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第26話_ひつか

ー/ー



管理室は、見違えるほどきれいになっていた。

いつもならシンクに積まれているはずの食器は影も形もなく、
デスクの上を占領していた書類の山も、必要なものだけが整然とまとめられている。

床に落ちていた小物も、椅子に掛けっぱなしだった上着も、すべて片付けた。
普段の生活感たっぷりの部屋は、もはやそこには無かった。

長机をいくつも繋げ、全員が中央のモニターを自然と見渡せるように配置する。
椅子の位置も微調整し、視線の高さや間隔を確認する。

(よし……ギリギリ間に合ったな……)

机に手をつき、短く息を吐く。
時計代わりに壁のモニターを一瞥する。

なぜ、ここまで念入りに準備をしているのか。

年に一度――
冥府全域に点在する八つの駅、その管理人たちが一堂に会する日。

『冥府八駅会合』

今年はその会場が「つきのみや駅」なのだ。

(無事に……終わるといいがな……)

自分に言い聞かせるように、心の中で呟く。
が、不安は完全には取り除けなかった。

あの駅の管理人の顔が、ふっと脳裏によぎる。
纏わりつく不安を振り払うように頭を横に振る。

(燈は……大丈夫だ……さっさと終わらせよう)

管理室を後にし、駅の中央改札口へ足を進める。
足取りは自然と慎重になり、歩幅もいつもより小さい。
改札前に立ち、ゆっくりと息を整える。


開始時刻にまだ余裕はあるが、すぐに一人目が到着した。

コツ、コツ、と。
規則正しい足音が、遠くから近づいてくる。

管理人は顔を上げ、姿を見据える。


その第一印象は――『白』。

純白のキトンが床に柔らかく揺れ、
背には清廉な白い羽が整然と畳まれている。
白磁のような肌は光を反射し、冥府の空気の中でも異質なほど澄んでいた。

ただ一つ。
その白の中で、際立つ碧色の瞳が、まっすぐこちらを見据えている。

管理人は小さく息を吐き、口を開く。
「『ひつか』か……相変わらず到着が早いな」

ひつかは足を止め、静かに一礼する。
「お久しぶりです、つきのみや様」

穏やかで、浄化された声だった。

「あなたも……お元気そうで何よりです」

つきのみやは肩をすくめ、気負いのない調子で返す。
「ま、こっちはぼちぼちだ。あぁそういえば、最近そっちに送った学者の魂はどうだった?」

ひつかの表情に、ほんのわずかな変化が走る。

「えぇ、お陰様でまた学びが深まりました」

碧の瞳が、どこか遠くを見つめる。

「なんでも細菌……という微細な生物について研究されていたとのことで。興味深いお話でしたよ」

つきのみやは腕を組み、その話題には深く踏み込まない。

「そうか、それならいいんだが」
「……にしても、どうしてそこまで知識を求めるんだ?」

以前から胸の奥に引っかかっていた疑問。
興味本位でぶつけ、反応をうかがう。

ひつかはすぐには答えない。
わずかに視線を伏せ、指先を重ねる。

「私は……『人間』について、知りたいのです……」

つきのみやは、何も言わずに言葉を待つ。

「彼らは一体、何者で……何を目的として、生きていたのか」

「私は、あなた方と違って初めから管理人として生きてきたので……」
ひつかの純白に、一瞬影が差す。

つきのみやは、その変化を見逃さず、慎重に言葉を選ぶ。
「……まだ、答えには辿り着けなさそうか?」

ひつかはゆっくりと視線を落とし、床の淡い光を見つめる。
「えぇ、まだ……」

つきのみやは肩をすくめ、どこか照れ隠しのように苦笑した。
「私が人間だった頃の記憶、役に立てばよかったんだがな……ロクな記憶が残ってないからなぁ……」

自虐気味に言いながら、後頭部をぽりぽりとかく。

ひつかは顔を上げ、碧の瞳をまっすぐと向ける。
その表情は、聖母のように柔らいでいた。

「いえ、あなたの記憶は役に立っております、記憶は立派な資産……生きた証ですから」

その言葉に、つきのみやの頬がわずかに緩む。
「ありがとな……そう言ってもらえると、生前の私も少しは浮かばれるよ」

ひつかはそっと目を閉じる。
胸の奥で、何かを噛みしめるように。

「あとは……ひたすら考えるのみです」

つきのみやは、ふっと口元にいたずらな笑みを浮かべる。
だがその奥には、ほんのわずかな期待も滲んでいた。

「答えが出るのが、ちょっとだけ楽しみだな」

「えぇ……」

ひつかの羽がぴくりと反応する。
「おや、誰か到着されましたね」

