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マナの聖域

ー/ー



 勇斗は、トゥーレの家のリビングのソファにひとり腰掛けていた。

 この家の持ち主は、もういない。

 トゥーレさんが、死んだ。

 共に旅をしてきた仲間ではない。けれど、自分の命を二度も救ってくれた恩人だった。

 勇斗にとって、身近な人の死は初めてだった。祖父や祖母は物心つく前に亡くなっていたから、「死」という言葉の重さを実感として持ったことはなかった。

 けれど今は、胸が苦しい。

 死とは、なんだろう。どんな重さを持つものなのか。

 ミュールは弟を失った。
 
 チカップは恋人を失った。
 
 シグネリア王女は父を失った。

 みんな、誰かの死を抱えている。なのに、自分だけが何も失っていない気がした。

 いや、肉体の一部は失った。

 異世界に転移して以来、何度も死線を越えてきた。両目と片耳、そして片腕を失いながらも生き延びた。今では、精霊眼を得て、半ば人間でない存在に近づいている。

 自分は、生かされているのだろうか。
 
 生きるとは、なんだろう。
 
 生きているというのは、ただ息をしていることなのか。
 
 それとも、誰かの思いを背負って歩くことなのか。

 答えは、まだ見えない。自分だけが周りから孤立しているような気がして、切なかった。

 勇斗は、窓の外に視線を向けて目を細めた。

「ユート」

 ドアが開き、シグネリア王女が部屋に入ってきた。

「シグネリア王女」

「横に座っていいですか?」

「う、うん」

 シグネリアが静かに隣に座った。花のような、やわらかくていい匂いがした。

「トゥーレのことは残念でした。しかし、彼はその身を犠牲にしてでもこの町を守ったのです。そして、父の敵を討ってくれました。トゥーレは、私にとっての英雄です」

 彼女の顔は、悲しさを残しながらも、どこか晴れやかだった。

「私は、彼の分まで生きなければなりません」

 シグネリアは天を仰ぎ、そっと微笑んだ。そのあと、顔をこちらに向ける。

 トゥーレさんがいれば、今の彼女をなんて言っただろう。「立派になった」と笑うのか、それとも「無茶をするな」と叱るのか。そのどちらも、もう聞けない。胸の奥が少し痛んだ。

「ユート、私をあなたたちの旅に加えてください」

 シグネリアの言葉に、勇斗の肩がビクッと跳ねた。

「今の私には、何が正しいのかわかりません。けれど、マナの聖域には、この世界の理を見守る存在がいると聞きました。もし今の世界が変わりつつあるのなら、私がこれからどう生きるべきかを確かめたいのです」

「マナの聖域は、王女が行くようなところじゃ」

「王女ではありません。ソレインは滅びました。けれど、私の中でまだ誰かを守りたいという想いだけが残っているのです。だから確かめたい。この想いが、まだ世界に必要とされているのかどうかを」

「で、でも……道中、どんな魔族が襲ってくるかもわからないし」

「ご安心ください。これでも武術は心得ています。自分の身は自分で守れます」

 勇斗は、シグネリアの言葉をすぐには信じられなかった。その瞳の奥に、ソーマの幻影を見てしまったからだ。

 利用するつもりか? そんな疑いが一瞬、頭をよぎる。そんなこと、思いたくなかった。でも、信じた相手に裏切られた痛みは、まだ胸の奥でくすぶっている。誰かを信じることが、こんなにも怖いなんて、知らなかった。

