テツサンノコト
ー/ー-ボクのキモチ-⑤
【本当の姿を愛してくれなかった
コンナ僕のことを見て
愛が消えてしまう前に
目玉をくり抜こう】
20XX年 十月
枝から落ちた葉は枯れていくしかない。
自力で栄養を得ることができないのだ。
被疑者の秀平は自ら枯れる道を選んだのか。
羽織った上着の皺を伸ばす仕草をしながら、新堂家を見つめる少年の影に近づく。
「こんにちは」
少年はビクッと肩を上げ、頭を下げた。
表情は幼い。
しかし、喉元には仏が見え、声変わりを終えているのが分かる。
「だいぶ風が冷たくなってきた。日が陰ると一気に気温が下がる。君、寒くないのかい?」
日の高い頃から立っていたことを、半袖姿が証明していた。
「寒くないです。……おじさん、誰ですか」
言葉選びをせず、感情のまま発している。
「名乗らずに失礼」
内ポケットから顔写真付きの手帳を見せた。
すると、少年の目の色が変わった。
『おじさん』から『刑事』に昇格した気がして、少し誇らしかった。
「秀平に何があったんですか!」
俺を見る目が変わったのではなかった。
自惚れたことに恥ずかしさを感じ、朝比奈の敬礼姿が恋しくなる。
「君は秀平くんの、友人かい?」
「はい」
「名前、聞いてもいいかな」
白いページにペン先を当てる。
「牧村颯太です」
彼は背筋を伸ばし、両手に作った拳を握りしめている。
その姿を見て、漢字まで聞く気にはならなかった。
「……秀平は」
わずかに声が震えている。
「大丈夫」
無責任な言葉を使ってしまい『何がですか』と質問されないことを願った。
「連絡がつかない……。無断欠席したこと、一度もないんです」
黄色いテープが張られ、何台もの車が止まっている状況は、不安を掻き立てるには十分すぎる。
「秀平と話せますか」
「しばらく無理だ」
無責任な言葉を消すかのように、現実を告げた。
「……大丈夫ではないんですね」
たった一言で全てを感じ取ったかのように、彼は拳を広げた。
「いや、体は無事なんだ」
「はっきり言ってください!」
声に驚いたのだろう。
鳥たちが一斉に羽ばたいた。
「……わかった。話す」
俺は、刑事失格だ。
話すと決めたとき、母の言葉を思い出した。
父は、俺が中学三年の秋に人生を奪われた。
同期の横領を知り、口封じのために。
葬儀が終わっても気丈に振る舞う母の姿に、腹を立てた。
「母さん。泣きもしないで、何とも思わないのかよ!犯人が憎くないのか!」
「……憎んだら、あの人は帰ってくるの?」
父の遺影に視線を止めたまま、静かな声で言った。
「帰ってくるわけないだろ。そういうことを聞いてるんじゃない!」
「憎しみは、なにも生まない」
イカれてしまったのだと思った。
「心の闇は人が作り出すの。その闇に光を与えられるのは、人しかないのよ」
「何を言ってるんだよ。親父は殺されたんだぞ」
くちびるを噛み締めすぎたらしく、口の中に鉄の味が広がった。
「みんな、同じ人間なの」
そのとき、母は最初で最後の涙を流した。
───闇に光を与えられるのは、人しかいない。
秀平が抱える闇を、目の前の少年に託したかったのかもしれない。
日が傾き始め、鳥肌を立てている颯太くんにそっと上着を乗せた。
「静かな場所に移動した方がいいな」
力なく頷き、自転車に手をかけた。
「ちょっと、待ってくれ」
急ぎ足で新堂家に向かい、自慢のママチャリを取りに戻る。
「待たせた」
息が上がり、歳には敵わないなと老化を感じた。
「自転車ですか?」
「そうだ。かっこいいだろ」
緩んだ表情を見られたことに、少し安心してしまう。
「かっこよくはないです」
肩を並べて歩く姿は親子に見えるだろうか。
隣にいるのが息子の啓介だったらなと、胸がチクリと痛んだ。
「仲がよかったんだな」
公園のベンチに腰をかけ、さりげなく聞いた。
「親友だと思ってます。だからお兄さんのことを、僕だけに話してくれたんです」
「お兄さんのこと?」
見当はついているのに、知らないふりをする。
「働きもせず、暴力をふるう。お母さんを助けられない自分が情けないと……」
鋭い視線を向け、続けた。
「お兄さんは、何をしたんですか」
「違う」
迷うことなく、言ってしまった。
俺は人としても失格なのかもしれない。
「秀平くんが……両親を傷つけた」
もう、引き返せない。
「傷は、治るんです……よね」
震える声を無視した。
「もう、二人は戻らない」
母の言葉は正しかった。
俺は、人の心に闇を宿してしまったのだ。
「……うそだ。どうして」
崩れゆく彼の背中に、手をあてることしかできない。
そんな人間が刑事と名乗っていいのだろうか。
「申し訳なかった」
「なんで謝るんですか」
涙で溢れた目を逸らしたらいけない。
「君の心構えが必要だった。それなのに、俺は……」
とめどなく溢れる涙を拭いもせず、力強く遮られた。
「必要ありません。事実を知りたいと言ったのは、僕ですから」
「枯れるまで、泣けばいい。隣にいさせてくれ」
「……かっこいいですね」
微かに緩む口元が空気の温度を上げる。
救われたのは俺の方だった。
「話がしたいです」
背筋を伸ばし、はっきりと伝えられた。
「秀平は、許されないことをしました。でも、必ず理由があるはずなんです」
「そうかもしれないが……」
「分かっています。どんな理由があろうと、人を傷つけていいことにはなりません」
───颯太くんなら彼を救えるかもしれない。
「わかった。一つ、約束をしよう」
手帳にペンを走らせ数字を並べた。
ビリっと一気にちぎり、握らせる。
「一人で抱えないこと」
闇は容赦なく人を飲み込む。
その怖さを彼は知らない。
「刑事さんの番号ですか」
「用がなくてもいい。好きなときにかけてくれ」
「約束します」
画面に『刑事さん』と打っている。
「提案なんだが『哲さん』と入力するのはどうかな」
目尻と眉間に皺を寄せ、入り交じった表情をしている。
「じゃぁ『哲おじさん』にしましょう」
「よし。それがいい」
呼び名が変わっただけなのに、距離が縮まった気がした。
「話してくれて、ありがとうございました」
姿勢を正し、頭を下げてくれた。
「こちらこそ、ありがとう」
自転車を片手に、颯太くんは帰り道に足を踏み出す。
その背中が止まり、振り向いた。
「そばにいてくれてありがとう。哲おじさん」
目に溜まる涙を隠すように、手を大きく振った。
ペダルを踏みながら空を見上げると、三日月が顔を出していた。
「大丈夫。みんな同じだ」
あの大きな月でさえ、時間と共に丸の姿に戻るのだから。
