第96話 忽然と欠けた日常
ー/ー
夜明けを迎えて早い時間、澄み切った清々しい空気に満ちたパエデロスの街を、我はオキザリスとチコリーの二人を連れて歩いていた。
昨晩はミモザも店の方に寝泊まりすることにしていたため、我の横を歩いていないことが少々寂しくもあった。
今日は開店を予定している日になる。だからといって、こんなにも早い時間帯に店に向かう意味もないのだが、昨日のこともあって我もはやる気持ちがあった。
開店の準備にしたって、昨日も店に立ち寄った限りではあの従業員たちの総出でまた完璧にできていたし、せいぜい簡単な掃除か在庫の確認を念入りにやるくらいしか仕事もないだろう。
「ふわぁ~……はぐっ! も、申し訳ございません!」
なんか、後ろの方でチコリーがあくびをして、そこにオキザリスの肘鉄砲が炸裂したような気がするが、そんなことは今あまり気にするところでもない。
我としては、ミモザの寝ぼけた顔の一つでも拝めればそれで安堵できる。
我を含む一行は、新装開店してまだ間もない店の裏の勝手口にたどり着く。
表の玄関と違い、こちら側だとミモザの私用スペースに直通となっており、開けて直ぐにキッチン、右手前の階段を上れば寝室に繋がっている。
まだ寝ているとしたらこちらから入った方が早いだろう。
我は新品のドアノッカーを鳴らし、中に声を掛ける。
「ミモザ~、起きておるか~、我が来たぞ~」
静まりかえった朝焼けのパエデロスに我の声が染み渡るように響く。
これといった返事はない。さすがに早く来すぎたのかもしれない。
「ふむぅ……寝ておるのか」
我は、渋々何処かに散歩して時間を潰そうか、と思った矢先、オキザリスが腑に落ちない顔をしているのが目に入った。
「お嬢様、ミモザ様の寝息が聞こえません」
勝手口の前、扉すら開けていないというのに、寝息が聞こえてくるものなのだろうか。そんな我の疑問を他所に、オキザリスはミモザの店の壁伝いに這いつくばり、逐一逐一壁に耳を当ててはずいずいと移動する。
以前と店舗と比べてこの店も大分広くなったし、そんな店内の音なんて拾えるものではないと思うのだが。
「お嬢様、この店には気配がございません」
「な、何を言っておるのだ……そうやって我を不安にさせるでない」
オキザリスの言葉に嫌な予感を増幅させられてしまった我は、気持ちに急かされるように合い鍵を取り出す。
勝手口を開き、我とオキザリスはキッチンへ。
「チコリーはここで誰かこないか見張っておいてくれ。何もないといいのだがな」
「は、はい! かしこまりました、お嬢様」
脇腹を片手でさすっていたチコリーは、しゃっきりとした態度で会釈する。
キッチンの中は、別段何のことはない。三、四人くらいが同時に調理を行える程度のスペースが確保されており、普段はここでミモザ直伝のエルフ飯を作ったり、未だ人気絶頂中のミモザチップスを作ったりしている。
が、当然のことながら今は誰もいないし、調理をした形跡すらない。目に付くのは部屋の隅に積まれた大量のジャガイモの入った木箱くらいのものだ。
調理器具もしっかりと片付けられている。
ミモザの気配がないことは分かったので、そのまま階段の方へと上がっていく。
この先の寝室はミモザの私室でもあり、我もよく立ち入る仮眠室にもなっている。
従業員用の休憩室は別に用意してあるため、実質我とミモザの部屋というわけだ。
「ミモザ、開けるぞ」
固唾を呑んで、我は寝室の扉をノックする。やはり返事はない。
ドアノブに手を伸ばす。鍵も掛かっていない。
そのままカチャリと回し、扉を開いた。
我の目に映るのは、誰もいない部屋だ。部屋の左端に置かれたベッドにも、右端に置かれたベッドにも、ミモザはいない。まさかタンスの中に隠れているのかと思い、開けてみるが、ミモザの私服と店用の制服が入っているだけだ。
「み、ミモザ……?」
そう呟いてみるも、ミモザの姿は影も形もない。
ベッドの下を覗いてみたり、カーテンの裏側をめくってみたり、窓を開いて見える範囲でパエデロスの街並みを見渡してみてもミモザは見当たらない。
そのまま窓下に目を向け、丁度真下で待機していたチコリーの後ろ頭を確認する。
「おい、チコリー。ミモザはいたか?」
「は、はいっ!? み、見ておりません!」
急に頭上から声を掛けられ不意を突かれたのか、一瞬飛び上がり、そのままこちらの方に向き直って見上げた姿勢のまま返事する。
「こんな朝早くから出掛けたのか……?」
しかし、ミモザは朝に散歩するという習慣はなかったはずだ。時間さえあれば工房の方に引き籠もっているからな。そこでハッとして我は寝室を後にして階段を降りる。キッチンまで戻り、そこから繋がる工房への扉を開いた。
工房の中はやはりキッチンと同じで静まりかえっており、誰の気配もない。
なんだったらついさっきまで使われていた、という形跡すらなく、きちんと片付けられているくらいだ。