 勇斗は小さく息を吐いた。

「……勝手にすれば。止めても、ついてくるんだろ?」

 つい、ぶっきらぼうな言葉が出てしまった。

「今の言い方、アルトそっくり」

「あっ……」

「仲間なんだから、お互い敬語で話すのはやめにしよ。その方が気楽でいいし。ね、ユート?」

「あ、あぁ。シグネリア王女」

「王女はいらない。シグネリアでいいよ」

「わかったよ、シグネリア」

 名前を呼んだ瞬間、彼女は微笑んだ。
 
 その笑顔を見て、勇斗の目つきに安堵の色がよみがえった。


 ランパに案内され、勇斗たちは北へと向かった。

 雪原を歩き、山を越える。

 道中、魔族の襲撃を何度か受けた。片腕での戦闘にはまだ慣れていないが、精霊眼による未来視のおかげで、どうにか乗り切ることができた。

 シグネリアも戦闘に参加していた。華奢な体つきながら、剣さばきは見事だった。踊るように動くその姿は、思わず見とれてしまうほどだった。

 戦いのあと、彼女は驚くほどよく食べた。食べっぷりは、ランパもあきれるくらいだった。
 
 「王女ってのは、そんなに食うもんなのか?」とランパがぼやくと、シグネリアは平然と「成長期なのです」と答えた。そのやり取りに、笑い声がこぼれた。

 やがて、一行はミケーレ大陸の最北端へとたどり着いた。

 雪は止み、空気は乾燥している。周囲には、常に薄い霧が漂っていた。

「ここがシトレ岬だ。この海の向こうに、マナの聖域がある」

 ランパが岬の先端――果てしない海の彼方を指さした。

 シトレ岬は、不思議な場所だった。まず、マナの濃度が異常に濃い。今までのどの場所よりも圧倒的だった。

 空を仰ぐと、青白く光る天が広がっている。

 海面は鏡のように静まり返り、まるで光の液体が広がっているようだった。波はなく、風もない。音ひとつしない。ここで世界が終わっていても、不思議ではない。

「ところで、ここからどうやってマナの聖域に行くんスか? 船も見当たらないし」

「さすがに泳いでいくのは無理よね」

 チカップとシグネリアが首を傾げた。

「ふふん。ここでオイラが大活躍するのだ!」

 ランパはぴょんと跳ね、腰に手を当てて胸を張る。

「来い、精霊舟シンターよ! ランパ様のお帰りだ!」

 ランパが精霊樹の枝を天に掲げる。瞬間、天から太い光が差し込んだ。
 
 光の粒が舞い、海面が淡く揺れ始める。

 やがて、光の中から翼のついた舟が、ゆっくりと姿を現した。

 シンターと呼ばれた舟は、一本の大樹から削り出されたような、有機的な曲線を描く丸木舟だった。全長は八メートルほど。舟の両端は鋭く、船首は風切羽を模した形状になっている。両サイドに伸びる羽は、オーロラのようにゆらめき、淡く光っていた。

