表示設定
表示設定
目次 目次




キョウカサンノコト

ー/ー





 -ボクのキモチ-④
 
 【その目で見られる事に
 耐えられなくなったんだ
 片方変わっただけなのに
 僕は変わってない
 だから気持ちを
 ノートに書いたんだ】
 

 20XX年 十二月

 娘の理愛の姿が小さくなっていく。
 ひんやりとする床に座ったまま、空のデリケースを見つめる。
「全て、間違っていたのよ」
 また捨てられたのだから。
 
 母の訃報を聞いたのは十八年前の初雪が降った日だった。
 アルバイト先に警察から電話があり、知らない男と一緒に死んだと告げられた。
「わかりました。バイトが終わったら行きます」
 電話口の空気感が変わったのを今でも覚えている。
 感情のない返事に驚いたのだろう。
「すぐに来てください」
「……はい」
 私の心は痛くも痒くもなかった。
 眠っているような姿を見ても同じだった。

 唯一、母に感謝することがある。
 それは食事を作ってもらえなかったこと。
 当たり前のように用意されたものを口にし、母は肘をつきながら言っていた。
「京香の飯、美味いのよね」
 その言葉にいつしか心が踊る感覚を覚え、店を持つことが出来た。

 与えられることを知らないまま育ち『好きだ』と言ってくれた人と時間を共にした。
 ある日、予期せぬ体調不良に襲われ手帳を開いた。
 
「二ヶ月もきてない……」
 
 その事実を告げたあと男は消えた。

 なぜ生きることを選んだのか。
 なぜ繰り返されるのか。

 ───その答えは未だに分からない。

 リンリンと鳴った気がしてドアに視線を送る。
 
「ママ」
 理愛の声を期待する。
 
 しかし、音は一つもしない。
 あの子も姿を消したのだから。

────戻ってきて。
 
 デリケースから落とされたものたちを置き去りにし、厨房に向かう。
 冷気が詰まった扉を開き、赤い塊を見つめる。
「また焦がしたら、会えるかもしれない」
 塊をフライパンの上に乗せ、白い煙が立つのを待った。
 
 『落ち着いて。大丈夫だから』
 
 柔らかい声が蘇る。
 何も言わずに出て行ったあの子を連れ戻したかった。
 あの夜、わざと赤色を黒くしたのだ。
「きっとまた帰ってくる」
 スマホに番号を表示させ、人差し指に力を込める。
「……だめ」
 手の形を拳に変えた。
 モクモクと目の前に漂う煙を追い払い、フライパンを流しに投げ捨てた。
「私と同じね」
 
 焦げは落とせない。
 匂いはすぐに消えない。
 重なるのは簡単なのに。

 散乱したものたちを、あるべき場所に戻すことなく階段を踏む。

「聞こえない……」
 音を発する人がいない、この空気を恐れていた。
 色のないワンピースで、全身を包みベッドにいく。
 「大丈夫。最初はみんな一人だったの」
 組んだ手をお腹の上にのせ、ゆっくりと瞼を合わせた。

 チュンチュンと鳴き声がし、外の世界は様々な音を奏でいる。

「戻ってきてるはず」

 ワンピースのままトイレの前に立つ。
 腰を曲げ、音をたてている理愛を思い出す。
 そっと扉を引いたが、白くて静かだった。
 
「ごめんね……。チクチク、痛かったよね」
 
 あの子が消えてしまいそうで、腹痛の正体を知るのが怖かった。

 どうして日は当たり前にのぼるのだろう。
 どうして心に明かりは灯らないのだろう。

 エプロンをつけることなく、階段を降りる。
 散らばったものたちは、鼻を刺すような匂いを放っていた。
 鈴が揺れ、お店のドア前に人影が見える。

「り……理愛?」
 ドクドクと胸が高鳴ったのは一瞬だった。
「川島さん」
 開店時間はとっくに過ぎていた。
 顔ひとつ分ドアを開け、頭を下げる。
「すみません」
「顔色悪いわよ。どうかしたの?」
「ご心配おかけして、すみません」
「営業してるわよね?ろーすとびーふ、買いにきたの」
 
