3 馴れ初め(後)~善夜、持ち替えて跳ぶ~
ー/ー オフィサーの予告どおりだった。
あっという間に、無数の鎖が視界を埋める。
屋上の四方や足元から――上空に上がってからの急降下まで。
完全に囲まれた。
白銀の鎖が生き物のように虚空を這って迫ってくる。
「えええーーーーー!?」
モヤを突き抜け殺到する幾条もの銀色。
おろおろするしかない彼女に聞こえてきたのは、
『――ご安心ください』
先ほどと変わらぬトーンのオフィサーの声。
『私の命令に従っていただければ、身の安全は保障します』
「めい、れい……?」
彼に返事をする間もなく、善夜の右手は躍動した。
ぎぎぎぎぎぎぎんっ!!
耳障りな音が鼓膜に突き刺さる。
無彩剣の黒い切っ先が虚空を走り、最短距離で鎖を斬り払っていく。
『左手に剣を持ち替え――合図で小さく跳びます』
「持ち替えて……とぶ……!?」
これが「命令」だろうか。
善夜は慌てて手を動かした。
自分の両手は、思ったよりも素早く動いた。
鎖を断ち斬りながら流れるように、剣が左手に渡る。
左腕が左後方から殺到する鎖を粉々にする作業に淀みなく移る。
棒立ちの善夜の腕がせわしなく動き回るというのは、本人から見ても異様だった。
『――今です。跳んでください』
「あ、はいっ……」
善夜は無我夢中で床を蹴った。
瞬間、縄跳びのように。
足の下を数本の鎖が通り過ぎる。
その鎖を、漆黒の剣が漏れなく刈り取った。
***
鎖の襲撃が止んだ。
床に散らばる銀色の破片が、鈍色のモヤに少しずつ溶けていく。
善夜はひたすら荒い呼吸を繰り返していた。
緊張から解き放たれたせいか、疲労感が一気に来る。
――と、善夜の右手から漆黒のモヤが滲み出てきた。
「ヒュッ……」
息を飲み、肩をこわばらせる善夜。
彼女の前でモヤは音もなく膨れ上がり、うねるように立ち上がる。
そして一瞬にして人の形を成し――オフィサーになった。
善夜を見下ろす彼には、自分についていたはずの剣帯が装備されている。
右手にも、自分が持っていたはずの剣が握られていた。
「……ちょ、ちょっと待ってください……」
次の何かが起こる前に。
善夜は震える声で言った。
「どこにいたんですか……? あと、そこら中にあるモヤは何ですか……鼻がピリッとするし……時間固定っていうのは……なんで鎖が飛んできて……」
質問が渋滞している。
オフィサーは彼女の言葉が途切れるのを待って、口を開いた。
「順にお答えします。――人間界において、我々魔人は実体を保つことができません。ですから公務執行時は、人間の身体をお借りしています」
「わたしの、身体……!?」
もう理解ができない。
それでも、彼の解説は滔々と続く。
「時間の固定は、公務執行中に人間界に被害が及ばないようにするためです」
「あ……だから……」
「そしてこのモヤは『アニマ』といいます」
彼の視線が、屋上のあちこちに漂うモヤを示す。
「生き物から放出される――負の感情です」
「負の、感情……」
善夜は思わず、園庭のほうに目を向けた。
自分と同じように家族と離れて暮らす児童たち。
時間を止められたまま笑顔を浮かべる彼らの周りにも、鈍色のモヤは静かに沈殿している。
「人間にとっては何の価値もありませんが……」
そんなオフィサーの前置きで我に返り、善夜は続きを待つ。
「アニマは我々の身体や物を構成する糧であり、力の源であり――金銭でもあるのです」
「! っていうことは……!」
ふと思いついた『すごいこと』に、気持ちが少し盛り上がった。
「この世界は魔人にとって、宝物でいっぱい――っていうことですか?」
オフィサーが頷く。
「取引などを通じて、我々は人間と上手く付き合っていきたいと考えています」
「あ……! だから『契約』……!」
善夜の目がぱっと輝く。
「人間は大歓迎だと思いますよ! 『嫌な気持ち』と引き換えに願いが叶うんだったら……」
「――そこに問題も生じているのです」
オフィサーの声のトーンが、僅かに低くなった。
『魔人と築く明るい未来』に思いを馳せていた、善夜の笑顔が止まる。
「人間を欺いて、アニマを搾取する者がいます」
「え……」
その言葉の意味を善夜が飲み込みきる前に。
――だんっ
大きな容器に重いものが落ちた、鈍い音が響いた。
オフィサーの視線が、善夜から外れた。
あっという間に、無数の鎖が視界を埋める。
屋上の四方や足元から――上空に上がってからの急降下まで。
完全に囲まれた。
白銀の鎖が生き物のように虚空を這って迫ってくる。
「えええーーーーー!?」
モヤを突き抜け殺到する幾条もの銀色。
おろおろするしかない彼女に聞こえてきたのは、
『――ご安心ください』
先ほどと変わらぬトーンのオフィサーの声。
『私の命令に従っていただければ、身の安全は保障します』
「めい、れい……?」
彼に返事をする間もなく、善夜の右手は躍動した。
ぎぎぎぎぎぎぎんっ!!
