第5話
ー/ー 次の日。
「ふあ~」
目が覚めたのは、いつもと同じ六時ちょうどだった。
弁当を詰めるなどいつもの日課をこなしてから、姉さんと一緒にマンションの一室を出た。
「行ってきます」
すがすがしい空模様の中、マンションの前の大通りを歩く。さすが旧国道というだけあって、道路には車が絶えない。
細い路地に入って住宅街を抜けると、運動場の向かい側に見慣れた校舎が見える。
杜都根岸高校、通称「ネギ高」。ここが僕の通っている学校だ。
学校のすぐそばには、総合運動場を挟んで広瀬川が流れる。鉄道やバス、地下鉄などの交通の便が極めてよく、市外から通っている生徒も多い。
制服がある学校だが校則は緩く、林先生をはじめとして先生も優しい人がそろっている。中心部にあるナンバースクールには及ばないものの、国公立大学に毎年百人以上を送り出している進学校だ。
「イッチ、ニー、サン、シー」
校門を通り過ぎると、ランニングをしている生徒たちとすれ違った。
朝からトレーニングをしているのはサッカー部だろうか。ずいぶん熱心だ。
感心しながら昇降口を通り、北校舎にある二年二組の教室へと向かう。
自分の机に着いたら今日の準備だ。カバンの中には、姉さんから借りた大切な本がある。来たらすぐに渡そう。
今日の準備を終えると、クラスメイトたちが次から次へと教室に入ってきた。その中には、秋山さんの姿があった。
「葛西君、おはよう」
秋山さんは僕の隣に座るなり、すぐに今日の準備を始めている。
見た目はどこにでもいる女子高生なのに、ずいぶん手際が良い。まるで朝の支度を何年も続けているベテランサラリーマンみたいだ。
「おはよう、秋山さん。そういえば……」
「なあに?」
「昨日、男子大学生がチアをやる小説のことについて聞いたよね。もう十年以上前の本なのに、どうして知ってるのかな」
「友達に教えてもらったの。その子、同じ作者のデビュー作が大好きだって話してたよ」
「詳しい友達がいたんだね」
「そうだよ。友達がその本と同じ著者ならば、ということで薦められたけど、書店にはなかなか置いてなくて……」
秋山さんの表情が少しだけ曇ったように見えた。
確かに十年以上前の本だと、図書館や電子書籍を探した方が早い場合もある。推せるときに推せ、とはよく言ったものだ。
「その本、今持っているよ」
「本当?」
秋山さんの瞳が輝いて見える。待っていましたと言わんばかりに、カバンから本を取り出す。
「わあ……」
姉さんから借りた本を見せると、秋山さんの顔がキラキラと輝いた。
「これ、前から読みたかったんだ! 連休中にじっくり読むね!」
本を手に取る秋山さんの様子に、思わず僕も笑顔になった。
「葛西君、ありがとう! 本当に嬉しいよ!」
「どういたしまして。ひな……」
あっ、危ない。うっかり下の名前で呼びそうになった。
「ひな?」
秋山さんが首をかしげる。
「あっ、えーっと……、その……」
「もしかして、ひなたって呼んでくれるつもりだったの?」
僕が口をつぐむ間もなく、秋山さんの顔がパッと明るくなった。
「あっ、うん……。でも、まだそんなに親しくないのに、いきなり下の名前で呼ぶのは良くないかなって……」
「ううん、全然いいよ! 私も優人君って呼んでいい?」
かわいらしい彼女の仕草に、思わず胸がときめいた。
「うん、いいよ」
「やった! よろしくね、優人君」
僕がうなずくと、秋山さん……いや、ひなたちゃんはまぶしい笑顔を見せた。
教室の入り口に目を向けると、見慣れない影が差している。お下げ髪のようだが、一体誰なのだろうか。
すると、ひなたちゃんが「あっ、ごめん!」と慌てて立ち上がった。弁当箱を手に、ひなたちゃんは影を追うようにして教室を後にした。
数分後。