署に着くと、自動販売機の前で腕を組む朝比奈がいる。
「優柔不断だな」
ポチっと黒缶を示すボタンを押してやった。
「ちょっ……」
怒りを含んだ声を出している。
「やめてくださいよ!……僕、飲めないのに」
「決まる前に金を入れてる奴が悪い」
遠慮なくコーヒーを頂いた。
「意地悪じいさんですよ」
小声で呟いたらしい。
「生憎、耳だけは若いみたいだ」
「……悪口は聞こえるんですね」
フンと鼻を鳴らし、奥に進んだ。
バタバタと足音をたて追いかけてくる。
「待ってくださいよ!自転車だから遅いのは分かりますけど……サボってたんですか?」
やっぱり気づいてなかったか。
「サボってただと?友情を深めてきたのさ」
「勤務中にですか。哲さんって友達いたんですね」
絶対にゲンコツをお見舞いしてやる。
「おう。百人はいるな」
「……すごいですね」
朝比奈の刑事人生が心配になる。
「ところで、進展はあったか」
「はい!聞いて驚きますよ」
相変わらずのとんちんかんだ。
それならば早く報告しろと拳を握ったが、スっと力を抜いた。
「片目カラコンで話題のヒビキですが、静岡県浜松市元目町出身。本名『二条 響』男性。現在、二十六歳」
一気に読み上げた。
「そして、彼は十年前に両親を事故で亡くしています」
「事故?」
動かぬ夫婦を思い浮かべた。
「はい。火事により家は全焼し、死因は焼死です」
「出火の原因は」
「消防の見解によると、火元は台所だそうです。通報者は……一人息子の響です」
特に不審なところは感じない。
「……今回の事件と、どう関係がある」
缶コーヒーに指を置き、カチカチと音をたてた。
「哲さん。せっかちですね」
「俺のことはいい」
眉間に皺を寄せている。
「当時の調書に一箇所、違和感を感じました。司法解剖の結果、両親の気道に『異常なし』と書かれていたんです」
「つまり、呼吸が止まった後に火災が発生したってことか」
「そう思うのが自然かと」
「生前に起きた火事ならば、煙を吸い込み、気道熱傷が残るはずだ」
逃げ遅れたのではなく『逃げられなかった』のか……。
「事件当時、息子はどこにいた」
「……家です」
背中がゾクッとした。
「事故……なんだよな」
「はい。書類上は」
しばらくの間、沈黙が流れる。
「目撃情報も無し。現場の状態も悪く、証拠採取もゼロに等しかったようです。そして、唯一の証言は息子の響がしています。不自然……ですよね」
朝比奈はポリポリと頭を掻いている。
「残された少年は『遺族』として扱われた訳だな」
───親子の背景を知るものは誰もいない。
「哲さん。褒めてください」
出た。とんちんかん発言。
「何をだ」
大袈裟に敬礼をしている。
「当時の担当刑事と、コンタクトが取れました!」
「よくやった」
敬礼返しをした。
「杉田一郎さん。現在、七十歳。十年前に定年退職。当時の階級は警部補です」
「俺と同じだな」
「明日十三時。こちらの署にて、お話を伺えることになりました」
……面食らった。
「褒めてくださいよ」
「おう。すごいじゃないか、朝比奈くん!」
整った頭をくしゃくしゃになるほど撫でた。
「本当に、意地悪ですね」
二人とも、大きく肩を揺らし笑った。
自転車に乗った途端、空腹感に襲われた。
「久しぶりの現場だったからな」
何故か切り干し大根が食べたくなった。
月明かりに導かれるように角を曲がる。
その先には、お気に入りの惣菜屋があるのだ。
「……暗いな」
跨ったまま、店の前で止まる。
【アイディール -デリ-】
・営業時間 十一時~十八時
・定休日 日曜日
スマホの画面を覗き、深いため息が出る。
「……十九時半」
看板と手帳を交互に視線を移し、ペンを走らせる。
「あ、写真でもよかったな」
『僕の真似ですか?』朝比奈の声が聞こえた気がして、思わず頬が緩んだ。
ビニール袋を下げながら、ガチャとドアを引く。
「ただいま」
返事がないとわかっていても口に出してしまう。
上着を畳に放って胡座をかいた。
プルタブを押し、一気に流し込む。
「結局、空きっ腹か」
背丈の違う缶ビールを眺めていると、また母のことを思い出した。
「いつの間にか、俺の方がデカくなっちまったな」
数年前に会った母の背中は小さく見えた。
「はい。村橋です」
無意識にスマホを耳にあてていた。
「母さん?」
「どちら様ですか?」
「哲、だよ」
「どちらの哲さん?」
さすが、刑事の母親だなと感心してしまった。
「好物は、切り干し大根です!」
「あぁ、哲郎ね。どうかしたの?」
声のトーンが下がった。
「いや、元気にしてるかなって」
「元気よ。そう言えば、今年も帰ってこないでしょ?」
「……帰れないな」
「そのうち顔を忘れてしまいそうよ」
「ごめん」
「私のことは心配いらないから」
会話が終わりへと向かっているのが分かった。
「母さん。……俺のこと」
「忙しいから切るわね」
ブチっと機械音だけが耳に響いた。
俺は何を聞こうとしていたのだろう。
俺はどんな言葉を聞きたかったのか。
窓の外でポタポタと雫が落ちる音で目が覚めた。
体がじっとりとし、何十年かぶりに寝汗をかいたらしい。
簡単に身なりを整え、玄関の戸を閉めた。
「これくらいなら、行ける」
少し視界が遮られるが、大したことではない。
駐輪場に着くと、入口を通り越した朝比奈が近づいてきた。
「こんな日も自転車ですか?風邪引きますよ」
鍵を回しながら反論する。
「お気遣いどうも。残念ながら一度も引いたことはない」
「自分が思ってるより、若くないですからね」
後ろポケットからハンカチを差し出された。
「……いらん」
「歳をとると、意地っ張りになるみたいですよ」
咄嗟に奪い取った。
「引っかかりましたね。単純だなぁ。哲さんは」
「うるさい。……行くぞ」
腹が満たされると瞼が重くなる。
「哲さん、哲さん!」
いつの間にか船を漕いでいたらしい。
「昼寝してる場合じゃないですよ。その姿、本当におじいさんじゃないですか」
無言でハンカチを突き返してやった。
「杉田さん、お見えになられてます」
「まだ二十分前だろ?」
「……急ぎましょう」
朝比奈と足を揃え、応接室に向かった。
三回ノックをし反応を待つ。
「はい」
「失礼します」
杉田一郎は想像と違い、小柄で穏やかそうな人だった。
「お待たせして、すみません」
「いや、こちらこそ申し訳ない」
胸ポケットから少し萎れた名刺を差し出す。
「村橋 哲郎と申します」
「朝比奈 和人です」
「本日は足元の悪い中、ありがとうございます」
とんちんかんだが、礼儀は身についている。
