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行き止まりヘッドショット

ー/ー



 見下ろした先、くすんだ畳の上で若い男が一人額を抑えて呻いている。私にとってはそう珍しい光景ではない。私の母を付け回す人間が珍しくないのと同じくらいに。

「い、……ぃたい、って、……」

 非難がましく上目使いに見てくるが、ストーカーの分際で「君、僕のこと付けてたの!?」と言われれば誰だって一発二発くらい拳を叩き込みたくなる。せわしなく動き回る眼球からはどうすれば誤魔化せるか、いっそ認めて謝った方がいいのでは、と考えているのが丸見えで本当に腹ただしい。もしかしたらゆるして貰えるんじゃないかだなんて、思ってないだろうな、コイツ。

「いたい、んだって、そんな、待ってくれよ、落ち着いて……だって、ほら、まだ僕なにも、してないじゃないか、それを、暴力なんて、」

 今更なにを言っているのか。私みたいなたかが小娘一人にバレるような馬鹿みたいに下手な尾行をしといて、こんなこと、気づかれた時点で全部オシャカなのに。どうも己のことをそれなりに善良な生きものだと勘違いしている節がある。ごめんなさいと謝って済む年でもあるまいに、無意識にでも逃げ道が何処かにあると思い込んでいるのか。愚図。

「良かったですよね。まだ会いに来たのが私で。以前、母のストーカーやってらっしゃった方が、他のストーカーの方に刺されたり轢かれたり自宅までつけられて放火されたりしてましたから。誰か貴方のこと狙ってる人もいるかもしれませんよ」

 額を赤くした男の顔色が真っ青になり、酸欠の魚の如く口が開く。愚図。
 本当に母は人に好かれる人なので困る。しかも当の本人は全く周囲の騒動に気がつかない。
 この男、ナイフや包丁を持って母に会いにくるタイプではなかったことだけは良かったな。そんな度胸もなかったのだろうが。
 数年前、母に三日に一度大量の薔薇の花束を渡しに来ていた男がいた。赤い花束の奥から飛び出してきた、鈍く光る刃に腹を刺された兄のことを思い出す。あれはとても痛そうだった。どいつもこいつも、一方的な執着と妄想でひとの人生無茶苦茶にしやがる。何があの人なら助けてくれると思った、わかってくれると思った、だ。母は、誰のことも認識していないし覚えてもないよ。姉が出ていった理由にも、カケラも気がついていないし。彼氏が母に出会った瞬間惚れてしまい、別れを切り出された回数がついに二桁を超えた記念日、姉は私にメッセージを送ると姿を消してしまった。

「…そんな、僕なんかを狙う人なんて……ああでも、実際君が来ちゃったもんな…なぁ、あの、これぐらいで、やめてくれないかな、暴力なんて良くないよ、君、あのひとの娘さんなんだろ、ならこんなことしちゃいけないって」
「その娘さんにここまでされなきゃいけないようなことをしてるのは誰ですかね」

 ほそい肩を足先で軽く押せば、男があっさりと転がる。顔に怯えの色が濃くなり、虫みたいに動く指先が畳を引っ掻く。

「き、君に、直接迷惑かけたわけじゃない! あのひとなら、きっとゆるしてくれるんじゃないかな、なぁ、君だってわかるだろう、あんなに優しそうなひとなんだ、だから、これぐらい仕方ないんだって、僕だって君が羨ましいくらいなんだ、あのひとの家族だなんて」

 どうやら、まだ自分の立場がよくわかっていないようだった。私がカバンに手を突っ込んでも、男の目には怯えと希望が同居していた。この期に及んで夢でも見てるのか。とりあえず、これでいいか。

「あの人はあんなに魅力的で、君もそう思わないかい? そこらのアイドルや女優なんか比べ物にならない! あんなに美しいのに、まるで普通の人みたいに過ごしているなんて、だって、すぐそこに居るじゃないか! 君も、君もさ、彼女が好きなんだ、美しいと思ってるんだろう、僕もそうなんだ、なぁ僕ら一緒じゃないか、君には僕と似たようなものを感じるんだ」

 震えた声は徐々に熱を帯び、私を見上げてどうにか笑おうとしていた。まだ何か訴えようとしていたようだが、それは金槌を取り出した私が、男の額を再び蹴り上げて転がすまでの話だった。