 ……焦がした。
 
「ごめんなさい。体調がすぐれなくて」
「お願いしてあったのに、困ったわ」
 表情を隠すことなく曇らせている。
「あ、失礼だったわ。ごめんなさい。大丈夫なの?」
「……大丈夫です」
「お大事にして」
「ありがとうございます」
「そういえば、『両親目玉くりぬき事件』知ってる?」
 ドアをなかなか離してくれない。
「いえ」
「この街で起きたの。逮捕された少年はね、片目が赤色だったらしいの」
 あの子の目……。
 空っぽのデリケースを指さす理愛の姿を思い出した。
 
「とても言いづらいんだけど」
 ドクドクと音を立てている。

「……理愛ちゃんの目、赤だったわよ」

 ────知ってる。

 やっとドアが自由になり、ふっと肩から力が抜けた。

 どんな姿でもいい。
 あの子が戻ってくるなら。

 鼻を刺す匂いがお店を占領し始め、体内のものが外へ出たがっている。
 懐かしい感覚に、頬を濡らしていた。

 男が消えても悩まず、小さな命を受け入れた。
 しかし、体は拒絶を起こした。
 食事も喉を通らず、匂いすら受けつけない。
 それなのに、体の反応が喜びだった。
 『一人ではない』証だったから。

「……戻りたい」
 全てを共有していたあの頃に。
 
 丸みのないお腹に、わりばしを食い込ませる。
 くっ付いている姿が憎らしかった。
「いつか離れるのよ」
 そっと教えてあげた。
 

 窓を見上げると、空には無数の光が散らばっていた。
 無情にも時は流れていく。
 巻き戻すことはできない。

 閉店時間は過ぎたはずなのに来客を告げる鈴が鳴る。
「すみません」
 聞いたことのない声に体が固くなる。
「あの、夜分にすみません。川島……啓介です」
 今度は息子がやってきた。きっと約束を破ったからだ。
 仕方なく厨房から顔を出す。
「はい」
「あ、こんばんは。突然すみません」
 無垢な表情に心が乱される。
 理愛の笑顔をいつから見ていないのだろう。
「いえ、こちらこそすみませんでした」
 目を逸らすために頭を下げた。
「体調は大丈夫ですか」
「はい。今日はごめんなさい……」
「……謝らなくてはいけないのは、母です」
「どうして?」
 思わず目線を合わせてしまった。
「体調を気づかうこともなく、失礼なことを言ったからです」
 今日の出来事を共有している。
 私だってそうしたかった。

 ───なにがいけなかったのか。

「理愛ちゃんのことを、少年の目と重ねて話したりして」
「その呼び方……」
「僕はそんなこと関係ないと思ってます。理愛ちゃんは、いい子です」
「やめ……て」
 足元がふわふわする。
「だから、謝りにきたんです」
「……呼ばないで」
 私の声は届いていないのだろうか。
「理愛ちゃんは、いますか」
「やめてって言ってるの!理愛……ちゃんって呼ばないで」
 もう、立っていられなかった。

「だ、大丈夫ですか?」
 差し出された大きな手を振り払った。
 その温もりを感じてしまうことが怖かったから。
「……大丈夫」
 行先を失った大きな手をポケットに入れ、緑色の封筒を差し出してきた。
「どうしても直接、謝りたいんです。連絡先が書いてあるので渡してください」
「……」
「お願いします」
 そっとカウンターに置き、頭を下げ出て行った。

 二人が肩を寄せ合う姿を想像してしまう。
 きっと私の知らない表情をするのだろう。

 ────運動会の夜。
 あの子と一緒に逝くべきだった。
 
 でも戻ることはできない。
 理愛のために私ができること。
 それは一つしかない。

 階段を一段登るたびに、あの子の姿が浮かぶ。
 『せかいいち、おいしいね』
 また、一段。
 『ママ、だいすき』
 目の前が霞む。
 『ごめんなさい』
 ……理愛の温もりを思い出せない。

 透明なグラスに溢れるほど水を入れる。
「心を満たしてあげることが……」
 白い玉と一緒に一気に流し込む。

「……ごめんね。理愛ちゃん」

 折りたたまれた画用紙を胸に瞼を閉じた。

 