二人で敬礼をした。
「嬉しいね。元刑事を敬ってもらえるなんて」
「早速で申し訳ないのですが、当時のお話を聞かせて頂けますか」
後に続き、朝比奈もソファに腰を下ろした。
微かに湯気の立つお茶を、杉田はゴクリと飲む。
「あの日は、私にとって特別な夜だった。だから鮮明に覚えているよ」
少し寂しそうな表情をしている。
「来月に退職を控えていてね、刑事として迎える最後の結婚記念日だった。私は二人の時間を作らず、最低な夫だった。だから最後の年くらい、共に過ごす時間を優先したかった。今思えば、妻への謝罪を込めていたのかもしれないな」
啓介の顔が浮かび、胸がギュッと締め付けられた。
「時に、運命は悪戯に動く。勤務を終え、上着を羽織ったと同時に署の電話が鳴ったんだ」
「はい。捜査一課、杉田」
「元目町にて住宅一軒の火災が発生しました」
「こちらは、消防ではないが……」
「事件の可能性があります。急行してください」
電話口を手で塞ぎ、周りを見渡す。
「吉田くん、元目町で火災。至急、現場に向かってくれ」
「承知しました」
長年の習慣というものは無意識に人を動かす。
「現場の状況は」
「救急隊が通報者の少年を介抱しています」
───少年。
「通報時、両親が建物内に残されていると証言」
「すぐに、向かいます」
自分の声に耳を疑ったが、それと同時に妻なら理解してくれると言い聞かせた。
「私たち夫婦は……妻の腹の中でしか子の存在を感じることが出来なくてね」
杉田の目は、うっすらと滲んでいる。
「……男の子だったんだ」
「それは……お辛かったですね」
朝比奈が慰めの言葉をかけた。
俺は言葉が見つからなかった。
「お気遣いありがとう。すまんね、話が逸れてしまった。現場に着くと、一目瞭然だったよ」
赤色灯が夜空を照らしている。
瞼を細め、地面に足をつけた。
「残念……だな」
燃え盛る炎を目の前にし、思わず口に出してしまった。
「警察の方!こちらです!」
隊員に促され、救急車の前に立つ。
そこには、煤だらけの少年が無表情で手当を受けていた。
「お借りしていいかな?」
許可をもらい、少年の肩に毛布をそっとかけた。
「他に痛むところは、ないかな」
彼は頷く。
「通報したのは、君かい?」
また頷く。
言葉の発し方を忘れてしまったのだろうか。
「消防の人たちが、懸命に活動してくれている」
「……意味」
消え入りそうな声が聞こえた。
「無意味です」
「どういうことかな」
───「もう、動きませんでしたから」
一瞬、理解できなかった。
しかし、彼は淡々と続ける。
「父と母の揉めごとは日常でした。次第に口論だけでは収まらなくなるんです。大きな物音がしても、気にしたことはありません」
チラッと炎に目を配らせる。
「煙で目が覚めました。階段を降りると、火が見えました。そして、キッチンで二人の姿を発見したんです。僕の声は、二人に届いていないようでピクリともしませんでした」
「……驚いただろう」
「すぐに消防車を呼ばなければと思いました」
「救急車を呼ぼうとは思わなかったのかい?」
「……」
傷口に塩を塗るような質問をしてしまった。
「よく、頑張った」
相変わらず無表情な少年は、立ち上がり言った。
「父と母も……苦しかったのでしょうか」
その手には一枚のカードのようなものが握られていた。
空の湯のみを持ちながら話す杉田のことを、黙って見ていられなかった。
「事故……なんですよね?」
「どういう意味だい」
鋭い目を向けられ、刑事だったことを実感した。
「話の腰を折ってすみません。……彼は何故、真っ先に両親を救うことを考えなかったのでしょうか」
「まだ十六歳だった。冷静な判断が出来る歳ではなかったんだ」
「本当に、そうなのでしょうか」
「村橋くん、彼を疑っているのかね」
語尾が強まる言い方に、俺の心に火がついてしまった。
「当時の調書、拝見しました。両親の遺体に気道熱傷の記録はありませんでした。ということは、生前に火災が起きたという可能性は低いことになります」
目が泳いでいるように感じた。
「物理的にはそうなる。しかし、時に説明し得ないことが起きるんだ」
張り詰めた空気を感じとったのか、朝比奈が加わる。
「杉田さん。一つ質問させてください」
ふっと肩の力が抜けたのを見逃さなかった。
「どうぞ。朝比奈くん」
「彼は、何を握っていたのですか」
「眼科の診察券だったかな」
朝比奈と目が合う。
「……病院名、分かりますか」
「申し訳ないが、そこまでは覚えていない。私からも一つ質問をしたい」
「はい。お答えできる事であれば」
いつの間にか、指揮をとっている。
「十年前の事故を調べている理由が聞きたい」
沈黙が流れた。
「数ヶ月の間に、多数の類似事件が起きています」
秀平くんの話をした。
「この事故と、関連性があると」
「どんな些細なことでも、調べるべきだと思います」
「……あの夜、村橋くんと出会いたかったな」
ただ頭を下げることしかできなかった。
小柄な背中が見えなくなり、朝比奈が口を開いた。
「少年の証言、まるでシナリオが用意されていたように感じます」
「同感だ」
「僕は、動かない親の姿を目にしたら……。と想像しただけで気を失いそうです」
「……同感だ」
彼らの見えた景色とは。
俺にも見えるのだろうか。
赤い目が浮かんだ。
朝比奈の声は、もう聞こえなかった。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
-ボクのキモチ-⑤
【本当の姿を愛してくれなかった
コンナ僕のことを見て
愛が消えてしまう前に
目玉をくり抜こう】
コンナ僕のことを見て
愛が消えてしまう前に
目玉をくり抜こう】
20XX年 十月
枝から落ちた葉は枯れていくしかない。
自力で栄養を得ることができないのだ。
被疑者の秀平は自ら枯れる道を選んだのか。
自力で栄養を得ることができないのだ。
被疑者の秀平は自ら枯れる道を選んだのか。
羽織った上着の皺を伸ばす仕草をしながら、新堂家を見つめる少年の影に近づく。
「こんにちは」
少年はビクッと肩を上げ、頭を下げた。
表情は幼い。
しかし、喉元には仏が見え、声変わりを終えているのが分かる。
「だいぶ風が冷たくなってきた。日が陰ると一気に気温が下がる。君、寒くないのかい?」
日の高い頃から立っていたことを、半袖姿が証明していた。
「寒くないです。……おじさん、誰ですか」
言葉選びをせず、感情のまま発している。
「名乗らずに失礼」
内ポケットから顔写真付きの手帳を見せた。