 うん、そうだなあ。私もあのひとのことはすきだけどさ。




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 見下ろした先、くすんだ畳の上で若い男が一人額を抑えて呻いている。私にとってはそう珍しい光景ではない。私の母を付け回す人間が珍しくないのと同じくらいに。
「い、……ぃたい、って、……」
 非難がましく上目使いに見てくるが、ストーカーの分際で「君、僕のこと付けてたの!?」と言われれば誰だって一発二発くらい拳を叩き込みたくなる。せわしなく動き回る眼球からはどうすれば誤魔化せるか、いっそ認めて謝った方がいいのでは、と考えているのが丸見えで本当に腹ただしい。もしかしたらゆるして貰えるんじゃないかだなんて、思ってないだろうな、コイツ。
「いたい、んだって、そんな、待ってくれよ、落ち着いて……だって、ほら、まだ僕なにも、してないじゃないか、それを、暴力なんて、」
 今更なにを言っているのか。私みたいなたかが小娘一人にバレるような馬鹿みたいに下手な尾行をしといて、こんなこと、気づかれた時点で全部オシャカなのに。どうも己のことをそれなりに善良な生きものだと勘違いしている節がある。ごめんなさいと謝って済む年でもあるまいに、無意識にでも逃げ道が何処かにあると思い込んでいるのか。愚図。
「良かったですよね。まだ会いに来たのが私で。以前、母のストーカーやってらっしゃった方が、他のストーカーの方に刺されたり轢かれたり自宅までつけられて放火されたりしてましたから。誰か貴方のこと狙ってる人もいるかもしれませんよ」
 額を赤くした男の顔色が真っ青になり、酸欠の魚の如く口が開く。愚図。
 本当に母は人に好かれる人なので困る。しかも当の本人は全く周囲の騒動に気がつかない。
 この男、ナイフや包丁を持って母に会いにくるタイプではなかったことだけは良かったな。そんな度胸もなかったのだろうが。
 数年前、母に三日に一度大量の薔薇の花束を渡しに来ていた男がいた。赤い花束の奥から飛び出してきた、鈍く光る刃に腹を刺された兄のことを思い出す。あれはとても痛そうだった。どいつもこいつも、一方的な執着と妄想でひとの人生無茶苦茶にしやがる。何があの人なら助けてくれると思った、わかってくれると思った、だ。母は、誰のことも認識していないし覚えてもないよ。姉が出ていった理由にも、カケラも気がついていないし。彼氏が母に出会った瞬間惚れてしまい、別れを切り出された回数がついに二桁を超えた記念日、姉は私にメッセージを送ると姿を消してしまった。
「…そんな、僕なんかを狙う人なんて……ああでも、実際君が来ちゃったもんな…なぁ、あの、これぐらいで、やめてくれないかな、暴力なんて良くないよ、君、あのひとの娘さんなんだろ、ならこんなことしちゃいけないって」
「その娘さんにここまでされなきゃいけないようなことをしてるのは誰ですかね」
 ほそい肩を足先で軽く押せば、男があっさりと転がる。顔に怯えの色が濃くなり、虫みたいに動く指先が畳を引っ掻く。
「き、君に、直接迷惑かけたわけじゃない! あのひとなら、きっとゆるしてくれるんじゃないかな、なぁ、君だってわかるだろう、あんなに優しそうなひとなんだ、だから、これぐらい仕方ないんだって、僕だって君が羨ましいくらいなんだ、あのひとの家族だなんて」
 どうやら、まだ自分の立場がよくわかっていないようだった。私がカバンに手を突っ込んでも、男の目には怯えと希望が同居していた。この期に及んで夢でも見てるのか。とりあえず、これでいいか。
「あの人はあんなに魅力的で、君もそう思わないかい? そこらのアイドルや女優なんか比べ物にならない! あんなに美しいのに、まるで普通の人みたいに過ごしているなんて、だって、すぐそこに居るじゃないか! 君も、君もさ、彼女が好きなんだ、美しいと思ってるんだろう、僕もそうなんだ、なぁ僕ら一緒じゃないか、君には僕と似たようなものを感じるんだ」
 震えた声は徐々に熱を帯び、私を見上げてどうにか笑おうとしていた。まだ何か訴えようとしていたようだが、それは金槌を取り出した私が、男の額を再び蹴り上げて転がすまでの話だった。
 うん、そうだなあ。私もあのひとのことはすきだけどさ。