第15話
ー/ー 四年前の春。
野球部の体験入部で、僕は野球部の顧問に屈辱的な言葉を浴びせられた。
曰く、「お前は野球に向いていない」、「才能がない」、「スタンドで声援を送っているのがお似合いだ」……思い出しただけでも、頭が痛くなる。
学校から家までの道のりをうなだれながら歩く。
「ただいま」
家に戻ると、台所から母さんが小走りで僕の元へ向かってきた。
「お帰り。野球部はどうだった?」
笑顔を見せる母さんの問いかけに、僕は「ダメだったよ」と肩を落としながら答えた。
「それで、他の部活を考えているんだけど……」
母さんに意見を求めようとした、その次の瞬間だった。
「今からでも遅くないから、チアをやってみない?」
そこからは母さんのターンだ。
運動神経がなくてもできる、男子がチアをやるのもかっこいい……。
これでもかと言わんばかりに、チアの素晴らしさを説きまくる。
しかも、チアを推してくるのは母さんだけではない。
「優人、いる?」
夕食後に明日の準備をしていると、今度は姉さんが僕の部屋にノックもせず入ってきた。
母さんに聞かれたときと同じように「ダメだった」と答えると、それ見たことかと呆れた表情を見せる。
「優人もこれを機にチアをやればいいのよ」
「部活は?」
「先生に話して免除してもらったら? 私は小学校の頃からサニーウイングスに入っていたから、部活は入らなかったわよ」
それから姉さんは中学校時代のことを誇らしげに話す。
チアの大会で優勝したこと、多くの男子に声をかけられたこと……。
話の最後に、姉さんはこう付け加えた。
「仙台初の男子のチアリーダーになったら、女の子から声をかけられるわよ♡」
自分がモテたからと言って、僕もそうなってほしいというのか。開いた口が塞がらない。
そのときの姉さんの笑顔は実に陽気で、まぶたを閉じても思い浮かぶ。
姉さんがチアをやっていたからといって、僕がチアをやるという理由にはならない。僕のやることは僕が決める。
母さんたちに先を越されまいと、火曜、水曜と様々な部活を見学した。しかし、なかなか自分に合う部活が見つからない。
木曜日の放課後、ついに僕は職員室へと向かった。
「このままだと、母さんたちの言いなりになりそうです」
焦燥した表情のまま担任の先生に悩みを打ち明けると、一冊の本を手渡した。
表紙には、僕とほぼ同じ年齢、もしくは年上の少年のイラストが描かれていた。
「『君たちはどう生きるか』……。漫画ですか?」
僕の問いかけに、先生は無言でうなずく。
「元々は八十年以上前に書かれた小説だけど、漫画化されてとても読みやすくなった。葛西なら、一晩で読めるだろう」
「どうしてこの本を……?」
「葛西、君は消えてなくなりたいと思っているか?」
僕の問いかけに、先生が質問で返す。
入りたい部活が見つからない。かといって、母さんの言いなりになるわけにもいかない。
悩んでいる僕の気持ちを察した先生は、優しく僕の肩を叩いた。
「この本を読んでから答えを出しても構わないよ。一字一句逃さず読んで、何をやりたいか、自分の頭で考えてごらん」
先生の優しい言葉が心に響く。
「はい!」と答えて、その本を持ち帰ったのは言うまでもない。
その夜、勉強をしながらその本をじっくり読んだ。
僕が苦しいのは、居場所を探そうとしているからなのか。
全て読み終えると、ねずみ色の空模様はあっという間に五月晴れへと変わる。
次の日、先生に感謝を込めて「文芸部に入りたいです」とだけ伝えてその本を返した。
きっかけは本の最後のページに挟まれていた、先生の手書きのメモだ。
『悩んでいるなら文芸部へおいで。世界が変わるよ』
柔らかい字で書かれていたメモを見て、自分の辛い思いを言葉にしようと決めた。
あのときの先生の笑顔は、どんなことがあろうが忘れられない。
文芸部に入ってから本を読み、つたないながらも創作に励んだ。先生に褒められるのが何よりも励みだった。
……高校に入っても、本を読むことだけは変わらない。たとえ体育会系の部活が盛んな高校だとしても、だ。
ひなたちゃんと出会って気がついた。僕は逃げていたのじゃない。自分の道を見つける時間が必要だっただけだ。
