第3話 忘却の閃光、あるいは星間戦争の歴史
ー/ー教室の床には、まだ赤い粒子が漂っていた。 俺、七夕 双は、膝をついたまま動けずにいた。
腕の中には、もう何もない。 三島ユナの頭部は、俺が抱きしめている間に、さらさらと赤い砂のようなデータとなって崩れ落ち、空気に溶けて消えてしまった。 残ったのは、制服に染み付いた温もりと、圧倒的な喪失感だけ。
「……ごめんなさい」
静寂を破ったのは、凛とした声ではなく、沈痛な響きを含んだ謝罪だった。 赤い髪の少女――スカーレットが、俺の前に片膝をつき、視線の高さを合わせていた。 先ほどまでの冷徹な「処刑人」の顔はどこにもない。そこにあるのは、任務の不手際を悔やむ、一人の少女の顔だった。
「到着が、あと30秒早ければ。……私たちのミスよ」 「戻ら……ないん、ですか」
俺は掠れた声で聞いた。 スカーレットは首を横に振った。
「バグに『捕食』されたデータは、復元できない。彼女は……完全に消滅したわ」
その言葉が、俺の最後の希望を断ち切った。 生き返らない。奇跡なんてない。 俺の青春も、日常も、彼女の命と一緒にこの赤い霧の中に消えてしまったのだ。
「う、うぅ……あああぁぁぁ……ッ!」
俺は子供のように泣きじゃくった。何もない空間を抱きしめ、嗚咽を漏らし続けた。 スカーレットは何も言わず、ただ静かに俺の慟哭が終わるのを待っていた。
数分後。 廊下から、足音が響いた。 現れたのは、全員が同じ黒いスーツに身を包み、黒いサングラスをかけた集団だった。 彼らは無言で入室すると、機械的な手つきで、床に散らばった生徒たちの「遺品(データ残骸)」にスプレーのようなものを噴射していく。 痕跡が消えていく。血も、肉片も、彼らが生きていた証拠も、すべて。
「隠蔽……するんですか」 「ええ。一般人がこの事実を知れば、世界はパニックになる。……七夕くん、目を閉じて」
スカーレットが鋭く言った。 彼女もまた、胸元からサングラスを取り出してかけた。 黒服の一人が、教室の中央に立ち、金属の棒状のデバイスを高く掲げる。 先端が、キュィィィン……と高音を立ててチャージを開始した。
「プロトコル・オブリビオン。対象範囲、半径500メートル。記憶データの『上書き』を開始する」
黒服の無機質な声。 俺は強く目を閉じた。
カッッッ!!!!!!!
瞼越しでもわかるほどの、強烈な閃光が炸裂した。 音はない。ただ、白い光が世界を塗りつぶしたような感覚。
「……これで終わりよ」
スカーレットの声がして、俺は恐る恐る目を開けた。 教室は、綺麗だった。 赤い粒子も、戦闘の跡も、壊れた壁も、すべてが元通りになっていた。 ただ、生徒たちだけがいない。 彼らは「最初からいなかった」ことになったのだ。転校したのか、あるいは集団失踪というニュースになるのか。どちらにせよ、彼らの死の記憶を持っているのは、世界で俺だけになってしまった。
「行きましょう。ここはもう、『日常』に戻ったわ」
スカーレットに腕を引かれ、俺は亡霊のように教室を後にした。
***
学校の裏門には、見たこともない黒塗りの高級車が止まっていた。 タイヤがない。地面から数センチ浮いているように見えるその車体は、滑らかな流線型を描いている。
「乗って。……今のあなたの精神状態じゃ、少しきついかもしれないけれど」
促されるまま後部座席に乗り込む。 車内は広かった。向かい合わせの革張りシート。窓の外はスモークがかかっている。 ドアが閉まると、外界の音が完全に遮断された。
「発進。ゲートへ向かって」
スカーレットが虚空に命令すると、車体に重力がかかった。 浮遊感。 次の瞬間、窓の外の景色が一変した。 見慣れた通学路がぐにゃりと歪み、光のラインとなって後方へ流れていく。 車は、現実の空間を切り裂いて作られた「次元トンネル」の中を、猛スピードで疾走し始めたのだ。
流れる虹色の光の中、俺はシートの隅で膝を抱えていた。 スカーレットは対面に座り、タブレット端末のような透明な板を操作している。 彼女はため息をつくと、サイドテーブルから冷たいミネラルウォーターを取り出し、俺に差し出した。