昨日最後にミモザに会ってからこの工房も使われていないのか。
普段だったら工具とか材料とかが散乱している勢いで転がっているのに。
工房から店内の方へと移動する。商品の棚は昨日見たとおり整頓されているし、チェックを済ませたらあとは店を開く段階まで準備ができている。
だが、そこに足りないものがあるとすれば店長であるミモザの姿だけだ。
おかしい。あまりにもおかしい。
何がおかしいかと言われたら困るところだが、少なからずともミモザの店からはミモザだけがすっぽ抜けている状態であり、それ以外は何の異常もない。
「オキザリス……、ミモザの足跡か何かを追えるか?」
「いえ……申し訳御座いません。この店内にはそのような形跡も見当たりません」
ついつい我は変なことをオキザリスに訊ねてしまう。
床だってキレイに掃除してあるし、ことにミモザが泥まみれの靴でも履いていない限りは足跡なんて残っているわけがないだろうが。
今のは冷静ではない発言だった。
「もし、ミモザがこの店を出たとしたなら、ついさっきではないな」
私室や店内の様子から見ても、それは明らかだ。
嫌な予感が針のようにチクチクと我の中の何かを刺すようだった。
何それは昨晩のうちに忽然と失踪したという意味にもなりかねないからだ。
「オキザリス、何でもいい。ミモザの足取りが分かるものを探せ」
「御意」
床を這いつくばる勢いで、我とオキザリスは店内を捜索する。
しかし、いかんせんキレイに清掃の済まされたこの場所には、大したものが見つかることもなく、そもそもここはミモザの店なのだから私物自体はいくら見つかるわけで、それでミモザが何処へ向かったかなんて分かるはずもなかった。
そうして、いたずらに時間だけを浪費しているうちに開店時間が迫ってくる。
すっかり空が青くなり、眩い日の光が窓越しに差し込んでくる。
そんな矢先――
「あ、お、おはようございます。あの、今はその……」
勝手口の方からチコリーの慌てるような声が飛び込んでくる。
そこに続いてやってきたのは、見せつけるような黒光りする筋肉を持つデカ女、オーガのハーフであるノイデスだった。チコリーは振り切られたらしい。
「うぃーっす、フィー様。今日は早いんすね。てっきり一番乗りかと」
我の心境とは裏腹に、明るく振る舞う。
その後ろから示し合わせたかのようにデニア、ヤスミ、サンシが姿を現す。
だが、そこにはいるべきはずのものが欠けていた。
結局、開店時間になっても、ミモザだけは姿を現すことはなかった。
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昨晩はミモザも店の方に寝泊まりすることにしていたため、我の横を歩いていないことが少々寂しくもあった。
今日は開店を予定している日になる。だからといって、こんなにも早い時間帯に店に向かう意味もないのだが、昨日のこともあって我もはやる気持ちがあった。
開店の準備にしたって、昨日も店に立ち寄った限りではあの従業員たちの総出でまた完璧にできていたし、せいぜい簡単な掃除か在庫の確認を念入りにやるくらいしか仕事もないだろう。
「ふわぁ~……はぐっ! も、申し訳ございません!」
なんか、後ろの方でチコリーがあくびをして、そこにオキザリスの肘鉄砲が炸裂したような気がするが、そんなことは今あまり気にするところでもない。
我としては、ミモザの寝ぼけた顔の一つでも拝めればそれで安堵できる。
我を含む一行は、新装開店してまだ間もない店の裏の勝手口にたどり着く。
表の玄関と違い、こちら側だとミモザの私用スペースに直通となっており、開けて直ぐにキッチン、右手前の階段を上れば寝室に繋がっている。
まだ寝ているとしたらこちらから入った方が早いだろう。
我は新品のドアノッカーを鳴らし、中に声を掛ける。
「ミモザ~、起きておるか~、我が来たぞ~」
静まりかえった朝焼けのパエデロスに我の声が染み渡るように響く。
これといった返事はない。さすがに早く来すぎたのかもしれない。
「ふむぅ……寝ておるのか」
我は、渋々何処かに散歩して時間を潰そうか、と思った矢先、オキザリスが腑に落ちない顔をしているのが目に入った。
「お嬢様、ミモザ様の寝息が聞こえません」
勝手口の前、扉すら開けていないというのに、寝息が聞こえてくるものなのだろうか。そんな我の疑問を他所に、オキザリスはミモザの店の壁伝いに這いつくばり、逐一逐一壁に耳を当ててはずいずいと移動する。
以前と店舗と比べてこの店も大分広くなったし、そんな店内の音なんて拾えるものではないと思うのだが。
「お嬢様、この店には気配がございません」
「な、何を言っておるのだ……そうやって我を不安にさせるでない」
オキザリスの言葉に嫌な予感を増幅させられてしまった我は、気持ちに急かされるように合い鍵を取り出す。
勝手口を開き、我とオキザリスはキッチンへ。
「チコリーはここで誰かこないか見張っておいてくれ。何もないといいのだがな」