氷のような硬い気持ちは、まぶしい太陽で溶けていく。
今度こそ、自分の意志で向き合おう。文芸部の部長を見返すような作品を作り上げれば、さらに良い。
「やるか」
鼻息を荒くしながら、新しめのノートパソコンのキーボードを叩く。
部誌に載せる短編だ。凝ったことをする必要はない。
思い切って、一行目を打ち込んでみる。
まずは『桜の舞い散る四月、僕の隣に座ったのは』……。
ダメだ。ありきたりすぎる。
それなら、『ありきたりな世界は、席替えで一変した』……。
広瀬から借りて読んだラノベそのままだ。
「う~ん……」
考えれば考えるほど、無限ループに陥る。
ベッドの脇に置いてある目覚まし時計を見ると、もう午後十一時を回ろうとしていた。
あくびをしながらベッドに向かおうとすると、充電していたスマホが光る。
「こんな時間に誰だよ」
手に取って画面を見ると、通知欄に「Yui-Hime」と自撮りのアイコンが現れた。
Yui-Hime……。確か、「姫」の音読みは「き」のはずだ。
「ユキ……」
声に出してつぶやくと、一人の女性にぶつかる。
「鹿島さんだ」
始業式の日に連絡先を交換したのをすっかり忘れていた。どうして今まで気がつかなかったのだろう。
ロックを解いて、SNSを開く。
誰もいないチャットルームに、思わぬメッセージがスタンプと共に目に飛び込んだ。
『優人、最近秋山さんと仲良くしてるみたいだけど、どうしたの?』
「……!」
一瞬にして、心臓が締めつけられる。僕のことを気にしてメッセージを送っていたのか。
席が離れたとはいえ、鹿島さんと僕は同じクラスだ。月曜日のお昼休みのおしゃべりを聞かれたかもしれない。
「ふわぁ……」
まずいことになったと思った途端、眠気が襲ってきた。
明かりを消し、そのままベッドに倒れ込む。このまま何も考えずに寝てしまおう。
……その日の夢は、球場に足を運んだ時の夢だった。
球場で見た景色は、僕にとって一番の宝物だ……。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
四年前の春。
野球部の体験入部で、僕は野球部の顧問に屈辱的な言葉を浴びせられた。
曰く、「お前は野球に向いていない」、「才能がない」、「スタンドで声援を送っているのがお似合いだ」……思い出しただけでも、頭が痛くなる。
学校から家までの道のりをうなだれながら歩く。
「ただいま」
家に戻ると、台所から母さんが小走りで僕の元へ向かってきた。
「お帰り。野球部はどうだった?」
笑顔を見せる母さんの問いかけに、僕は「ダメだったよ」と肩を落としながら答えた。
「それで、他の部活を考えているんだけど……」
母さんに意見を求めようとした、その次の瞬間だった。
「今からでも遅くないから、チアをやってみない?」
そこからは母さんのターンだ。
運動神経がなくてもできる、男子がチアをやるのもかっこいい……。
これでもかと言わんばかりに、チアの素晴らしさを説きまくる。
しかも、チアを推してくるのは母さんだけではない。
「優人、いる?」
夕食後に明日の準備をしていると、今度は姉さんが僕の部屋にノックもせず入ってきた。
母さんに聞かれたときと同じように「ダメだった」と答えると、それ見たことかと呆れた表情を見せる。
「優人もこれを機にチアをやればいいのよ」
「部活は?」
「先生に話して免除してもらったら? 私は小学校の頃からサニーウイングスに入っていたから、部活は入らなかったわよ」
それから姉さんは中学校時代のことを誇らしげに話す。
チアの大会で優勝したこと、多くの男子に声をかけられたこと……。
話の最後に、姉さんはこう付け加えた。
「仙台初の男子のチアリーダーになったら、女の子から声をかけられるわよ♡」
自分がモテたからと言って、僕もそうなってほしいというのか。開いた口が塞がらない。
そのときの姉さんの笑顔は実に陽気で、まぶたを閉じても思い浮かぶ。
姉さんがチアをやっていたからといって、僕がチアをやるという理由にはならない。僕のやることは僕が決める。