「飲みなさい。……泣いて、水分が抜けてるわ」 「……ありがとうございます」
一口飲むと、冷たさが焼けるような胃袋を少しだけ鎮めてくれた。 でも、腹の奥にある「黒い異物」の熱さは消えない。
「落ち着いた?」 「……わかりません。何もかも、現実味がなくて」
俺は窓の外、目まぐるしく変わる次元の断層を見つめた。
「俺は、どこに連れて行かれるんですか」 「私たちの拠点。『アカデミー』よ。……この次元回廊を使っても、あと30分はかかるわ」
スカーレットは足を組み直し、俺をまっすぐに見据えた。 その真紅の瞳は、感情を排した説明者の色を帯びていた。
「移動の間に、少し話をしましょう。あなたが『食べて』しまった世界の秘密について」
彼女が指を弾くと、車内の空間にホログラムが展開された。 浮かび上がったのは、巨大な宇宙と、青い地球。
「単刀直入に聞くわね、七夕くん。……あなたは、『宇宙人』なんていると思う?」
唐突な質問だった。 さっきまで友人の死に直面していたのに、話題が飛躍しすぎている。 でも、俺は今日の出来事を思い出した。あの異形。機械と生物が混ざったような化け物。
「……さっきのあれが、宇宙人だって言うんですか」 「正解。でも、私たちは奴らを『バグ』と呼んでいるわ」
スカーレットがウィンドウに触れると、映像が切り替わった。 ピラミッド。スフィンクス。そして、空から降り注ぐ幾何学的な光の船。
「この世界の歴史は、教科書に載っているものとは少し違うの。はるか昔――エジプト文明の頃まで遡るわ」 「エジプト……?」 「そう。あの時代、地球は一度、奴ら『バグ』の侵攻を受けた。奴らは有機生命体でありながら、デジタル信号で肉体を構成する高次元の存在。当時の人類の武器なんて、石ころ同然だった」
映像の中で、古代の人々が光線に焼かれ、逃げ惑う姿が描かれる。 それは、さっきの教室の光景と重なった。人間が、ただのデータとして消されていく理不尽。
「人類は絶滅寸前まで追い込まれた。でも、そこに奇跡が起きたの。バグのテクノロジーに適応し、その力を自らのものとして覚醒させた人間が現れた」
画面に、杖を持った神官のような男が、雷のような力を放ってバグを撃ち落とす様子が映る。
「魔法、超能力、奇跡。呼び方は何でもいい。とにかく、人類は『異能』を手に入れ、バグと対等に渡り合った。戦争は泥沼化し、お互いに消耗しきった結果……一つの『協定』が結ばれた」
「協定……」 「不可侵条約よ。奴らは地球から手を引き、人類は奴らの領域を侵さない。私たちは薄氷の上の平和を維持してきた。今日まで、ね」
スカーレットの表情が曇った。 彼女は手元の端末を操作し、今度は真っ赤な惑星のホログラムを空間に投影した。
「でも最近、バグ側の世界情勢が変わったの。革命が起きたのよ」 「革命?」 「ええ。地球との共存を望む『穏健派』が、過激派のクーデターによって解体された。新たな支配者となった『バグ王』は、全宇宙への侵略を宣言した。次々と近隣の惑星を領土に変え……そして再び、この地球に目をつけた」
車は、光のトンネルを抜け、さらに深い闇の空間へと潜っていく。 ワープの加速Gが体にかかるが、不思議と不快ではない。
「でも、だったらなんで……すぐに戦争にならないんですか?」 「『協定』があるからよ。宇宙的な規模の誓約は、バグ王といえども簡単には破れない。だから奴らは、搦め手を使ってきた」
スカーレットの声が低くなる。
「奴らはスパイを送り込んだ。そして、地球側の代表である大使の一人を精神支配し、内部から結界を解かせようとしたの」 「それじゃあ……」 「ええ、戦争目前だった。……でも、それに気づいた一人の『男』がいたわ」
男。 俺の脳裏に、あの雨の路地裏で出会った、ボロボロのスーツの男の顔が浮かんだ。
「その男は、私たちの組織のエージェントだった。彼は孤立無援の中でバグのアジトに潜入し、奴らが戦争を起こすために必要な『あるもの』を盗み出した」
スカーレットが、俺の腹部を指差した。
