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それがやってきた日の事

ー/ー




 ――夢を見ていた。

 ゆらゆら揺れる視界の中で、ゆっくりと、音も立てずに世界が崩れていく。

 ゆらゆらと――

 やがて視界が黒に埋め尽くされても、それでもゆらゆらと……

 ゆさゆさ……

(ん……?)

 そこではたと、自分の体が何者かによって揺さぶられている事に気付く。
 ゆさゆさと体を揺り動かされて、ユウはゆっくりと目を開ける。

「ああ、リン……」

 目を開けると目の前にリンの顔があった。

 整った顔立ち、艶やかな黒髪、紅い瞳――その大きな瞳をさらに爛々とさせてしっかりと目が合っているにも関わらず、リンはユウを揺さぶり続けていた。

「なんだよぅ、リン。まだくらいじゃないかぁ」

 昇りかけた朝の陽がかすかに部屋に入り込んでいるだけで、あたりはまだ薄暗く、その闇が、まだ起きる時間でないことをユウに告げていた。

 けれど、珍しいことにリンがユウより先に目を覚まし、すっかり着替えも終えてユウを揺さぶっている。

「今日はカレーじゃないよ……」

「知ってるよ」

 カレーを作った次の日はリンは早くおきる。

 一晩置いたカレーをいち早く食べたくて早くおきるのだが、でも昨日はカレーの日ではなかった。

 それなのに何故リンは自分を起こそうとしているのか。

 今もゆさゆさと自分の体を揺さぶっている。

 上半身をゆさゆさと揺さぶられ続けるユウは、ぼんやりしながら菓子の生地になった気分になる。

(このままこねられて型で押されて焼かれてしまうのかもしれない)

 絶え間なくリンに揺らされながら、段々と頭が余計にぼんやりとしてくる。

(あ、あれかー)

 ようやく理由に思い当たった頃には、リンの揺さぶりはさらに激しさを増していた。

「ユウ。 ユウ? ユーウー? 朝だよー? ユウー?」

「まだ暗いよ……」

 まどろみとリンの揺さぶり攻撃の狭間で、まだなお、まどろみの心地良さが勝る。
 リンはそれでもかまわずにユウを揺さぶり続けた。

「あーもう、わかったよぅ。このままだとほんとにお菓子にされちゃう」

「?」

 ユウの言葉にリンは揺さぶっていた手を止めて首をかしげた。

「まだ今日は何も作ってないよ?」

「うん、わかってるよ」

 寝ぼけ眼をこすりながら、もう片方の手でリンの頭を撫でた。

「よし。今日は私が朝御飯作る」

 リンは頭を撫でられながらも、ユウがベッドから起き上がった事を認めて拳を胸元でグッと握り締めた。

「ふぁ……リン、気持ちはわからなくもないけど、あれが来るのはまだ先だよぅ」

 小さくあくびをしながらユウが言うものの、既にリンは台所へと駆け出していた。

「あーもう……」

 ユウは頭をかきながら、ようやくベッドから降りた。

 *

 朝食を終えて、開店のための仕込を始めたユウとリンだったが、リンはまだ、そわそわとしている。
 手早くお菓子の仕込を終えると、のんびりとコーヒー豆を挽いているユウの目の前をいったりきたり。