「この舟はオイラとルークが使ってたんだ。あっという間にマナの聖域まで行けるぞ」

 ランパが岬の先端に停泊しているシンターへと乗り込む。続いて勇斗たちも順に乗り込んだ。四人乗ると、ちょうど満席といったところだった。

 ランパの合図で、シンターが静かに浮かび上がる。舟が光の粒をまきながら上昇し、空気が柔らかく震えた。

 高度を上げると、風のように速く、そして不思議なほど静かに進んだ。下を見下ろすと、霧の層が白くたなびき、遠くには青白い大地の線が霞んでいる。

「すごいすごい、飛んでるわよ! ねぇユート!」

 シグネリアが周囲を見渡しながら、子どものように声を弾ませた。

「あ、あぁ……すごいね」

 勇斗は苦笑しながら答える。

「ところでランパは、なんでそんな格好してるんスか?」

 チカップが、身をすくめてうずくまっているランパを見ながら、ポリポリと髪をかいた。

「ランパは高いところが苦手なんだよ」

「あ、そうだったんスね。精霊にも意外な弱点があるもんスね」

「うるさーい! 怖いもんは怖いんだ! ずーっとこうしてるから、着いたら声をかけてくれよなー!」

 くぐもった声が、風のない空の中に響き渡った。

 勇斗とシグネリアは顔を見合わせ、思わず笑った。
 
 笑い声が消えると、空の静けさがいっそう際立つ。舟の羽がわずかに鳴り、光の筋が遠くへと伸びていく。

 岬を出発して、およそ一時間。

 勇斗たちの目前に、ゆっくりと島が姿を現した。その島は、光のヴェールに包まれていた。
 

 砂浜に着陸したシンターは、勇斗たちが降りると再び天へと昇っていった。やがてその姿は光の中に溶け、見えなくなった。

 砂の色は白く、踏むとキュッと音が鳴る。砂というより、乾いた硝子片の上を歩いているようだった。

 海風は吹いていない。ただ空気がゆっくりと流れており、肌に触れると体温より少し冷たい。

 耳を澄ますと、どこからともなく呼吸のような音がした。それは潮騒ではなく、まるで世界そのものが息をしているような音だった。

「ここがマナの聖域だ。行くぞ、精霊樹まで案内してやる」

 ランパは森の奥へと歩き出した。

 不思議な森だった。木々はすべて半透明で、幹の内部を青白い光の筋が脈打っていた。まるで木そのものに血管が通っているようだ。

「森っていうより、生き物の中を歩いてるみたいっスね」

 チカップは興味津々に周囲を見回している。

 地面には苔の代わりに、光る胞子の絨毯が広がっていた。歩くたびに足跡が淡く光り、しばらくしてからゆっくり消える。

「見て、光る鳥よ」

 シグネリアが木の枝を指さす。まばゆく光る鳥がとまっていた。目が合うと、キュイーと鳴いた。

 森を抜けると、なだらかな斜面が現れ、そこから淡い霧が滝のように流れ落ちていた。霧の滝の中では、龍と魚の中間のような姿をした生き物が、ゆっくりと泳いでいる。

 さらに進むと、美しい花園が広がっていた。

 一面に咲くのは、花とも結晶ともつかない光の花々。透明な花弁が空中で静かに回転し、陽光のない空間に淡い虹を作り出していた。

「そろそろ着くぞ」

 ランパの声がわずかに弾んでいる。

 勇斗は唇を噛み、前のめりの姿勢になった。

 もうすぐ元の世界に戻れるかもしれない。けれど、この体で戻ったところで、母や友人は受け入れてくれるのだろうか。向こうの世界で、本当に生きていけるのだろうか。

 勇斗の手がわずかに震えた。

 そういえば、アルトは今どうしているのだろう。トゥーレさんの家で目を覚ましてから何度かフォンタイトを触ったが、全く反応しなかった。アザのあった左手首がもうないから、起動しないのかもしれない。もしそうなら、向こうとの連絡手段は完全に絶たれたことになる。

