〜1〜
ー/ー「うわっ」
突然の突風に吹かれて目を閉じる。そしてゆっくりと開いた視線の先には、意外なものが映っていた。
先客がいた。
屋上には外周をぐるりと囲むフェンスがあった。先客の彼女は胸ほどの高さがあるフェンスをよじ登り、ちょうど跨いでいる所であった。
予想していないものを突然目の当たりにして動けないでいると、相手もようやくこちらに気がついた。
「こんばんわ」
「こんばんわ」
視線がぶつかりお互いを認識すると、こんな特異なシチュエーションであってもすることは普通の挨拶だった。
次に彼女は思い出したようにフェンスを乗り越えて俺に背を向ける。深呼吸をひとつ。
俺はそれをテレビでも見ているかのように一歩も動かず見つめている。
そして彼女の体が前方へ傾いたその時、俺はようやく動くことができた。自分でも驚くような猛スピードで駆け寄り、そのまま彼女の手首を掴んで止めた。
「いやいやいや、ちょっと待てって」
「嫌っ、離して」
彼女はそれを拒んで俺の手を振り解こうとする。
「何してんだよ」
その動きに合わせて俺も腕を振り、離されないように手首を掴んでいた。とても豪快な握手をしているようにも見える。
「見てのとおりよ、釣りでもしてるように見える?」
彼女は分かりきったことを聞かないでと言わんばかりにそんなことを口にした。
「いや、さすがにビルの屋上で釣りとは思わないけど」
「そう、ここはビルの屋上。そして私はフェンスを乗り越えてるの。ね、そういうことなの。じゃあ」
口早にそうまくし立てる彼女。だが目の前でそんな命を投げ出す場面に出くわしたら、止めるのが人の道ってものな訳で。
「まぁ、ちょっと待てって。ちょっとだけお話しをしよう」
「何なのよ、あなた。せっかくその気になってるんだから止めないでよ」
俺としては、せっかくのその気をなんとか紛らせたかった。
「ちょっと落ち着きなさいって」
埒のあかない俺に対し大きくため息をつく彼女。ようやくその気が紛れたのか、手を振りほどくことを止め大人しくなった。
「とりあえず手を離してくれませんか、痛いんですけど」
「あ、ごめん」
謝り手を離す。彼女は掴まれて赤くなった手首をさすり俺を睨み付けている。その視線に何故か罪悪感がこみ上がり目を背けてしまった。……いや別に悪いことはしていないだろう。そう思い直し視線を彼女に戻すまでの時間は約二秒。彼女は再び背を向け飛び降りようとする瞬間だった。
「うわ、ちょ、ちょっと!」
上半身をフェンスの上に乗り出して、今度は彼女の腰を抱きしめてそれを止める。フェンスがガシャガシャっと音を立てる。
「離してくれません?」
彼女のそのお願いを承諾するわけには行かないので首を横に激しく振る。
「もう飛び降りませんから」
全く信用できないその言葉に腰を離すことは出来ず、なおも首を横に振り続けた。
結局彼女が渋々とフェンスのこちら側に移るまで、俺はその腰を離さなかった。
「もう離してくださっても良いんじゃないかしら?知らない男の人に後ろからずっと抱きつかれて気持ち悪いんですけど」
必死に抱き止めていたので随分と大胆なことをしている自分にようやく気づいた。女性の腰に後ろからしがみ付いて離れないなんて、変態行為であることこの上ない。
咳払いで誤魔化して何もなかったように離れるが、念のためフェンスを背中にし彼女を屋上の端から遠ざける。
「何なのよ、あなたはいったい。私に何か用でもあるの?」
彼女は怒っていた。俺は怒られていた。俺は悪いことをしているのだろうか?
「いやいや、目の前で自殺しようとしてたら誰でも止めるでしょ普通」
「自殺?」
彼女は驚いた顔で聞きなおす。
「うん、自殺……。え、違うの?」
彼女が笑い出す。初めて見る彼女の笑顔。やっとこの場の空気が和んだ気がしたので、俺も釣られて笑顔になった。
「何なに、違うの?俺の勘違い?」
「あなたは何しにここへ来たのよ?」
「え?」
聞いてきた彼女の顔はすでに笑っていなかった。
「あなたはこんな時間に、一人で何しにここへ来たのよ?」
「お、俺は……その」
突然のことに慌てて、自分がここに来た理由を忘れていた。思い出して口ごもる。俺に彼女を止める資格のようなものは無い。
「どうせあなただって私と一緒なんでしょ。だってここ有名だもの」
「何がだよ」
「あら、あなた知らないでここに来たの?名所なのよ、自殺の」
「へー、そうなんだ」
何となく家の近くの高い場所を探していて、辿り着いた場所がここだったのだが。どうやら人気のスポットだったらしい。
「何よ、あなた素人?そんなことも知らないでここに来たの?」
彼女は馬鹿にしたような口調で、そんな風に言う。
「素人って……自殺に素人も達人もあるのかよ。そんなもん一生に一回だろ」
ちょっと腹が立ったので正論と思われる主張を彼女にぶつけてみた。彼女はフッと鼻で笑う。
「あなた本当に何もわかってないわね。達人は凄いのよ。ありとあらゆる自殺の方法を経験してるんだから」
彼女は真面目な顔で自慢げにそう言った。本気で言っているのだろうか?
