表示設定
表示設定
目次 目次




コーヒーと焼き菓子と楽しいひと時と

ー/ー



 開店して間もないある日、『小道』には珍客があった。
 珍客と言うか、客自体が珍しいというのは秘密である。

「客……珍?」

「リン、それなんだか下品に聞こえる……」

 この辺鄙な場所で来客自体が珍しいのは事実だが、
 それを口に出されるとユウは苦笑するしかない。

 店に入ってきたのは、厚手のローブに深いフードを被った男だった。
 背が高く、ユウよりも頭ひとつ分は大きい。
 見上げてもフードの奥はよく見えない。

「やぁ、この雰囲気。いいね!」

 店に入るなり、男は親指を立てて満足そうに声を上げる。

「い、いらっしゃいませ。何にされますか?」

「えっと、メニューは?」

「あ……」

 ユウは、すっかり「メニューを作る」という概念を忘れていたことに気付いた。
 客が来ないので、指摘されるまでその存在すら飛んでいたのだ。

「あはは……えっと、コーヒー……ですかね?」

「何で客に聞くのかなぁ」

 お盆で口を隠しながら照れ笑いするユウ。

「それで? コーヒーの他には?」

 その声色には不満の色はなく、むしろ何か楽しいことでも見つけたように弾んでいた。


「ええと……」


 ユウは天井へと視線だけを逃がす。

 すると、男の隣に控えていた小さなウェイトレス――リンが
 メモ帳を胸の前に掲げて、淡々と告げた。


「ロコモコパン、フィナンシェ、ベリーケーキ」

「……となっております」

 視線をそらしながらリンの言葉に頷いて続けた。

「ほほぉ、どれも美味しそうだねぇ、おすすめは?」

 フードの男は嬉しそうな声色で、小さなウェイトレスに尋ねる。

「お腹すいてる、なら、ロコモコパン。甘いの苦手、は、フィナンシェ」

「ふむ、それじゃあ、コーヒーとフィナンシェをもらおうかな」

「かしこまり、まし」

 リンはさらさらと注文を書き付けると、小走りにユウのもとへ駆け寄る。

「オーダー、コーヒー、フィナンシェ、いじょ」

「うん、よく出来ました」

 誤字もない綺麗な字。
 ユウは嬉しくて、ついリンの頭をなでる。

「子供じゃないよ!」

 けれど、どこか誇らしげで、口元が緩んでいた。

 *

「お客さんは、どこからいらっしゃったんですか?」

 コーヒーとフィナンシェを載せた皿を、男の目の前にそっと並べた。

 表情は見えないが、嬉々とした気配が伝わってきて、ユウも思わず笑顔になる。


「おほう、このコーヒー絶品だねぇ!」

 男は演説でも始めるように声を高くし、
 カップを掲げながら熱っぽく語り出した。

「僕は所謂根無し草でね、特にどこからってこともないんだけど、あえて言うなら南の方かなぁ。
 色んなところに行ってるけど、こんなに美味しいコーヒーは初めてだよ!」

「ありがとうございます、コーヒーにはちょっと自信があるんですよー」

 コーヒーを褒められてうれしかったのか、ユウの笑顔がぱぁっと花開く。

「南といえば、コーヒーを甘くして飲むのが主流ですよね?
 ミルクや砂糖をたくさん入れたりして。酸味の強い豆が特産だから――」

「よく知っているねぇ、行ったことが?」

「はい、えーっと、前の仕事が方々に行かなきゃいけない仕事で」

「若いのにすごいねぇ」

 そうして、すっとコーヒーを口に含む。その所作は、なんだか優雅で、上品なものに感じられた。

「そう、これ、この苦味こそコーヒーって感じがしてね。時に酸味が強かったり、苦味が強かったり。酸味も好きだし、ミルクや砂糖と混ざってマイルドになった苦味もいいけれど、やはり、コーヒーそのものって感じの苦味が僕は好きだねぇ」

 大げさにカップを持った手を大きく広げたかと思うと、慎重に且つ大胆に、そのカップを口元へと運んでいき、飲み干してしまった。

「そして、このコーヒーは――ほどよい苦味、控えめな酸味。丁寧に挽かれた豆は、刺すような苦味ではなくて、口の中をまるでマッサージしてくれるような刺激に落ち着いている苦味。まさに絶妙!」

「はぁ……」

 あまりに大げさな身振り手振りに、ユウは少し呆気にとられていたが、ともあれ自分の淹れたコーヒーを気に入ってくれたのは間違いなくて、しかもあまりに大げさに褒めてくれるものだから、次の瞬間には照れてしまっていた。

「そして、このフィナンシェ! 実にこのコーヒーに合う! アーモンドプードルを少し多めに使って、砂糖は控えめ、焦がしバターの作り方はまさに懇切丁寧! コーヒーの香りと苦味に、フィナンシェの香ばしさがマッチして、いくらでも口に入りそうになる!」

