君はただの名無し(ジョン・ドゥ)……ただそれを、愛田ちゃんが……私が命じてきた一部仕事内容のように、粛々と殺害するだけなんだけどなあ」
「ふざけるな……ふざけるな!! お前が私から全てを奪うだなんて、『亜紗』がッ――――」

 その言葉と共に、『名無し』に対しての死刑は執行。あろうことか、『名無し(ジョン・ドゥ)』の側近であったはずの女に。蟀谷に五発、心臓部に五発も撃ち込み、マフィアが完全に標的(ターゲット)を殺害するための銃殺方式であった。
 カルマ自身が『名無し(ジョン・ドゥ)』の首元を触って、完全に脈が無いことを確認。それとともに、愛田の頭部を優しく撫でるのだった。銃殺した当人は、意識すら完全掌握されているために、異を唱えることは出来ない状態にあったため、傀儡同然であった。
「よく頑張ったね、愛田ちゃん。私からのご褒美、もーっとあげようね……これまで、散々冷たくしちゃってごめんね?」
「はい……ありがたきお言葉です……」
 目は虚ろであり、カルマの施しを静かに受けるのみ。頭を撫でられたり、深い(ディープ)キスをされたり。これまで名無し(ジョン・ドゥ)の役割だった仕事内容を、カルマこと来栖善吉がこなしていく。ちゃんとした仕事には、ちゃんとした対価を渡す、『来栖善吉(クルス ゼンキチ)』らしい振る舞いを行っていた。
 しかし、愛田は――しばらくして手元と唇を震わせながら、静かに涙していたのだ。来栖善吉からの施しであるのにも拘らず、これまで以上のことをしてもらえる喜びが発露していないだけで、胸中に確かに存在しているはずなのに……感情に齟齬(そご)が生まれていたのだ。
 それを、まるで子供をあやすかのような調子で納めようと尽力する善吉(カルマ)。その表情には、悪意以外の何も存在しなかった。
「どうしたの、何で泣いちゃったの? もっと、これから良いことが待っているのに……私だって悲しくなっちゃうよ?」
 わざとらしく口を尖らせるカルマであったが、愛田はカルマによって感情を喪失したはずが、欠片だけ残っていたのだ。さらに、その欠片だけ残った感情が、ほんの気持ちばかりの抵抗を見せていたのだ。
「――嬉しいんです。でも……」
「この名無し(ジョン・ドゥ)、要らない? まあ要らないよね、だってただのどこの馬の骨とも知らない奴の死体だもんねぇ。分かった、すぐに『消して』あげる。それなら、施しにも集中できるでしょ!」
 信之に対して行なった時よりも、非常に小規模。愛田亜紗(アイダ アサ)という、来栖善吉(なにものか)に狂気的なほどに心酔していた女から、目障りかつ路傍の小石同然な存在である名無し(ジョン・ドゥ)の存在を完全抹消。来栖善吉(カルマ)にその矢印が向くように仕向けたのだ。
 だが、愛田は変わっていなかったのだ。能力を超えた純愛が、そこに存在したのだ。その概念は、間違いなく眼前にいる女であるはずなのに、傍にいた存在こそが、来栖善吉(カルマ)であるのにも拘らず――――名無し(ジョン・ドゥ)がこの世から極小規模に、いとも簡単に完全消滅した瞬間、心のパズルピースが、永遠に1ピース欠けたままの状態になってしまう。
「――『善吉さん』。この涙……止めるにはどうしたらいいですか」
「そりゃあ、荒っぽく拭えばいいのよ。んでその後私たち同性で、性行為(セックス)でも何でもして忘れてしまえばいいのさ。私両性愛者(バイセクシュアル)だから、どちらが相手であろうとその手練手管を駆使して満足させることは出来るよ? 例えそれがグレープ・ミディアムボディの女王であろうとも、余裕で喜ばせることは可能だとも」
 その言葉によって、涙が止むと考えていた来栖善吉(カルマ)は、目測を誤った。愛田の涙は、留まることを知らなかったのだ。大粒の涙が、何かがあった場所にただ落ちていくのみであったのだ。
