第11話
ー/ー「よう、葛西」
次の日の放課後、体育館へ向かう途中で広瀬に呼び止められた。
「今日は部活か?」
「そうさ。それと、時間があれば見回りもするよ。ところで、この前不純異性交遊で騒ぎになったのを覚えてるか?」
「もちろん。和室で妙な匂いがしたんだろ」
「ご名答だな。それを防ぐためにも、放課後の見回りを強化してるんだ」
深刻な問題であるにもかかわらず、広瀬は顔色を変えずに軽く流す。
「それより、お前が体育館に向かうなんて珍しいな。ひょっとして、秋山さん目当てか?」
涼しげな顔で問いかける。ちなみに、広瀬はひなたちゃんの斜め前の席なのに面識はない。
「ぐっ……」
図星を突かれたが、少し違う。ひなたちゃんから誘われたことは内緒にしておこう。
「まあ、そうだけど」
「やはりな。昨日の昼休み、鹿島さんが秋山さんに何か話しかけてただろ?」
「見てたのか」
「図書館から戻ったら、お前が鹿島さんと秋山さんに挟まれてる感じだったからな」
感心していると、広瀬がしたり顔で僕を見つめる。
「お前、鹿島さんのことで悩んでないか? あいつ、席替えの前からお前のことを気にしてたぞ」
「……複雑なんだよ」
確かに鹿島さんは魅力的な女性だ。見た目、器量、家柄ともに非の打ち所がない。
しかし、今となってはひなたちゃんたちとおしゃべりするのが楽しい。
「そうだろう。でも、秋山さんもお前のことを気になってるみたいだし、絶好の機会じゃないか」
「聞いてたのかよ」
「もちろんさ。秋山さんがスマホを取り出してるところ、バッチリ見てたぜ」
広瀬が苦笑いを浮かべる。
二人で肩を並べて話すと、広瀬が風紀委員であることを忘れてしまう。
「まあ、頑張れよ」
「ありがとう」
広瀬は軽く手を振ると、校舎内へと消えていった。
残された僕は、後ろを振り返らないようにして階段を駆け抜けた。
体育館の中は、五月とは思えないほどの熱気に包まれていた。
「失礼します」
誰かに遠慮するように、体育館の中に入る。ステージ側のコートでは、すでにバレーボール部が練習を始めていた。
恐る恐る、ステージ側のコートへと足を運ぶ。
マイボトルなどが置かれた長机、床一面に敷き詰められたマット、「必勝! ネギ高」の文字が躍るホワイトボード。
心の奥で何かがざわめく。母さんや姉さんが勧めてきたあの世界に、今度は自分から踏み入れようとしている。
ひなたちゃんの輝く笑顔を思い浮かべると、心の中にある高い壁が崩れ落ちるのを感じた。
僕が恐れていたのは、チアに興味があることを認めてしまうことだ。逃げずに立ち向かおう、姉さんたちが愛した世界へ。
「スピーカーの音量は大丈夫かな?」
「大丈夫です」
生徒のすぐ近くでは、林先生が音響機器のチェックに立ち会っていた。
清潔感すら感じるモノトーンのジャージの下には、使い込んだプリーツスカートが見えている。
スーツ姿で長い髪をゴムで留めている普段と違って、リボンの髪留めがかわいらしい。
「ちゃんと来たのね」
林先生を見ていると、後ろから自信ありげで親しみの感じやすい声がする。
振り返ると、僕とさほど変わらない背丈をした美女が立っていた。
正々堂々としていて、自信に満ちた整った顔立ち。
歩くたびに揺れる長い髪は肋骨の辺りまで流れ、頭上には小さな白いリボンがウサギの耳のようにピンと立っている。
ノースリーブの上着とひらひらと揺れるプリーツスカート、そして程よい長さのソックスが実に素晴らしい。
極めつけは、彼女から漂うフルーツの香りだ。
もしかして、彼女こそひなたちゃんが話していたチア部の部長なのだろうか。
「僕のこと、知っているんですか?」
「もちろん。君が二年二組の葛西優人君かしら」
彼女の問いかけに無言でうなずいた。
「ところで、あなたは誰ですか?」
「自己紹介がまだだったわね。あたしは根岸高校チアリーディング部部長、三年六組の菅原美琴。よろしくね」
菅原先輩はそう話すと笑顔を浮かべながら右手を差し出す。
「こちらこそ」
菅原先輩に促されるように右手を差し出す。
温かくて柔らかい感触を味わうと、少しだけ胸がときめいた。ひなたちゃんの手も同じ感じなのだろうか。
「あなたが来るのを、みんなで待ってたのよ」
よく見ると、チア部の部員たちが学年ごとに体育座りをしている。部員が果たして何人いるのか気になるところだ。
「部員は何人くらいですか?」
「あたしを含めて二十人くらいかな」
(なるほど、それなりにいるのか)
始業式の日に「入部してからずっと第一線で活躍している」と胸を張ったひなたちゃんの言葉に嘘偽りはなさそうだ。
