さあ、続けよう。
…なんだその顔は。いつまでやるのかだと?まあよいではないか。こちとら存在せずに存在し続けて90年ほど、箱の中にいるのだ。退屈なのだ。
もっともその90年ほど、我がずっと同じ我であったわけでもないが、まあそれはそれだ。付き合え。
ฅ
すこし思考実験をしようか。
先述のとおり我は生きていて死んでいるまま、存在せずに存在しているわけだが、ではどうなればどちらかに確定するのだろうか。
これまた先述のとおり、誰かにとって死んでいて、誰かにとって生きている可能性がある限り、それは一意に決まらない。さて、どうかな?
………
呵々、悩んでいるな?悩んでいることにして進めよう。
まず単純なのは、すべてを観測してしまうことだ。我がどうなるのか、それを決定しうるあらゆるものを観測することができたなら、決定できよう。
しかし残念だ。そういうことを考えた人間はいた──ラプなんとかと言ったはずだ──が、人間たちは思考の果てにそれを却下している。名前の長いやつ…ハイなんとかだ、その者が一刀のもとに切り捨てたのだ。ものすごく難しい話だから、寝ていてよいぞ。我は暇だから喋るが。
ฅ ฅ ฅ ฅ ฅ ฅ
(光の速さで喋る)
あるところに、さまよえる物質Qがある。これは、上下左右東西南北、絶えず動き続けている。法則性はない。
この物質Qの、ある瞬間瞬間の正確な位置と動き方を、寸分の狂いも妥協もなく、完璧に知りたいとする。一切だ。コンマの後にいくつ0が続こうともだ。
賢者たちは考えた。「関所を潜らせればよい」と。
なるほど、真っすぐな一線を通った瞬間を捉えれば、その瞬間において物質Qを捉えることはできそうだ。
まず、正確な位置を知りたいと物質Qが一個だけギリギリ通れるだけの関所を用意する。確かにそこを通った瞬間、Qの位置を知ることは可能だ。
しかしながら、川に水門を設けたときその口が小さいほど強く水が引き込まれて勢いが付き、出口についても水が暴れるであろう。ちょうどそのように、関所があることによって物質Qの動きの幅が大きくなってしまうのだ。物質Qは直前までウロウロとさまよっていてどこにあるか分からないから、どのような動きをして関所に入っていくのかが分からないし、どのように出て行くのかが分からない。
賢者は考えた。「関所を無限に造ればいいのでは?」
なるほど、確かに。先ほどを無限に繰り返せば行けそうな気がする。
しかし、ダメだった。先に述べたように関所への入り方が一定でない以上、関所が互い互いに影響しあってカオスなことになるのだ。
賢者は考えた。「では、関所を大きくしよう」
なるほど、素直な発想だ。関所が物質Qの動きに影響を与えてしまうのならば、大きな範囲で拾えばいいじゃない、ということだ。
呵々、可愛らしい。賢者とは得てして純粋なものだ。
しかし、それもダメだった。確かにこうすると関所が物質Qの動きに干渉することはないから、動き自体は追うことができる。しかし、今度は物質Qの正確な位置が分からないのだ。
これは少々直感に反するかもしれぬが…そうさな、走っている車の写真を撮ることを考えよう。シャッタースピードを速くして一瞬を捉えようと思うと、車はハッキリ映るが車の速さや方向はよく分からない。小さな関所はこの発想だ。
対して、では速さや方向を捉えるためにシャッタースピードを遅く流し撮りするとどうか。写真はブレて、そのブレ方によって動き方を知ることはできるが、ブレているゆえに車が正確にどこにいるのか分からない。まあ、正確ではないがそういうことだ。というか我もよく分かっていない。かのファイなんとかでさえ分からんと言っているのだ。猫の頭で分かるはずあるまい。
云々、云々
ฅ ฅ ฅ ฅ ฅ ฅ
…ふう。
おい、難しいパートは終わりだぞ。いつまで寝ている。寝足りないのなら、寝てくるがよい。我はまだ話し足りないぞ。