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〜3〜

ー/ー



「あ、あんた。そこでさっきから何してんだ。危ないじゃないか!」
 突然後方から聞こえた新しい男の声。反射的に振り向くと、知らないうちに灰色のスーツに身を包んだ中年の男が立っていた。
 誰だと驚く間もなく、今度は遠い下の地面から「ドン」という衝撃音が聞こえた。思わず首をすくめてしまう。
「うわっ。ちょ、ちょっと飛び降りるなんて止めなさい。何があったのか知らないが、落ち着きなさい!」
 男は両手を前に突き出し、中腰の体勢で少しずつ近づいてくる。
「今、女の子が目の前で飛び降りたんだ。そんなの落ち着いてられる訳ないだろ」
 俺はゆっくりと遠い地面を恐る恐る覗き込む。さっきまで話をしていた彼女が確かに倒れていた。
「な、何だって!」
 男は慌てて走りより、フェンスに寄りかかって下を覗き込んだ。俺は変わり果てた彼女を見ていられなくて背中を向けていた。
「手を伸ばせばきっと止められたのに、体が動かなかったんだ。落ちていく姿をずっと見てることしか出来なかったんだ。くそっ」
 自分の無力さに腹が立ち、拳をフェンスに叩きつけた。だが男はずっと何も言わずに下を覗き込んでいた。
「よくそんなまじまじと見てられるな」
 彼女が辱められている気分になり、吐き捨てるように俺は言った。
「あの、何も見えませんが」
 男はそう答えた。
「どこを見てるんだよ、あそこに……」
 地面を見ると彼女の姿はどこにもなかった。
「いませんよね」
「そんな馬鹿な。さっきは確かに」
 混乱している俺に男は眉をひそめて聞いてくる。
「因みにその女性はいつ飛び降りたんです?」
「いつって、今さっきだよ。彼女が飛び降りてすぐあんたが声かけてきたんだ」
「それはおかしいですね」
 男は首をかしげてこう続けた。
「実は私、あなたのこと数分前から見ていたんですけど、ずっと一人でしたよ」
 男の言葉は俺の背中に電気を走らせる。
「いやぁ、驚きましたよ。始めはお芝居の練習でもしてるのかと思いまして。一人でずっと何か喋っていたんでね。ところが急にフェンスを乗り越えてしまうじゃないですか。焦りました。これは止めに行かなければと。ところが体がピクリとも動かないじゃないですか。声も出ない。金縛りというものですかね。
 そんな経験したことなかったもので、もう私、頭の中がグチャグチャになっちゃいました」
 男の話は途中から頭に入ってきていなかった。どうやら本当に彼女は幽霊だった。そういうことらしい。
「で、なぜか急に体の自由を取り戻したので、今にも飛び降りそうなあなたを呼び止めた訳です」
「おじさんは何でここに?」
「あー、私はその……何と言いますか」
 さっきの自分とかぶり思わず笑ってしまう。この誤魔化し方はきっと同じのだろう。
「おじさんはここが名所だって事は知ってたの?」
「はぁ、お恥ずかしい話ですが、存じておりました」
「うん、やっぱり止めちゃうよね。目の前で飛び降りようとしてたら」
「はぁ、そうですね」
 男は恥ずかしそうにそう答えた。
「自殺ってね、成仏できないから死んだ瞬間を何度も繰り返すんだって」
 あの飛び降りる瞬間の恐怖が甦る。あれを毎晩繰り返すなんて耐え難い拷問だ。
「楽になりたくて死ぬのに、ものすごい苦痛が待ってるらしいよ」
「お若いのにお詳しいんですね」
 彼女の受け売りなのだが男はとても感心してくれた。少し照れてしまう。
「死にたい理由は人それぞれだけど、それ聞いたら自殺もちょっと考えものだなって思ったよ」
 自分と似ているタイプのような気がした男に今の気持ちを伝えた。
「では、苦痛の待っていない本当に楽になれる死だったらいかがです?」
 ところが同意を得られると思った男から、そんな提案を持ちかけられた。
「どういうこと?」
「理由はどうあれ、考えて悩み辿り着いた答えがここだったのでしょう?このまま帰っても明日になればまた辛い毎日が繰り返されるだけですよ」
 胸に突き刺さる鋭い言葉だった。
「ここで私たちが出会えたのも何かの御縁。ここは御一緒に繰り返しの毎日を終わらせませんか」
「でも自殺しても苦痛の繰り返しなんですよ」
「だから自殺じゃなく、お互いが殺されれば良いんですよ」
 何を言ってるんだこいつは。そんな怪しむ俺に構わず男は具体的に語りだす。
「ご説明しましょう。まずお互いが屋上の端に並んで立ちます。そして私があなたを押して屋上から落とします。あなたは落ちるときに私の手を掴んで一緒に引き落としてください。こうすればあなたは私に殺されたことになり、私はあなたに殺されたことになります。どうです、これならお互い自殺にはならないでしょう?」
 無茶苦茶な理論だ。同意してて殺されることになるのだろうか?