すると、少年の目の色が変わった。
『おじさん』から『刑事』に昇格した気がして、少し誇らしかった。
「秀平に何があったんですか!」
俺を見る目が変わったのではなかった。
自惚れたことに恥ずかしさを感じ、朝比奈の敬礼姿が恋しくなる。
「君は秀平くんの、友人かい?」
「はい」
「名前、聞いてもいいかな」
白いページにペン先を当てる。
「牧村颯太です」
彼は背筋を伸ばし、両手に作った拳を握りしめている。
その姿を見て、漢字まで聞く気にはならなかった。
「……秀平は」
わずかに声が震えている。
「大丈夫」
無責任な言葉を使ってしまい『何がですか』と質問されないことを願った。
「連絡がつかない……。無断欠席したこと、一度もないんです」
黄色いテープが張られ、何台もの車が止まっている状況は、不安を掻き立てるには十分すぎる。
「秀平と話せますか」
「しばらく無理だ」
無責任な言葉を消すかのように、現実を告げた。
「……大丈夫ではないんですね」
たった一言で全てを感じ取ったかのように、彼は拳を広げた。
「いや、体は無事なんだ」
「はっきり言ってください!」
声に驚いたのだろう。
鳥たちが一斉に羽ばたいた。
「……わかった。話す」
俺は、刑事失格だ。
「こんにちは」
少年はビクッと肩を上げ、頭を下げた。
表情は幼い。
しかし、喉元には仏が見え、声変わりを終えているのが分かる。
「だいぶ風が冷たくなってきた。日が陰ると一気に気温が下がる。君、寒くないのかい?」
日の高い頃から立っていたことを、半袖姿が証明していた。
「寒くないです。……おじさん、誰ですか」
言葉選びをせず、感情のまま発している。
「名乗らずに失礼」
内ポケットから顔写真付きの手帳を見せた。
すると、少年の目の色が変わった。
『おじさん』から『刑事』に昇格した気がして、少し誇らしかった。
「秀平に何があったんですか!」
俺を見る目が変わったのではなかった。
自惚れたことに恥ずかしさを感じ、朝比奈の敬礼姿が恋しくなる。
「君は秀平くんの、友人かい?」
「はい」
「名前、聞いてもいいかな」
白いページにペン先を当てる。
「牧村颯太です」
彼は背筋を伸ばし、両手に作った拳を握りしめている。
その姿を見て、漢字まで聞く気にはならなかった。
「……秀平は」
わずかに声が震えている。
「大丈夫」
無責任な言葉を使ってしまい『何がですか』と質問されないことを願った。
「連絡がつかない……。無断欠席したこと、一度もないんです」
黄色いテープが張られ、何台もの車が止まっている状況は、不安を掻き立てるには十分すぎる。
「秀平と話せますか」
「しばらく無理だ」
無責任な言葉を消すかのように、現実を告げた。
「……大丈夫ではないんですね」
たった一言で全てを感じ取ったかのように、彼は拳を広げた。
「いや、体は無事なんだ」
「はっきり言ってください!」
声に驚いたのだろう。
鳥たちが一斉に羽ばたいた。
「……わかった。話す」
俺は、刑事失格だ。
話すと決めたとき、母の言葉を思い出した。
父は、俺が中学三年の秋に人生を奪われた。
同期の横領を知り、口封じのために。
葬儀が終わっても気丈に振る舞う母の姿に、腹を立てた。
「母さん。泣きもしないで、何とも思わないのかよ!犯人が憎くないのか!」
「……憎んだら、あの人は帰ってくるの?」
父の遺影に視線を止めたまま、静かな声で言った。
「帰ってくるわけないだろ。そういうことを聞いてるんじゃない!」
「憎しみは、なにも生まない」
イカれてしまったのだと思った。
「心の闇は人が作り出すの。その闇に光を与えられるのは、人しかないのよ」
「何を言ってるんだよ。親父は殺されたんだぞ」
くちびるを噛み締めすぎたらしく、口の中に鉄の味が広がった。
「みんな、同じ人間なの」
そのとき、母は最初で最後の涙を流した。
父は、俺が中学三年の秋に人生を奪われた。
同期の横領を知り、口封じのために。
葬儀が終わっても気丈に振る舞う母の姿に、腹を立てた。
「母さん。泣きもしないで、何とも思わないのかよ!犯人が憎くないのか!」
「……憎んだら、あの人は帰ってくるの?」
父の遺影に視線を止めたまま、静かな声で言った。
「帰ってくるわけないだろ。そういうことを聞いてるんじゃない!」
「憎しみは、なにも生まない」
イカれてしまったのだと思った。
「心の闇は人が作り出すの。その闇に光を与えられるのは、人しかないのよ」
「何を言ってるんだよ。親父は殺されたんだぞ」
くちびるを噛み締めすぎたらしく、口の中に鉄の味が広がった。
「みんな、同じ人間なの」
そのとき、母は最初で最後の涙を流した。
───闇に光を与えられるのは、人しかいない。
秀平が抱える闇を、目の前の少年に託したかったのかもしれない。
日が傾き始め、鳥肌を立てている颯太くんにそっと上着を乗せた。
「静かな場所に移動した方がいいな」
力なく頷き、自転車に手をかけた。
「ちょっと、待ってくれ」
急ぎ足で新堂家に向かい、自慢のママチャリを取りに戻る。
「待たせた」
息が上がり、歳には敵わないなと老化を感じた。
「自転車ですか?」
「そうだ。かっこいいだろ」
緩んだ表情を見られたことに、少し安心してしまう。
「かっこよくはないです」
肩を並べて歩く姿は親子に見えるだろうか。
隣にいるのが息子の啓介だったらなと、胸がチクリと痛んだ。
「静かな場所に移動した方がいいな」
力なく頷き、自転車に手をかけた。
「ちょっと、待ってくれ」
急ぎ足で新堂家に向かい、自慢のママチャリを取りに戻る。
「待たせた」
息が上がり、歳には敵わないなと老化を感じた。
「自転車ですか?」
「そうだ。かっこいいだろ」
緩んだ表情を見られたことに、少し安心してしまう。
「かっこよくはないです」
肩を並べて歩く姿は親子に見えるだろうか。
隣にいるのが息子の啓介だったらなと、胸がチクリと痛んだ。
「仲がよかったんだな」
公園のベンチに腰をかけ、さりげなく聞いた。
「親友だと思ってます。だからお兄さんのことを、僕だけに話してくれたんです」
「お兄さんのこと?」
見当はついているのに、知らないふりをする。
「働きもせず、暴力をふるう。お母さんを助けられない自分が情けないと……」
鋭い視線を向け、続けた。
「お兄さんは、何をしたんですか」
「違う」
迷うことなく、言ってしまった。
俺は人としても失格なのかもしれない。
「秀平くんが……両親を傷つけた」
もう、引き返せない。
「傷は、治るんです……よね」
震える声を無視した。
