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第1話 日常、ノイズ、そして断頭

ー/ー



胃袋の中で、鉛が溶けているようだった。

「……ぐっ、うぅ……」

 目覚めは最悪だった。  カーテンの隙間から差し込む朝日が、網膜を刺すように眩しい。  俺、七夕 (たなばた そう)は、脂汗にまみれたシーツを握りしめ、身体を「く」の字に曲げて痛みに耐えていた。

『ソウ、大丈夫? 熱がすごいよ』

 脳内で、リクの声が響く。いつもの幼い声だが、そこには明らかな焦りが混じっていた。

「……大丈夫だ。昨日のあれ、夢じゃなかったんだな」 『うん。お腹の中に「ある」。あの黒い人が入れた、ピカピカしたやつ』

 俺はふらつく足取りでベッドから降り、リビングへと向かった。  静かだ。  ダイニングテーブルには、誰の朝食も用意されていない。  両親は3年前、交通事故で他界した。それ以来、この家は俺一人には広すぎる。  仏壇に手を合わせ、線香をあげる。遺影の両親は、今日も変わらない優しい笑顔で俺を見守っているが、今の俺の腹の中にある「爆弾」には気づいていないだろう。

「行かなきゃ……」

 学校へ行く。それが俺に残された唯一の「日常」であり、あの異常な出来事から逃げるための聖域だった。  制服に着替え、痛みを誤魔化すように腹をさすりながら、俺は家を出た。

 ***

 学校までの道のりは、拍子抜けするほどいつも通りだった。  昨日の豪雨が嘘のような快晴。登校中の生徒たちの笑い声。  ただ、俺の腹の鈍痛だけが、昨夜の出来事が現実だったと告げている。

「よう、七夕! なんだよその顔、死人みたいだぞ」

 教室に入った瞬間、背中をバンと叩かれた。  クラスメイトの男子だ。悪気はないのだろうが、今の俺にはその衝撃すら響く。

「……ちょっと、腹痛でさ。昨日の晩飯、当たったかも」 「うわ、マジかよ。保健室行っとけって。顔色真っ青だぞ」

 からかうような、でも心配してくれているような、ありふれた会話。  俺は曖昧に笑って自分の席についた。  教科書を開くフリをして、周囲を観察する。  昨日の「機械の化け物」のニュースなんて、誰も話していない。やはり、あの出来事は公にはなっていないのか。

「おはよ、七夕くん」

 鈴を転がすような声に、俺は弾かれたように顔を上げた。  三島(みしま)ユナ。  クラスの委員長であり、俺が密かに想いを寄せている女子だ。  長い黒髪に、少し茶色がかった瞳。彼女の周りだけ空気が清浄化されているような、そんな清楚な雰囲気を持っている。

「あ、おはよう、三島さん」 「今日は早いね。……あれ? なんか辛そう。大丈夫?」 「え? あ、いや、平気平気! ちょっと寝不足なだけで……」

 好きな女の子に心配された嬉しさと、情けなさで、心臓が跳ねる。  彼女の笑顔。それは俺にとっての救いだった。  この笑顔が見られるなら、腹の中の異物なんてどうでもいい。  そう思えた瞬間だった。

 ドガァッ!!

 教室のドアが乱暴に蹴り開けられた。  一瞬で教室の空気が凍りつく。三島さんの笑顔も強張った。

「あーあ、朝からかったりぃなぁ。おい七夕ァ」

 入ってきたのは、大柄な男――剛田(ごうだ)だった。  金髪のリーゼントに、着崩した制服。いわゆる「番長」気取りの不良だ。  俺のような陰気な生徒をターゲットにしては、ストレス発散にいびるのが日課のクズ。

「……なんだよ、剛田」 「あ? なんだよその目。生意気だな、テメェ」

 剛田がドカドカと俺の席まで歩いてくる。  俺は立ち上がろうとしたが、それより早く剛田の手が伸びてきた。

「ぐっ……!」

 胸ぐらを掴まれ、強引に立たされる。  周りの生徒たちは見て見ぬフリだ。関われば自分に火の粉が降りかかるのを知っているから。

「テメェ、さっきユナちゃんと仲良さそうに話してたなぁ? 俺の女に色目使ってんじゃねぇぞ」 「誰が剛田くんの女よ! やめて、離して!」

 三島さんが止めに入ろうとするが、剛田はそれを鼻で笑い、俺を突き飛ばした。  背中がロッカーに激突する。  痛い。腹の痛みに、背中の痛みが重なる。

「やめろよ……俺はただ、挨拶しただけで……」 「口答えすんじゃねぇ!」

 剛田の拳が飛んできた。  避けられない。  ボゴッ、という鈍い音と共に、頬に激痛が走る。  俺は床に無様に転がった。口の中が鉄の味で満たされる。

「弱いなぁ、おい! 少しはやり返してみろよ!」

 剛田が俺の腹――よりにもよって、あの「種子」がある場所を蹴り上げた。

「がはっ……!?」

 激痛。  意識が飛びかけるほどの痛みに、俺はのたうち回った。  悔しい。  何も言い返せない自分が。ただ殴られるだけの自分が。好きな子の前で、こんな惨めな姿を晒している自分が。

『ソウ! 怒っちゃダメだ! 感情が高ぶると、お腹の「あれ」が……暴れる!』

 リクの警告。  だが、遅かった。  剛田がトドメの一撃を加えようと、足を振り上げた瞬間だ。

 ザザッ……ザザザッ……!