 朝の日課にしたがって、冷たい水で顔を洗ったものの、水面に映るユウの目は、まだ眠たそうに半開きだ。

 対照的にリンは店や竈を行ったり来たりして、時々ドアが風に揺れると、ばっと振り向いて爛々と期待に満ちた目を向ける。

 けれど誰も来ないとわかると、しょんぼりと肩を落とす。

「あのさぁ、リン……」

 あくびをかみ殺しながら豆を挽いていたユウがそんなリンを見て、最初は放って置こうと思っていたのだが、こうもせわしなくされると流石に少し可哀想になってしまう。

「なに!?」

 ユウの声に、リンが何度か風に揺れたドアに向けたような期待に満ちた目をユウに向けた。

「あー……」

 そんなリンの目を見ていると、ちょっと言葉に詰まってしまった。

「なに?なに?ユウ?」

「まぁまぁ、あんまり慌てなくてもちゃんとくるから……」

「今日だよね!」

「……うん」

 ぱあっと目を輝かせて、リンが満面の笑みを浮かべる。
 やれやれといった風に、豆を挽き終わったユウが肩をすくめた。

「もう少し落ち着いて待ってないと、届く頃に眠くなっちゃうよ?」

「子供じゃないよ!」

 いつもの台詞だが、リンは凄く嬉しそうだ。

 何かを待ち望んでそわそわしている様子はまるで子供だし、どこからどうみても子供なのだが、ユウはそれは言わない事にした。

 *

 リンが待ちわびている“それ”は今日届く予定だった。

 何日も前から「まだかな、まだかな」と繰り返していたほど、嬉しさが隠しきれない。
 昨夜も興奮してなかなか寝なかった。

 そして今朝の早起きである。

 お菓子も焼き終え、ようやく開店準備が整った頃――リンはミルク片手に、ドアが見えるカウンターに座り込んだ。

「?」

 しばらくそこに座っていたリンだったが、さっきまでの落ち着きのなさが嘘のように静かになっていた。

(あ……これ……)

 もしやと思って回り込んでみれば、思ったとおりにリンがうとうとと舟をこぎ始めていた。

「んにゅ……ユウ、おこし……」

 どうやら最後の力を振り絞ったらしい。

 そのまま、カウンターにもたれかかるようにしてリンは夢の世界へと旅立ってしまった。

 さっきまで世話しなく動いていたのが嘘のように、静かに寝ているリンに、ユウはそっと毛布をかけ、思わず笑みを零していた。

「お・こ・さ・ま」

 小さく呟いてリンの鼻に指をちょんとあててやる。

「こどもにゃいよ…」

 もはや刷り込まれた反応なのだろうか、それとも夢を見ているのか、まるでユウの言葉に反応したかのようにリンがむにゃむにゃしながら寝言をいう。

「ふふ……」

 その様がまた可愛くて、ユウは優しい笑みを浮かべてリンを見つめていた――


*


 はっと目を覚ましたリンは跳ねるように椅子から飛び起きた。

「ユウ!!」

 店内にユウの姿はない。

 きょろきょろと見回して、自分が寝てしまった事にようやく気がついた。

「ユーウー!!」

 叫んでみたもののユウの姿はどこにも見つからなかった。

 窓の外ではすでに陽が傾いていて、空は青と紅のグラデーションに彩られていた。
 綺麗な空の色ではあったが、リンにはそれを楽しむ余裕はなかった。

 もしかすると、もう届いてしまったのでは、という一抹の不安がリンの胸をよぎる。

 ――ドンッと店の床を思い切り踏みつけてしまう。

 そんな風に考えていたら段々、寝てしまった自分自身に腹が立ってしまったのだった。

 同時にドアがキィと音を立てて開いた。

「あ、起きたんだ?どしたの?」

「あ、ゆ、ユウ」

 リンは癇癪を見られた気恥ずかしさとバツの悪さに、頬が微かに赤くなる。

「リン、おいでよ」

 そんなリンにユウが優しく微笑んで手招きする。

「え?」

 ニコニコとしているユウに導かれるままに外にでたリンが見たのは、店の前に留まった一台の荷馬車だった。

「お待たせいたしました。お届け物ですよ」

 御者が笑顔と共に、ずっしりとした箱を手渡す。

 リンは箱を見つめ――次の瞬間、満面の笑顔を浮かべた。

「ありがと!」

 器用にお辞儀をして感謝を伝えると、くるっと振り返り、

「ユウ! あけていい!? あけていい!?」

「こーら、お店の中に運んでからね?」

「うん!!」

 リンは箱を抱えて走り出した。

 *

「あはは…すみません、せわしなくて。」

「いえ、いえ。あんなに喜んでもらえると、運んできたかいもあるってもんですよ。それより遅くなってすまなかったね。」

「いいえ、タイミングばっちりだったみたいですよ?」

 スキップするように駆けて行くリンを見て目を細めて微笑むユウ。

 そんなユウの笑顔に男は一瞬目を奪われて――

「そ、そろそろ行きますね。何かありましたら、帰りにも寄りますんでその時にでも」

「ありがとうございました」

 ユウの笑顔を背に、男は御者台へと登ると、掛け声とともに馬車を発進させた。

「あ、帰りに時間あったらコーヒー飲んでってくださいねー!」

 遠ざかる馬車に向けてユウが声をかけると、男も片手をひらひらとさせて応えてくれた。

 *

 ユウが店に戻ると、既に箱は開けられていて、リンがうっとりした表情で箱の中身を見つめていた。

 リンの背中越しにユウも箱の中をみる。

 そこには、金色のドアベルといくつかの部品が納められていた。
 ユウの掌に乗るくらいの大きさのドアベルは磨き上げられて店内の光を反射している。
 ユウとリンがかつて帝都で立ち寄った喫茶店でリンがいたく気に入ったものと同じようなベルだった。