「それが、『シード(種子)』」 「シード……あの、黒い塊のことか?」 「そう。それはバグの世界を統御するためのマスターキーであり、同時に莫大なエネルギーの結晶体。奴らにとっては心臓のようなものよ。それを奪われたバグ王は激怒し、追手を放った」
すべての点が、線で繋がっていく。 なぜ男が追われていたのか。なぜ俺にそれを託したのか。
「あの男は……自分じゃ逃げきれないと悟って、通りすがりのあなたに『シード』を隠した。いっそ殺して奪われないように、あなたの生体エネルギーと融合させる形でね」
スカーレットはため息をついた。
「無茶苦茶な賭けよ。普通の人間にシードを埋め込んだら、数秒で肉体が崩壊して死ぬわ。でも、あなたは適合した。生き残ってしまった」 「……」 「調査の結果、あなたの精神構造には特殊な『二重性』が認められた。もしかして、自分の中に『もう一人』がいたりしない?」
リクのことだ。 俺はずっと隠してきた秘密を、この少女にあっさりと言い当てられたことに驚いた。
「……います。リクっていう、もう一人の人格が」 「やっぱりね。二つの魂が負荷を分散させたから、シードに耐えられたのよ」
車窓の外で、光の渦が収束していく。 長いワープの終わりが近づいているようだ。
「七夕くん。シードはあなたの一部になった。取り出せば、あなたは死ぬ。奴らは必ずあなたを殺しに来る。……もう、元の日常には戻れない」
彼女は言った。 残酷な事実を、淡々と。
「戦うしかないのよ。生き残るために」
俺は拳を握りしめた。 三島さんは戻らない。日常は消された。俺の体は爆弾になった。 泣いても叫んでも、もう何も変わらないなら――
「……わかった。行きますよ、そのアカデミーって場所に」
俺が顔を上げると、スカーレットは初めて満足げに微笑んだ。
「いい顔になったわね。……ようこそ、世界修正委員会へ」
車が光の出口を抜けた。 視界いっぱいに広がったのは、地球上のどこにも存在しないはずの、巨大な「隠された世界」だった。
腕の中には、もう何もない。 三島ユナの頭部は、俺が抱きしめている間に、さらさらと赤い砂のようなデータとなって崩れ落ち、空気に溶けて消えてしまった。 残ったのは、制服に染み付いた温もりと、圧倒的な喪失感だけ。
「……ごめんなさい」
静寂を破ったのは、凛とした声ではなく、沈痛な響きを含んだ謝罪だった。 赤い髪の少女――スカーレットが、俺の前に片膝をつき、視線の高さを合わせていた。 先ほどまでの冷徹な「処刑人」の顔はどこにもない。そこにあるのは、任務の不手際を悔やむ、一人の少女の顔だった。
「到着が、あと30秒早ければ。……私たちのミスよ」 「戻ら……ないん、ですか」
俺は掠れた声で聞いた。 スカーレットは首を横に振った。
「バグに『捕食』されたデータは、復元できない。彼女は……完全に消滅したわ」
その言葉が、俺の最後の希望を断ち切った。 生き返らない。奇跡なんてない。 俺の青春も、日常も、彼女の命と一緒にこの赤い霧の中に消えてしまったのだ。
「う、うぅ……あああぁぁぁ……ッ!」
俺は子供のように泣きじゃくった。何もない空間を抱きしめ、嗚咽を漏らし続けた。 スカーレットは何も言わず、ただ静かに俺の慟哭が終わるのを待っていた。
数分後。 廊下から、足音が響いた。 現れたのは、全員が同じ黒いスーツに身を包み、黒いサングラスをかけた集団だった。 彼らは無言で入室すると、機械的な手つきで、床に散らばった生徒たちの「遺品(データ残骸)」にスプレーのようなものを噴射していく。 痕跡が消えていく。血も、肉片も、彼らが生きていた証拠も、すべて。
「隠蔽……するんですか」 「ええ。一般人がこの事実を知れば、世界はパニックになる。……七夕くん、目を閉じて」
スカーレットが鋭く言った。 彼女もまた、胸元からサングラスを取り出してかけた。 黒服の一人が、教室の中央に立ち、金属の棒状のデバイスを高く掲げる。 先端が、キュィィィン……と高音を立ててチャージを開始した。
「プロトコル・オブリビオン。対象範囲、半径500メートル。記憶データの『上書き』を開始する」
黒服の無機質な声。 俺は強く目を閉じた。
カッッッ!!!!!!!