公園のベンチに腰をかけ、さりげなく聞いた。
「親友だと思ってます。だからお兄さんのことを、僕だけに話してくれたんです」
「お兄さんのこと?」
見当はついているのに、知らないふりをする。
「働きもせず、暴力をふるう。お母さんを助けられない自分が情けないと……」
鋭い視線を向け、続けた。
「お兄さんは、何をしたんですか」
「違う」
迷うことなく、言ってしまった。
俺は人としても失格なのかもしれない。
「秀平くんが……両親を傷つけた」
もう、引き返せない。
「傷は、治るんです……よね」
震える声を無視した。
「もう、二人は戻らない」
母の言葉は正しかった。
俺は、人の心に闇を宿してしまったのだ。
俺は、人の心に闇を宿してしまったのだ。
「……うそだ。どうして」
崩れゆく彼の背中に、手をあてることしかできない。
そんな人間が刑事と名乗っていいのだろうか。
そんな人間が刑事と名乗っていいのだろうか。
「申し訳なかった」
「なんで謝るんですか」
涙で溢れた目を逸らしたらいけない。
「君の心構えが必要だった。それなのに、俺は……」
とめどなく溢れる涙を拭いもせず、力強く遮られた。
「必要ありません。事実を知りたいと言ったのは、僕ですから」
「枯れるまで、泣けばいい。隣にいさせてくれ」
「……かっこいいですね」
微かに緩む口元が空気の温度を上げる。
救われたのは俺の方だった。
「なんで謝るんですか」
涙で溢れた目を逸らしたらいけない。
「君の心構えが必要だった。それなのに、俺は……」
とめどなく溢れる涙を拭いもせず、力強く遮られた。
「必要ありません。事実を知りたいと言ったのは、僕ですから」
「枯れるまで、泣けばいい。隣にいさせてくれ」
「……かっこいいですね」
微かに緩む口元が空気の温度を上げる。
救われたのは俺の方だった。
「話がしたいです」
背筋を伸ばし、はっきりと伝えられた。
「秀平は、許されないことをしました。でも、必ず理由があるはずなんです」
「そうかもしれないが……」
「分かっています。どんな理由があろうと、人を傷つけていいことにはなりません」
背筋を伸ばし、はっきりと伝えられた。
「秀平は、許されないことをしました。でも、必ず理由があるはずなんです」
「そうかもしれないが……」
「分かっています。どんな理由があろうと、人を傷つけていいことにはなりません」
───颯太くんなら彼を救えるかもしれない。
「わかった。一つ、約束をしよう」
手帳にペンを走らせ数字を並べた。
ビリっと一気にちぎり、握らせる。
「一人で抱えないこと」
手帳にペンを走らせ数字を並べた。
ビリっと一気にちぎり、握らせる。
「一人で抱えないこと」
闇は容赦なく人を飲み込む。
その怖さを彼は知らない。
その怖さを彼は知らない。
「刑事さんの番号ですか」
「用がなくてもいい。好きなときにかけてくれ」
「約束します」
画面に『刑事さん』と打っている。
「提案なんだが『哲さん』と入力するのはどうかな」
目尻と眉間に皺を寄せ、入り交じった表情をしている。
「じゃぁ『哲おじさん』にしましょう」
「よし。それがいい」
呼び名が変わっただけなのに、距離が縮まった気がした。
「話してくれて、ありがとうございました」
姿勢を正し、頭を下げてくれた。
「こちらこそ、ありがとう」
自転車を片手に、颯太くんは帰り道に足を踏み出す。
その背中が止まり、振り向いた。
「用がなくてもいい。好きなときにかけてくれ」
「約束します」
画面に『刑事さん』と打っている。
「提案なんだが『哲さん』と入力するのはどうかな」
目尻と眉間に皺を寄せ、入り交じった表情をしている。
「じゃぁ『哲おじさん』にしましょう」
「よし。それがいい」
呼び名が変わっただけなのに、距離が縮まった気がした。
「話してくれて、ありがとうございました」
姿勢を正し、頭を下げてくれた。
「こちらこそ、ありがとう」
自転車を片手に、颯太くんは帰り道に足を踏み出す。
その背中が止まり、振り向いた。
「そばにいてくれてありがとう。哲おじさん」
目に溜まる涙を隠すように、手を大きく振った。
ペダルを踏みながら空を見上げると、三日月が顔を出していた。
「大丈夫。みんな同じだ」
あの大きな月でさえ、時間と共に丸の姿に戻るのだから。
「大丈夫。みんな同じだ」
あの大きな月でさえ、時間と共に丸の姿に戻るのだから。
署に着くと、自動販売機の前で腕を組む朝比奈がいる。
「優柔不断だな」
ポチっと黒缶を示すボタンを押してやった。
「ちょっ……」
怒りを含んだ声を出している。
「やめてくださいよ!……僕、飲めないのに」
「決まる前に金を入れてる奴が悪い」
遠慮なくコーヒーを頂いた。
「意地悪じいさんですよ」
小声で呟いたらしい。
「生憎、耳だけは若いみたいだ」
「……悪口は聞こえるんですね」
フンと鼻を鳴らし、奥に進んだ。
バタバタと足音をたて追いかけてくる。
「待ってくださいよ!自転車だから遅いのは分かりますけど……サボってたんですか?」
やっぱり気づいてなかったか。
「サボってただと?友情を深めてきたのさ」
「勤務中にですか。哲さんって友達いたんですね」
絶対にゲンコツをお見舞いしてやる。
「おう。百人はいるな」
「……すごいですね」
朝比奈の刑事人生が心配になる。
「ところで、進展はあったか」
「はい!聞いて驚きますよ」
相変わらずのとんちんかんだ。
それならば早く報告しろと拳を握ったが、スっと力を抜いた。
「優柔不断だな」
ポチっと黒缶を示すボタンを押してやった。
「ちょっ……」
怒りを含んだ声を出している。
「やめてくださいよ!……僕、飲めないのに」
「決まる前に金を入れてる奴が悪い」
遠慮なくコーヒーを頂いた。
「意地悪じいさんですよ」
小声で呟いたらしい。
「生憎、耳だけは若いみたいだ」
「……悪口は聞こえるんですね」
フンと鼻を鳴らし、奥に進んだ。
バタバタと足音をたて追いかけてくる。
「待ってくださいよ!自転車だから遅いのは分かりますけど……サボってたんですか?」
やっぱり気づいてなかったか。
「サボってただと?友情を深めてきたのさ」
「勤務中にですか。哲さんって友達いたんですね」
絶対にゲンコツをお見舞いしてやる。
「おう。百人はいるな」
「……すごいですね」
朝比奈の刑事人生が心配になる。
「ところで、進展はあったか」
「はい!聞いて驚きますよ」
相変わらずのとんちんかんだ。
それならば早く報告しろと拳を握ったが、スっと力を抜いた。