「鳴らして!鳴らしてみよう!」

 ぴょんぴょんと飛び跳ねながらリンが叫ぶ。

「はいはい、じゃあ…」

 ベルの先を慎重につまんで、指でぶら下げるようにもつと、そっと揺らしてみる。


 カランカラン……


「おお……」

 まさに帝都の喫茶店で聴いた音と瓜二つ。リンは目を丸くしてドアベルの動きと音をしばらく見つめる。

「もう一回!もっかい!」

 リンの笑顔に応えて、ユウはもう一度ベルを鳴らす。


 カランカラン……


「おー!」

 リンは目を輝かせる。

 ベルを鳴らすたびに歓声をあげるリン。

 何度かそれを繰り返してから、ベルは無事扉にすえ付けられることになった。


 入り口で光る金のベル。あとは、お客がやってきて、その涼やかな音色をお店の中に響き渡らせてくれるだけ――

 ユウはリンと並んで座り、来客を待った。


「ねぇ、ユウ。」

「なに?リン」

「お客来ないよ?」

「そのうちくるよ」

「多分、こないよ?」

「わかんないよ? フードさんあたりがきちゃったりするかもよ?」

「……」

 期待を裏切らないフードの男。

 今、まさに喫茶店『小道』へ来訪しようとして――

 ――急遽お呼び出しがあり、コーヒーはお預けに。

 彼への期待は裏切られてしまった。

「こないよ、フードさん」

 少しの間二人は扉とベルを眺めながら待ったが、来客の気配はなかった。

 間もなく日が沈んで暗くなってしまう。

 そうすればもう来客は絶望的だ。

「ユウ!お客さんやって!」

「へ?」

 突然リンが立ち上がって、ビシッとユウを指差して言い放つ。

「ええぇ、ここ私の店なのに……」

「やって!」

「はぁ、わかったよ……」

 リンの期待に満ちた目を裏切るのもなんだし、どうせなら笑顔をみたいなとも思うから、腑に落ちないと思いつつも、ユウはお客をやることにした。


 カランカラン……


 涼やかなベルの音と共に木造りのドアが開かれる。

「いらっしゃいませ」

 カウンターの奥から可愛らしい声がしたが、姿が見えない。

「あれ? リン?」

 ユウが呼びかけると、ぴょこぴょことカウンターのへりからリンの顔が現れて、消えて、現れて、消えて――

「いらっ、しゃいっ、ませっ」

「あはは……」

 ユウは思わず苦笑いだ。

「じゃあ、コーヒーでも…っと?」

 そういいかけたところで、飛び跳ねていたリンがカウンターから出てきてユウのそばに駆け寄ってくる。

「やっぱり私がお客さん!」

「はいはい」

 そう言い残してリンは店を出て行く。


 カランカランバタン


「ぉー」


 ドア越しにまたリンの歓声が聞こえた。

 それから、リンは何度も店を出入りして、ベルの音を楽しむ。

 もはやお客さんという体でもなくなってきていて、本当にドアを開け閉めするだけになっていた。

 ユウはそんな様子をコーヒーを飲みながらニコニコとしてみている。

 リンがいたく気に入っている様子をみていると、自分もこんなだったかな、と子供の頃を思い出す。

 欲しいものを手に入れたときの自分はこんな感じだったかもしれない、と、目を細めてベルを鳴らし続けるリンを、優しく見守るのだった。

 *

 しばらくして、二人はまた飲み物片手にカウンターに座っていた。

 二人ともが見つめているのは真新しい金色のドアベル。

 リンは満面の笑みで、ユウは優しい微笑みで、次はいつこのベルが来客を知らせてくれるのだろうかと、心待ちにしている。



 ――ここは喫茶店『小道』


 今日から新しいベルが来客を知らせてくれる。


 おすすめはコーヒー、涼しげなベルの音色をそえて――






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 ――夢を見ていた。