瞼越しでもわかるほどの、強烈な閃光が炸裂した。 音はない。ただ、白い光が世界を塗りつぶしたような感覚。
「……これで終わりよ」
スカーレットの声がして、俺は恐る恐る目を開けた。 教室は、綺麗だった。 赤い粒子も、戦闘の跡も、壊れた壁も、すべてが元通りになっていた。 ただ、生徒たちだけがいない。 彼らは「最初からいなかった」ことになったのだ。転校したのか、あるいは集団失踪というニュースになるのか。どちらにせよ、彼らの死の記憶を持っているのは、世界で俺だけになってしまった。
「行きましょう。ここはもう、『日常』に戻ったわ」
スカーレットに腕を引かれ、俺は亡霊のように教室を後にした。
***
学校の裏門には、見たこともない黒塗りの高級車が止まっていた。 タイヤがない。地面から数センチ浮いているように見えるその車体は、滑らかな流線型を描いている。
「乗って。……今のあなたの精神状態じゃ、少しきついかもしれないけれど」
促されるまま後部座席に乗り込む。 車内は広かった。向かい合わせの革張りシート。窓の外はスモークがかかっている。 ドアが閉まると、外界の音が完全に遮断された。
「発進。ゲートへ向かって」
スカーレットが虚空に命令すると、車体に重力がかかった。 浮遊感。 次の瞬間、窓の外の景色が一変した。 見慣れた通学路がぐにゃりと歪み、光のラインとなって後方へ流れていく。 車は、現実の空間を切り裂いて作られた「次元トンネル」の中を、猛スピードで疾走し始めたのだ。
流れる虹色の光の中、俺はシートの隅で膝を抱えていた。 スカーレットは対面に座り、タブレット端末のような透明な板を操作している。 彼女はため息をつくと、サイドテーブルから冷たいミネラルウォーターを取り出し、俺に差し出した。
「飲みなさい。……泣いて、水分が抜けてるわ」 「……ありがとうございます」
一口飲むと、冷たさが焼けるような胃袋を少しだけ鎮めてくれた。 でも、腹の奥にある「黒い異物」の熱さは消えない。
「落ち着いた?」 「……わかりません。何もかも、現実味がなくて」
俺は窓の外、目まぐるしく変わる次元の断層を見つめた。
「俺は、どこに連れて行かれるんですか」 「私たちの拠点。『アカデミー』よ。……この次元回廊を使っても、あと30分はかかるわ」
スカーレットは足を組み直し、俺をまっすぐに見据えた。 その真紅の瞳は、感情を排した説明者の色を帯びていた。
「移動の間に、少し話をしましょう。あなたが『食べて』しまった世界の秘密について」
彼女が指を弾くと、車内の空間にホログラムが展開された。 浮かび上がったのは、巨大な宇宙と、青い地球。
「単刀直入に聞くわね、七夕くん。……あなたは、『宇宙人』なんていると思う?」
唐突な質問だった。 さっきまで友人の死に直面していたのに、話題が飛躍しすぎている。 でも、俺は今日の出来事を思い出した。あの異形。機械と生物が混ざったような化け物。
「……さっきのあれが、宇宙人だって言うんですか」 「正解。でも、私たちは奴らを『バグ』と呼んでいるわ」
スカーレットがウィンドウに触れると、映像が切り替わった。 ピラミッド。スフィンクス。そして、空から降り注ぐ幾何学的な光の船。
「この世界の歴史は、教科書に載っているものとは少し違うの。はるか昔――エジプト文明の頃まで遡るわ」 「エジプト……?」 「そう。あの時代、地球は一度、奴ら『バグ』の侵攻を受けた。奴らは有機生命体でありながら、デジタル信号で肉体を構成する高次元の存在。当時の人類の武器なんて、石ころ同然だった」