「ちょっと遅くなっちゃった」
予鈴間近というところで、ひなたちゃんが戻ってきた。
「お帰り。どうして遅くなったの?」
「廊下でフーカに会ってね」
「フーカ?」
聞き慣れない名前だ。一体誰だろう。
「私の幼なじみだよ」
「う~ん……」
ひなたちゃんの口から出た「フーカ」の名前を聞いて、ある女子の名を思い出した。
高橋風香。
才色兼備そのもののような女子だと聞いたことがある。
そんな彼女がひなたちゃんの幼なじみだなんて、意外だ。どんな子か、一度会ってみたい。
「本が好きだから、きっと優人君と気が合うよ。それで、連休明けにフーカを紹介してもいいかな」
僕の心を見透かしたかのように、ひなたちゃんが尋ねる。
「もしかして、その彼女が例の小説を教えてくれた友達?」
「そうだよ。優人君のことを伝えたら、是非会いたいって話してたよ。どうかな?」
「もちろん……」
もちろんさ、と言いかけた瞬間、教室の引き戸がガラッと音を立てて開く。
「おはよう、みんな」
「あっ、先生だ。それじゃあ、また後で話そうね」
林先生が息を切らしながら教室に入ると、おしゃべりをしていた生徒たちが慌てて自分の席へと戻っていった。もちろん、ひなたちゃんもだ。
「明日から連休だけれど、くれぐれも勉強だけは忘れないようにね」
教壇に立つと、林先生はフレンドリーな口調で話しはじめる。
甘いしゃべり方をする先生の話に耳を傾けながら、僕は隣の席に座るひなたちゃんを横目で見た。
「……♡」
ひなたちゃんも僕の顔を見て、小さくほほ笑んだ。
明日からは久しぶりに父さんの実家へ向かう。母さんたちとも少しの間はお別れだ。
実家で単身赴任をしている父さんへの土産話もさることながら、連休明けには新たな出会いが待っている。
僕の世界が、少しずつ広がっていく気がした。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
次の日。
「ふあ~」
目が覚めたのは、いつもと同じ六時ちょうどだった。
弁当を詰めるなどいつもの日課をこなしてから、姉さんと一緒にマンションの一室を出た。
「行ってきます」
すがすがしい空模様の中、マンションの前の大通りを歩く。さすが旧国道というだけあって、道路には車が絶えない。
細い路地に入って住宅街を抜けると、運動場の向かい側に見慣れた校舎が見える。
杜都根岸高校、通称「ネギ高」。ここが僕の通っている学校だ。
学校のすぐそばには、総合運動場を挟んで広瀬川が流れる。鉄道やバス、地下鉄などの交通の便が極めてよく、市外から通っている生徒も多い。
制服がある学校だが校則は緩く、林先生をはじめとして先生も優しい人がそろっている。中心部にあるナンバースクールには及ばないものの、国公立大学に毎年百人以上を送り出している進学校だ。
「イッチ、ニー、サン、シー」
校門を通り過ぎると、ランニングをしている生徒たちとすれ違った。
朝からトレーニングをしているのはサッカー部だろうか。ずいぶん熱心だ。
感心しながら昇降口を通り、北校舎にある二年二組の教室へと向かう。
自分の机に着いたら今日の準備だ。カバンの中には、姉さんから借りた大切な本がある。来たらすぐに渡そう。
今日の準備を終えると、クラスメイトたちが次から次へと教室に入ってきた。その中には、秋山さんの姿があった。
「葛西君、おはよう」
秋山さんは僕の隣に座るなり、すぐに今日の準備を始めている。
見た目はどこにでもいる女子高生なのに、ずいぶん手際が良い。まるで朝の支度を何年も続けているベテランサラリーマンみたいだ。
「おはよう、秋山さん。そういえば……」
「なあに?」
「昨日、男子大学生がチアをやる小説のことについて聞いたよね。もう十年以上前の本なのに、どうして知ってるのかな」