「それって何回も失敗してるってことだろ。死ぬのが下手糞なほど達人なのか?」
俺の何気ない疑問は、彼女が言葉を失くすのに十分な効果を得られていた。緊張感が張り詰めるおかしな間があいた。
「しゃべり過ぎたわね。悪いけどもう邪魔しないでくれる」
彼女がフェンスへと歩き出す。どうやら達人の定義の話は無かったことになったようだ。
「あー、ちょっと待って。君の言ったとおり俺も死のうと思ってここに来たんだ。あとで俺も一緒に飛び降りるからさ。死ぬ前にもうちょっと話付き合ってくれよ」
そんな俺のお願いに訝しげな表情を浮かべる彼女。しかしこのお願いには「自殺を止めよう」みたいな裏の思惑は一切無い。
「何でよ、別にあなたと話すことなんて何もないわよ」
「いや、別に何でもいいんだ。俺、人と話すの久しぶりで嬉しくて」
そう、これが本音だった。
「変な人ね、久しぶりってどれくらいぶりなのよ?人と話すの」
「いやー、覚えてないね。このところ毎日が同じ繰り返しで、月日の流れとか全くわかんなくなってたから」
大げさに聞こえるかも知れないが本当のことだった。昨日の食事でさえ何を食べたかおぼつかない程だ。
「ふーん」
彼女は顎に握り拳を添えてこちらを見つめてきた。見られたくない所まで見透かすような視線でとても居心地が悪い。
「と、ところでさ、聞いてもいいかな?」
値踏みされているような視線から逃れるため、思いついた質問をぶつけてみることにする。
「何?」
「とりあえず君の名前。俺の名前は……」
「これから死ぬ間柄なのに、必要ない情報だわ」
それを言われると何も聞けなくなる。
「じゃ、死のうと思った訳」
「……何であなたに話さなきゃいけないのよ」
彼女の眉間にシワが寄る。
「うーん、ただの興味本位かな」
「最低」
会話というキャッチボールをしたいのだが、彼女は一切ボールを取る気が無いようだ。
「あ、それじゃさっき言ってた、ここが名所だって話聞かせてよ」
懲りずに俺はボールを投げ続ける。
「だからなんでそんな説明を私があなたにしなくちゃならないのよ」
「いいじゃんよ、それくらい。君個人の話を聞かせろって言ってる訳じゃないんだから」
彼女は納得いかない様子だが、ようやくボールを投げ返してくれた。
「あなた今、友達いないんでしょ?」
変化球で。
「え?」
「何年か前にはたくさん友達いたのにねぇ」
「な、何だよ急に」
平静を装いボールを投げ返すが、動揺している心臓は普段より早く血液を体中に送り込んでいた。
「みんなやりたいこと見つけて、あなたから去っていった」
そんな俺の気持ちを他所に彼女は続ける。
「取り残されたあなたはこう思う。あぁ、一人ぼっちはなんて寂しいんだろう。俺なんて居ても居なくても関係ないんだろうぁ……そう考えたあなたは自然とこの屋上へと足を運ぶのだった」
特に訂正したい箇所も無く言葉をなくしている俺。
「以上、あなたが今ここに来るまでの葛藤より抜粋」
彼女はそう言って最後をきれいに整えた。
「せ、正解。というか何で知ってんの?」
「……くだらない」
「え?」
俺の死にたいと思うくらいの悩みを一言で一蹴された。
「私くらいになると相手の顔見ただけで死にたい理由なんて手に取るように分かるわ。まぁ、素人のあなたには難しいでしょうけどね」
平然とそんな特技を語る彼女。どうやら彼女は素人ではないらしい。……いったい何回失敗したらこのレベルになれるのだろう?とても聞けない疑問が浮かんでしまった。
「すげぇな、君」
「嘘よ」
感心した瞬間騙された。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
「うわっ」
突然の突風に吹かれて目を閉じる。そしてゆっくりと開いた視線の先には、意外なものが映っていた。
先客がいた。
屋上には外周をぐるりと囲むフェンスがあった。先客の彼女は胸ほどの高さがあるフェンスをよじ登り、ちょうど跨いでいる所であった。
予想していないものを突然目の当たりにして動けないでいると、相手もようやくこちらに気がついた。
「こんばんわ」
「こんばんわ」
視線がぶつかりお互いを認識すると、こんな特異なシチュエーションであってもすることは普通の挨拶だった。
次に彼女は思い出したようにフェンスを乗り越えて俺に背を向ける。深呼吸をひとつ。