 世界にノイズが走った。  テレビの砂嵐のような音が、教室全体に響き渡る。

「あ? なんだ今の音……」

 剛田が動きを止めた。  俺の視界の中で、教室の天井が――溶けていた。  そこから、ぬるりと『それ』が這い出してきた。  昨日の機械人形じゃない。もっとおぞましい、赤黒い肉塊とケーブルが絡み合ったような、不定形の生命体。

『来る……! ソウ、逃げて!!』

 俺は悲鳴を上げようとした。  だが、喉が引きつって声が出ない。  その異形は、天井から逆さまにぶら下がり、剛田の背後へと音もなく降り立った。

「剛田くん、後ろ……!」

 三島さんが悲鳴を上げた。  剛田が苛立ちながら振り返る。

「あぁ!? なんだよ、うるせぇ――」

 剛田の言葉は、そこで途切れた。

 パァンッ。

 乾いた音がした。  水風船が破裂したような、呆気ない音だった。

 剛田の首から上が、消えていた。  殴られたわけでも、斬られたわけでもない。  ただ、異形が触れた瞬間、剛田の頭部は空間ごとえぐり取られたように消失したのだ。

 ドサッ。

 首のない肉体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。  断面からは、血の代わりに、赤い光の粒子が噴水のように吹き出した。

「え……?」

 誰かの呟きが聞こえた。  次の瞬間、教室は阿鼻叫喚の地獄へと変わった。

「い、いやぁぁぁぁぁぁぁっ!!」 「剛田が! 剛田が死んだぁぁ!!」

 パニック。絶叫。逃げ惑う生徒たち。  だが、俺だけは動けなかった。  目の前で首を失った剛田の死体と、その上に佇む異形の怪物。  怪物の身体にある無数の目が、ギョロリと一斉に動き――血濡れの俺を見下ろした。