映像の中で、古代の人々が光線に焼かれ、逃げ惑う姿が描かれる。 それは、さっきの教室の光景と重なった。人間が、ただのデータとして消されていく理不尽。
「人類は絶滅寸前まで追い込まれた。でも、そこに奇跡が起きたの。バグのテクノロジーに適応し、その力を自らのものとして覚醒させた人間が現れた」
画面に、杖を持った神官のような男が、雷のような力を放ってバグを撃ち落とす様子が映る。
「魔法、超能力、奇跡。呼び方は何でもいい。とにかく、人類は『異能』を手に入れ、バグと対等に渡り合った。戦争は泥沼化し、お互いに消耗しきった結果……一つの『協定』が結ばれた」
「協定……」 「不可侵条約よ。奴らは地球から手を引き、人類は奴らの領域を侵さない。私たちは薄氷の上の平和を維持してきた。今日まで、ね」
スカーレットの表情が曇った。 彼女は手元の端末を操作し、今度は真っ赤な惑星のホログラムを空間に投影した。
「でも最近、バグ側の世界情勢が変わったの。革命が起きたのよ」 「革命?」 「ええ。地球との共存を望む『穏健派』が、過激派のクーデターによって解体された。新たな支配者となった『バグ王』は、全宇宙への侵略を宣言した。次々と近隣の惑星を領土に変え……そして再び、この地球に目をつけた」
車は、光のトンネルを抜け、さらに深い闇の空間へと潜っていく。 ワープの加速Gが体にかかるが、不思議と不快ではない。
「でも、だったらなんで……すぐに戦争にならないんですか?」 「『協定』があるからよ。宇宙的な規模の誓約は、バグ王といえども簡単には破れない。だから奴らは、搦め手を使ってきた」
スカーレットの声が低くなる。
「奴らはスパイを送り込んだ。そして、地球側の代表である大使の一人を精神支配し、内部から結界を解かせようとしたの」 「それじゃあ……」 「ええ、戦争目前だった。……でも、それに気づいた一人の『男』がいたわ」
男。 俺の脳裏に、あの雨の路地裏で出会った、ボロボロのスーツの男の顔が浮かんだ。
「その男は、私たちの組織のエージェントだった。彼は孤立無援の中でバグのアジトに潜入し、奴らが戦争を起こすために必要な『あるもの』を盗み出した」
スカーレットが、俺の腹部を指差した。
「それが、『シード(種子)』」 「シード……あの、黒い塊のことか?」 「そう。それはバグの世界を統御するためのマスターキーであり、同時に莫大なエネルギーの結晶体。奴らにとっては心臓のようなものよ。それを奪われたバグ王は激怒し、追手を放った」
すべての点が、線で繋がっていく。 なぜ男が追われていたのか。なぜ俺にそれを託したのか。
「あの男は……自分じゃ逃げきれないと悟って、通りすがりのあなたに『シード』を隠した。いっそ殺して奪われないように、あなたの生体エネルギーと融合させる形でね」
スカーレットはため息をついた。
「無茶苦茶な賭けよ。普通の人間にシードを埋め込んだら、数秒で肉体が崩壊して死ぬわ。でも、あなたは適合した。生き残ってしまった」 「……」 「調査の結果、あなたの精神構造には特殊な『二重性』が認められた。もしかして、自分の中に『もう一人』がいたりしない?」
リクのことだ。 俺はずっと隠してきた秘密を、この少女にあっさりと言い当てられたことに驚いた。