 ゆらゆら揺れる視界の中で、ゆっくりと、音も立てずに世界が崩れていく。
 ゆらゆらと――
 やがて視界が黒に埋め尽くされても、それでもゆらゆらと……
 ゆさゆさ……
(ん……?)
 そこではたと、自分の体が何者かによって揺さぶられている事に気付く。
 ゆさゆさと体を揺り動かされて、ユウはゆっくりと目を開ける。
「ああ、リン……」
 目を開けると目の前にリンの顔があった。
 整った顔立ち、艶やかな黒髪、紅い瞳――その大きな瞳をさらに爛々とさせてしっかりと目が合っているにも関わらず、リンはユウを揺さぶり続けていた。
「なんだよぅ、リン。まだくらいじゃないかぁ」
 昇りかけた朝の陽がかすかに部屋に入り込んでいるだけで、あたりはまだ薄暗く、その闇が、まだ起きる時間でないことをユウに告げていた。
 けれど、珍しいことにリンがユウより先に目を覚まし、すっかり着替えも終えてユウを揺さぶっている。
「今日はカレーじゃないよ……」
「知ってるよ」
 カレーを作った次の日はリンは早くおきる。
 一晩置いたカレーをいち早く食べたくて早くおきるのだが、でも昨日はカレーの日ではなかった。
 それなのに何故リンは自分を起こそうとしているのか。
 今もゆさゆさと自分の体を揺さぶっている。
 上半身をゆさゆさと揺さぶられ続けるユウは、ぼんやりしながら菓子の生地になった気分になる。
(このままこねられて型で押されて焼かれてしまうのかもしれない)
 絶え間なくリンに揺らされながら、段々と頭が余計にぼんやりとしてくる。
(あ、あれかー)
 ようやく理由に思い当たった頃には、リンの揺さぶりはさらに激しさを増していた。
「ユウ。 ユウ? ユーウー? 朝だよー? ユウー?」
「まだ暗いよ……」
 まどろみとリンの揺さぶり攻撃の狭間で、まだなお、まどろみの心地良さが勝る。
 リンはそれでもかまわずにユウを揺さぶり続けた。
「あーもう、わかったよぅ。このままだとほんとにお菓子にされちゃう」
「?」
 ユウの言葉にリンは揺さぶっていた手を止めて首をかしげた。
「まだ今日は何も作ってないよ?」
「うん、わかってるよ」
 寝ぼけ眼をこすりながら、もう片方の手でリンの頭を撫でた。
「よし。今日は私が朝御飯作る」
 リンは頭を撫でられながらも、ユウがベッドから起き上がった事を認めて拳を胸元でグッと握り締めた。
「ふぁ……リン、気持ちはわからなくもないけど、あれが来るのはまだ先だよぅ」
 小さくあくびをしながらユウが言うものの、既にリンは台所へと駆け出していた。
「あーもう……」
 ユウは頭をかきながら、ようやくベッドから降りた。
 *
 朝食を終えて、開店のための仕込を始めたユウとリンだったが、リンはまだ、そわそわとしている。
 手早くお菓子の仕込を終えると、のんびりとコーヒー豆を挽いているユウの目の前をいったりきたり。
 朝の日課にしたがって、冷たい水で顔を洗ったものの、水面に映るユウの目は、まだ眠たそうに半開きだ。
 対照的にリンは店や竈を行ったり来たりして、時々ドアが風に揺れると、ばっと振り向いて爛々と期待に満ちた目を向ける。
 けれど誰も来ないとわかると、しょんぼりと肩を落とす。
「あのさぁ、リン……」
 あくびをかみ殺しながら豆を挽いていたユウがそんなリンを見て、最初は放って置こうと思っていたのだが、こうもせわしなくされると流石に少し可哀想になってしまう。
「なに!?」
 ユウの声に、リンが何度か風に揺れたドアに向けたような期待に満ちた目をユウに向けた。
「あー……」
 そんなリンの目を見ていると、ちょっと言葉に詰まってしまった。
「なに?なに?ユウ?」
「まぁまぁ、あんまり慌てなくてもちゃんとくるから……」
「今日だよね!」
「……うん」
 ぱあっと目を輝かせて、リンが満面の笑みを浮かべる。
 やれやれといった風に、豆を挽き終わったユウが肩をすくめた。
「もう少し落ち着いて待ってないと、届く頃に眠くなっちゃうよ?」