「片目カラコンで話題のヒビキですが、静岡県浜松市元目町出身。本名『二条 響』男性。現在、二十六歳」
一気に読み上げた。
「そして、彼は十年前に両親を事故で亡くしています」
「事故?」
動かぬ夫婦を思い浮かべた。
「はい。火事により家は全焼し、死因は焼死です」
「出火の原因は」
「消防の見解によると、火元は台所だそうです。通報者は……一人息子の響です」
特に不審なところは感じない。
「……今回の事件と、どう関係がある」
缶コーヒーに指を置き、カチカチと音をたてた。
「哲さん。せっかちですね」
「俺のことはいい」
眉間に皺を寄せている。
「当時の調書に一箇所、違和感を感じました。司法解剖の結果、両親の気道に『異常なし』と書かれていたんです」
「つまり、呼吸が止まった後に火災が発生したってことか」
「そう思うのが自然かと」
「生前に起きた火事ならば、煙を吸い込み、気道熱傷が残るはずだ」
一気に読み上げた。
「そして、彼は十年前に両親を事故で亡くしています」
「事故?」
動かぬ夫婦を思い浮かべた。
「はい。火事により家は全焼し、死因は焼死です」
「出火の原因は」
「消防の見解によると、火元は台所だそうです。通報者は……一人息子の響です」
特に不審なところは感じない。
「……今回の事件と、どう関係がある」
缶コーヒーに指を置き、カチカチと音をたてた。
「哲さん。せっかちですね」
「俺のことはいい」
眉間に皺を寄せている。
「当時の調書に一箇所、違和感を感じました。司法解剖の結果、両親の気道に『異常なし』と書かれていたんです」
「つまり、呼吸が止まった後に火災が発生したってことか」
「そう思うのが自然かと」
「生前に起きた火事ならば、煙を吸い込み、気道熱傷が残るはずだ」
逃げ遅れたのではなく『逃げられなかった』のか……。
「事件当時、息子はどこにいた」
「……家です」
背中がゾクッとした。
「事故……なんだよな」
「はい。書類上は」
しばらくの間、沈黙が流れる。
「目撃情報も無し。現場の状態も悪く、証拠採取もゼロに等しかったようです。そして、唯一の証言は息子の響がしています。不自然……ですよね」
朝比奈はポリポリと頭を掻いている。
「残された少年は『遺族』として扱われた訳だな」
「……家です」
背中がゾクッとした。
「事故……なんだよな」
「はい。書類上は」
しばらくの間、沈黙が流れる。
「目撃情報も無し。現場の状態も悪く、証拠採取もゼロに等しかったようです。そして、唯一の証言は息子の響がしています。不自然……ですよね」
朝比奈はポリポリと頭を掻いている。
「残された少年は『遺族』として扱われた訳だな」
───親子の背景を知るものは誰もいない。
「哲さん。褒めてください」
出た。とんちんかん発言。
「何をだ」
大袈裟に敬礼をしている。
「当時の担当刑事と、コンタクトが取れました!」
「よくやった」
敬礼返しをした。
出た。とんちんかん発言。
「何をだ」
大袈裟に敬礼をしている。
「当時の担当刑事と、コンタクトが取れました!」
「よくやった」
敬礼返しをした。
「杉田一郎さん。現在、七十歳。十年前に定年退職。当時の階級は警部補です」
「俺と同じだな」
「明日十三時。こちらの署にて、お話を伺えることになりました」
……面食らった。
「褒めてくださいよ」
「おう。すごいじゃないか、朝比奈くん!」
整った頭をくしゃくしゃになるほど撫でた。
「本当に、意地悪ですね」
二人とも、大きく肩を揺らし笑った。
「俺と同じだな」
「明日十三時。こちらの署にて、お話を伺えることになりました」
……面食らった。
「褒めてくださいよ」
「おう。すごいじゃないか、朝比奈くん!」
整った頭をくしゃくしゃになるほど撫でた。
「本当に、意地悪ですね」
二人とも、大きく肩を揺らし笑った。
自転車に乗った途端、空腹感に襲われた。
「久しぶりの現場だったからな」
何故か切り干し大根が食べたくなった。
月明かりに導かれるように角を曲がる。
その先には、お気に入りの惣菜屋があるのだ。
「……暗いな」
跨ったまま、店の前で止まる。
「久しぶりの現場だったからな」
何故か切り干し大根が食べたくなった。
月明かりに導かれるように角を曲がる。
その先には、お気に入りの惣菜屋があるのだ。
「……暗いな」
跨ったまま、店の前で止まる。
【アイディール -デリ-】
・営業時間 十一時~十八時
・定休日 日曜日
・営業時間 十一時~十八時
・定休日 日曜日
スマホの画面を覗き、深いため息が出る。
「……十九時半」
看板と手帳を交互に視線を移し、ペンを走らせる。
「あ、写真でもよかったな」
『僕の真似ですか?』朝比奈の声が聞こえた気がして、思わず頬が緩んだ。
「……十九時半」
看板と手帳を交互に視線を移し、ペンを走らせる。
「あ、写真でもよかったな」
『僕の真似ですか?』朝比奈の声が聞こえた気がして、思わず頬が緩んだ。
ビニール袋を下げながら、ガチャとドアを引く。
「ただいま」
返事がないとわかっていても口に出してしまう。
上着を畳に放って胡座をかいた。
プルタブを押し、一気に流し込む。
「結局、空きっ腹か」
背丈の違う缶ビールを眺めていると、また母のことを思い出した。
「いつの間にか、俺の方がデカくなっちまったな」
数年前に会った母の背中は小さく見えた。
「ただいま」
返事がないとわかっていても口に出してしまう。
上着を畳に放って胡座をかいた。
プルタブを押し、一気に流し込む。
「結局、空きっ腹か」
背丈の違う缶ビールを眺めていると、また母のことを思い出した。
「いつの間にか、俺の方がデカくなっちまったな」
数年前に会った母の背中は小さく見えた。
「はい。村橋です」
無意識にスマホを耳にあてていた。
「母さん?」
「どちら様ですか?」
「哲、だよ」
「どちらの哲さん?」
さすが、刑事の母親だなと感心してしまった。
無意識にスマホを耳にあてていた。
「母さん?」
「どちら様ですか?」
「哲、だよ」
「どちらの哲さん?」
さすが、刑事の母親だなと感心してしまった。
「好物は、切り干し大根です!」
「あぁ、哲郎ね。どうかしたの?」
声のトーンが下がった。
「いや、元気にしてるかなって」
「元気よ。そう言えば、今年も帰ってこないでしょ?」
「……帰れないな」
「そのうち顔を忘れてしまいそうよ」
「ごめん」
「私のことは心配いらないから」
会話が終わりへと向かっているのが分かった。
「母さん。……俺のこと」
「忙しいから切るわね」
ブチっと機械音だけが耳に響いた。