「みんなに紹介するから、あたしの後についてきて」
「は、はい!」
菅原先輩はそう話すと、後ろを向いてホワイトボードのある方へと向かう。
まずい、急に緊張してきた……。みんなの視線が痛い。
「大丈夫? 緊張してない?」
菅原先輩が振り返って、優しく声をかける。
「いっ、いえ。だ、大丈夫です」
「リラックス、リラックス!」
「はっ、はい!」
笑顔を浮かべる先輩を見て、少し落ち着いているような、ないような……。
前を見よう、そう自分に言い聞かせると、林先生が僕の元へ近づいてくる。
「君って、うちのクラスの葛西君……だよね?」
「はい、そうですが……」
「今日はどうしてここに来たのかな? もしかして、かわいい子目当て?」
普段の授業では見られないカジュアルな話し方に、一瞬だけドキッとする。
「いえ、そういうわけじゃありません」
「理由はどうであれ、歓迎するよ。ミコちゃん、紹介をお願いできる?」
「任せてください!」
菅原先輩に引っ張られるように、部員たちの前を歩く。
手前から三年生、二年生、そして一番奥に一年生が座っている。もちろん、全員が部長と同じユニフォーム姿だ。
「はい、みんなこちらに注目して! この子が、見学に来た文芸部の葛西優人君よ!」
「えっ、男子?」「文芸部なのに、なんでチア部に?」「でも、見学って……」「本当かな?」
部員たちのひそひそ話が僕の耳に入ってくる。
今、僕の目の前にいる子たちは雑誌から抜け出してきたような子たちばかりだ。みんな姿勢が良くて、肌もつやつやしている。
「はじめまして、文芸部の葛西優人です。小説のことで少し悩んでいまして、それで参考になるかと思って……。よろしくお願いします」
ガチガチに緊張しながらも、挨拶を済ませた。
「みんな! 葛西君が見学していても、普段どおり練習してね!」
「はいっ!」「はーい!」
菅原先輩がそう話すと、四方から黄色い声が飛び交う。
「さて葛西君、わからないことがあったら何でも聞いてね」
「ありがとうございます!」
菅原先輩に軽く頭を下げる。
胸の奥で何かがうごめく。姉さんや母さんに推されて作った壁を壊すのは、今だ。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
「よう、葛西」
次の日の放課後、体育館へ向かう途中で広瀬に呼び止められた。
「今日は部活か?」
「そうさ。それと、時間があれば見回りもするよ。ところで、この前不純異性交遊で騒ぎになったのを覚えてるか?」
「もちろん。和室で妙な匂いがしたんだろ」
「ご名答だな。それを防ぐためにも、放課後の見回りを強化してるんだ」
深刻な問題であるにもかかわらず、広瀬は顔色を変えずに軽く流す。
「それより、お前が体育館に向かうなんて珍しいな。ひょっとして、秋山さん目当てか?」
涼しげな顔で問いかける。ちなみに、広瀬はひなたちゃんの斜め前の席なのに面識はない。
「ぐっ……」
図星を突かれたが、少し違う。ひなたちゃんから誘われたことは内緒にしておこう。
「まあ、そうだけど」
「やはりな。昨日の昼休み、鹿島さんが秋山さんに何か話しかけてただろ?」
「見てたのか」
「図書館から戻ったら、お前が鹿島さんと秋山さんに挟まれてる感じだったからな」
感心していると、広瀬がしたり顔で僕を見つめる。
「お前、鹿島さんのことで悩んでないか? あいつ、席替えの前からお前のことを気にしてたぞ」
「……複雑なんだよ」
確かに鹿島さんは魅力的な女性だ。見た目、器量、家柄ともに非の打ち所がない。
しかし、今となってはひなたちゃんたちとおしゃべりするのが楽しい。
「そうだろう。でも、秋山さんもお前のことを気になってるみたいだし、絶好の機会じゃないか」
「聞いてたのかよ」
「もちろんさ。秋山さんがスマホを取り出してるところ、バッチリ見てたぜ」
広瀬が苦笑いを浮かべる。
二人で肩を並べて話すと、広瀬が風紀委員であることを忘れてしまう。
「まあ、頑張れよ」
「ありがとう」
広瀬は軽く手を振ると、校舎内へと消えていった。
残された僕は、後ろを振り返らないようにして階段を駆け抜けた。
体育館の中は、五月とは思えないほどの熱気に包まれていた。
「失礼します」
誰かに遠慮するように、体育館の中に入る。ステージ側のコートでは、すでにバレーボール部が練習を始めていた。
恐る恐る、ステージ側のコートへと足を運ぶ。
マイボトルなどが置かれた長机、床一面に敷き詰められたマット、「必勝! ネギ高」の文字が躍るホワイトボード。