「友達に教えてもらったの。その子、同じ作者のデビュー作が大好きだって話してたよ」
「詳しい友達がいたんだね」
「そうだよ。友達がその本と同じ著者ならば、ということで薦められたけど、書店にはなかなか置いてなくて……」
秋山さんの表情が少しだけ曇ったように見えた。
確かに十年以上前の本だと、図書館や電子書籍を探した方が早い場合もある。推せるときに推せ、とはよく言ったものだ。
「その本、今持っているよ」
「本当?」
秋山さんの瞳が輝いて見える。待っていましたと言わんばかりに、カバンから本を取り出す。
「わあ……」
姉さんから借りた本を見せると、秋山さんの顔がキラキラと輝いた。
「これ、前から読みたかったんだ! 連休中にじっくり読むね!」
本を手に取る秋山さんの様子に、思わず僕も笑顔になった。
「葛西君、ありがとう! 本当に嬉しいよ!」
「どういたしまして。ひな……」
あっ、危ない。うっかり下の名前で呼びそうになった。
「ひな?」
秋山さんが首をかしげる。
「あっ、えーっと……、その……」
「もしかして、ひなたって呼んでくれるつもりだったの?」
僕が口をつぐむ間もなく、秋山さんの顔がパッと明るくなった。
「あっ、うん……。でも、まだそんなに親しくないのに、いきなり下の名前で呼ぶのは良くないかなって……」
「ううん、全然いいよ! 私も優人君って呼んでいい?」
かわいらしい彼女の仕草に、思わず胸がときめいた。
「うん、いいよ」
「やった! よろしくね、優人君」
僕がうなずくと、秋山さん……いや、ひなたちゃんはまぶしい笑顔を見せた。
教室の入り口に目を向けると、見慣れない影が差している。お下げ髪のようだが、一体誰なのだろうか。
すると、ひなたちゃんが「あっ、ごめん!」と慌てて立ち上がった。弁当箱を手に、ひなたちゃんは影を追うようにして教室を後にした。
数分後。
「ちょっと遅くなっちゃった」
予鈴間近というところで、ひなたちゃんが戻ってきた。
「お帰り。どうして遅くなったの?」
「廊下でフーカに会ってね」
「フーカ?」
聞き慣れない名前だ。一体誰だろう。
「私の幼なじみだよ」
「う~ん……」
ひなたちゃんの口から出た「フーカ」の名前を聞いて、ある女子の名を思い出した。
高橋風香。
才色兼備そのもののような女子だと聞いたことがある。
そんな彼女がひなたちゃんの幼なじみだなんて、意外だ。どんな子か、一度会ってみたい。
「本が好きだから、きっと優人君と気が合うよ。それで、連休明けにフーカを紹介してもいいかな」
僕の心を見透かしたかのように、ひなたちゃんが尋ねる。
「もしかして、その彼女が例の小説を教えてくれた友達?」
「そうだよ。優人君のことを伝えたら、是非会いたいって話してたよ。どうかな?」
「もちろん……」
もちろんさ、と言いかけた瞬間、教室の引き戸がガラッと音を立てて開く。
「おはよう、みんな」
「あっ、先生だ。それじゃあ、また後で話そうね」
林先生が息を切らしながら教室に入ると、おしゃべりをしていた生徒たちが慌てて自分の席へと戻っていった。もちろん、ひなたちゃんもだ。
「明日から連休だけれど、くれぐれも勉強だけは忘れないようにね」
教壇に立つと、林先生はフレンドリーな口調で話しはじめる。
甘いしゃべり方をする先生の話に耳を傾けながら、僕は隣の席に座るひなたちゃんを横目で見た。
「……♡」
ひなたちゃんも僕の顔を見て、小さくほほ笑んだ。
明日からは久しぶりに父さんの実家へ向かう。母さんたちとも少しの間はお別れだ。
実家で単身赴任をしている父さんへの土産話もさることながら、連休明けには新たな出会いが待っている。
僕の世界が、少しずつ広がっていく気がした。