次の瞬間。
駅構内に、低く唸るような蒸気の音が響き渡った。


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管理室は、見違えるほどきれいになっていた。
いつもならシンクに積まれているはずの食器は影も形もなく、
デスクの上を占領していた書類の山も、必要なものだけが整然とまとめられている。
床に落ちていた小物も、椅子に掛けっぱなしだった上着も、すべて片付けた。
普段の生活感たっぷりの部屋は、もはやそこには無かった。
長机をいくつも繋げ、全員が中央のモニターを自然と見渡せるように配置する。
椅子の位置も微調整し、視線の高さや間隔を確認する。
(よし……ギリギリ間に合ったな……)
机に手をつき、短く息を吐く。
時計代わりに壁のモニターを一瞥する。
なぜ、ここまで念入りに準備をしているのか。
年に一度――
冥府全域に点在する八つの駅、その管理人たちが一堂に会する日。
『冥府八駅会合』
今年はその会場が「つきのみや駅」なのだ。
(無事に……終わるといいがな……)
自分に言い聞かせるように、心の中で呟く。
が、不安は完全には取り除けなかった。
あの駅の管理人の顔が、ふっと脳裏によぎる。
纏わりつく不安を振り払うように頭を横に振る。
(燈は……大丈夫だ……さっさと終わらせよう)
管理室を後にし、駅の中央改札口へ足を進める。
足取りは自然と慎重になり、歩幅もいつもより小さい。
改札前に立ち、ゆっくりと息を整える。
開始時刻にまだ余裕はあるが、すぐに一人目が到着した。
コツ、コツ、と。
規則正しい足音が、遠くから近づいてくる。
管理人は顔を上げ、姿を見据える。
その第一印象は――『白』。
純白のキトンが床に柔らかく揺れ、
背には清廉な白い羽が整然と畳まれている。
白磁のような肌は光を反射し、冥府の空気の中でも異質なほど澄んでいた。
ただ一つ。
その白の中で、際立つ碧色の瞳が、まっすぐこちらを見据えている。
管理人は小さく息を吐き、口を開く。
「『ひつか』か……相変わらず到着が早いな」
ひつかは足を止め、静かに一礼する。
「お久しぶりです、つきのみや様」
穏やかで、浄化された声だった。
「あなたも……お元気そうで何よりです」
つきのみやは肩をすくめ、気負いのない調子で返す。
「ま、こっちはぼちぼちだ。あぁそういえば、最近そっちに送った学者の魂はどうだった?」
ひつかの表情に、ほんのわずかな変化が走る。
「えぇ、お陰様でまた学びが深まりました」
碧の瞳が、どこか遠くを見つめる。
「なんでも細菌……という微細な生物について研究されていたとのことで。興味深いお話でしたよ」
つきのみやは腕を組み、その話題には深く踏み込まない。
「そうか、それならいいんだが」
「……にしても、どうしてそこまで知識を求めるんだ?」
以前から胸の奥に引っかかっていた疑問。
興味本位でぶつけ、反応をうかがう。
ひつかはすぐには答えない。
わずかに視線を伏せ、指先を重ねる。
「私は……『人間』について、知りたいのです……」
つきのみやは、何も言わずに言葉を待つ。
「彼らは一体、何者で……何を目的として、生きていたのか」
「私は、あなた方と違って初めから管理人として生きてきたので……」
ひつかの純白に、一瞬影が差す。
つきのみやは、その変化を見逃さず、慎重に言葉を選ぶ。
「……まだ、答えには辿り着けなさそうか?」
ひつかはゆっくりと視線を落とし、床の淡い光を見つめる。
「えぇ、まだ……」
つきのみやは肩をすくめ、どこか照れ隠しのように苦笑した。
「私が人間だった頃の記憶、役に立てばよかったんだがな……ロクな記憶が残ってないからなぁ……」
自虐気味に言いながら、後頭部をぽりぽりとかく。
ひつかは顔を上げ、碧の瞳をまっすぐと向ける。
その表情は、聖母のように柔らいでいた。
「いえ、あなたの記憶は役に立っております、記憶は立派な資産……生きた証ですから」
その言葉に、つきのみやの頬がわずかに緩む。
「ありがとな……そう言ってもらえると、生前の私も少しは浮かばれるよ」
ひつかはそっと目を閉じる。
胸の奥で、何かを噛みしめるように。
「あとは……ひたすら考えるのみです」
つきのみやは、ふっと口元にいたずらな笑みを浮かべる。
だがその奥には、ほんのわずかな期待も滲んでいた。
「答えが出るのが、ちょっとだけ楽しみだな」
「えぇ……」
ひつかの羽がぴくりと反応する。
「おや、誰か到着されましたね」
次の瞬間。
駅構内に、低く唸るような蒸気の音が響き渡った。