 勇斗は大きく息を吐いた。

 花園を抜けると、大きな湖が現れた。

 湖の中央には、巨大な木がそびえ立っている。直径は百メートルをゆうに超え、枝先は雲の中へと消えていた。

「これが、精霊樹だ」

 ランパが静かに言った。

 あまりのスケールに、勇斗は息をのむ。シグネリアとチカップも、言葉を失ったように立ち尽くしていた。

 その時、無数の光が勇斗たちを包み込んだ。

 ――この世界の、すべての記憶を。

 勇斗の視界が白く染まり、意識が遠くへと飛ばされた。


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 この家の持ち主は、もういない。
 トゥーレさんが、死んだ。
 共に旅をしてきた仲間ではない。けれど、自分の命を二度も救ってくれた恩人だった。
 勇斗にとって、身近な人の死は初めてだった。祖父や祖母は物心つく前に亡くなっていたから、「死」という言葉の重さを実感として持ったことはなかった。
 けれど今は、胸が苦しい。
 死とは、なんだろう。どんな重さを持つものなのか。
 ミュールは弟を失った。
 チカップは恋人を失った。
 シグネリア王女は父を失った。
 みんな、誰かの死を抱えている。なのに、自分だけが何も失っていない気がした。
 いや、肉体の一部は失った。
 異世界に転移して以来、何度も死線を越えてきた。両目と片耳、そして片腕を失いながらも生き延びた。今では、精霊眼を得て、半ば人間でない存在に近づいている。
 自分は、生かされているのだろうか。
 生きるとは、なんだろう。
 生きているというのは、ただ息をしていることなのか。
 それとも、誰かの思いを背負って歩くことなのか。
 答えは、まだ見えない。自分だけが周りから孤立しているような気がして、切なかった。
 勇斗は、窓の外に視線を向けて目を細めた。
「ユート」
 ドアが開き、シグネリア王女が部屋に入ってきた。
「シグネリア王女」
「横に座っていいですか?」
「う、うん」
 シグネリアが静かに隣に座った。花のような、やわらかくていい匂いがした。
「トゥーレのことは残念でした。しかし、彼はその身を犠牲にしてでもこの町を守ったのです。そして、父の敵を討ってくれました。トゥーレは、私にとっての英雄です」
 彼女の顔は、悲しさを残しながらも、どこか晴れやかだった。
「私は、彼の分まで生きなければなりません」
 シグネリアは天を仰ぎ、そっと微笑んだ。そのあと、顔をこちらに向ける。
 トゥーレさんがいれば、今の彼女をなんて言っただろう。「立派になった」と笑うのか、それとも「無茶をするな」と叱るのか。そのどちらも、もう聞けない。胸の奥が少し痛んだ。
「ユート、私をあなたたちの旅に加えてください」
 シグネリアの言葉に、勇斗の肩がビクッと跳ねた。
「今の私には、何が正しいのかわかりません。けれど、マナの聖域には、この世界の理を見守る存在がいると聞きました。もし今の世界が変わりつつあるのなら、私がこれからどう生きるべきかを確かめたいのです」
「マナの聖域は、王女が行くようなところじゃ」
「王女ではありません。ソレインは滅びました。けれど、私の中でまだ誰かを守りたいという想いだけが残っているのです。だから確かめたい。この想いが、まだ世界に必要とされているのかどうかを」
「で、でも……道中、どんな魔族が襲ってくるかもわからないし」
「ご安心ください。これでも武術は心得ています。自分の身は自分で守れます」
 勇斗は、シグネリアの言葉をすぐには信じられなかった。その瞳の奥に、ソーマの幻影を見てしまったからだ。
 利用するつもりか? そんな疑いが一瞬、頭をよぎる。そんなこと、思いたくなかった。でも、信じた相手に裏切られた痛みは、まだ胸の奥でくすぶっている。誰かを信じることが、こんなにも怖いなんて、知らなかった。
 勇斗は小さく息を吐いた。
「……勝手にすれば。止めても、ついてくるんだろ?」
 つい、ぶっきらぼうな言葉が出てしまった。
「今の言い方、アルトそっくり」
「あっ……」
「仲間なんだから、お互い敬語で話すのはやめにしよ。その方が気楽でいいし。ね、ユート?」
「あ、あぁ。シグネリア王女」
「王女はいらない。シグネリアでいいよ」
「わかったよ、シグネリア」
 名前を呼んだ瞬間、彼女は微笑んだ。
 その笑顔を見て、勇斗の目つきに安堵の色がよみがえった。
 ランパに案内され、勇斗たちは北へと向かった。
 雪原を歩き、山を越える。
 道中、魔族の襲撃を何度か受けた。片腕での戦闘にはまだ慣れていないが、精霊眼による未来視のおかげで、どうにか乗り切ることができた。
 シグネリアも戦闘に参加していた。華奢な体つきながら、剣さばきは見事だった。踊るように動くその姿は、思わず見とれてしまうほどだった。
 戦いのあと、彼女は驚くほどよく食べた。食べっぷりは、ランパもあきれるくらいだった。
 「王女ってのは、そんなに食うもんなのか?」とランパがぼやくと、シグネリアは平然と「成長期なのです」と答えた。そのやり取りに、笑い声がこぼれた。
 やがて、一行はミケーレ大陸の最北端へとたどり着いた。
 雪は止み、空気は乾燥している。周囲には、常に薄い霧が漂っていた。
「ここがシトレ岬だ。この海の向こうに、マナの聖域がある」
 ランパが岬の先端――果てしない海の彼方を指さした。