 心の欠落を埋めるには魅力的な提案をされていたのだが、それだけでは『なぜか』満たされない。それは強欲の証ではない。ただそこにあったはずの『何か』が、彼女の思考のバグを処理しようとしていたのだ。
 傍にいる来栖善吉(カルマ)では、到底満たしきれない『何か』。それでいて、永遠に満たされることのない『何か』が、異常思考を阻害しようとしていたのだ。
「ただ、今さっき君の中で、取るに足らない存在が消えただけだったんだよ? そこに何も問題は無い、実に普遍的な事柄だったんだよ」
「そう、なんでしょうか」
 その善吉(カルマ)の言葉通りに、涙を拭おうとするも、とめどなく溢れる涙に、ただ無言で困惑していた。

「私……涙が止まりません。何ででしょう、こんなに清々しいはずなのに――――それを遥かに超えるほどに『苦しい』んです。この感情は……一体何なんですか」

 大きな溜息を吐いたカルマは、無言で彼女から拳銃を奪い、容赦なく頭部に数発撃ち込んだ。さらに弾倉(マガジン)を変え、顔の原型が残らないほどにまで超過殺害(オーバーキル)したのだ。
「――本当、面倒極まりないよ。概念まで消したのに、契約によって生まれた形だけの愛情……言い換えるならば、『約束』を守り続けるだなんて……殊勝なことだね」
 愛田を殺害した後、非常につまらないといった様子で彼女自身に侮蔑の目を向け、無表情にて何度も顔面以外を足蹴にするカルマ。だが、その後にそれ以上の追い打ちをしなかった辺りは、同性なりの配慮か。
 銃殺に用いられた自動短銃(オートマティック・ピストル)をその辺に分解して放り投げ、その光景を目の当たりにしていた五斂子社従業員たちに宣誓するのだった。
「……とまあ、これまでのやり取りから分かってもらっただろうが、私が前社長である来栖善吉(クルス ゼンキチ)から役職を継いだ、カルマだよ。よろしくねェ」
 恐怖やら喪失感やら、あらゆる感情をカルマによって喪失させられた一般社員たちは、カルマを崇めるように一斉に拍手する。それを静かに享受した後、手を下げその拍手をやめさせる。
「けどさ、正直五斂子社で収まってんのも……窮屈じゃあない? 君たちには、それよりも大きな組織、さらにまだまだ未開拓領域(ブルーオーシャン)と言える、教会に入信することをお勧めするよ。それに――もうこの名もこの会社にとっていらないだろうしね」
 名札を弄るカルマ。手をかざしただけで、初代代表取締役社長の名が、カルマに置き換わる。『来栖善吉(だれか)』という名の概念すら、世の中から完全消去されたのだ。しかも、今度は英雄学園に所属するメンバーのみが記憶を保有する結果となり、千葉県での一件は新生山梨支部という支部長、先ほど殺された愛田が率いた軍が、千葉県を舞台に起こした事件へと認識がすり替わっていく。

「この世界にとって、無能な存在はいなくていい。実に真理だとは思うが……私たちは無能を騙してお金をお布施という形で頂戴している。英雄たちと同等クラスに、最も無能に生かされた存在と言っていいね。それをないがしろにした君らは……消えて当然なのさ」

 したり顔で笑むカルマ。その表情の全貌はフードの影響で窺い知ることはできないが、故人に対しての敬意もクソもなく、ただ邪魔ものを消した充足感に満ちた笑顔であった。



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 東京湾での戦いからほんの少しだけ時間を置き、カルマと愛田は死にかけの善吉を抱えながらある場所に辿り着いた。それは、善吉にとってもカルマにとっても縁のある場所である、元大人たちの|屠殺場《とさつじょう》であった。
 一旦完全に水没したがために、血肉が洗い流されたとはいえ、血によって生じた錆やこびり付いた死臭はしっかりと残っていた。
 そしてカルマは、まるで大したことを指令するわけではないように、隣にいた愛田に対して命令するのだった。