耳障りな音が鼓膜に突き刺さる。
無彩剣の黒い切っ先が虚空を走り、最短距離で鎖を斬り払っていく。
『左手に剣を持ち替え――合図で小さく跳びます』
「持ち替えて……とぶ……!?」
これが「命令」だろうか。
善夜は慌てて手を動かした。
自分の両手は、思ったよりも素早く動いた。
鎖を断ち斬りながら流れるように、剣が左手に渡る。
左腕が左後方から殺到する鎖を粉々にする作業に淀みなく移る。
棒立ちの善夜の腕がせわしなく動き回るというのは、本人から見ても異様だった。
『――今です。跳んでください』
「あ、はいっ……」
善夜は無我夢中で床を蹴った。
瞬間、縄跳びのように。
足の下を数本の鎖が通り過ぎる。
その鎖を、漆黒の剣が漏れなく刈り取った。
***
鎖の襲撃が止んだ。
床に散らばる銀色の破片が、鈍色のモヤに少しずつ溶けていく。
善夜はひたすら荒い呼吸を繰り返していた。
緊張から解き放たれたせいか、疲労感が一気に来る。
――と、善夜の右手から漆黒のモヤが滲み出てきた。
「ヒュッ……」
息を飲み、肩をこわばらせる善夜。
彼女の前でモヤは音もなく膨れ上がり、うねるように立ち上がる。
そして一瞬にして人の形を成し――オフィサーになった。
善夜を見下ろす彼には、自分についていたはずの剣帯が装備されている。
右手にも、自分が持っていたはずの剣が握られていた。
「……ちょ、ちょっと待ってください……」
次の何かが起こる前に。
善夜は震える声で言った。
「どこにいたんですか……? あと、そこら中にあるモヤは何ですか……鼻がピリッとするし……時間固定っていうのは……なんで鎖が飛んできて……」
質問が渋滞している。
オフィサーは彼女の言葉が途切れるのを待って、口を開いた。
「順にお答えします。――人間界において、我々魔人は実体を保つことができません。ですから公務執行時は、人間の身体をお借りしています」
「わたしの、身体……!?」
もう理解ができない。
それでも、彼の解説は滔々と続く。
「時間の固定は、公務執行中に人間界に被害が及ばないようにするためです」
「あ……だから……」
「そしてこのモヤは『アニマ』といいます」
彼の視線が、屋上のあちこちに漂うモヤを示す。
「生き物から放出される――負の感情です」
「負の、感情……」
善夜は思わず、園庭のほうに目を向けた。
自分と同じように家族と離れて暮らす児童たち。
時間を止められたまま笑顔を浮かべる彼らの周りにも、鈍色のモヤは静かに沈殿している。
「人間にとっては何の価値もありませんが……」
そんなオフィサーの前置きで我に返り、善夜は続きを待つ。
「アニマは我々の身体や物を構成する糧であり、力の源であり――金銭でもあるのです」
「! っていうことは……!」
ふと思いついた『すごいこと』に、気持ちが少し盛り上がった。
「この世界は魔人にとって、宝物でいっぱい――っていうことですか?」
オフィサーが頷く。
「取引などを通じて、我々は人間と上手く付き合っていきたいと考えています」
「あ……! だから『契約』……!」
善夜の目がぱっと輝く。
「人間は大歓迎だと思いますよ! 『嫌な気持ち』と引き換えに願いが叶うんだったら……」
「――そこに問題も生じているのです」
オフィサーの声のトーンが、僅かに低くなった。
『魔人と築く明るい未来』に思いを馳せていた、善夜の笑顔が止まる。
「人間を欺いて、アニマを搾取する者がいます」
「え……」
その言葉の意味を善夜が飲み込みきる前に。
――だんっ
大きな容器に重いものが落ちた、鈍い音が響いた。
オフィサーの視線が、善夜から外れた。
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