「……います。リクっていう、もう一人の人格が」 「やっぱりね。二つの魂が負荷を分散させたから、シードに耐えられたのよ」
車窓の外で、光の渦が収束していく。 長いワープの終わりが近づいているようだ。
「七夕くん。シードはあなたの一部になった。取り出せば、あなたは死ぬ。奴らは必ずあなたを殺しに来る。……もう、元の日常には戻れない」
彼女は言った。 残酷な事実を、淡々と。
「戦うしかないのよ。生き残るために」
俺は拳を握りしめた。 三島さんは戻らない。日常は消された。俺の体は爆弾になった。 泣いても叫んでも、もう何も変わらないなら――
「……わかった。行きますよ、そのアカデミーって場所に」
俺が顔を上げると、スカーレットは初めて満足げに微笑んだ。
「いい顔になったわね。……ようこそ、世界修正委員会へ」
車が光の出口を抜けた。 視界いっぱいに広がったのは、地球上のどこにも存在しないはずの、巨大な「隠された世界」だった。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
教室の床には、まだ赤い粒子が漂っていた。 俺、七夕 双《たなばた そう》は、膝をついたまま動けずにいた。
腕の中には、もう何もない。 三島ユナの頭部は、俺が抱きしめている間に、さらさらと赤い砂のようなデータとなって崩れ落ち、空気に溶けて消えてしまった。 残ったのは、制服に染み付いた温もりと、圧倒的な喪失感だけ。
「……ごめんなさい」
静寂を破ったのは、凛とした声ではなく、沈痛な響きを含んだ謝罪だった。 赤い髪の少女――スカーレットが、俺の前に片膝をつき、視線の高さを合わせていた。 先ほどまでの冷徹な「処刑人」の顔はどこにもない。そこにあるのは、任務の不手際を悔やむ、一人の少女の顔だった。
「到着が、あと30秒早ければ。……私たちのミスよ」 「戻ら……ないん、ですか」
俺は掠れた声で聞いた。 スカーレットは首を横に振った。
「バグに『捕食』されたデータは、復元できない。彼女は……完全に消滅《ロスト》したわ」
その言葉が、俺の最後の希望を断ち切った。 生き返らない。奇跡なんてない。 俺の青春も、日常も、彼女の命と一緒にこの赤い霧の中に消えてしまったのだ。
「う、うぅ……あああぁぁぁ……ッ!」
俺は子供のように泣きじゃくった。何もない空間を抱きしめ、嗚咽を漏らし続けた。 スカーレットは何も言わず、ただ静かに俺の慟哭が終わるのを待っていた。
数分後。 廊下から、足音が響いた。 現れたのは、全員が同じ黒いスーツに身を包み、黒いサングラスをかけた集団だった。 彼らは無言で入室すると、機械的な手つきで、床に散らばった生徒たちの「遺品(データ残骸)」にスプレーのようなものを噴射していく。 痕跡が消えていく。血も、肉片も、彼らが生きていた証拠も、すべて。
「隠蔽……するんですか」 「ええ。一般人がこの事実を知れば、世界はパニックになる。……七夕くん、目を閉じて」
スカーレットが鋭く言った。 彼女もまた、胸元からサングラスを取り出してかけた。 黒服の一人が、教室の中央に立ち、金属の棒状のデバイスを高く掲げる。 先端が、キュィィィン……と高音を立ててチャージを開始した。
「プロトコル・オブリビオン。対象範囲、半径500メートル。記憶データの『上書き』を開始する」
黒服の無機質な声。 俺は強く目を閉じた。
カッッッ!!!!!!!