「さて、と。愛田ちゃんさ……そこの妙な男、殺しちゃってよ」
 その言葉に対し、何とか生き繋いだ善吉は声を張り上げる。
「――何を……言っている!? 私は……来栖ぜん――――!?」
「ン、何を言っているのかな。私全く分からなーい」
 いつの間にか、カルマの着用しているロングコート、それは何と顔を窺い知ることが出来ないよう不自然な靄が掛かったまま、男物のスーツ姿となっていたのだ。その胸元には、善吉がスーツにつけていたはずの名札が提げられ、ネクタイピンにて留められていたのだ。
「私が、『|来栖善吉《クルス ゼンキチ》』なんだけど? 君はただの|名無し《ジョン・ドゥ》……ただそれを、愛田ちゃんが……私が命じてきた一部仕事内容のように、粛々と殺害するだけなんだけどなあ」
「ふざけるな……ふざけるな!! お前が私から全てを奪うだなんて、『亜紗』がッ――――」
 その言葉と共に、『名無し』に対しての死刑は執行。あろうことか、『|名無し《ジョン・ドゥ》』の側近であったはずの女に。蟀谷に五発、心臓部に五発も撃ち込み、マフィアが完全に|標的《ターゲット》を殺害するための銃殺方式であった。
 カルマ自身が『|名無し《ジョン・ドゥ》』の首元を触って、完全に脈が無いことを確認。それとともに、愛田の頭部を優しく撫でるのだった。銃殺した当人は、意識すら完全掌握されているために、異を唱えることは出来ない状態にあったため、傀儡同然であった。
「よく頑張ったね、愛田ちゃん。私からのご褒美、もーっとあげようね……これまで、散々冷たくしちゃってごめんね?」
「はい……ありがたきお言葉です……」
 目は虚ろであり、カルマの施しを静かに受けるのみ。頭を撫でられたり、|深い《ディープ》キスをされたり。これまで|名無し《ジョン・ドゥ》の役割だった仕事内容を、カルマこと来栖善吉がこなしていく。ちゃんとした仕事には、ちゃんとした対価を渡す、『|来栖善吉《クルス ゼンキチ》』らしい振る舞いを行っていた。
 しかし、愛田は――しばらくして手元と唇を震わせながら、静かに涙していたのだ。来栖善吉からの施しであるのにも拘らず、これまで以上のことをしてもらえる喜びが発露していないだけで、胸中に確かに存在しているはずなのに……感情に|齟齬《そご》が生まれていたのだ。
 それを、まるで子供をあやすかのような調子で納めようと尽力する|善吉《カルマ》。その表情には、悪意以外の何も存在しなかった。
「どうしたの、何で泣いちゃったの? もっと、これから良いことが待っているのに……私だって悲しくなっちゃうよ?」
 わざとらしく口を尖らせるカルマであったが、愛田はカルマによって感情を喪失したはずが、欠片だけ残っていたのだ。さらに、その欠片だけ残った感情が、ほんの気持ちばかりの抵抗を見せていたのだ。
「――嬉しいんです。でも……」
「この|名無し《ジョン・ドゥ》、要らない? まあ要らないよね、だってただのどこの馬の骨とも知らない奴の死体だもんねぇ。分かった、すぐに『消して』あげる。それなら、施しにも集中できるでしょ!」
 信之に対して行なった時よりも、非常に小規模。|愛田亜紗《アイダ アサ》という、|来栖善吉《なにものか》に狂気的なほどに心酔していた女から、目障りかつ路傍の小石同然な存在である|名無し《ジョン・ドゥ》の存在を完全抹消。|来栖善吉《カルマ》にその矢印が向くように仕向けたのだ。
 だが、愛田は変わっていなかったのだ。能力を超えた純愛が、そこに存在したのだ。その概念は、間違いなく眼前にいる女であるはずなのに、傍にいた存在こそが、|来栖善吉《カルマ》であるのにも拘らず――――|名無し《ジョン・ドゥ》がこの世から極小規模に、いとも簡単に完全消滅した瞬間、心のパズルピースが、永遠に1ピース欠けたままの状態になってしまう。
「――『善吉さん』。この涙……止めるにはどうしたらいいですか」