「さぁ、迷っていないでこの辛いだけの毎日から抜け出しましょう」
 男の目が俺の目を覗き込む。輝きのない大きな黒目に吸い込まれる感覚に陥る。考えるという行動が麻痺していくようだ。催眠術……かかった経験など一度もないが、こんな感覚なのだろうか。どこかおかしいと思いながらも、俺は屋上の端に男と並んで立っていた。
「さあ、行きますよ。落ちるときに私の手をちゃんと掴んでくださいね。一人で楽になるなんてずるいで
すからね」
 隣にいる男の声なのになぜか遠くに聞こえていた。
 バーン!!
 突然けたたましい大きな音が背後で鳴った。鉄の扉が勢いよく開け放たれたせいだった。驚いて振り向くと更に驚いた光景を目にした。消えた彼女が立っていた。俺の顔を見ると、人差し指と親指でこめかみ
を挟み、うつ向き気味で首を横に振った。離れた場所からでも彼女がイラついているのが伝わる。
 キッとこちらに向きなおし早歩きで近づいてくる。隣に立つ男は大きくため息をついていた。
「あの、さっき俺が止めようとしたの彼女です。おじさんにも見えるんですか?」
 男は俺に答える代わりに彼女にこう言った。
「お前はもうクビだ。仕事の邪魔するんじゃない」
 ん、仕事?
「あなた、またそんな所に立って。まだ死ぬつもりなの!?」
 男の言葉は完全に無視して、彼女は俺に対してものすごい剣幕で怒っていた。俺は何も言えずに直立不動だ。
「目を覚ましなさいよ。この人、あなたを殺そうとしてたのよ」
 普段の生活で聞いたら卒倒しそうな台詞だったが、今の俺に驚きはない。
「ああ、そういう約束だから。お互いが殺し合えば自殺にならないって」
「あなたがどうやってこの人殺すのよ?」
 彼女は男に向かってビシッと指を差す。
「落ちるとき手を掴んで……あ!」
 俺が説明をしている途中で彼女はおもむろに、男の右腕を掴むと何と力任せに引き抜いた。しかし片腕
をなくした男は痛がりもせず平然としていた。義手だった。
「お、おじさん。どういうことだよ、これ」
「お前どういうつもりだ?」
 俺の質問には答えずに、男は彼女に問いかける。今までと全く違う低い威圧感のある声で。
「私にはこの仕事向いてなかったって事です。短い間でしたがお世話になりました」
 もう何が何だか、さっぱり分からない。二人の会話は俺を置いてけぼりにして続いていく。
「お前な、そんな簡単に抜けられると思ってんのか?この世界、ナメるんじゃねえよ」
「一回死んだんだからガタガタ言わないでよね」
「何言ってんだ。ピンピンに生きてるじゃねえか。どうせ地面にマットでも仕込んでたんだろう。はなか
ら真面目に仕事する気が無かったようだなって。ちょ、お前押すな」
 彼女は男の長い話にうんざりしたようで、なんと突然突き落とした。
「や、やめろっ」
 男は反射的に押してきた手を掴む。しかしその手は冷たく固い感触であった。
「う、嘘だろぉぉぉぉ…………」
 義手の右腕を道連れに男の叫びが遠くなっていく。はるか下の方でドスンという音が聞こえた。これは
映画の撮影か何かか?