「子供じゃないよ!」
 いつもの台詞だが、リンは凄く嬉しそうだ。
 何かを待ち望んでそわそわしている様子はまるで子供だし、どこからどうみても子供なのだが、ユウはそれは言わない事にした。
 *
 リンが待ちわびている“それ”は今日届く予定だった。
 何日も前から「まだかな、まだかな」と繰り返していたほど、嬉しさが隠しきれない。
 昨夜も興奮してなかなか寝なかった。
 そして今朝の早起きである。
 お菓子も焼き終え、ようやく開店準備が整った頃――リンはミルク片手に、ドアが見えるカウンターに座り込んだ。
「?」
 しばらくそこに座っていたリンだったが、さっきまでの落ち着きのなさが嘘のように静かになっていた。
(あ……これ……)
 もしやと思って回り込んでみれば、思ったとおりにリンがうとうとと舟をこぎ始めていた。
「んにゅ……ユウ、おこし……」
 どうやら最後の力を振り絞ったらしい。
 そのまま、カウンターにもたれかかるようにしてリンは夢の世界へと旅立ってしまった。
 さっきまで世話しなく動いていたのが嘘のように、静かに寝ているリンに、ユウはそっと毛布をかけ、思わず笑みを零していた。
「お・こ・さ・ま」
 小さく呟いてリンの鼻に指をちょんとあててやる。
「こどもにゃいよ…」
 もはや刷り込まれた反応なのだろうか、それとも夢を見ているのか、まるでユウの言葉に反応したかのようにリンがむにゃむにゃしながら寝言をいう。
「ふふ……」
 その様がまた可愛くて、ユウは優しい笑みを浮かべてリンを見つめていた――
*
 はっと目を覚ましたリンは跳ねるように椅子から飛び起きた。
「ユウ!!」
 店内にユウの姿はない。
 きょろきょろと見回して、自分が寝てしまった事にようやく気がついた。
「ユーウー!!」
 叫んでみたもののユウの姿はどこにも見つからなかった。
 窓の外ではすでに陽が傾いていて、空は青と紅のグラデーションに彩られていた。
 綺麗な空の色ではあったが、リンにはそれを楽しむ余裕はなかった。
 もしかすると、もう届いてしまったのでは、という一抹の不安がリンの胸をよぎる。
 ――ドンッと店の床を思い切り踏みつけてしまう。
 そんな風に考えていたら段々、寝てしまった自分自身に腹が立ってしまったのだった。
 同時にドアがキィと音を立てて開いた。
「あ、起きたんだ?どしたの?」
「あ、ゆ、ユウ」
 リンは癇癪を見られた気恥ずかしさとバツの悪さに、頬が微かに赤くなる。
「リン、おいでよ」
 そんなリンにユウが優しく微笑んで手招きする。
「え?」
 ニコニコとしているユウに導かれるままに外にでたリンが見たのは、店の前に留まった一台の荷馬車だった。
「お待たせいたしました。お届け物ですよ」
 御者が笑顔と共に、ずっしりとした箱を手渡す。
 リンは箱を見つめ――次の瞬間、満面の笑顔を浮かべた。
「ありがと!」
 器用にお辞儀をして感謝を伝えると、くるっと振り返り、
「ユウ! あけていい!? あけていい!?」
「こーら、お店の中に運んでからね?」
「うん!!」
 リンは箱を抱えて走り出した。
 *
「あはは…すみません、せわしなくて。」
「いえ、いえ。あんなに喜んでもらえると、運んできたかいもあるってもんですよ。それより遅くなってすまなかったね。」
「いいえ、タイミングばっちりだったみたいですよ?」
 スキップするように駆けて行くリンを見て目を細めて微笑むユウ。
 そんなユウの笑顔に男は一瞬目を奪われて――
「そ、そろそろ行きますね。何かありましたら、帰りにも寄りますんでその時にでも」
「ありがとうございました」
 ユウの笑顔を背に、男は御者台へと登ると、掛け声とともに馬車を発進させた。
「あ、帰りに時間あったらコーヒー飲んでってくださいねー!」
 遠ざかる馬車に向けてユウが声をかけると、男も片手をひらひらとさせて応えてくれた。
 *