「そりゃあ、荒っぽく拭えばいいのよ。んでその後私たち同性で、|性行為《セックス》でも何でもして忘れてしまえばいいのさ。私|両性愛者《バイセクシュアル》だから、どちらが相手であろうとその手練手管を駆使して満足させることは出来るよ? 例えそれがグレープ・ミディアムボディの女王であろうとも、余裕で喜ばせることは可能だとも」
 その言葉によって、涙が止むと考えていた|来栖善吉《カルマ》は、目測を誤った。愛田の涙は、留まることを知らなかったのだ。大粒の涙が、何かがあった場所にただ落ちていくのみであったのだ。
 心の欠落を埋めるには魅力的な提案をされていたのだが、それだけでは『なぜか』満たされない。それは強欲の証ではない。ただそこにあったはずの『何か』が、彼女の思考のバグを処理しようとしていたのだ。
 傍にいる|来栖善吉《カルマ》では、到底満たしきれない『何か』。それでいて、永遠に満たされることのない『何か』が、異常思考を阻害しようとしていたのだ。
「ただ、今さっき君の中で、取るに足らない存在が消えただけだったんだよ? そこに何も問題は無い、実に普遍的な事柄だったんだよ」
「そう、なんでしょうか」
 その|善吉《カルマ》の言葉通りに、涙を拭おうとするも、とめどなく溢れる涙に、ただ無言で困惑していた。
「私……涙が止まりません。何ででしょう、こんなに清々しいはずなのに――――それを遥かに超えるほどに『苦しい』んです。この感情は……一体何なんですか」
 大きな溜息を吐いたカルマは、無言で彼女から拳銃を奪い、容赦なく頭部に数発撃ち込んだ。さらに|弾倉《マガジン》を変え、顔の原型が残らないほどにまで|超過殺害《オーバーキル》したのだ。
「――本当、面倒極まりないよ。概念まで消したのに、契約によって生まれた形だけの愛情……言い換えるならば、『約束』を守り続けるだなんて……殊勝なことだね」
 愛田を殺害した後、非常につまらないといった様子で彼女自身に侮蔑の目を向け、無表情にて何度も顔面以外を足蹴にするカルマ。だが、その後にそれ以上の追い打ちをしなかった辺りは、同性なりの配慮か。
 銃殺に用いられた|自動短銃《オートマティック・ピストル》をその辺に分解して放り投げ、その光景を目の当たりにしていた五斂子社従業員たちに宣誓するのだった。
「……とまあ、これまでのやり取りから分かってもらっただろうが、私が前社長である|来栖善吉《クルス ゼンキチ》から役職を継いだ、カルマだよ。よろしくねェ」
 恐怖やら喪失感やら、あらゆる感情をカルマによって喪失させられた一般社員たちは、カルマを崇めるように一斉に拍手する。それを静かに享受した後、手を下げその拍手をやめさせる。
「けどさ、正直五斂子社で収まってんのも……窮屈じゃあない? 君たちには、それよりも大きな組織、さらにまだまだ|未開拓領域《ブルーオーシャン》と言える、教会に入信することをお勧めするよ。それに――もうこの名もこの会社にとっていらないだろうしね」
 名札を弄るカルマ。手をかざしただけで、初代代表取締役社長の名が、カルマに置き換わる。『|来栖善吉《だれか》』という名の概念すら、世の中から完全消去されたのだ。しかも、今度は英雄学園に所属するメンバーのみが記憶を保有する結果となり、千葉県での一件は新生山梨支部という支部長、先ほど殺された愛田が率いた軍が、千葉県を舞台に起こした事件へと認識がすり替わっていく。
「この世界にとって、無能な存在はいなくていい。実に真理だとは思うが……私たちは無能を騙してお金をお布施という形で頂戴している。英雄たちと同等クラスに、最も無能に生かされた存在と言っていいね。それをないがしろにした君らは……消えて当然なのさ」
 したり顔で笑むカルマ。その表情の全貌はフードの影響で窺い知ることはできないが、故人に対しての敬意もクソもなく、ただ邪魔ものを消した充足感に満ちた笑顔であった。