「さ、急いで。逃げるよ」
「ちょ、お前。幽霊じゃないのか」
 混乱しまくってる俺の頭の中だが、ひとつだけ確認したかった。
「嘘よ。だいたい幽霊って、多分触れられるもんじゃないでしょ」
 そう言って掴んできた彼女の右手は確かに温かかった。


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 誰だと驚く間もなく、今度は遠い下の地面から「ドン」という衝撃音が聞こえた。思わず首をすくめてしまう。
「うわっ。ちょ、ちょっと飛び降りるなんて止めなさい。何があったのか知らないが、落ち着きなさい!」
 男は両手を前に突き出し、中腰の体勢で少しずつ近づいてくる。
「今、女の子が目の前で飛び降りたんだ。そんなの落ち着いてられる訳ないだろ」
 俺はゆっくりと遠い地面を恐る恐る覗き込む。さっきまで話をしていた彼女が確かに倒れていた。
「な、何だって!」
 男は慌てて走りより、フェンスに寄りかかって下を覗き込んだ。俺は変わり果てた彼女を見ていられなくて背中を向けていた。
「手を伸ばせばきっと止められたのに、体が動かなかったんだ。落ちていく姿をずっと見てることしか出来なかったんだ。くそっ」
 自分の無力さに腹が立ち、拳をフェンスに叩きつけた。だが男はずっと何も言わずに下を覗き込んでいた。
「よくそんなまじまじと見てられるな」
 彼女が辱められている気分になり、吐き捨てるように俺は言った。
「あの、何も見えませんが」
 男はそう答えた。
「どこを見てるんだよ、あそこに……」
 地面を見ると彼女の姿はどこにもなかった。
「いませんよね」
「そんな馬鹿な。さっきは確かに」
 混乱している俺に男は眉をひそめて聞いてくる。
「因みにその女性はいつ飛び降りたんです?」
「いつって、今さっきだよ。彼女が飛び降りてすぐあんたが声かけてきたんだ」
「それはおかしいですね」
 男は首をかしげてこう続けた。
「実は私、あなたのこと数分前から見ていたんですけど、ずっと一人でしたよ」
 男の言葉は俺の背中に電気を走らせる。
「いやぁ、驚きましたよ。始めはお芝居の練習でもしてるのかと思いまして。一人でずっと何か喋っていたんでね。ところが急にフェンスを乗り越えてしまうじゃないですか。焦りました。これは止めに行かなければと。ところが体がピクリとも動かないじゃないですか。声も出ない。金縛りというものですかね。
 そんな経験したことなかったもので、もう私、頭の中がグチャグチャになっちゃいました」
 男の話は途中から頭に入ってきていなかった。どうやら本当に彼女は幽霊だった。そういうことらしい。
「で、なぜか急に体の自由を取り戻したので、今にも飛び降りそうなあなたを呼び止めた訳です」
「おじさんは何でここに?」
「あー、私はその……何と言いますか」
 さっきの自分とかぶり思わず笑ってしまう。この誤魔化し方はきっと同じのだろう。
「おじさんはここが名所だって事は知ってたの?」
「はぁ、お恥ずかしい話ですが、存じておりました」
「うん、やっぱり止めちゃうよね。目の前で飛び降りようとしてたら」
「はぁ、そうですね」
 男は恥ずかしそうにそう答えた。
「自殺ってね、成仏できないから死んだ瞬間を何度も繰り返すんだって」
 あの飛び降りる瞬間の恐怖が甦る。あれを毎晩繰り返すなんて耐え難い拷問だ。
「楽になりたくて死ぬのに、ものすごい苦痛が待ってるらしいよ」
「お若いのにお詳しいんですね」
 彼女の受け売りなのだが男はとても感心してくれた。少し照れてしまう。
「死にたい理由は人それぞれだけど、それ聞いたら自殺もちょっと考えものだなって思ったよ」
 自分と似ているタイプのような気がした男に今の気持ちを伝えた。
「では、苦痛の待っていない本当に楽になれる死だったらいかがです?」
 ところが同意を得られると思った男から、そんな提案を持ちかけられた。
「どういうこと?」
「理由はどうあれ、考えて悩み辿り着いた答えがここだったのでしょう?このまま帰っても明日になればまた辛い毎日が繰り返されるだけですよ」
 胸に突き刺さる鋭い言葉だった。
「ここで私たちが出会えたのも何かの御縁。ここは御一緒に繰り返しの毎日を終わらせませんか」
「でも自殺しても苦痛の繰り返しなんですよ」
「だから自殺じゃなく、お互いが殺されれば良いんですよ」
 何を言ってるんだこいつは。そんな怪しむ俺に構わず男は具体的に語りだす。
「ご説明しましょう。まずお互いが屋上の端に並んで立ちます。そして私があなたを押して屋上から落とします。あなたは落ちるときに私の手を掴んで一緒に引き落としてください。こうすればあなたは私に殺されたことになり、私はあなたに殺されたことになります。どうです、これならお互い自殺にはならないでしょう?」
 無茶苦茶な理論だ。同意してて殺されることになるのだろうか?