 ユウが店に戻ると、既に箱は開けられていて、リンがうっとりした表情で箱の中身を見つめていた。
 リンの背中越しにユウも箱の中をみる。
 そこには、金色のドアベルといくつかの部品が納められていた。
 ユウの掌に乗るくらいの大きさのドアベルは磨き上げられて店内の光を反射している。
 ユウとリンがかつて帝都で立ち寄った喫茶店でリンがいたく気に入ったものと同じようなベルだった。
「鳴らして!鳴らしてみよう!」
 ぴょんぴょんと飛び跳ねながらリンが叫ぶ。
「はいはい、じゃあ…」
 ベルの先を慎重につまんで、指でぶら下げるようにもつと、そっと揺らしてみる。
 カランカラン……
「おお……」
 まさに帝都の喫茶店で聴いた音と瓜二つ。リンは目を丸くしてドアベルの動きと音をしばらく見つめる。
「もう一回!もっかい!」
 リンの笑顔に応えて、ユウはもう一度ベルを鳴らす。
 カランカラン……
「おー!」
 リンは目を輝かせる。
 ベルを鳴らすたびに歓声をあげるリン。
 何度かそれを繰り返してから、ベルは無事扉にすえ付けられることになった。
 入り口で光る金のベル。あとは、お客がやってきて、その涼やかな音色をお店の中に響き渡らせてくれるだけ――
 ユウはリンと並んで座り、来客を待った。
「ねぇ、ユウ。」
「なに?リン」
「お客来ないよ?」
「そのうちくるよ」
「多分、こないよ?」
「わかんないよ? フードさんあたりがきちゃったりするかもよ?」
「……」
 期待を裏切らないフードの男。
 今、まさに喫茶店『小道』へ来訪しようとして――
 ――急遽お呼び出しがあり、コーヒーはお預けに。
 彼への期待は裏切られてしまった。
「こないよ、フードさん」
 少しの間二人は扉とベルを眺めながら待ったが、来客の気配はなかった。
 間もなく日が沈んで暗くなってしまう。
 そうすればもう来客は絶望的だ。
「ユウ!お客さんやって!」
「へ?」
 突然リンが立ち上がって、ビシッとユウを指差して言い放つ。
「ええぇ、ここ私の店なのに……」
「やって!」
「はぁ、わかったよ……」
 リンの期待に満ちた目を裏切るのもなんだし、どうせなら笑顔をみたいなとも思うから、腑に落ちないと思いつつも、ユウはお客をやることにした。
 カランカラン……
 涼やかなベルの音と共に木造りのドアが開かれる。
「いらっしゃいませ」
 カウンターの奥から可愛らしい声がしたが、姿が見えない。
「あれ? リン?」
 ユウが呼びかけると、ぴょこぴょことカウンターのへりからリンの顔が現れて、消えて、現れて、消えて――
「いらっ、しゃいっ、ませっ」
「あはは……」
 ユウは思わず苦笑いだ。
「じゃあ、コーヒーでも…っと?」
 そういいかけたところで、飛び跳ねていたリンがカウンターから出てきてユウのそばに駆け寄ってくる。
「やっぱり私がお客さん!」
「はいはい」
 そう言い残してリンは店を出て行く。
 カランカランバタン
「ぉー」
 ドア越しにまたリンの歓声が聞こえた。
 それから、リンは何度も店を出入りして、ベルの音を楽しむ。
 もはやお客さんという体でもなくなってきていて、本当にドアを開け閉めするだけになっていた。
 ユウはそんな様子をコーヒーを飲みながらニコニコとしてみている。
 リンがいたく気に入っている様子をみていると、自分もこんなだったかな、と子供の頃を思い出す。
 欲しいものを手に入れたときの自分はこんな感じだったかもしれない、と、目を細めてベルを鳴らし続けるリンを、優しく見守るのだった。
 *
 しばらくして、二人はまた飲み物片手にカウンターに座っていた。
 二人ともが見つめているのは真新しい金色のドアベル。
 リンは満面の笑みで、ユウは優しい微笑みで、次はいつこのベルが来客を知らせてくれるのだろうかと、心待ちにしている。
 ――ここは喫茶店『小道』
 今日から新しいベルが来客を知らせてくれる。
 おすすめはコーヒー、涼しげなベルの音色をそえて――