 その言葉に、今度はリンが反応する。表情こそ変わらないように見えるが、頬が少し赤くなっているのが見て取れた。

「これは、この子が作ったんですよー」

「ほう! ほう! すばらしいな!」


 男は無表情――に見える――な小さなウェイトレスに視線を移すと、またも大げさな口ぶりと手振りで絶賛した。


「ふつう」

 そういうリンの顔はいよいよ真っ赤になりそうになっていた。

 *

「いやぁ、いい時間をすごさせてもらったよ。ありがとう。」

 しばらくして、フードの客は立ち上がると、金貨を一枚カウンターの上に置いた。

「えっ? あの、お客様、それは多すぎますよぅ」

「へ? いやお釣――」

「ふぁっ!?」

 よく見る光景だったし、話の流れとか、さらには自分も昔は普通にやっていた事だったのだが、大きな勘違いだった事に気づいて、ユウは見る見る顔を真っ赤に染めてしまう。

「す、す、すみません。えっと、御代は――」

 あわあわと、慌てているユウを見て、フードの男は思わず噴出してしまった。

「あははは、ごめんごめん、冗談だよ。これは楽しませてもらったお礼だからね、大丈夫だよ、受け取ってくれるね?」

 フードの奥でにやりと笑う気配がしたが、不思議と嫌な感じは全くない。
 それでも、ユウの耳に宿った熱は、しばらく消える気配はなかった。

「立地もいい、自然の中に溶け込むようで、それでもここにあるという雰囲気、何よりコーヒーがおいしい。また来るよ」

 フードの客はそういい残して店を後にしていった。

「楽しいお客さんだったね」

「ん」

 フードの客はにぎやかで、ユウのコーヒーやリンのお菓子をべた褒めしまくって、まるで嵐のように去っていったが、何だか二人は心地よさを感じていた。

「お客さんも、楽しんでくれてたみたいだし」

 自分達が味わった楽しさ、心地よさをあのフードの客も味わってくれてたらいいな、とユウはそう思う。

 楽しい時間はあっという間に過ぎていくし、楽しければ楽しいほど、別れはさびしくなるし、名残惜しくもなる。

 しかし、なんだかあのフードの客は心地よさだけを残して去っていった。

「また来てくれるといいね?」

「うん」

 ユウの笑顔に、珍しくリンもふっと笑った。



 ――世界の片隅、山と森の狭間にある喫茶店『小道』


 そこにはとびきり笑顔の店主と、小さなウェイトレスがいる。


 おすすめはコーヒー。お茶請けには、小さなパティシエの作った焼き菓子を添えて――


次のエピソードへ進む それがやってきた日の事


みんなのリアクション

 開店して間もないある日、『小道』には珍客があった。
 珍客と言うか、客自体が珍しいというのは秘密である。
「客……珍?」
「リン、それなんだか下品に聞こえる……」
 この辺鄙な場所で来客自体が珍しいのは事実だが、
 それを口に出されるとユウは苦笑するしかない。
 店に入ってきたのは、厚手のローブに深いフードを被った男だった。
 背が高く、ユウよりも頭ひとつ分は大きい。
 見上げてもフードの奥はよく見えない。
「やぁ、この雰囲気。いいね!」
 店に入るなり、男は親指を立てて満足そうに声を上げる。
「い、いらっしゃいませ。何にされますか?」
「えっと、メニューは?」
「あ……」
 ユウは、すっかり「メニューを作る」という概念を忘れていたことに気付いた。
 客が来ないので、指摘されるまでその存在すら飛んでいたのだ。
「あはは……えっと、コーヒー……ですかね?」
「何で客に聞くのかなぁ」
 お盆で口を隠しながら照れ笑いするユウ。
「それで? コーヒーの他には?」
 その声色には不満の色はなく、むしろ何か楽しいことでも見つけたように弾んでいた。
「ええと……」
 ユウは天井へと視線だけを逃がす。
 すると、男の隣に控えていた小さなウェイトレス――リンが
 メモ帳を胸の前に掲げて、淡々と告げた。
「ロコモコパン、フィナンシェ、ベリーケーキ」
「……となっております」
 視線をそらしながらリンの言葉に頷いて続けた。
「ほほぉ、どれも美味しそうだねぇ、おすすめは?」
 フードの男は嬉しそうな声色で、小さなウェイトレスに尋ねる。
「お腹すいてる、なら、ロコモコパン。甘いの苦手、は、フィナンシェ」
「ふむ、それじゃあ、コーヒーとフィナンシェをもらおうかな」
「かしこまり、まし」
 リンはさらさらと注文を書き付けると、小走りにユウのもとへ駆け寄る。
「オーダー、コーヒー、フィナンシェ、いじょ」
「うん、よく出来ました」
 誤字もない綺麗な字。
 ユウは嬉しくて、ついリンの頭をなでる。
「子供じゃないよ!」
 けれど、どこか誇らしげで、口元が緩んでいた。
 *