声のトーンが下がった。
「いや、元気にしてるかなって」
「元気よ。そう言えば、今年も帰ってこないでしょ?」
「……帰れないな」
「そのうち顔を忘れてしまいそうよ」
「ごめん」
「私のことは心配いらないから」
会話が終わりへと向かっているのが分かった。
「母さん。……俺のこと」
「忙しいから切るわね」
ブチっと機械音だけが耳に響いた。
俺は何を聞こうとしていたのだろう。
俺はどんな言葉を聞きたかったのか。
俺はどんな言葉を聞きたかったのか。
窓の外でポタポタと雫が落ちる音で目が覚めた。
体がじっとりとし、何十年かぶりに寝汗をかいたらしい。
簡単に身なりを整え、玄関の戸を閉めた。
「これくらいなら、行ける」
少し視界が遮られるが、大したことではない。
駐輪場に着くと、入口を通り越した朝比奈が近づいてきた。
「こんな日も自転車ですか?風邪引きますよ」
鍵を回しながら反論する。
「お気遣いどうも。残念ながら一度も引いたことはない」
「自分が思ってるより、若くないですからね」
後ろポケットからハンカチを差し出された。
「……いらん」
「歳をとると、意地っ張りになるみたいですよ」
咄嗟に奪い取った。
「引っかかりましたね。単純だなぁ。哲さんは」
「うるさい。……行くぞ」
体がじっとりとし、何十年かぶりに寝汗をかいたらしい。
簡単に身なりを整え、玄関の戸を閉めた。
「これくらいなら、行ける」
少し視界が遮られるが、大したことではない。
駐輪場に着くと、入口を通り越した朝比奈が近づいてきた。
「こんな日も自転車ですか?風邪引きますよ」
鍵を回しながら反論する。
「お気遣いどうも。残念ながら一度も引いたことはない」
「自分が思ってるより、若くないですからね」
後ろポケットからハンカチを差し出された。
「……いらん」
「歳をとると、意地っ張りになるみたいですよ」
咄嗟に奪い取った。
「引っかかりましたね。単純だなぁ。哲さんは」
「うるさい。……行くぞ」
腹が満たされると瞼が重くなる。
「哲さん、哲さん!」
いつの間にか船を漕いでいたらしい。
「昼寝してる場合じゃないですよ。その姿、本当におじいさんじゃないですか」
無言でハンカチを突き返してやった。
「杉田さん、お見えになられてます」
「まだ二十分前だろ?」
「……急ぎましょう」
「哲さん、哲さん!」
いつの間にか船を漕いでいたらしい。
「昼寝してる場合じゃないですよ。その姿、本当におじいさんじゃないですか」
無言でハンカチを突き返してやった。
「杉田さん、お見えになられてます」
「まだ二十分前だろ?」
「……急ぎましょう」
朝比奈と足を揃え、応接室に向かった。
三回ノックをし反応を待つ。
「はい」
「失礼します」
杉田一郎は想像と違い、小柄で穏やかそうな人だった。
「お待たせして、すみません」
「いや、こちらこそ申し訳ない」
胸ポケットから少し萎れた名刺を差し出す。
「村橋 哲郎と申します」
「朝比奈 和人です」
「本日は足元の悪い中、ありがとうございます」
とんちんかんだが、礼儀は身についている。
二人で敬礼をした。
「嬉しいね。元刑事を敬ってもらえるなんて」
「早速で申し訳ないのですが、当時のお話を聞かせて頂けますか」
後に続き、朝比奈もソファに腰を下ろした。
三回ノックをし反応を待つ。
「はい」
「失礼します」
杉田一郎は想像と違い、小柄で穏やかそうな人だった。
「お待たせして、すみません」
「いや、こちらこそ申し訳ない」
胸ポケットから少し萎れた名刺を差し出す。
「村橋 哲郎と申します」
「朝比奈 和人です」
「本日は足元の悪い中、ありがとうございます」
とんちんかんだが、礼儀は身についている。
二人で敬礼をした。
「嬉しいね。元刑事を敬ってもらえるなんて」
「早速で申し訳ないのですが、当時のお話を聞かせて頂けますか」
後に続き、朝比奈もソファに腰を下ろした。
微かに湯気の立つお茶を、杉田はゴクリと飲む。
「あの日は、私にとって特別な夜だった。だから鮮明に覚えているよ」
少し寂しそうな表情をしている。
「来月に退職を控えていてね、刑事として迎える最後の結婚記念日だった。私は二人の時間を作らず、最低な夫だった。だから最後の年くらい、共に過ごす時間を優先したかった。今思えば、妻への謝罪を込めていたのかもしれないな」
啓介の顔が浮かび、胸がギュッと締め付けられた。
「あの日は、私にとって特別な夜だった。だから鮮明に覚えているよ」
少し寂しそうな表情をしている。
「来月に退職を控えていてね、刑事として迎える最後の結婚記念日だった。私は二人の時間を作らず、最低な夫だった。だから最後の年くらい、共に過ごす時間を優先したかった。今思えば、妻への謝罪を込めていたのかもしれないな」
啓介の顔が浮かび、胸がギュッと締め付けられた。
「時に、運命は悪戯に動く。勤務を終え、上着を羽織ったと同時に署の電話が鳴ったんだ」
「はい。捜査一課、杉田」
「元目町にて住宅一軒の火災が発生しました」
「こちらは、消防ではないが……」
「事件の可能性があります。急行してください」
電話口を手で塞ぎ、周りを見渡す。
「吉田くん、元目町で火災。至急、現場に向かってくれ」
「承知しました」
長年の習慣というものは無意識に人を動かす。
「現場の状況は」
「救急隊が通報者の少年を介抱しています」
「元目町にて住宅一軒の火災が発生しました」
「こちらは、消防ではないが……」
「事件の可能性があります。急行してください」
電話口を手で塞ぎ、周りを見渡す。
「吉田くん、元目町で火災。至急、現場に向かってくれ」
「承知しました」
長年の習慣というものは無意識に人を動かす。
「現場の状況は」
「救急隊が通報者の少年を介抱しています」
───少年。
「通報時、両親が建物内に残されていると証言」
「すぐに、向かいます」
自分の声に耳を疑ったが、それと同時に妻なら理解してくれると言い聞かせた。
「すぐに、向かいます」
自分の声に耳を疑ったが、それと同時に妻なら理解してくれると言い聞かせた。
「私たち夫婦は……妻の腹の中でしか子の存在を感じることが出来なくてね」
杉田の目は、うっすらと滲んでいる。
杉田の目は、うっすらと滲んでいる。
「……男の子だったんだ」
「それは……お辛かったですね」
朝比奈が慰めの言葉をかけた。
俺は言葉が見つからなかった。
「お気遣いありがとう。すまんね、話が逸れてしまった。現場に着くと、一目瞭然だったよ」
朝比奈が慰めの言葉をかけた。
俺は言葉が見つからなかった。