瞼越しでもわかるほどの、強烈な閃光が炸裂した。 音はない。ただ、白い光が世界を塗りつぶしたような感覚。
「……これで終わりよ」
スカーレットの声がして、俺は恐る恐る目を開けた。 教室は、綺麗だった。 赤い粒子も、戦闘の跡も、壊れた壁も、すべてが元通りになっていた。 ただ、生徒たちだけがいない。 彼らは「最初からいなかった」ことになったのだ。転校したのか、あるいは集団失踪というニュースになるのか。どちらにせよ、彼らの死の記憶を持っているのは、世界で俺だけになってしまった。
「行きましょう。ここはもう、『日常』に戻ったわ」
スカーレットに腕を引かれ、俺は亡霊のように教室を後にした。
***
学校の裏門には、見たこともない黒塗りの高級車が止まっていた。 タイヤがない。地面から数センチ浮いているように見えるその車体は、滑らかな流線型を描いている。
「乗って。……今のあなたの精神状態《メンタル》じゃ、少しきついかもしれないけれど」
促されるまま後部座席に乗り込む。 車内は広かった。向かい合わせの革張りシート。窓の外はスモークがかかっている。 ドアが閉まると、外界の音が完全に遮断された。
「発進。ゲートへ向かって」
スカーレットが虚空に命令すると、車体に重力がかかった。 浮遊感。 次の瞬間、窓の外の景色が一変した。 見慣れた通学路がぐにゃりと歪み、光のラインとなって後方へ流れていく。 車は、現実の空間を切り裂いて作られた「次元トンネル」の中を、猛スピードで疾走し始めたのだ。
流れる虹色の光の中、俺はシートの隅で膝を抱えていた。 スカーレットは対面に座り、タブレット端末のような透明な板を操作している。 彼女はため息をつくと、サイドテーブルから冷たいミネラルウォーターを取り出し、俺に差し出した。
「飲みなさい。……泣いて、水分が抜けてるわ」 「……ありがとうございます」
一口飲むと、冷たさが焼けるような胃袋を少しだけ鎮めてくれた。 でも、腹の奥にある「黒い異物」の熱さは消えない。
「落ち着いた?」 「……わかりません。何もかも、現実味がなくて」
俺は窓の外、目まぐるしく変わる次元の断層を見つめた。
「俺は、どこに連れて行かれるんですか」 「私たちの拠点。『アカデミー』よ。……この次元回廊《ワープホール》を使っても、あと30分はかかるわ」
スカーレットは足を組み直し、俺をまっすぐに見据えた。 その真紅の瞳は、感情を排した説明者の色を帯びていた。
「移動の間に、少し話をしましょう。あなたが『食べて』しまった世界の秘密について」
彼女が指を弾くと、車内の空間にホログラムが展開された。 浮かび上がったのは、巨大な宇宙と、青い地球。
「単刀直入に聞くわね、七夕くん。……あなたは、『宇宙人』なんていると思う?」
唐突な質問だった。 さっきまで友人の死に直面していたのに、話題が飛躍しすぎている。 でも、俺は今日の出来事を思い出した。あの異形。機械と生物が混ざったような化け物。
「……さっきのあれが、宇宙人だって言うんですか」 「正解。でも、私たちは奴らを『バグ』と呼んでいるわ」
スカーレットがウィンドウに触れると、映像が切り替わった。 ピラミッド。スフィンクス。そして、空から降り注ぐ幾何学的な光の船。
「この世界の歴史は、教科書に載っているものとは少し違うの。はるか昔――エジプト文明の頃まで遡るわ」 「エジプト……?」 「そう。あの時代、地球は一度、奴ら『バグ』の侵攻を受けた。奴らは有機生命体でありながら、デジタル信号で肉体を構成する高次元の存在。当時の人類の武器なんて、石ころ同然だった」
映像の中で、古代の人々が光線に焼かれ、逃げ惑う姿が描かれる。 それは、さっきの教室の光景と重なった。人間が、ただのデータとして消されていく理不尽。
「人類は絶滅寸前まで追い込まれた。でも、そこに奇跡が起きたの。バグのテクノロジーに適応し、その力を自らのものとして覚醒させた人間が現れた」