「お客さんは、どこからいらっしゃったんですか?」
 コーヒーとフィナンシェを載せた皿を、男の目の前にそっと並べた。
 表情は見えないが、嬉々とした気配が伝わってきて、ユウも思わず笑顔になる。
「おほう、このコーヒー絶品だねぇ!」
 男は演説でも始めるように声を高くし、
 カップを掲げながら熱っぽく語り出した。
「僕は所謂根無し草でね、特にどこからってこともないんだけど、あえて言うなら南の方かなぁ。
 色んなところに行ってるけど、こんなに美味しいコーヒーは初めてだよ!」
「ありがとうございます、コーヒーにはちょっと自信があるんですよー」
 コーヒーを褒められてうれしかったのか、ユウの笑顔がぱぁっと花開く。
「南といえば、コーヒーを甘くして飲むのが主流ですよね?
 ミルクや砂糖をたくさん入れたりして。酸味の強い豆が特産だから――」
「よく知っているねぇ、行ったことが?」
「はい、えーっと、前の仕事が方々に行かなきゃいけない仕事で」
「若いのにすごいねぇ」
 そうして、すっとコーヒーを口に含む。その所作は、なんだか優雅で、上品なものに感じられた。
「そう、これ、この苦味こそコーヒーって感じがしてね。時に酸味が強かったり、苦味が強かったり。酸味も好きだし、ミルクや砂糖と混ざってマイルドになった苦味もいいけれど、やはり、コーヒーそのものって感じの苦味が僕は好きだねぇ」
 大げさにカップを持った手を大きく広げたかと思うと、慎重に且つ大胆に、そのカップを口元へと運んでいき、飲み干してしまった。
「そして、このコーヒーは――ほどよい苦味、控えめな酸味。丁寧に挽かれた豆は、刺すような苦味ではなくて、口の中をまるでマッサージしてくれるような刺激に落ち着いている苦味。まさに絶妙!」
「はぁ……」
 あまりに大げさな身振り手振りに、ユウは少し呆気にとられていたが、ともあれ自分の淹れたコーヒーを気に入ってくれたのは間違いなくて、しかもあまりに大げさに褒めてくれるものだから、次の瞬間には照れてしまっていた。
「そして、このフィナンシェ! 実にこのコーヒーに合う! アーモンドプードルを少し多めに使って、砂糖は控えめ、焦がしバターの作り方はまさに懇切丁寧! コーヒーの香りと苦味に、フィナンシェの香ばしさがマッチして、いくらでも口に入りそうになる!」
 その言葉に、今度はリンが反応する。表情こそ変わらないように見えるが、頬が少し赤くなっているのが見て取れた。
「これは、この子が作ったんですよー」
「ほう! ほう! すばらしいな!」
 男は無表情――に見える――な小さなウェイトレスに視線を移すと、またも大げさな口ぶりと手振りで絶賛した。
「ふつう」
 そういうリンの顔はいよいよ真っ赤になりそうになっていた。
 *
「いやぁ、いい時間をすごさせてもらったよ。ありがとう。」
 しばらくして、フードの客は立ち上がると、金貨を一枚カウンターの上に置いた。
「えっ? あの、お客様、それは多すぎますよぅ」
「へ? いやお釣――」
「ふぁっ!?」
 よく見る光景だったし、話の流れとか、さらには自分も昔は普通にやっていた事だったのだが、大きな勘違いだった事に気づいて、ユウは見る見る顔を真っ赤に染めてしまう。
「す、す、すみません。えっと、御代は――」
 あわあわと、慌てているユウを見て、フードの男は思わず噴出してしまった。
「あははは、ごめんごめん、冗談だよ。これは楽しませてもらったお礼だからね、大丈夫だよ、受け取ってくれるね?」
 フードの奥でにやりと笑う気配がしたが、不思議と嫌な感じは全くない。
 それでも、ユウの耳に宿った熱は、しばらく消える気配はなかった。
「立地もいい、自然の中に溶け込むようで、それでもここにあるという雰囲気、何よりコーヒーがおいしい。また来るよ」
 フードの客はそういい残して店を後にしていった。
「楽しいお客さんだったね」
「ん」
 フードの客はにぎやかで、ユウのコーヒーやリンのお菓子をべた褒めしまくって、まるで嵐のように去っていったが、何だか二人は心地よさを感じていた。
「お客さんも、楽しんでくれてたみたいだし」
 自分達が味わった楽しさ、心地よさをあのフードの客も味わってくれてたらいいな、とユウはそう思う。
 楽しい時間はあっという間に過ぎていくし、楽しければ楽しいほど、別れはさびしくなるし、名残惜しくもなる。
 しかし、なんだかあのフードの客は心地よさだけを残して去っていった。
「また来てくれるといいね?」
「うん」
 ユウの笑顔に、珍しくリンもふっと笑った。
 ――世界の片隅、山と森の狭間にある喫茶店『小道』
 そこにはとびきり笑顔の店主と、小さなウェイトレスがいる。
 おすすめはコーヒー。お茶請けには、小さなパティシエの作った焼き菓子を添えて――