俺はそれをテレビでも見ているかのように一歩も動かず見つめている。
そして彼女の体が前方へ傾いたその時、俺はようやく動くことができた。自分でも驚くような猛スピードで駆け寄り、そのまま彼女の手首を掴んで止めた。
「いやいやいや、ちょっと待てって」
「嫌っ、離して」
彼女はそれを拒んで俺の手を振り解こうとする。
「何してんだよ」
その動きに合わせて俺も腕を振り、離されないように手首を掴んでいた。とても豪快な握手をしているようにも見える。
「見てのとおりよ、釣りでもしてるように見える?」
彼女は分かりきったことを聞かないでと言わんばかりにそんなことを口にした。
「いや、さすがにビルの屋上で釣りとは思わないけど」
「そう、ここはビルの屋上。そして私はフェンスを乗り越えてるの。ね、そういうことなの。じゃあ」
口早にそうまくし立てる彼女。だが目の前でそんな命を投げ出す場面に出くわしたら、止めるのが人の道ってものな訳で。
「まぁ、ちょっと待てって。ちょっとだけお話しをしよう」
「何なのよ、あなた。せっかくその気になってるんだから止めないでよ」
俺としては、せっかくのその気をなんとか紛らせたかった。
「ちょっと落ち着きなさいって」
埒のあかない俺に対し大きくため息をつく彼女。ようやくその気が紛れたのか、手を振りほどくことを止め大人しくなった。
「とりあえず手を離してくれませんか、痛いんですけど」
「あ、ごめん」
謝り手を離す。彼女は掴まれて赤くなった手首をさすり俺を睨み付けている。その視線に何故か罪悪感がこみ上がり目を背けてしまった。……いや別に悪いことはしていないだろう。そう思い直し視線を彼女に戻すまでの時間は約二秒。彼女は再び背を向け飛び降りようとする瞬間だった。
「うわ、ちょ、ちょっと!」
上半身をフェンスの上に乗り出して、今度は彼女の腰を抱きしめてそれを止める。フェンスがガシャガシャっと音を立てる。
「離してくれません?」
彼女のそのお願いを承諾するわけには行かないので首を横に激しく振る。
「もう飛び降りませんから」
全く信用できないその言葉に腰を離すことは出来ず、なおも首を横に振り続けた。
結局彼女が渋々とフェンスのこちら側に移るまで、俺はその腰を離さなかった。
「もう離してくださっても良いんじゃないかしら?知らない男の人に後ろからずっと抱きつかれて気持ち悪いんですけど」
必死に抱き止めていたので随分と大胆なことをしている自分にようやく気づいた。女性の腰に後ろからしがみ付いて離れないなんて、変態行為であることこの上ない。
咳払いで誤魔化して何もなかったように離れるが、念のためフェンスを背中にし彼女を屋上の端から遠ざける。
「何なのよ、あなたはいったい。私に何か用でもあるの?」
彼女は怒っていた。俺は怒られていた。俺は悪いことをしているのだろうか?
「いやいや、目の前で自殺しようとしてたら誰でも止めるでしょ普通」
「自殺?」
彼女は驚いた顔で聞きなおす。
「うん、自殺……。え、違うの?」
彼女が笑い出す。初めて見る彼女の笑顔。やっとこの場の空気が和んだ気がしたので、俺も釣られて笑顔になった。
「何なに、違うの?俺の勘違い?」
「あなたは何しにここへ来たのよ?」
「え?」
聞いてきた彼女の顔はすでに笑っていなかった。
「あなたはこんな時間に、一人で何しにここへ来たのよ?」
「お、俺は……その」
突然のことに慌てて、自分がここに来た理由を忘れていた。思い出して口ごもる。俺に彼女を止める資格のようなものは無い。
「どうせあなただって私と一緒なんでしょ。だってここ有名だもの」
「何がだよ」
「あら、あなた知らないでここに来たの?名所なのよ、自殺の」
「へー、そうなんだ」
何となく家の近くの高い場所を探していて、辿り着いた場所がここだったのだが。どうやら人気のスポットだったらしい。
「何よ、あなた素人?そんなことも知らないでここに来たの?」
彼女は馬鹿にしたような口調で、そんな風に言う。
「素人って……自殺に素人も達人もあるのかよ。そんなもん一生に一回だろ」
ちょっと腹が立ったので正論と思われる主張を彼女にぶつけてみた。彼女はフッと鼻で笑う。
「あなた本当に何もわかってないわね。達人は凄いのよ。ありとあらゆる自殺の方法を経験してるんだから」
彼女は真面目な顔で自慢げにそう言った。本気で言っているのだろうか?