「――ターゲット、発見」 「――排除、開始」

 俺の平和な日常は、クラスメイトの鮮血と共に、完全に終わりを告げた。




みんなのリアクション

胃袋の中で、鉛が溶けているようだった。
「……ぐっ、うぅ……」
 目覚めは最悪だった。  カーテンの隙間から差し込む朝日が、網膜を刺すように眩しい。  俺、七夕 双《たなばた そう》は、脂汗にまみれたシーツを握りしめ、身体を「く」の字に曲げて痛みに耐えていた。
『ソウ、大丈夫? 熱がすごいよ』
 脳内で、リクの声が響く。いつもの幼い声だが、そこには明らかな焦りが混じっていた。
「……大丈夫だ。昨日のあれ、夢じゃなかったんだな」 『うん。お腹の中に「ある」。あの黒い人が入れた、ピカピカしたやつ』
 俺はふらつく足取りでベッドから降り、リビングへと向かった。  静かだ。  ダイニングテーブルには、誰の朝食も用意されていない。  両親は3年前、交通事故で他界した。それ以来、この家は俺一人には広すぎる。  仏壇に手を合わせ、線香をあげる。遺影の両親は、今日も変わらない優しい笑顔で俺を見守っているが、今の俺の腹の中にある「爆弾」には気づいていないだろう。
「行かなきゃ……」
 学校へ行く。それが俺に残された唯一の「日常」であり、あの異常な出来事から逃げるための聖域だった。  制服に着替え、痛みを誤魔化すように腹をさすりながら、俺は家を出た。
 ***
 学校までの道のりは、拍子抜けするほどいつも通りだった。  昨日の豪雨が嘘のような快晴。登校中の生徒たちの笑い声。  ただ、俺の腹の鈍痛だけが、昨夜の出来事が現実だったと告げている。
「よう、七夕! なんだよその顔、死人みたいだぞ」
 教室に入った瞬間、背中をバンと叩かれた。  クラスメイトの男子だ。悪気はないのだろうが、今の俺にはその衝撃すら響く。
「……ちょっと、腹痛でさ。昨日の晩飯、当たったかも」 「うわ、マジかよ。保健室行っとけって。顔色真っ青だぞ」
 からかうような、でも心配してくれているような、ありふれた会話。  俺は曖昧に笑って自分の席についた。  教科書を開くフリをして、周囲を観察する。  昨日の「機械の化け物」のニュースなんて、誰も話していない。やはり、あの出来事は公にはなっていないのか。
「おはよ、七夕くん」
 鈴を転がすような声に、俺は弾かれたように顔を上げた。  三島《みしま》ユナ。  クラスの委員長であり、俺が密かに想いを寄せている女子だ。  長い黒髪に、少し茶色がかった瞳。彼女の周りだけ空気が清浄化されているような、そんな清楚な雰囲気を持っている。
「あ、おはよう、三島さん」 「今日は早いね。……あれ? なんか辛そう。大丈夫?」 「え? あ、いや、平気平気! ちょっと寝不足なだけで……」
 好きな女の子に心配された嬉しさと、情けなさで、心臓が跳ねる。  彼女の笑顔。それは俺にとっての救いだった。  この笑顔が見られるなら、腹の中の異物なんてどうでもいい。  そう思えた瞬間だった。
 ドガァッ!!
 教室のドアが乱暴に蹴り開けられた。  一瞬で教室の空気が凍りつく。三島さんの笑顔も強張った。
「あーあ、朝からかったりぃなぁ。おい七夕ァ」
 入ってきたのは、大柄な男――剛田《ごうだ》だった。  金髪のリーゼントに、着崩した制服。いわゆる「番長」気取りの不良だ。  俺のような陰気な生徒をターゲットにしては、ストレス発散にいびるのが日課のクズ。
「……なんだよ、剛田」 「あ? なんだよその目。生意気だな、テメェ」
 剛田がドカドカと俺の席まで歩いてくる。  俺は立ち上がろうとしたが、それより早く剛田の手が伸びてきた。
「ぐっ……!」
 胸ぐらを掴まれ、強引に立たされる。  周りの生徒たちは見て見ぬフリだ。関われば自分に火の粉が降りかかるのを知っているから。
「テメェ、さっきユナちゃんと仲良さそうに話してたなぁ? 俺の女に色目使ってんじゃねぇぞ」 「誰が剛田くんの女よ! やめて、離して!」
 三島さんが止めに入ろうとするが、剛田はそれを鼻で笑い、俺を突き飛ばした。  背中がロッカーに激突する。  痛い。腹の痛みに、背中の痛みが重なる。
「やめろよ……俺はただ、挨拶しただけで……」 「口答えすんじゃねぇ!」
 剛田の拳が飛んできた。  避けられない。  ボゴッ、という鈍い音と共に、頬に激痛が走る。  俺は床に無様に転がった。口の中が鉄の味で満たされる。
「弱いなぁ、おい! 少しはやり返してみろよ!」
 剛田が俺の腹――よりにもよって、あの「種子」がある場所を蹴り上げた。
「がはっ……!?」
 激痛。  意識が飛びかけるほどの痛みに、俺はのたうち回った。  悔しい。  何も言い返せない自分が。ただ殴られるだけの自分が。好きな子の前で、こんな惨めな姿を晒している自分が。
『ソウ! 怒っちゃダメだ! 感情が高ぶると、お腹の「あれ」が……暴れる!』
 リクの警告。  だが、遅かった。  剛田がトドメの一撃を加えようと、足を振り上げた瞬間だ。
 ザザッ……ザザザッ……!
 世界にノイズが走った。  テレビの砂嵐のような音が、教室全体に響き渡る。
「あ? なんだ今の音……」
 剛田が動きを止めた。  俺の視界の中で、教室の天井が――溶けていた。  そこから、ぬるりと『それ』が這い出してきた。  昨日の機械人形じゃない。もっとおぞましい、赤黒い肉塊とケーブルが絡み合ったような、不定形の生命体。
『来る……! ソウ、逃げて!!』
 俺は悲鳴を上げようとした。  だが、喉が引きつって声が出ない。  その異形は、天井から逆さまにぶら下がり、剛田の背後へと音もなく降り立った。
「剛田くん、後ろ……!」
 三島さんが悲鳴を上げた。  剛田が苛立ちながら振り返る。
「あぁ!? なんだよ、うるせぇ――」
 剛田の言葉は、そこで途切れた。
 パァンッ。
 乾いた音がした。  水風船が破裂したような、呆気ない音だった。
 剛田の首から上が、消えていた。  殴られたわけでも、斬られたわけでもない。  ただ、異形が触れた瞬間、剛田の頭部は空間ごとえぐり取られたように消失したのだ。
 ドサッ。
 首のない肉体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。  断面からは、血の代わりに、赤い光の粒子が噴水のように吹き出した。
「え……?」
 誰かの呟きが聞こえた。  次の瞬間、教室は阿鼻叫喚の地獄へと変わった。
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁっ!!」 「剛田が! 剛田が死んだぁぁ!!」
 パニック。絶叫。逃げ惑う生徒たち。  だが、俺だけは動けなかった。  目の前で首を失った剛田の死体と、その上に佇む異形の怪物。  怪物の身体にある無数の目が、ギョロリと一斉に動き――血濡れの俺を見下ろした。
「――ターゲット、発見」 「――排除、開始」
 俺の平和な日常は、クラスメイトの鮮血と共に、完全に終わりを告げた。