母さんたちに先を越されまいと、火曜、水曜と様々な部活を見学した。しかし、なかなか自分に合う部活が見つからない。
木曜日の放課後、ついに僕は職員室へと向かった。
「このままだと、母さんたちの言いなりになりそうです」
焦燥した表情のまま担任の先生に悩みを打ち明けると、一冊の本を手渡した。
表紙には、僕とほぼ同じ年齢、もしくは年上の少年のイラストが描かれていた。
「『君たちはどう生きるか』……。漫画ですか?」
僕の問いかけに、先生は無言でうなずく。
「元々は八十年以上前に書かれた小説だけど、漫画化されてとても読みやすくなった。葛西なら、一晩で読めるだろう」
「どうしてこの本を……?」
「葛西、君は消えてなくなりたいと思っているか?」
僕の問いかけに、先生が質問で返す。
入りたい部活が見つからない。かといって、母さんの言いなりになるわけにもいかない。
悩んでいる僕の気持ちを察した先生は、優しく僕の肩を叩いた。
「この本を読んでから答えを出しても構わないよ。一字一句逃さず読んで、何をやりたいか、自分の頭で考えてごらん」
先生の優しい言葉が心に響く。
「はい!」と答えて、その本を持ち帰ったのは言うまでもない。
その夜、勉強をしながらその本をじっくり読んだ。
僕が苦しいのは、居場所を探そうとしているからなのか。
全て読み終えると、ねずみ色の空模様はあっという間に五月晴れへと変わる。
次の日、先生に感謝を込めて「文芸部に入りたいです」とだけ伝えてその本を返した。
きっかけは本の最後のページに挟まれていた、先生の手書きのメモだ。
『悩んでいるなら文芸部へおいで。世界が変わるよ』
柔らかい字で書かれていたメモを見て、自分の辛い思いを言葉にしようと決めた。
あのときの先生の笑顔は、どんなことがあろうが忘れられない。
文芸部に入ってから本を読み、つたないながらも創作に励んだ。先生に褒められるのが何よりも励みだった。
……高校に入っても、本を読むことだけは変わらない。たとえ体育会系の部活が盛んな高校だとしても、だ。
ひなたちゃんと出会って気がついた。僕は逃げていたのじゃない。自分の道を見つける時間が必要だっただけだ。
氷のような硬い気持ちは、まぶしい太陽で溶けていく。
今度こそ、自分の意志で向き合おう。文芸部の部長を見返すような作品を作り上げれば、さらに良い。
「やるか」
鼻息を荒くしながら、新しめのノートパソコンのキーボードを叩く。
部誌に載せる短編だ。凝ったことをする必要はない。
思い切って、一行目を打ち込んでみる。
まずは『桜の舞い散る四月、僕の隣に座ったのは』……。
ダメだ。ありきたりすぎる。
それなら、『ありきたりな世界は、席替えで一変した』……。
広瀬から借りて読んだラノベそのままだ。
「う~ん……」
考えれば考えるほど、無限ループに陥る。
ベッドの脇に置いてある目覚まし時計を見ると、もう午後十一時を回ろうとしていた。
あくびをしながらベッドに向かおうとすると、充電していたスマホが光る。
「こんな時間に誰だよ」
手に取って画面を見ると、通知欄に「Yui-Hime」と自撮りのアイコンが現れた。
Yui-Hime……。確か、「姫」の音読みは「き」のはずだ。
「ユキ……」
声に出してつぶやくと、一人の女性にぶつかる。
「鹿島さんだ」
始業式の日に連絡先を交換したのをすっかり忘れていた。どうして今まで気がつかなかったのだろう。
ロックを解いて、SNSを開く。
誰もいないチャットルームに、思わぬメッセージがスタンプと共に目に飛び込んだ。
『優人、最近秋山さんと仲良くしてるみたいだけど、どうしたの?』
「……!」
一瞬にして、心臓が締めつけられる。僕のことを気にしてメッセージを送っていたのか。
席が離れたとはいえ、鹿島さんと僕は同じクラスだ。月曜日のお昼休みのおしゃべりを聞かれたかもしれない。
「ふわぁ……」
まずいことになったと思った途端、眠気が襲ってきた。
明かりを消し、そのままベッドに倒れ込む。このまま何も考えずに寝てしまおう。
……その日の夢は、球場に足を運んだ時の夢だった。
球場で見た景色は、僕にとって一番の宝物だ……。