「は、はい! かしこまりました、お嬢様」
脇腹を片手でさすっていたチコリーは、しゃっきりとした態度で会釈する。
キッチンの中は、別段何のことはない。三、四人くらいが同時に調理を行える程度のスペースが確保されており、普段はここでミモザ直伝のエルフ飯を作ったり、未だ人気絶頂中のミモザチップスを作ったりしている。
が、当然のことながら今は誰もいないし、調理をした形跡すらない。目に付くのは部屋の隅に積まれた大量のジャガイモの入った木箱くらいのものだ。
調理器具もしっかりと片付けられている。
ミモザの気配がないことは分かったので、そのまま階段の方へと上がっていく。
この先の寝室はミモザの私室でもあり、我もよく立ち入る仮眠室にもなっている。
従業員用の休憩室は別に用意してあるため、実質我とミモザの部屋というわけだ。
「ミモザ、開けるぞ」
固唾を呑んで、我は寝室の扉をノックする。やはり返事はない。
ドアノブに手を伸ばす。鍵も掛かっていない。
そのままカチャリと回し、扉を開いた。
我の目に映るのは、誰もいない部屋だ。部屋の左端に置かれたベッドにも、右端に置かれたベッドにも、ミモザはいない。まさかタンスの中に隠れているのかと思い、開けてみるが、ミモザの私服と店用の制服が入っているだけだ。
「み、ミモザ……?」
そう呟いてみるも、ミモザの姿は影も形もない。
ベッドの下を覗いてみたり、カーテンの裏側をめくってみたり、窓を開いて見える範囲でパエデロスの街並みを見渡してみてもミモザは見当たらない。
そのまま窓下に目を向け、丁度真下で待機していたチコリーの後ろ頭を確認する。
「おい、チコリー。ミモザはいたか?」
「は、はいっ!? み、見ておりません!」
急に頭上から声を掛けられ不意を突かれたのか、一瞬飛び上がり、そのままこちらの方に向き直って見上げた姿勢のまま返事する。
「こんな朝早くから出掛けたのか……?」
しかし、ミモザは朝に散歩するという習慣はなかったはずだ。時間さえあれば工房の方に引き籠もっているからな。そこでハッとして我は寝室を後にして階段を降りる。キッチンまで戻り、そこから繋がる工房への扉を開いた。
工房の中はやはりキッチンと同じで静まりかえっており、誰の気配もない。
なんだったらついさっきまで使われていた、という形跡すらなく、きちんと片付けられているくらいだ。
昨日最後にミモザに会ってからこの工房も使われていないのか。
普段だったら工具とか材料とかが散乱している勢いで転がっているのに。
工房から店内の方へと移動する。商品の棚は昨日見たとおり整頓されているし、チェックを済ませたらあとは店を開く段階まで準備ができている。
だが、そこに足りないものがあるとすれば店長であるミモザの姿だけだ。
おかしい。あまりにもおかしい。
何がおかしいかと言われたら困るところだが、少なからずともミモザの店からはミモザだけがすっぽ抜けている状態であり、それ以外は何の異常もない。
「オキザリス……、ミモザの足跡か何かを追えるか?」
「いえ……申し訳御座いません。この店内にはそのような形跡も見当たりません」
ついつい我は変なことをオキザリスに訊ねてしまう。
床だってキレイに掃除してあるし、ことにミモザが泥まみれの靴でも履いていない限りは足跡なんて残っているわけがないだろうが。
今のは冷静ではない発言だった。
「もし、ミモザがこの店を出たとしたなら、ついさっきではないな」
私室や店内の様子から見ても、それは明らかだ。
嫌な予感が針のようにチクチクと我の中の何かを刺すようだった。
何それは昨晩のうちに忽然と失踪したという意味にもなりかねないからだ。
「オキザリス、何でもいい。ミモザの足取りが分かるものを探せ」
「御意」
床を這いつくばる勢いで、我とオキザリスは店内を捜索する。
しかし、いかんせんキレイに清掃の済まされたこの場所には、大したものが見つかることもなく、そもそもここはミモザの店なのだから私物自体はいくら見つかるわけで、それでミモザが何処へ向かったかなんて分かるはずもなかった。
そうして、いたずらに時間だけを浪費しているうちに開店時間が迫ってくる。
すっかり空が青くなり、眩い日の光が窓越しに差し込んでくる。
そんな矢先――
「あ、お、おはようございます。あの、今はその……」
勝手口の方からチコリーの慌てるような声が飛び込んでくる。
そこに続いてやってきたのは、見せつけるような黒光りする筋肉を持つデカ女、オーガのハーフであるノイデスだった。チコリーは振り切られたらしい。
「うぃーっす、フィー様。今日は早いんすね。てっきり一番乗りかと」
我の心境とは裏腹に、明るく振る舞う。
その後ろから示し合わせたかのようにデニア、ヤスミ、サンシが姿を現す。
だが、そこにはいるべきはずのものが欠けていた。
結局、開店時間になっても、ミモザだけは姿を現すことはなかった。