心の奥で何かがざわめく。母さんや姉さんが勧めてきたあの世界に、今度は自分から踏み入れようとしている。
ひなたちゃんの輝く笑顔を思い浮かべると、心の中にある高い壁が崩れ落ちるのを感じた。
僕が恐れていたのは、チアに興味があることを認めてしまうことだ。逃げずに立ち向かおう、姉さんたちが愛した世界へ。
「スピーカーの音量は大丈夫かな?」
「大丈夫です」
生徒のすぐ近くでは、林先生が音響機器のチェックに立ち会っていた。
清潔感すら感じるモノトーンのジャージの下には、使い込んだプリーツスカートが見えている。
スーツ姿で長い髪をゴムで留めている普段と違って、リボンの髪留めがかわいらしい。
「ちゃんと来たのね」
林先生を見ていると、後ろから自信ありげで親しみの感じやすい声がする。
振り返ると、僕とさほど変わらない背丈をした美女が立っていた。
正々堂々としていて、自信に満ちた整った顔立ち。
歩くたびに揺れる長い髪は肋骨の辺りまで流れ、頭上には小さな白いリボンがウサギの耳のようにピンと立っている。
ノースリーブの上着とひらひらと揺れるプリーツスカート、そして程よい長さのソックスが実に素晴らしい。
極めつけは、彼女から漂うフルーツの香りだ。
もしかして、彼女こそひなたちゃんが話していたチア部の部長なのだろうか。
「僕のこと、知っているんですか?」
「もちろん。君が二年二組の葛西優人君かしら」
彼女の問いかけに無言でうなずいた。
「ところで、あなたは誰ですか?」
「自己紹介がまだだったわね。あたしは根岸高校チアリーディング部部長、三年六組の菅原美琴。よろしくね」
菅原先輩はそう話すと笑顔を浮かべながら右手を差し出す。
「こちらこそ」
菅原先輩に促されるように右手を差し出す。
温かくて柔らかい感触を味わうと、少しだけ胸がときめいた。ひなたちゃんの手も同じ感じなのだろうか。
「あなたが来るのを、みんなで待ってたのよ」
よく見ると、チア部の部員たちが学年ごとに体育座りをしている。部員が果たして何人いるのか気になるところだ。
「部員は何人くらいですか?」
「あたしを含めて二十人くらいかな」
(なるほど、それなりにいるのか)
始業式の日に「入部してからずっと第一線で活躍している」と胸を張ったひなたちゃんの言葉に嘘偽りはなさそうだ。
「みんなに紹介するから、あたしの後についてきて」
「は、はい!」
菅原先輩はそう話すと、後ろを向いてホワイトボードのある方へと向かう。
まずい、急に緊張してきた……。みんなの視線が痛い。
「大丈夫? 緊張してない?」
菅原先輩が振り返って、優しく声をかける。
「いっ、いえ。だ、大丈夫です」
「リラックス、リラックス!」
「はっ、はい!」
笑顔を浮かべる先輩を見て、少し落ち着いているような、ないような……。
前を見よう、そう自分に言い聞かせると、林先生が僕の元へ近づいてくる。
「君って、うちのクラスの葛西君……だよね?」
「はい、そうですが……」
「今日はどうしてここに来たのかな? もしかして、かわいい子目当て?」
普段の授業では見られないカジュアルな話し方に、一瞬だけドキッとする。
「いえ、そういうわけじゃありません」
「理由はどうであれ、歓迎するよ。ミコちゃん、紹介をお願いできる?」
「任せてください!」
菅原先輩に引っ張られるように、部員たちの前を歩く。
手前から三年生、二年生、そして一番奥に一年生が座っている。もちろん、全員が部長と同じユニフォーム姿だ。
「はい、みんなこちらに注目して! この子が、見学に来た文芸部の葛西優人君よ!」
「えっ、男子?」「文芸部なのに、なんでチア部に?」「でも、見学って……」「本当かな?」
部員たちのひそひそ話が僕の耳に入ってくる。
今、僕の目の前にいる子たちは雑誌から抜け出してきたような子たちばかりだ。みんな姿勢が良くて、肌もつやつやしている。
「はじめまして、文芸部の葛西優人です。小説のことで少し悩んでいまして、それで参考になるかと思って……。よろしくお願いします」
ガチガチに緊張しながらも、挨拶を済ませた。
「みんな! 葛西君が見学していても、普段どおり練習してね!」
「はいっ!」「はーい!」
菅原先輩がそう話すと、四方から黄色い声が飛び交う。
「さて葛西君、わからないことがあったら何でも聞いてね」
「ありがとうございます!」
菅原先輩に軽く頭を下げる。
胸の奥で何かがうごめく。姉さんや母さんに推されて作った壁を壊すのは、今だ。