次のエピソードへ進む テツサンノコト


みんなのリアクション

 -ボクのキモチ-④
 【その目で見られる事に
 耐えられなくなったんだ
 片方変わっただけなのに
 僕は変わってない
 だから気持ちを
 ノートに書いたんだ】
 20XX年 十二月
 娘の理愛の姿が小さくなっていく。
 ひんやりとする床に座ったまま、空のデリケースを見つめる。
「全て、間違っていたのよ」
 また捨てられたのだから。
 母の訃報を聞いたのは十八年前の初雪が降った日だった。
 アルバイト先に警察から電話があり、知らない男と一緒に死んだと告げられた。
「わかりました。バイトが終わったら行きます」
 電話口の空気感が変わったのを今でも覚えている。
 感情のない返事に驚いたのだろう。
「すぐに来てください」
「……はい」
 私の心は痛くも痒くもなかった。
 眠っているような姿を見ても同じだった。
 唯一、母に感謝することがある。
 それは食事を作ってもらえなかったこと。
 当たり前のように用意されたものを口にし、母は肘をつきながら言っていた。
「京香の飯、美味いのよね」
 その言葉にいつしか心が踊る感覚を覚え、店を持つことが出来た。
 与えられることを知らないまま育ち『好きだ』と言ってくれた人と時間を共にした。
 ある日、予期せぬ体調不良に襲われ手帳を開いた。
「二ヶ月もきてない……」
 その事実を告げたあと男は消えた。
 なぜ生きることを選んだのか。
 なぜ繰り返されるのか。
 ───その答えは未だに分からない。
 リンリンと鳴った気がしてドアに視線を送る。
「ママ」
 理愛の声を期待する。
 しかし、音は一つもしない。
 あの子も姿を消したのだから。
────戻ってきて。
 デリケースから落とされたものたちを置き去りにし、厨房に向かう。
 冷気が詰まった扉を開き、赤い塊を見つめる。
「また焦がしたら、会えるかもしれない」
 塊をフライパンの上に乗せ、白い煙が立つのを待った。
 『落ち着いて。大丈夫だから』
 柔らかい声が蘇る。
 何も言わずに出て行ったあの子を連れ戻したかった。
 あの夜、わざと赤色を黒くしたのだ。
「きっとまた帰ってくる」
 スマホに番号を表示させ、人差し指に力を込める。
「……だめ」
 手の形を拳に変えた。
 モクモクと目の前に漂う煙を追い払い、フライパンを流しに投げ捨てた。
「私と同じね」
 焦げは落とせない。
 匂いはすぐに消えない。
 重なるのは簡単なのに。
 散乱したものたちを、あるべき場所に戻すことなく階段を踏む。
「聞こえない……」
 音を発する人がいない、この空気を恐れていた。
 色のないワンピースで、全身を包みベッドにいく。
 「大丈夫。最初はみんな一人だったの」
 組んだ手をお腹の上にのせ、ゆっくりと瞼を合わせた。
 チュンチュンと鳴き声がし、外の世界は様々な音を奏でいる。
「戻ってきてるはず」
 ワンピースのままトイレの前に立つ。
 腰を曲げ、音をたてている理愛を思い出す。
 そっと扉を引いたが、白くて静かだった。
「ごめんね……。チクチク、痛かったよね」
 あの子が消えてしまいそうで、腹痛の正体を知るのが怖かった。
 どうして日は当たり前にのぼるのだろう。
 どうして心に明かりは灯らないのだろう。
 エプロンをつけることなく、階段を降りる。
 散らばったものたちは、鼻を刺すような匂いを放っていた。
 鈴が揺れ、お店のドア前に人影が見える。
「り……理愛?」
 ドクドクと胸が高鳴ったのは一瞬だった。
「川島さん」
 開店時間はとっくに過ぎていた。
 顔ひとつ分ドアを開け、頭を下げる。
「すみません」
「顔色悪いわよ。どうかしたの?」
「ご心配おかけして、すみません」
「営業してるわよね?ろーすとびーふ、買いにきたの」
 ……焦がした。
「ごめんなさい。体調がすぐれなくて」