「お気遣いありがとう。すまんね、話が逸れてしまった。現場に着くと、一目瞭然だったよ」
赤色灯が夜空を照らしている。
瞼を細め、地面に足をつけた。
「残念……だな」
燃え盛る炎を目の前にし、思わず口に出してしまった。
「警察の方!こちらです!」
隊員に促され、救急車の前に立つ。
そこには、煤だらけの少年が無表情で手当を受けていた。
「お借りしていいかな?」
許可をもらい、少年の肩に毛布をそっとかけた。
「他に痛むところは、ないかな」
彼は頷く。
「通報したのは、君かい?」
また頷く。
言葉の発し方を忘れてしまったのだろうか。
「消防の人たちが、懸命に活動してくれている」
「……意味」
消え入りそうな声が聞こえた。
「無意味です」
「どういうことかな」
瞼を細め、地面に足をつけた。
「残念……だな」
燃え盛る炎を目の前にし、思わず口に出してしまった。
「警察の方!こちらです!」
隊員に促され、救急車の前に立つ。
そこには、煤だらけの少年が無表情で手当を受けていた。
「お借りしていいかな?」
許可をもらい、少年の肩に毛布をそっとかけた。
「他に痛むところは、ないかな」
彼は頷く。
「通報したのは、君かい?」
また頷く。
言葉の発し方を忘れてしまったのだろうか。
「消防の人たちが、懸命に活動してくれている」
「……意味」
消え入りそうな声が聞こえた。
「無意味です」
「どういうことかな」
───「もう、動きませんでしたから」
一瞬、理解できなかった。
しかし、彼は淡々と続ける。
しかし、彼は淡々と続ける。
「父と母の揉めごとは日常でした。次第に口論だけでは収まらなくなるんです。大きな物音がしても、気にしたことはありません」
チラッと炎に目を配らせる。
「煙で目が覚めました。階段を降りると、火が見えました。そして、キッチンで二人の姿を発見したんです。僕の声は、二人に届いていないようでピクリともしませんでした」
「……驚いただろう」
「すぐに消防車を呼ばなければと思いました」
「救急車を呼ぼうとは思わなかったのかい?」
「……」
傷口に塩を塗るような質問をしてしまった。
「よく、頑張った」
相変わらず無表情な少年は、立ち上がり言った。
チラッと炎に目を配らせる。
「煙で目が覚めました。階段を降りると、火が見えました。そして、キッチンで二人の姿を発見したんです。僕の声は、二人に届いていないようでピクリともしませんでした」
「……驚いただろう」
「すぐに消防車を呼ばなければと思いました」
「救急車を呼ぼうとは思わなかったのかい?」
「……」
傷口に塩を塗るような質問をしてしまった。
「よく、頑張った」
相変わらず無表情な少年は、立ち上がり言った。
「父と母も……苦しかったのでしょうか」
その手には一枚のカードのようなものが握られていた。
空の湯のみを持ちながら話す杉田のことを、黙って見ていられなかった。
「事故……なんですよね?」
「どういう意味だい」
鋭い目を向けられ、刑事だったことを実感した。
「話の腰を折ってすみません。……彼は何故、真っ先に両親を救うことを考えなかったのでしょうか」
「まだ十六歳だった。冷静な判断が出来る歳ではなかったんだ」
「本当に、そうなのでしょうか」
「村橋くん、彼を疑っているのかね」
語尾が強まる言い方に、俺の心に火がついてしまった。
「当時の調書、拝見しました。両親の遺体に気道熱傷の記録はありませんでした。ということは、生前に火災が起きたという可能性は低いことになります」
目が泳いでいるように感じた。
「物理的にはそうなる。しかし、時に説明し得ないことが起きるんだ」
張り詰めた空気を感じとったのか、朝比奈が加わる。
「杉田さん。一つ質問させてください」
ふっと肩の力が抜けたのを見逃さなかった。
「どうぞ。朝比奈くん」
「彼は、何を握っていたのですか」
「事故……なんですよね?」
「どういう意味だい」
鋭い目を向けられ、刑事だったことを実感した。
「話の腰を折ってすみません。……彼は何故、真っ先に両親を救うことを考えなかったのでしょうか」
「まだ十六歳だった。冷静な判断が出来る歳ではなかったんだ」
「本当に、そうなのでしょうか」
「村橋くん、彼を疑っているのかね」
語尾が強まる言い方に、俺の心に火がついてしまった。
「当時の調書、拝見しました。両親の遺体に気道熱傷の記録はありませんでした。ということは、生前に火災が起きたという可能性は低いことになります」
目が泳いでいるように感じた。
「物理的にはそうなる。しかし、時に説明し得ないことが起きるんだ」
張り詰めた空気を感じとったのか、朝比奈が加わる。
「杉田さん。一つ質問させてください」
ふっと肩の力が抜けたのを見逃さなかった。
「どうぞ。朝比奈くん」
「彼は、何を握っていたのですか」
「眼科の診察券だったかな」
朝比奈と目が合う。
「……病院名、分かりますか」
「申し訳ないが、そこまでは覚えていない。私からも一つ質問をしたい」
「はい。お答えできる事であれば」
いつの間にか、指揮をとっている。
「十年前の事故を調べている理由が聞きたい」
沈黙が流れた。
「数ヶ月の間に、多数の類似事件が起きています」
秀平くんの話をした。
「この事故と、関連性があると」
「どんな些細なことでも、調べるべきだと思います」
「……病院名、分かりますか」
「申し訳ないが、そこまでは覚えていない。私からも一つ質問をしたい」
「はい。お答えできる事であれば」
いつの間にか、指揮をとっている。
「十年前の事故を調べている理由が聞きたい」
沈黙が流れた。
「数ヶ月の間に、多数の類似事件が起きています」
秀平くんの話をした。
「この事故と、関連性があると」
「どんな些細なことでも、調べるべきだと思います」
「……あの夜、村橋くんと出会いたかったな」
ただ頭を下げることしかできなかった。
小柄な背中が見えなくなり、朝比奈が口を開いた。
「少年の証言、まるでシナリオが用意されていたように感じます」
「同感だ」
「僕は、動かない親の姿を目にしたら……。と想像しただけで気を失いそうです」
「……同感だ」
「少年の証言、まるでシナリオが用意されていたように感じます」
「同感だ」
「僕は、動かない親の姿を目にしたら……。と想像しただけで気を失いそうです」
「……同感だ」
彼らの見えた景色とは。
俺にも見えるのだろうか。
俺にも見えるのだろうか。
赤い目が浮かんだ。
朝比奈の声は、もう聞こえなかった。
朝比奈の声は、もう聞こえなかった。