 シトレ岬は、不思議な場所だった。まず、マナの濃度が異常に濃い。今までのどの場所よりも圧倒的だった。
 空を仰ぐと、青白く光る天が広がっている。
 海面は鏡のように静まり返り、まるで光の液体が広がっているようだった。波はなく、風もない。音ひとつしない。ここで世界が終わっていても、不思議ではない。
「ところで、ここからどうやってマナの聖域に行くんスか? 船も見当たらないし」
「さすがに泳いでいくのは無理よね」
 チカップとシグネリアが首を傾げた。
「ふふん。ここでオイラが大活躍するのだ!」
 ランパはぴょんと跳ね、腰に手を当てて胸を張る。
「来い、精霊舟シンターよ! ランパ様のお帰りだ!」
 ランパが精霊樹の枝を天に掲げる。瞬間、天から太い光が差し込んだ。
 光の粒が舞い、海面が淡く揺れ始める。
 やがて、光の中から翼のついた舟が、ゆっくりと姿を現した。
 シンターと呼ばれた舟は、一本の大樹から削り出されたような、有機的な曲線を描く丸木舟だった。全長は八メートルほど。舟の両端は鋭く、船首は風切羽を模した形状になっている。両サイドに伸びる羽は、オーロラのようにゆらめき、淡く光っていた。
「この舟はオイラとルークが使ってたんだ。あっという間にマナの聖域まで行けるぞ」
 ランパが岬の先端に停泊しているシンターへと乗り込む。続いて勇斗たちも順に乗り込んだ。四人乗ると、ちょうど満席といったところだった。
 ランパの合図で、シンターが静かに浮かび上がる。舟が光の粒をまきながら上昇し、空気が柔らかく震えた。
 高度を上げると、風のように速く、そして不思議なほど静かに進んだ。下を見下ろすと、霧の層が白くたなびき、遠くには青白い大地の線が霞んでいる。
「すごいすごい、飛んでるわよ! ねぇユート!」
 シグネリアが周囲を見渡しながら、子どものように声を弾ませた。
「あ、あぁ……すごいね」
 勇斗は苦笑しながら答える。
「ところでランパは、なんでそんな格好してるんスか?」
 チカップが、身をすくめてうずくまっているランパを見ながら、ポリポリと髪をかいた。
「ランパは高いところが苦手なんだよ」
「あ、そうだったんスね。精霊にも意外な弱点があるもんスね」
「うるさーい! 怖いもんは怖いんだ! ずーっとこうしてるから、着いたら声をかけてくれよなー!」
 くぐもった声が、風のない空の中に響き渡った。
 勇斗とシグネリアは顔を見合わせ、思わず笑った。
 笑い声が消えると、空の静けさがいっそう際立つ。舟の羽がわずかに鳴り、光の筋が遠くへと伸びていく。
 岬を出発して、およそ一時間。
 勇斗たちの目前に、ゆっくりと島が姿を現した。その島は、光のヴェールに包まれていた。
 砂浜に着陸したシンターは、勇斗たちが降りると再び天へと昇っていった。やがてその姿は光の中に溶け、見えなくなった。
 砂の色は白く、踏むとキュッと音が鳴る。砂というより、乾いた硝子片の上を歩いているようだった。
 海風は吹いていない。ただ空気がゆっくりと流れており、肌に触れると体温より少し冷たい。
 耳を澄ますと、どこからともなく呼吸のような音がした。それは潮騒ではなく、まるで世界そのものが息をしているような音だった。
「ここがマナの聖域だ。行くぞ、精霊樹まで案内してやる」
 ランパは森の奥へと歩き出した。
 不思議な森だった。木々はすべて半透明で、幹の内部を青白い光の筋が脈打っていた。まるで木そのものに血管が通っているようだ。
「森っていうより、生き物の中を歩いてるみたいっスね」
 チカップは興味津々に周囲を見回している。
 地面には苔の代わりに、光る胞子の絨毯が広がっていた。歩くたびに足跡が淡く光り、しばらくしてからゆっくり消える。
「見て、光る鳥よ」
 シグネリアが木の枝を指さす。まばゆく光る鳥がとまっていた。目が合うと、キュイーと鳴いた。
 森を抜けると、なだらかな斜面が現れ、そこから淡い霧が滝のように流れ落ちていた。霧の滝の中では、龍と魚の中間のような姿をした生き物が、ゆっくりと泳いでいる。
 さらに進むと、美しい花園が広がっていた。
 一面に咲くのは、花とも結晶ともつかない光の花々。透明な花弁が空中で静かに回転し、陽光のない空間に淡い虹を作り出していた。
「そろそろ着くぞ」
 ランパの声がわずかに弾んでいる。
 勇斗は唇を噛み、前のめりの姿勢になった。
 もうすぐ元の世界に戻れるかもしれない。けれど、この体で戻ったところで、母や友人は受け入れてくれるのだろうか。向こうの世界で、本当に生きていけるのだろうか。
 勇斗の手がわずかに震えた。
 そういえば、アルトは今どうしているのだろう。トゥーレさんの家で目を覚ましてから何度かフォンタイトを触ったが、全く反応しなかった。アザのあった左手首がもうないから、起動しないのかもしれない。もしそうなら、向こうとの連絡手段は完全に絶たれたことになる。
 勇斗は大きく息を吐いた。
 花園を抜けると、大きな湖が現れた。
 湖の中央には、巨大な木がそびえ立っている。直径は百メートルをゆうに超え、枝先は雲の中へと消えていた。
「これが、精霊樹だ」
 ランパが静かに言った。
 あまりのスケールに、勇斗は息をのむ。シグネリアとチカップも、言葉を失ったように立ち尽くしていた。
 その時、無数の光が勇斗たちを包み込んだ。
 ――この世界の、すべての記憶を。
 勇斗の視界が白く染まり、意識が遠くへと飛ばされた。