「お願いしてあったのに、困ったわ」
 表情を隠すことなく曇らせている。
「あ、失礼だったわ。ごめんなさい。大丈夫なの?」
「……大丈夫です」
「お大事にして」
「ありがとうございます」
「そういえば、『両親目玉くりぬき事件』知ってる?」
 ドアをなかなか離してくれない。
「いえ」
「この街で起きたの。逮捕された少年はね、片目が赤色だったらしいの」
 あの子の目……。
 空っぽのデリケースを指さす理愛の姿を思い出した。
「とても言いづらいんだけど」
 ドクドクと音を立てている。
「……理愛ちゃんの目、赤だったわよ」
 ────知ってる。
 やっとドアが自由になり、ふっと肩から力が抜けた。
 どんな姿でもいい。
 あの子が戻ってくるなら。
 鼻を刺す匂いがお店を占領し始め、体内のものが外へ出たがっている。
 懐かしい感覚に、頬を濡らしていた。
 男が消えても悩まず、小さな命を受け入れた。
 しかし、体は拒絶を起こした。
 食事も喉を通らず、匂いすら受けつけない。
 それなのに、体の反応が喜びだった。
 『一人ではない』証だったから。
「……戻りたい」
 全てを共有していたあの頃に。
 丸みのないお腹に、わりばしを食い込ませる。
 くっ付いている姿が憎らしかった。
「いつか離れるのよ」
 そっと教えてあげた。
 窓を見上げると、空には無数の光が散らばっていた。
 無情にも時は流れていく。
 巻き戻すことはできない。
 閉店時間は過ぎたはずなのに来客を告げる鈴が鳴る。
「すみません」
 聞いたことのない声に体が固くなる。
「あの、夜分にすみません。川島……啓介です」
 今度は息子がやってきた。きっと約束を破ったからだ。
 仕方なく厨房から顔を出す。
「はい」
「あ、こんばんは。突然すみません」
 無垢な表情に心が乱される。
 理愛の笑顔をいつから見ていないのだろう。
「いえ、こちらこそすみませんでした」
 目を逸らすために頭を下げた。
「体調は大丈夫ですか」
「はい。今日はごめんなさい……」
「……謝らなくてはいけないのは、母です」
「どうして?」
 思わず目線を合わせてしまった。
「体調を気づかうこともなく、失礼なことを言ったからです」
 今日の出来事を共有している。
 私だってそうしたかった。
 ───なにがいけなかったのか。
「理愛ちゃんのことを、少年の目と重ねて話したりして」
「その呼び方……」
「僕はそんなこと関係ないと思ってます。理愛ちゃんは、いい子です」
「やめ……て」
 足元がふわふわする。
「だから、謝りにきたんです」
「……呼ばないで」
 私の声は届いていないのだろうか。
「理愛ちゃんは、いますか」
「やめてって言ってるの!理愛……ちゃんって呼ばないで」
 もう、立っていられなかった。
「だ、大丈夫ですか?」
 差し出された大きな手を振り払った。
 その温もりを感じてしまうことが怖かったから。
「……大丈夫」
 行先を失った大きな手をポケットに入れ、緑色の封筒を差し出してきた。
「どうしても直接、謝りたいんです。連絡先が書いてあるので渡してください」
「……」
「お願いします」
 そっとカウンターに置き、頭を下げ出て行った。
 二人が肩を寄せ合う姿を想像してしまう。
 きっと私の知らない表情をするのだろう。
 ────運動会の夜。
 あの子と一緒に逝くべきだった。
 でも戻ることはできない。
 理愛のために私ができること。
 それは一つしかない。
 階段を一段登るたびに、あの子の姿が浮かぶ。
 『せかいいち、おいしいね』
 また、一段。
 『ママ、だいすき』
 目の前が霞む。
 『ごめんなさい』
 ……理愛の温もりを思い出せない。
 透明なグラスに溢れるほど水を入れる。
「心を満たしてあげることが……」
 白い玉と一緒に一気に流し込む。
「……ごめんね。理愛ちゃん」
 折りたたまれた画用紙を胸に瞼を閉じた。