「さぁ、迷っていないでこの辛いだけの毎日から抜け出しましょう」
 男の目が俺の目を覗き込む。輝きのない大きな黒目に吸い込まれる感覚に陥る。考えるという行動が麻痺していくようだ。催眠術……かかった経験など一度もないが、こんな感覚なのだろうか。どこかおかしいと思いながらも、俺は屋上の端に男と並んで立っていた。
「さあ、行きますよ。落ちるときに私の手をちゃんと掴んでくださいね。一人で楽になるなんてずるいで
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 隣にいる男の声なのになぜか遠くに聞こえていた。
 バーン!!
 突然けたたましい大きな音が背後で鳴った。鉄の扉が勢いよく開け放たれたせいだった。驚いて振り向くと更に驚いた光景を目にした。消えた彼女が立っていた。俺の顔を見ると、人差し指と親指でこめかみ
を挟み、うつ向き気味で首を横に振った。離れた場所からでも彼女がイラついているのが伝わる。
 キッとこちらに向きなおし早歩きで近づいてくる。隣に立つ男は大きくため息をついていた。
「あの、さっき俺が止めようとしたの彼女です。おじさんにも見えるんですか?」
 男は俺に答える代わりに彼女にこう言った。
「お前はもうクビだ。仕事の邪魔するんじゃない」
 ん、仕事?
「あなた、またそんな所に立って。まだ死ぬつもりなの!?」
 男の言葉は完全に無視して、彼女は俺に対してものすごい剣幕で怒っていた。俺は何も言えずに直立不動だ。
「目を覚ましなさいよ。この人、あなたを殺そうとしてたのよ」
 普段の生活で聞いたら卒倒しそうな台詞だったが、今の俺に驚きはない。
「ああ、そういう約束だから。お互いが殺し合えば自殺にならないって」
「あなたがどうやってこの人殺すのよ?」
 彼女は男に向かってビシッと指を差す。
「落ちるとき手を掴んで……あ!」
 俺が説明をしている途中で彼女はおもむろに、男の右腕を掴むと何と力任せに引き抜いた。しかし片腕
をなくした男は痛がりもせず平然としていた。義手だった。
「お、おじさん。どういうことだよ、これ」
「お前どういうつもりだ?」
 俺の質問には答えずに、男は彼女に問いかける。今までと全く違う低い威圧感のある声で。
「私にはこの仕事向いてなかったって事です。短い間でしたがお世話になりました」
 もう何が何だか、さっぱり分からない。二人の会話は俺を置いてけぼりにして続いていく。
「お前な、そんな簡単に抜けられると思ってんのか?この世界、ナメるんじゃねえよ」
「一回死んだんだからガタガタ言わないでよね」
「何言ってんだ。ピンピンに生きてるじゃねえか。どうせ地面にマットでも仕込んでたんだろう。はなか
ら真面目に仕事する気が無かったようだなって。ちょ、お前押すな」
 彼女は男の長い話にうんざりしたようで、なんと突然突き落とした。
「や、やめろっ」
 男は反射的に押してきた手を掴む。しかしその手は冷たく固い感触であった。
「う、嘘だろぉぉぉぉ…………」
 義手の右腕を道連れに男の叫びが遠くなっていく。はるか下の方でドスンという音が聞こえた。これは
映画の撮影か何かか?
「さ、急いで。逃げるよ」
「ちょ、お前。幽霊じゃないのか」
 混乱しまくってる俺の頭の中だが、ひとつだけ確認したかった。
「嘘よ。だいたい幽霊って、多分触れられるもんじゃないでしょ」
 そう言って掴んできた彼女の右手は確かに温かかった。