画面に、杖を持った神官のような男が、雷のような力を放ってバグを撃ち落とす様子が映る。
「魔法、超能力、奇跡。呼び方は何でもいい。とにかく、人類は『異能』を手に入れ、バグと対等に渡り合った。戦争は泥沼化し、お互いに消耗しきった結果……一つの『協定』が結ばれた」
「協定……」 「不可侵条約よ。奴らは地球から手を引き、人類は奴らの領域を侵さない。私たちは薄氷の上の平和を維持してきた。今日まで、ね」
スカーレットの表情が曇った。 彼女は手元の端末を操作し、今度は真っ赤な惑星のホログラムを空間に投影した。
「でも最近、バグ側の世界情勢が変わったの。革命が起きたのよ」 「革命?」 「ええ。地球との共存を望む『穏健派』が、過激派のクーデターによって解体された。新たな支配者となった『バグ王』は、全宇宙への侵略を宣言した。次々と近隣の惑星を領土に変え……そして再び、この地球に目をつけた」
車は、光のトンネルを抜け、さらに深い闇の空間へと潜っていく。 ワープの加速Gが体にかかるが、不思議と不快ではない。
「でも、だったらなんで……すぐに戦争にならないんですか?」 「『協定』があるからよ。宇宙的な規模の誓約《コード》は、バグ王といえども簡単には破れない。だから奴らは、搦め手を使ってきた」
スカーレットの声が低くなる。
「奴らはスパイを送り込んだ。そして、地球側の代表である大使の一人を精神支配《ハッキング》し、内部から結界を解かせようとしたの」 「それじゃあ……」 「ええ、戦争目前だった。……でも、それに気づいた一人の『男』がいたわ」
男。 俺の脳裏に、あの雨の路地裏で出会った、ボロボロのスーツの男の顔が浮かんだ。
「その男は、私たちの組織のエージェントだった。彼は孤立無援の中でバグのアジトに潜入し、奴らが戦争を起こすために必要な『あるもの』を盗み出した」
スカーレットが、俺の腹部を指差した。
「それが、『シード(種子)』」 「シード……あの、黒い塊のことか?」 「そう。それはバグの世界を統御するためのマスターキーであり、同時に莫大なエネルギーの結晶体。奴らにとっては心臓のようなものよ。それを奪われたバグ王は激怒し、追手を放った」
すべての点が、線で繋がっていく。 なぜ男が追われていたのか。なぜ俺にそれを託したのか。
「あの男は……自分じゃ逃げきれないと悟って、通りすがりのあなたに『シード』を隠した。いっそ殺して奪われないように、あなたの生体エネルギーと融合させる形でね」
スカーレットはため息をついた。
「無茶苦茶な賭けよ。普通の人間にシードを埋め込んだら、数秒で肉体が崩壊して死ぬわ。でも、あなたは適合した。生き残ってしまった」 「……」 「調査の結果、あなたの精神構造には特殊な『二重性《デュアル・コア》』が認められた。もしかして、自分の中に『もう一人』がいたりしない?」
リクのことだ。 俺はずっと隠してきた秘密を、この少女にあっさりと言い当てられたことに驚いた。
「……います。リクっていう、もう一人の人格が」 「やっぱりね。二つの魂が負荷を分散させたから、シードに耐えられたのよ」
車窓の外で、光の渦が収束していく。 長いワープの終わりが近づいているようだ。
「七夕くん。シードはあなたの一部になった。取り出せば、あなたは死ぬ。奴らは必ずあなたを殺しに来る。……もう、元の日常には戻れない」
彼女は言った。 残酷な事実を、淡々と。
「戦うしかないのよ。生き残るために」
俺は拳を握りしめた。 三島さんは戻らない。日常は消された。俺の体は爆弾になった。 泣いても叫んでも、もう何も変わらないなら――
「……わかった。行きますよ、そのアカデミーって場所に」
俺が顔を上げると、スカーレットは初めて満足げに微笑んだ。
「いい顔になったわね。……ようこそ、世界修正委員会へ」
車が光の出口を抜けた。 視界いっぱいに広がったのは、地球上のどこにも存在しないはずの、巨大な「隠された世界」だった。