「それって何回も失敗してるってことだろ。死ぬのが下手糞なほど達人なのか?」
俺の何気ない疑問は、彼女が言葉を失くすのに十分な効果を得られていた。緊張感が張り詰めるおかしな間があいた。
「しゃべり過ぎたわね。悪いけどもう邪魔しないでくれる」
彼女がフェンスへと歩き出す。どうやら達人の定義の話は無かったことになったようだ。
「あー、ちょっと待って。君の言ったとおり俺も死のうと思ってここに来たんだ。あとで俺も一緒に飛び降りるからさ。死ぬ前にもうちょっと話付き合ってくれよ」
そんな俺のお願いに訝しげな表情を浮かべる彼女。しかしこのお願いには「自殺を止めよう」みたいな裏の思惑は一切無い。
「何でよ、別にあなたと話すことなんて何もないわよ」
「いや、別に何でもいいんだ。俺、人と話すの久しぶりで嬉しくて」
そう、これが本音だった。
「変な人ね、久しぶりってどれくらいぶりなのよ?人と話すの」
「いやー、覚えてないね。このところ毎日が同じ繰り返しで、月日の流れとか全くわかんなくなってたから」
大げさに聞こえるかも知れないが本当のことだった。昨日の食事でさえ何を食べたかおぼつかない程だ。
「ふーん」
彼女は顎に握り拳を添えてこちらを見つめてきた。見られたくない所まで見透かすような視線でとても居心地が悪い。
「と、ところでさ、聞いてもいいかな?」
値踏みされているような視線から逃れるため、思いついた質問をぶつけてみることにする。
「何?」
「とりあえず君の名前。俺の名前は……」
「これから死ぬ間柄なのに、必要ない情報だわ」
それを言われると何も聞けなくなる。
「じゃ、死のうと思った訳」
「……何であなたに話さなきゃいけないのよ」
彼女の眉間にシワが寄る。
「うーん、ただの興味本位かな」
「最低」
会話というキャッチボールをしたいのだが、彼女は一切ボールを取る気が無いようだ。
「あ、それじゃさっき言ってた、ここが名所だって話聞かせてよ」
懲りずに俺はボールを投げ続ける。
「だからなんでそんな説明を私があなたにしなくちゃならないのよ」
「いいじゃんよ、それくらい。君個人の話を聞かせろって言ってる訳じゃないんだから」
彼女は納得いかない様子だが、ようやくボールを投げ返してくれた。
「あなた今、友達いないんでしょ?」
変化球で。
「え?」
「何年か前にはたくさん友達いたのにねぇ」
「な、何だよ急に」
平静を装いボールを投げ返すが、動揺している心臓は普段より早く血液を体中に送り込んでいた。
「みんなやりたいこと見つけて、あなたから去っていった」
そんな俺の気持ちを他所に彼女は続ける。
「取り残されたあなたはこう思う。あぁ、一人ぼっちはなんて寂しいんだろう。俺なんて居ても居なくても関係ないんだろうぁ……そう考えたあなたは自然とこの屋上へと足を運ぶのだった」
特に訂正したい箇所も無く言葉をなくしている俺。
「以上、あなたが今ここに来るまでの葛藤より抜粋」
彼女はそう言って最後をきれいに整えた。
「せ、正解。というか何で知ってんの?」
「……くだらない」
「え?」
俺の死にたいと思うくらいの悩みを一言で一蹴された。
「私くらいになると相手の顔見ただけで死にたい理由なんて手に取るように分かるわ。まぁ、素人のあなたには難しいでしょうけどね」
平然とそんな特技を語る彼女。どうやら彼女は素人ではないらしい。……いったい何回失敗したらこのレベルになれるのだろう?とても聞けない疑問が浮かんでしまった。
「すげぇな、君」
「嘘よ」
感心した瞬間騙された。